第03話 白磁の手が掴むもの
第01節 騎士王国からの脱出〔3/7〕
翌日。
俺たちは朝からまた森の中を走り、日が傾き出した頃には森を抜けることが出来た。
それからそれほど経たずに道に出たので、馬を荷馬車に繋ぎ、馬車での移動をすることにした。
流石にこの強行軍で全員かなり疲労していたようで、馬車の中は死屍累々、水揚げされたマグロの群れ、といった様相を呈していた。
しかしこのワゴンは、走りながらでもお茶を淹れたり簡単な調理をしたりすることは出来る。侍女さんたちが王女たちや、馭者台にいる俺とリリスにもお茶と軽食を差し入れてくれた。
◇◆◇ ◆◇◆
そしてその晩。野営の準備をしていた俺の許に、アナさんをはじめとする侍女四人が揃ってやってきた。
「あの、アレクさん。お願いがあります」
「何か?」
「貴方の、冒険者としての戦い方を、私たちに教えてほしいんです」
何を言い出すんだ、この人たちは?
「くわしく。」
「私たちは、姫様とシルヴィア様にお仕えする侍女です。姫様たちが征くところであれば、どこまででもお供します。
けれど、少なくとも今はそれでは不十分だと思ったのです」
「不十分、って何が?」
「昨夜アレクさんがサリアに語ったように、私たちも自分の意思で選ばなければならないと思ったのです」
「……聞いていたんですか、って、聞こえて当然か」
別に声を潜めていた訳ではないし。
「姫様たちについて行く、のではなく、お二人の征くところに私たちも自分の意思で共に行く。その為には今のままではいけないと思ったんです」
「成程、よくわかりました。
申し訳ありませんが、お断りします」
「何故?」
「例えば、うちのシンディ。彼女に戦う力はありません。
けれど、一度としてそのことで不満を口にしたことはありません。
何故なら彼女の手は鎚を打ち、鏨を握る為のもので、剣を取る為のものではないからです。
貴女たちの手は、何の為にあります?」
その荒れることを知らない白磁の手で淹れるお茶は、その仕草からして見る者に癒しを齎してくれるのに。
「ですが今は、姫様たちにお茶を淹れる事よりも大切なことがある筈です」
「そうとも限りませんよ?
スイザリアに、『ベスタ大迷宮』と呼ばれる迷宮があるのをご存知ですか?」
「はい、それが何か?」
「あの迷宮の最も恐ろしい部分は、その巨大さです。どれだけ物資を持ち込んでも、探索するのには全然足りないのです」
普通の人は、という前提条件が付くけれど。
「だから、節約出来るものは極力節約します。お茶などの嗜好品はその最たるものです。
けど、その為探索者たちは心に余裕がありません。二六時中気を張って、ピリピリしています。
だからこそ、逆にたくさんの失策をしでかし、自分のみならず旅団全員の生命を危機に曝したりもするんです。
今の俺たちは、別に物資を切り詰めなければならない状況ではないでしょう? なら寧ろ、先の見えない逃避行の最中、貴女たちの淹れるお茶が人知れず全員の命を救うこともあるんです」
「ですが、私たちは皆さまにとってのお荷物にしかなりません」
「荷物を持たずに何処へ行けというのですか。
俺は、冒険者になったとき。
自分は自由だ、何処にでも行けると思いました。
けどその自由は、はっきり言って、野垂れ死ぬ自由でしかなかったんです」
その自由は、俺が初めて殺した男のように、己のちんけなプライドを守る為に力を振るい、返り討ちにされる自由でしかない。
「最初に冒険者登録をした街で、孤児院と縁を持ち、そこの子供たちを守りたいと思った。それでようやく俺は、自分が剣を振るうことに躊躇いを覚えずに済むようになったんです。
はっきり言えば、俺とシェイラの二人だけなら何の困難もありません。けど、それは姫様たちやサリア、それに貴女たちとの出会い全てを否定することになります。そんなことに何の意味があります?」
「私たちは、ご迷惑ではないのですか?」
「全然。寧ろ姫様たちの為に淹れられたお茶をお相伴にあずかることが出来るんだから、かなり贅沢ですよね」
「わかりました。ではおとなしく守られていることにします。その代わり、何かありましたら私たちにもちゃんと話をしてくださいね」
「約束しますよ。
あぁそうだ、サリア!」
「何?」
「頼みがある。
侍女さんたちの中に水属性の加護を持つ人がいたら、お前の魔法を教えてあげてほしい」
「あたしが? 構わないけど、でもアレク君のお姫様である氷雪姫を差し置いて?」
「寧ろ雪娘姫にも、かな?」
「……遂に隠さなくなったわね」
「んなこたぁどうでも良い。サリアに頼むのは理由もある」
「それは?」
「この世界の冷却魔法の正体は、気化熱だ。その意味を理解出来るのは今の時点でサリアだけ。
だからそれを物理学的に教えてあげてほしいんだ。出来る事が増えれば、それだけ選択肢も増えるし、ね」
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何故冷却魔法が水属性か。その答はその冷却のプロセスにある。
水属性の魔法は、水(H₂O)に対して支配力を持つ。それは、相(水蒸気、水、氷)を問わず、だ。
だからこそ、水属性の魔法は空気中から水を取り出す(水蒸気を水に凝縮させる)ことが出来る。
ではどのようにして冷却するか?
第一段階として、空気中の水蒸気を一気に凝固させて氷を作る。
第二段階として、氷が融け、気化する際に奪う気化潜熱で、周囲を冷却する。
だから「冷却するだけ」の氷雪魔法と、「冷却し、凍結させる」氷結魔法の違いは、ただ「空気中に氷を顕現させる」か「特定の物体の周囲に氷を生み出す」かの違いでしかないのだ。
蛇足ながら、〔酷寒地獄〕は「氷結魔法最上位」とされているものの、実際は氷雪魔法に該当する。
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「気化熱による冷却。その概念が理解出来たら、応用範囲は格段と広がる。生活魔法としての活用も期待出来るしな」
「酸素と水素の概念は?」
「今はまだ駄目。四大元素論からいきなり原子論に話を飛躍させても理解出来ないから。遠からず燃素説に基づいた新四大元素論を纏めるから、それまでは『風の中に水がある』程度の説明でお茶を濁しておいて」
「アレク君の構想を実現すると、この世界の魔法の概念がかなり変わるね」
「それを夢見て、俺は『魔法学者』を自称しているんだよ。その場面は殆どないけど。
騎士よりそっちが本業です」
(2,933文字:2016/01/02初稿 2016/11/02投稿予約 2016/12/18 03:00掲載予定)
【注:燃素説に関しては本章第17話で詳説します】
・ 水属性魔法による冷却の原理は、厳密には「融解潜熱」(氷が融けて水になるときの潜熱反応)と「気化潜熱」(水が蒸発して水蒸気になるときの潜熱反応)の両方です。
・ 四大元素論と原子論は、天動説と地動説ほどに開きがあります。たとえそれが真理でも、常識とされた知識と違う内容を上から押し付けることは、決して正しいことではありません。いつの間にか気付き、馴染み、受け入れられるように誘導することこそが、指導者が考えるべきことなのです。




