第08話 失策
第02節 カンタレラ戦争〔4/7〕
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夏の一の月の四日夜(五日未明)。
糧秣を備蓄している区画から出火した。
雨の所為で糧秣が濡れないように、火属性の対抗魔法がかけられていたが、それが仇となり、延焼を助けることになった。
それを見た総大将、ルシル王女は、得意の氷雪魔法で火の熱を捩じ伏せ、消火した。
だが、連日の雨で周囲の湿度はかなり高くなっている。そして、「氷雪魔法」は水蒸気を凍らせて周囲の熱を奪う魔法だ。
結果、陣の彼我を問わず戦場全域の空気が冷却されることになった。
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俺は【分子操作】の魔法を会得し、且つ目標そのものを加熱・冷却することが出来るようになってから、自身の体温の調整も無意識のうちに魔法で行うようになっていた。
例えば寒い時、人は鳥肌を立てて足を震わせる。
鳥肌を立てるのは、毛穴を塞いで放熱量を減らす為だし、身体が震えるのは筋肉を運動させることで熱量を作り出し、寒さに対抗する為だ。
だから、体脂肪中のカロリーの代わりに魔力を消費し、身体を温めることを選んだ、という訳だ。
その為、どこかの暴走姫の魔法の所為で、外気温が氷点下となった戦場に於いても、手足が悴み縮こまるということはない。
しかし、他の連中はそうはいかない。これでは碌に戦えない。ただ幸運にも、敵もまた同様の立場にある。
にもかかわらず、マキア軍は全軍前進を始めた。
この状況で全軍前進は、両者全滅の可能性のある、愚策中の愚策だ。
普通に戦えば、マキアにとってはフェルマールを屠った後にもなお一万五千の兵力が残る。後詰の兵力を合すれば、約四万だ。ならこの酷寒の戦況で、敢えて戦う必要は無い筈。
その理由はすぐにわかった。
両軍が接敵した直後、南側の森の中から、充分な防寒対策をしたマキア軍約一万が出現したのだ!
抑々、『300年の毒』の『毒』は、ルシル王女とマキア第三王子の婚約そのものだ、と解釈されている。つまりルシル王女は、逆ハニートラップに引っかかったのだ、と。
だが、そのハニートラップはそれだけではなかった。
マキア王国は、ルシル王女の得意とする氷雪魔法、その利点と欠点を分析し、それを戦略に織り込んでいた。
兵糧を燃やしたのは、消火させる為。そしてルシル王女の性格を考えれば、王女自身が氷雪魔法で消火を行うだろう。
そして気候。ようやく雪が融けた時季で、なお寒い日が続き、更に前日まで雨が降っていた。そんな時に氷雪魔法を使えば、その影響はかなり広範囲に亘る。
その場にいる両軍は碌に戦えなくなるが、逆にその対策をしている別動隊にとっては絶好の機会。
……この戦い、フェルマールの負けだ。
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「撤退しろ!
この戦いはフェルマールの負けだ。撤退しろ!」
俺は戦場を駆け巡りながら、友軍に撤退を訴えた。
「一度退いて態勢を立て直せ! ここで負けても最後に勝てば良いんだ。
今は戦力を温存する為に、屈辱に耐えて撤退しろ!」
そして俺は、敵別動隊が出現した森を目指す。
弓手に戦闘ナイフ、馬手に数本の苦無。そして前方には〔気弾〕の弾幕。
別動隊一万の中央を突破して、森の中に逃げ込む。
そうすれば、敵軍は撤退するフェルマール軍を追撃する余裕もなくなるだろう。
勿論、〔肉体操作〕で運動能力を底上げし、超低空で〔空間機動〕まで使う。時速にして約40km/h。馬の全速に匹敵する速さで突っ込んでくる歩兵など、常識で考えれば恐怖でしかない。体当たりでも、結構なダメージを与えられる(但しこちらのスピードが減殺されるので、あまり嬉しくない)。
敵中突破の最中、敵別動隊の将軍らしき男の至近を通ることになった。
まともに打ち合うつもりは無く、殺そうという気概もない。
ただ、将軍とその側近に向けて苦無を全力で〔射出〕し、成果も確認せずに脇を抜けた。
あとで知ったことだが、この攻撃で側近の一人は頭を撃ち抜かれ即死、一人は足を吹き飛ばされ、二度と戦場に立てなくなった。そして将軍自身は、左腕を千切り飛ばされたという。
その結果、雑兵に過ぎない俺を捕える為、少なくない人数が森に入ったという。当然、撤退するフェルマール軍に対する追撃などは行えなかった。
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どこで間違えたのだろう?
フェルマール王国第二王女ルシル姫は、全てが裏目に出る状況に混乱していた。
はじめは、マキア第三王子との婚約。
王立学園で出会った時、これが事実上の見合いであることは知っていた。しかし、王女はその人柄に政略を超えて惹かれていった。
学園では、一緒に魔法の練習もした。“氷雪”の二つ名を持つ王女と、炎熱魔法を得意とするもその制御に難がある彼は、互いの強みと弱みを語り合い、共にお互いの力を高め合った。
年末を前に、第三王子は国に帰ることになった。「雪が融けたら迎えに来るよ」。それが彼の別れの言葉だった。
ところがその冬、マキア王国の謀略が明るみに出た。マキア王国は300年前からフェルマールを侵略する為に、様々な策を練っていたというのだ!
はじめはその情報を持ってきた密偵(その人物と直接会うことは無かったが)こそが、たとえばスイザリアの息のかかった者であり、ただの離間策でしかないと思った。だが、調べれば調べる程、それが事実であると信じるに足る情報が積み重なっていった。
だから、迎撃部隊は王女自らが指揮を執ることにした。もしかしたら現場で第三王子と出逢えるかもしれないから。そうしたら、事の真相を聞けるかもしれないから。
しかし。戦場では、王女の氷雪魔法を逆に利用された。
マキア軍は、はじめからそれの対抗策を用意して、フェルマール軍に迫ってきた。
この戦は、フェルマールの負けだ。
そして、この敗戦の責任は、間違いなく王女自身にあった。
なら、自分の身柄一つで兵たちの助命を願えないか。そう思った時。
「撤退しろ!
この戦いはフェルマールの負けだ。撤退しろ!」
前線から、そんな声が響いてきた。
「一度退いて態勢を立て直せ! ここで負けても最後に勝てば良いんだ。
今は戦力を温存する為に、屈辱に耐えて撤退しろ!」
声の主が誰だかはわからない。王女の知る騎士ではないだろう。
だが、その声の主は、まだ諦めてはいないようだ。
そうだ、まだ戦える。なら次こそは。
「撤退! 全軍に伝令、ヴィッシンズの町まで撤退しろ!」
指示を出しながら、改めて声の主を探した。
……一人の歩兵が、何かを叫びながらマキアの別動隊に向かって行くのが見えた。
彼が撤退を訴えた兵士だろうか。だがおそらくは、無事では済むまい。
残念に思いながら、王女自身も馬首を返し、ヴィッシンズの町を目指した。
(2,990文字:2015/12/09初稿 2016/09/01投稿予約 2016/10/07 03:00掲載予定)
【注:「悴む」は北海道地方の方言で「手足が凍えて思うように動かなくなること」です。筆者の母親は北海道出身ですが筆者は東京在住なので、標準語だと思っていました】
・ アレクの声は、魔法(【気流操作】)で拡大しています。




