第31話 出航
第05節 新たな旅立ち〔7/7〕
この数ヶ月で、最も忙しかったのは間違いなくシンディだろう。
S式システムの開発や、荷馬車に組み込む様々な機工。また俺が注文した、神聖銀製のワイヤーの製作。その上ローズヴェルト卿に贈る神聖鉄製の騎士剣の鍛造。その他、それこそ休む暇もないほど忙しかったようだ。
シェイラも、空いている時間に食材になる野獣や魔獣そして山菜等を狩りに行き、その加工やビタミン飴の大量生産。20kgに相当する量の飴を作ることを命じている。通常の依頼を全て無視しても、こちらも休む暇が無い程だった。
そういう俺も、結構忙しく飛び回っていた。ベスタに行ってスライムを乱獲したり、シェイラの狩った獲物を運んだり、パスカグーラの街に行ってラザーランド船長や商人ギルドのアントニオ氏と話し合ったり、寮では神聖金の鍍金加工をしたり。S式素材の研究開発をしたり、商人ギルドで現金を預金したり、穀物その他食材を調達したり、キャメロン騎士王国に関する情報収集をしたり。俺もまた目が回りそうになるほど忙しかった。
そして全ての準備が整ったのは、実は出航予定日の8日前。
(いつの間にか年が改まっていた)カナン暦702年の春の三の月の10日であった。
◇◆◇ ◆◇◆
この日。王女の離宮で、ローズヴェルト卿へ騎士剣の贈与を行った。
本来ならシンディは俺の専属鍛冶師であるから、俺がローズヴェルト卿に渡すのが筋である。が、今の王女離宮で、俺の家族を侮る命知らずはいない。
シンディ自らの手で、ローズヴェルト卿に騎士剣を渡すことになったのである。
シンディが鍛えた騎士剣は、以前ローズヴェルト卿が持っていた剣に比べ幾分細身になっており、その分重量も軽減されている(勿論細剣と呼ばれるほど細くはないが)。だが扱い易くなっていることは事実である。
そして、その剣の刃は、これも日緋色鉄の名に相応しい緋色の輝きを帯びており、血溝に沿ってミスリルを鍍金することで魔力伝導性も高めている。
「それで、セレストグロウン卿。この剣の銘は?」
「まだ付けておりません。宜しければローズヴェルト卿がお付けくだされば、と」
「つまり卿は無銘の剣を寄越した、と? それは随分失礼だな。
否々わかっている。銘はあるのだろう?」
「……では、『クラウソラス』、と」
「『クラウソラス』か。どのような意味を持つのだ?」
「遠い国の伝説にある、光と炎の剣です」
「光と炎の剣か。良い銘だ。気に入った」
「有り難うございます。
また勝手ながら、王女殿下にも献上したいものがございます」
「え? 私にも?」
「はい、こちらです」
それは、オリハルコンの芯をミスリルで包んだ、魔導杖であった。
「少々重たいかと存じますが、ローズヴェルト卿にのみ剣を贈るのではやはり片手落ちだろうとうちの鍛冶師が申しまして」
「有り難う。それで、この杖の銘は?」
どこかしら悪戯っ子のような表情で、こちらを見ている。が、俺にとって銀の魔導杖の銘など、一つしか思い浮かばない。
「『ケーリュケイオン』。導くもの、という意味を持つ、やはり遠い国の伝説の杖の名を戴きました」
「『ケーリュケイオン』。気に入ったわ」
俺も嬉しい。何故なら、厨二病に生まれたからには、一度は神話武器の銘を武器に名付けてみたいものだから。
◇◆◇ ◆◇◆
出航予定日の3日前。俺たちは王都を発った。
その際、うちの新造四輪馬車(四頭立て馬車にしては限界に近いサイズ)を見て、居残り組の侍女たちは「まるで放浪民みたい」と笑っていた。
実際定住地を持たないジプシーは、家財道具の全てを馬車に積み、嵩張る通貨は宝石に換えて身に付ける(見栄ではなく、防犯の為)。そう考えると、俺たちもまた定住地を持たないジプシーなのかもしれない。
◇◆◇ ◆◇◆
その日のうちに、港街パスカグーラに着いた。
王女たちはパスカグーラの王家別邸に入ったが、俺たちは真直ぐ『光と雪の女王』号の係留地に向かう。
「船長!」
「おぉ、アレクか。今行く」
幌馬車に乗せていた家禽と馬たちを船員に引き渡し、ラザーランド船長とともに今度は商人ギルドに向かい、アントニオ氏を呼び出した。
「まずアレクさん、報告させてください。
先日一隻の船が帰港しました。航海日数81日。
壊血病の罹患者は、いませんでした」
「そう、か」
「罹患者0は今回が初めてですが、そのインパクトは大きかったようで、これまで半信半疑だった船乗りたちも、先を争って柑橘類を購入しています」
「これで、どんどん罹患者が減るだろうな」
「そうあってほしいです」
「で、今度は俺の件。
俺の馬車は、俺の〔無限収納〕に格納される。だから船には、俺の馬車一両分の余剰スペースが出来る。
それを埋める為の物資は、用意してあるか?」
「はい、ございます。こちらがそのリストです」
「了解。シェイラ、シンディ。ギルドの人に手伝ってもらって、品目と数量のチェック。手を抜くと『光と雪の女王』号がブルックリンになるぞ」
「畏まりました」
「ブルックリンになる?」
「あぁ、俺たちの言い回しで、『有ると思ったものが無くなって困る』ことを言う。まぁちょっとした慣用句みたいなもんだ」
「変な慣用句だな」
「それはそうと、最後にこれだ」
俺はそう言って、あるものを取り出した。
それは、最外周が半円になり、中周と内周が真円で、内周には片側が赤く塗られた鉄棒が中心軸を貫いている。羅針儀である。
「これは、真ん中の鉄棒の赤く塗られた側が、常に北を向く。舟がどちらを向いても、どれだけ揺れても変わらずに、だ。
夜に星を見なくても、方位を失わずに済む。
ラザーランド船長。これをアンタに贈る。使ってくれ」
「良いのか? それが本当ならとても心強いが」
「多分キャメロン騎士王国は、これと同等のモノを持っている。これより劣悪か、それともより使い易いモノかは知らないが。
だが、まだ真中の鉄棒を、安定供給出来る体制が整っていない。
けど、ラザーランド船長。俺はこう思うんだ。
この、フェルマール王国の次代を背負うのは、あの雪娘姫じゃないかって。女だし、まだまだ未熟だが、将来的には磨けば光る。
そしてそうなったとき、ラザーランド船長。アンタはルシル女王の治める国の、海軍総督になっているかもしれない。
だから今のうちに、俺の出来る形で援助しておけば、将来安泰かな、って」
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全ての荷を積み込み、搭乗予定の全ての船員が乗り組み、そして賓客である王女一行が甲板に上がり、抜錨されたのは、予定通り春の三の月の18日であった。
(2,918文字:2015/12/20初稿 2016/09/30投稿予約 2016/11/24 03:00掲載予定)
【注:ジプシー(ヨーロッパの放浪民族)は、中世ヨーロッパでは「疫病と犯罪者の運び手」と言われ忌避されていました。また昭和末期には『ジプシー』は差別用語・放送禁止用語に指定(『ジプシー』の日本語訳に「欧州穢多」というのもありますが、これは擁護の余地なく差別表現)されましたが、現在では文化の一形態として認知(正確には再認知)されつつあります。なお、『ジプシー』は「エジプト人(Egyptian。ジプシーが『エジプトから来た』と自称したという記録から)」を語源としている為、「ロマ」と言い換えることもありますが、ロマ(ロマニ人)以外のジプシーも多く存在しています】




