第10話 侯爵邸
第02節 悪神の使徒〔6/8〕
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この世界に於いて貴族が叙せられる爵位は、上から皇、王、大公、公、侯、伯、子、男、騎士、準男、の10位階となっている(「皇」や「王」は貴族なのか? という議論は本筋とは関係無いので脇に置く)。
【皇帝】は帝国の主(カナン暦699年時には存在しない)、【王】は王国の主。
【大公爵】は王太子(または皇太子)の立太子式(後継者として正式に認められる式典)から即位までの間の爵位、【公爵】は王族(皇族)の分家の主としての爵位。ここまでが所謂(広義の)王族である。
【侯爵】は領地を持たない法衣貴族で、通常「大臣」と呼ばれる。
【伯爵】は大領地を持つ貴族で、【子爵】は公爵・侯爵・伯爵の嫡男が成人から襲爵(爵位の継承)をするまでの期間の爵位、【男爵】は小領地を持つ貴族。
【騎士爵】は軍人貴族で世襲は無く、【準男爵】は所謂名誉貴族でこれも世襲は無い。
これらの中で最も特殊なのは侯爵であり、原則として領地を持たない(王家直轄領や無主領地に代官として有期赴任することはある)一方で、(広義の)王族以外の貴族全てより強大な権力を持つことになる。
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ミルトン侯爵はスイザリア王国の貴族として、年の半分は首都スイザルで過ごし、残り半分はモビレアで過ごす。といっても両市間の移動で片道おおよそ2ヶ月かかることから、スイザルで3ヶ月、モビレアで5ヶ月過ごすのが通例のようである。
普通の侯爵は代官として年単位で地方都市に赴任する場合を除き、首都に籠りっぱなしという場合が多い。しかしスイザリアの場合は、モビレアという副都を抱えており、モビレアの領主である公爵が基本スイザルに留まっている為、ミルトン侯爵が事実上の代官としてモビレアの行政にも関与している。
そして、三権分立など慮外である専制君主のこの世界、モビレアで貴族法院は市行政の「元老院」を兼ねている。つまり、司法の長が行政の長を兼ねるのは、理の当然なのだ。
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「で、ここが侯爵邸か」
時刻はもはや深夜近く、人通りも少ない。
しかし前世の刑務所も斯くやという程に高い塀に囲まれたその大邸宅は、随所に魔法の灯が燈され、警備の人間が行き来している。
「けど何でこんなに高い塀を作ったんだ?」
という俺の疑問に、
「獣人の運動能力を考えれば、多少の高さの塀じゃ乗り越えられてしまうからだろう?」
と、マティスが答えた。
確かに、孤児院の塀程度なら、今のシェイラなら魔法による助力なしで乗り越えられるだろう。
逆に言うと、それだけ襲撃を心配している、ということか。
では、侯爵の立場で考えてみよう。その「襲撃」とは、どのようなモノだろう?
一つは、盗賊による貴金属強盗。
一つは、暗殺。
こんなところだろうか。なら当然この時間、侯爵がいるであろう寝室と、貴金属を保管している金庫室(?)は、重点的に警備されているに違いない。
では、一方で執務室は?
このモビレアに、侯爵の政敵はいない。そして、司法の頂点に侯爵がいる以上、第三者による査察など考慮する必要もない。
万一モビレアの真の領主たる公爵がモビレアに戻ってきているのならその可能性もあるが、現状でそれを考慮する必要はない。
なら真直ぐ執務室を目指し、必要な書類を片っ端から押収して逃走するのが一番容易だろう。
「おっさん、執務室の位置、だいたいで良いからわかるか?」
「おっさんて……。まだそんな歳じゃないが、お前らから見たら立派なおっさんか。
それはともかく、一般的な貴族の邸宅は、来客をもてなす「表」、執務の為の「中」、私用の為の「奥」、その他使用人の為の「裏」で構成されているもんだ。
当然執務室は「中」で、このクラスの邸宅なら、二階裏にあるんじゃないか?」
「そうかわかった。
おっさん、シェイラ。今回の目的は、あくまで書類だけだ。極力戦闘を避けろ」
「わかりました」
「いや、待て。戦闘を避けるのは賛成だが、かなり難しいぞ」
「簡単な任務なんかあるもんか。もし誰かに発見されたら、その人物が足止め役になり残り二人が目的を達成する。足止め役は、適当に戦闘したら離脱する。
シェイラ。もし俺が足止め役になったとしても、お前は書類の押収を優先しろ」
「納得致しかねますが、承知しました」
そして俺たちは侯爵邸の裏手に回り、
「シェイラ。〔空間音響探査〕の精度はお前の方が高い。
塀の上にワイヤートラップが仕掛けられていないか確認しろ」
「はい、確認します。
……、確認しました。罠の類は存在しません」
「では行くぞ。カウントスリーだ」
俺とシェイラはマティスの両腕を掴み、
「ひの、ふの、み!」
タイミングを合わせて自身の体を上方に向けて〔投擲〕した。
「う、わ!」
「声を出すなよ。警備に見つかる」
そのまま塀を乗り越え、その滞空中に
「ベクトルドライブ!」
とシェイラに命じ、自身も〔方向転換〕で着地の衝撃を前方への推進力に変換した。
殆ど空気抵抗以外の減速を受け付けず、ものの数歩で館の裏庭を横断し、更に速度を緩めずそのまま〔肉体操作〕で屋敷の二階まで跳躍した。
屋敷外壁の、僅かな凹凸を足掛かりとし、書斎と思われる部屋の窓に取り付いた。そして神聖金剛石でコーティングされた戦闘ナイフの切っ先を窓の表面に滑らせ、円を描く。その円を覆うように粘土を 貼り付け、その上から叩くと、窓ガラスは円形に刳り抜かれた。
窓ガラスにあけた穴から腕を入れ、鍵を外し、窓を開けて中に入った。
「……無茶苦茶する奴らだな。てか普通じゃないぞ」
「今更だな。シェイラも探索灯を出せ」
「おい待て、灯りが漏れたら……」
「大丈夫だ。これは俺が作った迷宮探索用の道具でね。光が前方だけに集中するようになってる。もっとも、反射で外に光が漏れる虞はあるから、慎重にな」
「わかった。しかし俺は、完全に足手纏いだな」
「おっさんの出番は今じゃないよ。実際の戦闘になったら、嫌って程働いてもらうさ。ここでは出番がない方が良い」
書斎と、隣接する図書室や書庫を調べた結果、書庫で『悪神の使徒』を使った精霊神殿魔法技術研究所による、人体実験に関する資料を発見することが出来た。またその資料には、最近誘拐し実験に供した素体の特徴等も記されていた。
「マートル村で調達、14歳女、赤髪碧眼。間違いない、プリムラだ」
「よし、これで充分だ。すぐに戻ろう。……いやちょっと待て」
「どうした?」
「ついでに、と思ってね」
ミルトン侯爵が他に悪事をしていないとも思えない。盗難物の特定を遅らせる為という意味も込め、書庫と図書館、そして書斎の書籍並びに書類を、俺の〔無限収納〕に放り込んだ。
「ま、内容の吟味は後で良いだろう」
(2,982文字:2015/11/18初稿 2016/05/31投稿予約 2016/07/17 03:00掲載予定)
【注:ミルトン侯爵邸の間取りは、madream.net様のデータ「貴族の居城」(http://madream.net/modules/madsearch/card.php?mid=10110)を参照させていただきました】
・ 「カウントスリー」は「どんな数の数え方でも三つ目でスタート」という合図です。時々「カウントファイブ」とか「カウントセブン」とかに変えたりします。またそのカウントも、趣味で「二、一、零」と数えることもあるし、「2、3、5、7、11」と数えることもあります。「3、1、4、1、5、9、2」とやったこともあります。
・ ナイフの刃で作中のように綺麗にガラスを切れるとは思えません。この辺りはフィクションとして割り切ってください。




