第5話 エビとヘビ
ペタペタという音を立てながら、これまでとは違い乾いた空気満ちる洞穴内を黙々と歩き続ける。
ここは道幅がかなり広く、天井も嘆きの湖ほどではないがかなり高い。
「シュリンプギュル」
「なんだよ?」
「シュリンプギュルッ!」
「はぁ……本当にこいつ一体何なんだよ……」
そしてそんな俺の後ろをついてくる一匹の生き物。
目に悪い真っ赤な甲殻を持ち、真っ黒い玉のような瞳。
鋭利な鋏と細長い触覚。
どう見てもエビ。
しかしただのエビじゃない。
モデル顔負けの美脚が不自然に生えそろった二足歩行タイプのエビだ。
「それにしても、ほんと不思議な生き物だよな、お前。その足の付け根とかどうなってるんだ?」
「シュ、シュリンプギュル……?」
「いや、なんでちょっと恥ずかしがってんだよ」
白皙の太腿をしばし眺めていると、なぜかエビは自慢の美脚を内股にしてモジモジとさせる。
まるで俺が悪いことをしているみたいじゃないか。
エビにセクハラとか、本格的に意味不明だ。
「ったくなんだよ……エビのくせに生娘みたいな反応しやがって」
噴水から離れ歩き始めてからそれなりに時間が経過している。
足下は地面ではなく大理石なような灰色の石面。
瓦礫の散乱する光景も目を凝らせばわかる。
辺りを見回せば、古代ギリシャの神殿にあるような支柱が何本も見ることができた。
「シュリンプギュルー!」
「ん? こんどは何だ?」
そんな風に柱の間をひたすら進んでいると、突如エビが身体をくねらせながら歩くのを止め、片方の鋏でどこかを指し示した。
どうやらエビの視線は俺の背後に向けられているらしい。
「……っ! あれは……!?」
「シュリンプギュル! シュリンプギュル!」
そして俺も遅れて、エビの態度を変化させた物の正体を知る。
深闇に煌めく、二つの紅い点。
引き摺るような擦音。
迫りくるのは圧倒的な質量。
「……おいおい嘘だろ。勘弁してくれよ」
ついに闇から顔を出したのはやはり怪物。
シュー、シュー、と空気が抜けるような掠れた音が空気を震わせる。
視界をちらつく血のように真っ赤な舌。
「シィィィィィィィィ………!」
――巨大蛇。
なんとヒグマですら一飲みにできそうな馬鹿でかい大蛇が、暗路の奥からこちらを睨みつけていた。
あまりの突然の出来事に思考が停止してしまう。
これは無理。
死ぬだろ。
「シャャャャァァァァァッッッッッッッ!」
「シュリンプギュルゥゥゥッッッッ!!!」
「逃げろぉぉぉぉっっっっ!!!!!」
そしてやはりというべきか、バジリスクはその凶悪な牙を剥き襲い掛かってくる。
本能的に生物としての格の差を感じ取っていた俺は全力で逃走を開始。
意外にも足の速いエビと並んで脇目も振らずに薄暗い洞窟内を逆走していく。
「くそくそくそっ! どうする!? どうすればいい!?」
「シュリンプッ! シュリンプッ! シュリンプゥゥッッッ!!!」
地響きのような揺れの中、俺はどうすればあの化け物から逃げられるかを考える。
背中にはヒシヒシと死のプレッシャーが感じられていて、追いつかれれば即ジエンドなのは明白だ。
「シャァァァ!」
「ちっくしょおっっっ!!!」
「シュリィィィンンプ!」
バジリスクの奇声が確実に近づいているのがわかる。
足の回転数はすでに限界を振り切っていて、これ以上走る速度を上げることはできない。
やばい。めちゃくちゃやばいぞ。
このままじゃ捕食されるのも時間の問題だ。
「考えろ考えろ考えろ……! こんなところで死んでたまるかってんだよ……!」
それに来た道を引き返しているということは、そのうち噴水がある行き止まりに辿り着くということだ。
いくら逃げ続けても、何か策を思いつかなければ死は免れない。
「使えるもはなんだ……剣に、ローブに、エビが一匹か……」
「シュリンプギュルッ!?」
アイテムの一つに数えられたことが不満なのか、エビがこちらを睨んでくるが今は無視だ。
逃げるのは無理なら、やることは一つだろう。
俺はゆっくりと走る速度を下げ、やがて立ち止まる。
「シュ、シュリンプギュル?」
「お前もわかってるだろ。逃げ場なんてどこにもない」
そして俺に合わせて、エビも足を止める。
凄まじい勢いで俺たちに迫りくるバジリスク。
大口を開け、馬鹿みたいに太い胴体を蠢かす邪悪な化け物。
まったく、俺は骨と皮だぞ。食べても美味しくないよ。
「おいエビ、今から俺が言うことをよく聞けよ。覚悟はいいな?……俺たちは今から、あの重量級爬虫類をぶっ殺す」
「シュリンプギュルッ!?」
正気か!? エビはたぶんそんな感じのことを言っているんだろう。
たしかに俺は今まともじゃないかもしれない。
だが他に選択肢なんてない。
殺るか、殺られるか。
もちろん選べるのは前者だけだろう。
「作戦はこうだ。エビ、お前が囮になってあいつの気を引く。そして俺がその隙をついて、こいつで叩き斬る。どうだ? 簡単だろ?」
「シュリシュリシュリ!!!」
無理無理無理! おそらくエビはそう言ってるが、無理だったら死ぬだけだ。
あの湖の少女から聞いた話だと、この剣には毒の効果があるはず。
かすり傷でもなんでも、傷を与えれば与え続ければ勝機が見つかるかもしれない。
「ほら走れエビっ! 自慢の美脚を見せつけろぉっ!!!」
「シュリィンプギュルゥッ!!!!!」
俺が叫び声を上げながらバジリスクに向かって走り出すと、エビも覚悟を決めたのか、それともやけになったのか前に出る。
「シャァァッッッ!」
眼前に飛び出してきたエビに対し、バジリスクは酸っぱそうな唾液を撒き散らしながら頭部を奮う。
――薄暗い窟内に響き渡る轟音。
エビがいた場所にはバジリスクの一撃によって深い穴が穿たれ、艶やかな美脚の姿はどこにも見えない。
まさか、エビは―――、
「シュリィィィンプギュルゥゥゥッッッッ!!!!」
――その時、頭上から聞こえる甲高い咆哮。
自然と惹かれる俺の瞳に映ったのは、宙を待う麗しき美女。
いや、違う。美女なのは足だけ。
あれは、エビだ。
「おいあのエビ、なんで宙飛んでんだ?」
空中を凄まじい速度で動き回る赤色の物体。
しかし目を凝らしてみると、エビはどうも空を飛んでいるわけではないらしい。
なんと驚異的な跳躍力で、柱と柱の間を跳ねまわっているようだ。
凄いぞ、エビ。その美脚は飾りじゃなかったんだな。
「って呆けている場合じゃない! 今がチャンスだ!」
攻撃を避けられたことが余程悔しいのか、バジリスクは軽快に跳ね回るエビに夢中だ。
俺にはまったく注意を向けていない。
「シャァァァッッッ!」
剣を握り締め、俺は体勢を低くしつつ動きを始める。
せっかくエビが頑張ってくれてるんだ。
慎重かつ大胆に、一発かましてやる。
「シュリンプギュルッ!」
「シャッ!」
何度もエビに噛みつこうとするが、バジリスクは空を食らうだけ。
その隙にとうとう深緑色の胴体に近づくことに成功。
そして微かな熱を感じる薄赤の刃を、俺は容赦なく叩きつける。
――ガキンッ。
「え?」
伝わったのは跳ね返るような手ごたえ。
俺は今斬りつけたばかりの箇所を、間抜け面で見つめる。
「シィィィィイイイイ……」
危険な視線をどこからか感じる。
おそらくバジリスクに気づかれたのだろう。
だが、問題はそこではない。
「傷が、つけられない?」
深緑色の胴体を守る硬い鱗。
全力で刃を奮ったそこには、いまだ傷一つ付いていなかった。
***
【Level:8/Ability:悠久の時/Gift:嘆きの加護/Weapon:不治のポイズンアッシュ,狂気のローブ】