第08話 孤児院改造計画
第02節 孤児院と異世界(知識系)チート〔5/7〕
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手押しポンプの歴史を調べてみると、ちょっと面白いことがわかる。
手押しポンプは、紀元前2世紀頃エジプトに住んでいたギリシア人が作っていたという記録が残っている。しかし、その次に手押しポンプの記録が見つかるのは、13世紀頃のアラブ。この間実に1,400年近くかかっているのである。また、ヨーロッパでは15世紀頃の資料にポンプの構造図が記されているが、その通り製作したポンプが実用に足るものであるかどうかは不明だったようだ。
日本では江戸時代にオランダからその原理がもたらされているが、当時製造されたポンプは木製または陶製であり、実用に耐える性能は発揮出来なかったと思われる。
その後時代は下り大正時代に於いて、鋳鉄製の手押しポンプが開発された。これが、戦後電動ポンプが台頭するまで(また電力供給を必要としない災害時の非常用インフラとして)そのまま使われ続けることになったのである。
技術系の転生チートには二種類ある。その世界の知識・技術では再現出来ない物と、知識・技術は既にあるがそれを再現する為の何らかのきっかけが見出せず発明されなかった物、だ。
こう考えると古代エジプトの手押しポンプは、転生チートじみた場違いな工芸品であったといえるだろう。
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この世界では既に、一定レベルの鋳鉄技術がある。そして「水が汲み上げられる原理が大気圧によるもの」ということがわからなくても、この構造で水を汲み上げることが出来るとわかれば現状では十分だろう。
だからこそ手押しポンプを、リックの武具店から鍛冶師ギルドを経由して、世間に公表することを選択したという訳だ。
とはいえ直接的には「孤児院改造計画」の一環。試験運用の名目で、一基格安で孤児院に設置するように契約した。
勿論、それまで全く存在しなかった手押しポンプを、概念図から実用化するのには相応の時間がかかる。だからその時間を利用して、他のことを進めることにした。
最重要は当然、セラ院長の説得である。
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夕餉が終わり、子供たちが眠りについた頃。俺とセラ院長、そしてアリシアさんの三人で、話し合いの場を設けた。ちなみに俺、最近は宿に帰るのが面倒になり、孤児院の一室で寝起きしている。この方が宿代もかからないし。
「セラさん。この孤児院のことで、話があります」
「……何となく内容が想像出来るけど、何?」
「経営について、です」
「やっぱりね。キミは年齢の割に考えることが成熟しているから。けど、今でいっぱいいっぱいなのよ。町長様が補助金を増やしてくださらない以上、支出を減らすしかない。けどこれ以上減らしたら、子供たちの食べるものがなくなるわ。正直、キミが持ってきてくれる食料で、最近はかなり助かっているんだけど、ね」
「いえ、検討してほしいのは支出を減らすことではなく、収入を増やすことです」
「それは、町長様に直談判でもしろってこと?」
「そうじゃありません。孤児院で独自採算が出来るようなことを考えるべき、ということです」
孤児院の運営・経営は本来、行政が責任を負うものである。それは慈善目的ではなく、純然たる治安活動の一環だからだ。
「孤児」というのは、将来の貧民街の住民である。その為、保護しなければ子供のうちは掏摸やかっぱらいをし、大人になったら女は街娼、男は野盗の類になる。
また、貧民街では病気になっても治療するだけのお金がなく、死んだ後も埋葬されることもなく放置される為、疫病の媒介源になってしまう。
だからこそ、行政を担う者にとって貧民街の撲滅は責務であり、孤児院経営はそのうちの一手なのである。
しかしそう考えるなら、誰の資金で運営するにしても、ただ孤児院を経営するだけでは不十分である。もう一つ必要になるものがある。
「今、正直に言ってこの孤児院の経営は、アリシアさんの稼ぎと俺の食材提供で運営されているようなものですよね? けど、アリシアさんも俺も冒険者です。今後何があるかわかりません。なら、アリシアさんとか俺とか、そういった特定の誰かじゃなく、孤児院自体で収入を得ることを考えなければならないんです。
加えて、子供たちの将来も考える必要があります。ここを出た後、貧民街の住人になるのでは意味がありません。
アリシアさん、アリシアさんの同期の人たちは、今何をしています?」
「……卒院後はお互い連絡を取り合うことはしない。卒院生のその後を追及することは、禁忌とされている」
「そうでしょうね。アリシアさんのように冒険者として一定の成功を収めているのならともかく、どこそこの町で街娼をしているとか、どこそこの貴族の屋敷に忍び込んで捕まり今牢屋の中だとか、そんなことはお互い言いたくないし知られたくないでしょうから」
「お前、何を知ってる?」
「何も知りません。ただ現状では、そういう未来しかないってことです」
つまり孤児院で考えなければならないのは、院生たちの職業訓練。そしてこれを活用して収入の一助にすること。ついでに院生たちに初等教育を施すことが出来れば、卒院後の選択肢が更に増えるだろう。
「今アリシアさんが、子供たちに剣を教えてますよね。これがモノになれば、彼らが卒院後、冒険者や傭兵、或いは領兵の徴募に応じ兵士になる、という選択肢が生まれます。
女の子たちは自分の服くらいは自分で縫えますよね。ならそれをちゃんとした技術に昇華させれば、卒院後に針子見習いになることも夢じゃないでしょう。ある程度の読み書きと礼儀作法が身に付けば、どこかの屋敷に女使用人として採用されることになるかもしれません。勿論これには、信頼出来る後見人が必要になるでしょうけれど。
また、読み書きと礼儀作法、そして算数が身に付くのなら、商人のもとに見習いとして奉公することも出来るでしょう。
他にも道はあります。そしてその為の訓練をし、その成果物を販売出来れば、院としては一石二鳥なのではないですか? 更に孤児院が有益な施設であることをアピール出来れば、町長からの補助金の増額も期待出来るかもしれません」
「……お前、本当に12歳の子供か? 大貴族の家宰でも、そこまで大局的に物事を考えられやしないぞ」
それこそが、この世界の問題点。前世日本では一般人が常識で思い付くものでさえ、簡単に辿り着けないのだから。
(2,688文字:2015/08/12初稿 2015/12/25投稿予約 2016/01/15 03:00掲載予定)
【注:手押しポンプの歴史は、矢田技術士事務所様の「機械の歴史 一般 手押しポンプはエジプトで発明された」(http://www.ne.jp/asahi/yada/tsuneji/history/index.html)並びに株式会社川本ポンプ様のHP(http://www.kawamoto.co.jp/profile/index03.html)を参照させていただきました】




