第35話 スライムロード、そして狂気
第07節 未知なるベスタを迷宮に求めて(後編)〔5/7〕
スライムを討つ方法。それは、その核を破壊することのみ。
巨大スライムの最大の恐ろしさは、核に至るまでの粘体の質量にある。
小さなスライムならナイフで粘体ごと核を貫くことが出来るが、大きくなると矢を撃ち込んでも核に届く前にその勢いがなくなってしまう。
それどころか大きすぎて核が目視出来ないこともあるのだ。
今回が、正にそうだ。
そしてこのスライムは、ただその粘体で包み、溶かし、捕食するだけではなく、礫(小石)を投げるという技も持っている。
単純物理は単純ゆえに、対処方法が少ない。物理に対抗出来るのは物理だけであり、だからこそ俺の攻撃も物理に偏重しているのだ。
そして、単純物理の大原則は、質量×速度の二乗だ。しかしそもそもの質量で、俺たちは太刀打ち出来ない。
〔地面操作〕で作った塹壕に身を隠し、崩されるたびに補強しながら観察していると、スライムの投擲方法がわかった。
まずは石なり岩なりを粘体に取り込み、大きすぎるのなら適当なサイズに砕き、それから粘体から吐き出すときに勢いを付ける。つまり、その粘体を軌道砲として機能させているのだ。撃ち出される弾丸のスピードは時速100kmに満たないが、おおよそ1kgほどの石(「小石」という表現に偽り有だが)を礫にしている以上、それだけで充分脅威だ。
そして問題なのは、粘体を潰しても核を砕かない限りこちらに勝ちは無いにもかかわらず、核を砕く為にはまず粘体を排除する必要がある、ということだろう。ならどうするか。
「シェイラ。大槍を構えろ。核が見えたら迷わず撃ち込め」
「しかし、届くかどうかわかりません」
「今は難しいこと考えずに、自分の魔力の全てを注ぎ込むつもりで〔射出〕しろ。周辺の粘体は、俺が何とかする」
「わかりました。無茶はなさらないでくださいね」
「この場合、何が無茶かはわからんがね」
そして、〔無限収納〕から大槍を取り出して、シェイラに渡した。
俺が使う魔法は、〔冷却〕。但し今回のその対象は、空気である。
当然ながら俺たちのいる場所の空気は暖かいまま、スライムのいる場所の空気だけは冷却する、という器用な真似は出来ない。出来るのは、冷気が逃げないように【気流操作】で風を閉じ込めることだけ。謂うなれば〔気弾〕の生成過程を巨大範囲で行う、ということだ。そして逃げ場がないまま風が集まると、当然のこととして気圧は高まることになる。
普通、気圧が高まれば温度も上がる。だが高圧に曝されながら温度を維持するとどうなるか。実は、二酸化炭素が液化する。5気圧超・マイナス56.6度C以下(三重点)で、液化二酸化炭素(液化炭酸ガス)が生成出来る。そこで1気圧に戻すと、液化炭酸ガスが気化熱により自身の凝固点たるマイナス79度Cを下回り、ドライアイスとなる。
そういった化学現象がスライムを中心として起こったのだ。確実に液化炭酸ガスを生成する為に130倍(約130気圧)にまで圧縮された大気の影響で、スライムの粘体は自由度を失う。その上でマイナス50度C以下にまで冷却されることで、当然その粘体も凍結する。更にその表面に液化炭酸ガスが付着し、それが1気圧に開放されることで、気化潜熱で、粘体の温度は更に低下する。炭酸ガス自体がマイナス79度C以下にまで下がりドライアイスとなったとき、果たして粘体の温度はどの程度だろう?
スライムに体温なるものがあったとして、それはこの超低温にどこまで抗し得るだろうか?
出来上がったのは、表面にドライアイスと氷結した水蒸気を纏わり付かせた、純白の物体のみ。
これに対し、俺は〔無限収納〕の中から小槍を3本取り出して、嘗てスライムであった氷の塊に〔射出〕した。ただ表面を砕く為に。
その攻撃の結果、その向こう側に核と思しきものを発見。これをシェイラに大槍で撃ち抜かせ、撃破した。
◇◆◇ ◆◇◆
終わってみれば、酷寒の地獄。周囲の水蒸気も氷結し、真っ白になっている。気温はおそらく(どう楽観的に想像しても)マイナス30度C程度だろう。
けどどうせなら、と生成されたドライアイスを〔無限収納〕に放り込み、改めて空気を〔加熱〕し、人間が生活出来る程度の気温に戻した。
「シェイラ、無事か?」
「寒くて死にそうです」
「済まなかった。他に手が思いつかなかった」
「普通の人は、こんな手を思いつきません」
そうだろう。この世界にも冷却魔法はあるが、正しくは「氷結魔法」だ。空気を冷やす為にはまず氷を作り出して、氷の気化熱で空気を冷やすのがこの世界の魔法の在り方なのである。「空気」を「何もない空間」と考える為、それを直接冷やすという発想は出てこない。その為この次元の低温は、想像さえ出来ないのだ。
◆◇◆ ◇◆◇
アレクたちは空気を温め直した後、熱いお茶を淹れ身体も中から温めて、そして気を取り直して更に奥に進むことにした。
巨大スライムと遭遇したのは、この迷宮に入ってから36日目。
そこからなお5日歩いたその先で、アレクたちは妙な音を聞いた。
《……テケ、リ、リ……、テケリ……、リ、……》
その声を聴き、アレクはあっさり正気を失った。
「嘘だろ~~~! アレは虚構の産物の筈だ。
現実にいる訳がない」
「ご主人様? どうなさいました? ご主人様!」
「有り得ない、それともこの世界もまたフィクションなのか?」
「しっかりしてください、ご主人様! 何があったというんですか?」
「冗談じゃない、笑えない、考えられない、これは一体誰の悪意だ?」
「ご主人様、失礼します!」
業を煮やしたシェイラが、全力でアレクの頬を叩き、その上で頭を掴んで自分の胸に抱いた。
「ご主人様、落ち着いてください。何があったのですか? 恐ろしいことでもあったんですか? ご主人様が望まれないのでしたら、ここで引き返しても構いませんよ」
アレクはシェイラの言葉に返事も出来ず、ただ震えてシェイラにしがみ付いていた。
シェイラもすぐに口を閉ざし、ただアレクの頭を撫でながら、アレクが落ち着くのを待ってくれた。
◇◆◇ ◆◇◆
そうだ。アレがこの世界に実在するからといって何だというんだ。
前世から見たらフィクションにしか有り得ない存在など、別に初めてという訳じゃないだろう。
それに、全てが前世の創作物と同じという訳でもない。
アレがここにいるというのなら、この『ベスタ大迷宮』のダンジョンマスターはアレ以外考えられない。なら、タギが出会い、気紛れゆえに生き永らえた相手というのは、アレのこと。
なら、アレに会いに行こう。アレに会うことが、この探索の目的だったのだから。
(2,933文字:2015/12/06初稿 2016/07/31投稿予約 2016/09/05 03:00掲載予定)
【注:液化二酸化炭素については、昭和電工ガスプロダクツ株式会社様のHP内コンテンツ「ドライアイス資料館」の中の「炭酸ガスの物性」(http://www.sdk.co.jp/gaspro/dryice/g_propertie.html)を参照しています。
「テケリ・リ、テケリ・リ」という声(鳴き声?)の初出は〔E.A.ポー著『The Narrative of Arthur Gordon Pym of Nantucket』〕(邦題『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』)で、南極に棲む『恐るべきもの』の声だと謂われています。その声の持ち主は……、次話にて詳説します】




