第05話 出征
第02節 カンタレラ戦争〔1/7〕
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その戦争は、後年『毒戦争』と呼ばれるようになった。
マキア王国側の暗号名『300年の毒』が、いつの間にかフェルマールでも周知のモノとされ、公文書にさえ『300年の毒』『毒』『毒の処方箋』などという言葉が記録されていた。それこそがマキア王国の敗因だったのでは、と考察する歴史家もいた。
だが、それは残念ながら少数派。通説として『毒戦争』でフェルマールが勝利した、その理由の一つとして挙げられるのは、ある英雄姫の存在であった。彼女がその戦場に降り立ったことが、フェルマール王国史上最後となる戦争の、勝利を齎したのだ、と。それでいながら、彼女に対し戦争責任を追及したことが、王国の歴史の幕を降ろす最後のきっかけになったのだ、と史書は告げる。
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「行ってらっしゃい。無事の帰還を祈っています」
カナン暦701年春の一の月。
新年の宴のすぐ後に、冒険者と傭兵で構成される124名の集団が、ハティスの街を出立した。一つの街(カラン村をはじめとする周辺村落も含む)からこれだけの数の戦力を派遣出来るのは、それだけ早くから準備を始められたからであり、それを以て町長は他の市や町の長に優越を認められることになる。
そして俺は、以前縁があった旅団【暁の成功者】に臨時で籍を置かせてもらい、彼らと同行することになった。
「それにしても、あの一件がきっかけでこんな大事になるとはな」
【暁の成功者】は、そもそも『悪神の使徒』の一件で世話になった冒険者たちだ。『悪神の使徒』を追って密輸事件が発覚し、その挙句『300年の毒』を突き止めるに至ったのだから、人生何があるかわからない。
「こっちこそ、色々迷惑をかける。
誰だって自分の身内を戦争に出したくないだろうに、俺の家族を徴兵されない為にあんたたちの名前を借りることになったんだからな」
「そんなことは気にするな。お前の気持ちもわかるからな。
それに、今回の出征では、パーティ単位で特別報酬が出るんだ。余剰人員を供出しているパーティは、当然割増しでな。
お前が俺たちのパーティの名を使うことで、俺たちは充分な利益がある。持ちつ持たれつ。それで良いじゃねぇか」
「そう言ってくれると助かる。そういえば蒸留酒がまだ大量に余っているから、他の連中にばれないように一緒に飲もう。昔の約束がまだ果たされていなかったと思うからね」
「それは嬉しいね。だがお前の備蓄だろう?」
「……流石に一人で2樽は飲み切れないよ。遠慮しないで」
「! ほんとお前の〔亜空間収納〕はどうなっているのやら」
だが残念なことに、大量の酒を持ち込んでいることは、すぐに他の冒険者たちにもばれてしまい、集合地点であるブルックリンの町に到着するまでに一樽が空になり、もう一樽も半分近く減ってしまった。
「おい坊主。もう酒はねぇのか?」
「知るかボケ! 配給を待てば良いだろう?」
「ちっ、使えねぇな」
「俺はお前らの補給係じゃねぇよ」
とはいえ一緒に運ばれている糧秣は、殆どは俺が手配したもの。そして万一に備え、一定量は俺の〔無限収納〕に確保しているから、「補給係」というのもあながち間違いではない。
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春の三の月。
マキア国境にほど近いブルックリンの町に、国軍騎士団四千と辺境伯領軍六千、冒険者と傭兵の混成部隊二千、その他輜重隊五百が集結した。
この時代、軍隊の移動速度は遅い。万単位の軍勢なら、一日の行軍距離は8km程度(ちなみに一般個人の歩く速さは時速4km程度)になる。これは、人間が立つ為に必要な面積と歩く為に必要な面積が違うので、先頭が歩き出しても後方は動けず、後方が動く時間を考慮すれば先頭は早い時刻に行動を止めなければならない。また先行部隊は早いうちに野営の準備をする必要もある。結果、部隊としてみると、一日に僅かな距離しか移動出来ないことになる。
そう考えると、騎士団と(歩兵で構成される)領軍がたった3ヶ月で集結出来たのは、寧ろかなり迅速に行動出来た結果と言わざるを得ない。
だが、内実を見るとあまり喜べない。
国軍騎士団は王女殿下のお守り役、という印象が強く、装飾過剰で実戦的な強さは想像出来ない。
辺境伯領軍は見るからに寄せ集めで、常に国境警備の任に当たり高い練度を誇る辺境軍、と主張するのは無理がある。
そして冒険者・傭兵連合部隊。個々人の戦力はかなりのもの(領軍兵と一対一なら負けはしないだろう)だが、組織戦に向いているとはお世辞にも言えない。
その上で最悪の想定をすれば、敵の最大兵力はこちらの約四倍。ただでさえ数が少ないのに、その少数の利を活かす為の訓練をする時間も無い。どうやら今年は夏が早そうだ。つまり、場合によっては月内にも開戦する。
状況は、フェルマールにとって絶望的でしかなかった。
◇◆◇ ◆◇◆
「坊主。酒はねぇのか?」
傭兵の男が、酒の噂を聞き付けたのか俺のところに寄ってきた。
「ねぇって言ってるだろう。ったく、もうすぐ戦が始まるってのに、呑気だな」
「莫迦だな。始まってもいない戦でそんなに神経張りつめてちゃ、勝てる戦も勝てなくなるぜ」
「だが、俺たちが勝つ確率は限りなく低い。勝ちたいんならもっとやるべきことがあるだろう?」
「坊主。おめぇ、これが初陣か?」
「従軍経験は無いよ。魔物や盗賊団相手の戦闘はそれなりに経験しているけど」
「成程な。じゃぁ良いことを教えてやるよ。
こういう戦争で、俺たちの役割は露払いだ。
だから、開戦の合図と同時に、敵陣に向かって力の限り走れ。
敵陣に突っ込むまでは足を止めるな。止めたら敵さんの飛び道具の恰好の標的だ。
敵陣に突っ込んだら、足を止めるな。止めたらあっという間に囲まれた袋叩きだ。
敵陣を突き抜けたら、足を止めるな。止めたら途端に背中から斬られるぞ」
「それってつまり、最初から最後まで走り続けろ、ってことか?」
「そういうことだ。
戦場ではな、将軍は頭を使い、騎士は腕を振るい、そして雑兵は足を動かすもんだ。
誰にでも役割ってモンがあって、他の奴に振られた仕事を自分がやろうとしても、碌なことにはならねぇんだ。
勝率だの勝ち方だのは、俺たち雑兵の考えることじゃねぇよ」
確かに、俺はいつの間にか全軍の命運を握っているかのように思っていた。それは増長でしかないだろう。
俺は一人の兵士としてここにいる。なら、一人の兵士としてやれることをやろう。
「さんきゅ、おっさん。確かに余計なことを考えて張り詰めててもしょうがないね。
助かったよ。戦が終わってお互い生きてたら、良い酒の一瓶でも奢るよ」
「よし、約束だぞ坊主」
◆◇◆ ◇◆◇
そして、春の三の月の18日目。斥候がマキア軍を捕捉した。
(2,958文字:2015/12/09初稿 2016/07/31投稿予約 2016/10/01 03:00掲載 2016/10/11脱字修正 2019/12/22誤字修正)




