最終話 Die and Born
ドネミネはある違和感に眉を顰める。
反抗を示す最後の相手、ミヤ・マスィフは彼女にとって取るに足らない存在だ。
曲がりなりにも光属性絶級魔法の発動に成功したのは賞賛すべきことだが、それはあまりに不完全だった。
直接手を下すまでもなく、このままやり過ごすだけで魔力枯渇を起こすであろうことは容易に予測できる。
しかしそれでは面白くない。
邪悪な加虐性を抑えられないドネミネは、圧倒的な力を持ってミヤを葬り去るつもりだった。
それにも関わらず生じた違和感が消えないことに、彼女は嫌な予感を覚える。
発現した魔法の練度、魔力密度、制御力、全てにおいてドネミネが劣っている点はない。
だが現実には、彼女の繰り出した闇属性絶級魔法とミヤの魔法の力は拮抗している。
初めは、たしかに押していたはず。
闇が全てを飲み込もうとしたその瞬間、なぜかミヤの光にこれまでとは異質な力が加わったのだ。
ドネミネは疑問に顔を歪める。
計画は全て上手くいき、夜の王、さらに成長し過ぎたカガリビトの始末も終えた。
あとは再び世界から身を隠し、混沌の模様を傍観者として眺めるだけ。
そう思っていた矢先に、最後の邪魔が入った。
身に宿る魔力を更に注ぎ込み、ドネミネは闇の暴威を高めていく。
「これは本当に驚きましたよ。ミヤちゃん、でしたか? クロウリーさんの弟子だと聞いていましたが、もしかしたらあの子より魔法使いとしての才能があるかもしれませんねぇ」
ドネミネはあえて言葉をかけることで相手の現在の状況を確認しようと思ったが、闇と光の衝突の向こう側から返答はない。
声も出せないほど窮追しているのか。
明らかに事前情報とは違い過ぎるミヤの実力に、ドネミネは疑念を通り越し憎悪を抱いていた。
「……なっ!?」
その時、光の勢いがまた一段階上がることにドネミネは驚愕の声を漏らす。
いまだゆっくりと、だが確実に威力を増し続けている光の灼炎。
あり得ない。
あり得てはならない。
自らの放つ闇が明らかに押され始めているという事実に、ドネミネの思考が混乱に染まる。
(魔力がこのタイミングでどんどん増加していっている? そんな馬鹿な! ミヤ・マスィフがこれほどの力を隠していた? いや、そんなわけがない。この力はどう考えても彼女の限界を遥かに超えている!)
一度覆った攻勢は止められない。
暴熱の光との距離がみるみるうちに縮まっていき、ドネミネの白い肌に汗が滲む。
なりふり構わず、自らの注ぎ込める最大の魔力で対応するが、それでも跳ねるように強まる光には追いつけない。
「よお、ずいぶん必死そうな顔だな。お前のそんな表情を見るのは初めてだぜ」
「あ、貴方はっ!?!?」
するとそんなドネミネに鷹揚な声がかかる。
その声の主に彼女は見覚えがあった。
しかしそれは、もうこの世界にいるはずのない者。
自らの手によって命を奪った、彼女の唯一知らないカガリビトがそこにはいた。
「は、はは、幻覚、ですか? 貴方は私が今さっき殺したはずなんですけどね……カガリちゃん」
「さっきはお別れの挨拶もできなかったからちょっと戻ってきたんだよ。俺は義理堅い男なんだ」
黄金の瞳をギラギラと揺らし、みずぼらしい黒髪をした骨と皮の異形。
魔力の使い過ぎによる吐血を見せながらも、ドネミネは挑発するような笑みを浮かべる。
「もしかしてミヤちゃんがこんな馬鹿げた力を行使しているのは、貴方の仕業なんですか? カガリちゃん?」
「うん? ああ、俺の仕業といえば仕業だろうな。この世界に何も残していけないのがなんとなく嫌だったんで、あいつに俺の力を“譲渡”したんだ。全ては渡せなかったが、どうもお前の様子を見る限り、十分な土産は渡せたらしい。色も付いてるしな」
ドネミネには理解できない。
目の前の、正真正銘の死者が何を言っているのか。そもそもなぜ目の前にいるのか。
理解の及ばない事象が自らを妨げようとしていることに憤るドネミネは、呪いのような声を笑う異形へと投げつける。
「でもいいんですか? このまま私が死ねば、ディアボロから篝火、そしてカガリビトが消えます。もしそうなったら、世界は再び闇の時代に逆戻りですよ? カガリビトなき世界で人間に勝ち目はない」
「そうそう、そうなんだよな。俺もそのことにさっきミヤに言われて気づいたんだ。そんでもって……だから俺が来た」
細い指を器用に打ちつけ、異形は音を鳴らす。
その余裕綽々な様子に、ドネミネは嫌な予感を強くする。
闇の三王が全て討たれるまで、自分が人間側の勢力に殺されることはない。
それは間違いないはず。
なのになぜ。
目の前のカガリビトは嗤うのか。
「俺にはずっと時間を加速させる力があると思っていた。でもどうやらそれは違うらしい。俺の能力は時間の速さを操る力だったんだよ。加速させることもできれば……遅延させることもできる」
「ま、まさか……!」
そこまで異形が言葉を紡ぐと、ドネミネの表情に初めての感情が刻まれる。
それは恐怖。
全てを悟ったドネミネは、ついに指先まで到達した眩い火焔が身を焦がす痛みに悲鳴を上げた。
「そしてその能力はミヤに渡してない。……だからお前にくれてやるよ。限定的で、しかも制御不能な状態でな」
「嫌。嫌。嫌。嘘嘘嘘嘘嘘嘘だぁぁぁっっっっ!!! 私はこんなところで躓いていい存在じゃないっ!!!」
「お、さすが。お前も物わかりがいいな。それじゃあ、向こうでソウルによろしく。俺はたぶんお前たちと同じ場所には行けないから」
均衡が完全に崩れる。
混沌を宿した闇はその全てを光の濁流に飲み込まれ、ドネミネの全身が絶尽の熱に炙られていく。
想像を絶する痛みに、喉すら焼かれた闇の魔法使いは悲鳴さえ上げられない。
五臓六腑が沸騰し、意識が薄れていく――、
「お別れだ、ドネミネ……【悠久の時】。時間はたっぷりある。大切に使ってくれよ?」
――が、意識を手放そうとした瞬間、ドネミネを包む世界が途端に重鈍に変わる。
発狂しそうになる痛みは消えないまま。
ゆっくりと、ゆっくりと、光が彼女の全身に染み込んでいく。
手放せば楽になれるとわかっていながら、最期の時はまだ訪れない。
「……ドネミネ、いい名前だわ。どうせ貴女がもう使わないのなら、私が貰っていいかしら? ちょうど今自分の名前がなくて困っていたのよ。貴女の妹さんと交わした契約の一部にもなっているしね」
そして耳元でゆっくりと、ゆっくりと、囁かれた言葉と痛みだけを連れて、ドネミネは隔絶された世界に一人置き去りにされた。
――――――
夜の王ゴーズィ・ファン・ルシフェル、討たれる。
三柱あるディアボロの篝火の内の一つ、消える。
ディアボロ世界にその衝撃的な知らせが伝わってから、約一年が経った。
夜の都ヴィーナスは王と有力な悪魔を全て失ったことにより混乱。
その混乱に乗じて“剣聖”トリニティ・アナスタシア・ヴィヴァルディ、“黒炎”ケイル・ライプニッツの二名により、街に巣食っていた悪魔は全滅。人間の捕虜の解放と共に、ヴィーナスの奪取に成功。
その後、剣聖トリニティは夜の王に代わり街の統治にあたり、黒炎ケイルは行方不明となっている。
そして闇の三王の一柱、夜の王ゴーズィ・ファン・ルシフェルを討つことに成功したとされるのは、“英雄”ミヤ・マスィフ、“騎王”クラウン・フェンサー、“狂える賢者”クロウリー・ハイゼンベルグの三名となっているが、この三名のうちクロウリー・ハイゼンベルグは戦闘時に死亡とされる。
この三名に加え“闇の魔法使い”も夜の王討伐に関わっていたともいわれるが、真偽は不明。
依然、闇の魔法使いドネミネは行方不明となったままだ。
「おい、見ろよ。アレ、“英雄一行”じゃないか?」
「……マジだ。すげぇ、本物はやっぱ迫力あんなぁ……」
そして夜の王が消えたことによって、ディアボロで最も人間の勢力が強い大陸となったホグワイツ大陸の北端、ファイレダルの街である四人組が民たちの注目を集めていた。
先頭を歩くのはまだ顔に幼さの若干残る、金髪灰瞳の少女。
その斜め後ろで欠伸を噛み殺すのは、真っ赤なツンツン頭が特徴的な男。
先を行く二人の後ろには、黒髪をした熊のような大男と背は高いが華奢な紫髪の女性だった。
「アレがクラウン・フェンサーか? 超カッケェ。俺、サイン貰ってこようかな?」
「やめとけやめとけ。俺ら凡人が関わっていい存在じゃないんだよ、アレは。それにクラウン・フェンサーは女以外に話しかけられるとキレて、そいつの首ぶった切るらしいぜ」
「マジで? こっわっ!?」
四人は常に静寂を付き添って歩いているが、彼らが通り過ぎた後では噂話を主とする騒めきが満ちる。
その様子を見た紅髪の男は唇を尖らせると、前を行く金髪の少女の横に並び文句を並び立て始めた。
「なぁ、小さな魔女。すげー、見られてんな、俺たち」
「いつものことじゃないですか、アルタイルさん。まだ慣れないんですか。阿呆なんですか」
「おい、なんか微妙に侮蔑混ぜてね? まあ、それより気になるのは、なんか俺の評判だけ悪い気がするってことなんだけどな。つかなんで、俺ってまだクラウン・フェンサーって呼ばれてんの? “騎王”のほうもあだ名なのに、クラウン・フェンサーもあだ名じゃんか。俺の本名どこいった」
「きっとアルタイルさんの本名はこの世界に拒絶されてるんです。もっとわけのわからないあだ名で呼ばれないだけマシですよ」
男のぶつくさとした小言はいつもの事なのか、少女は別段表情を変えずに進み続ける。
時折り彼女は背負った朱色を帯びた刃の剣を少し気にするだけだ。
「おい、“千里眼”とやらは一体どこにいる。吾輩たちに探し回させるとはいい度胸だ」
「相変わらず貴様は何様のつもりなんだ。図体だけの男は黙って歩いてればいい」
「……なんだと? もう一度言ってみろ、アルトドルファー」
「ああ、何度も言ってやるさ。図体だけの男は黙って歩いていろと言ったんだ、アリストテレス」
すると男と少女の背後で、一触即発の雰囲気が生まれる。
睨み合うのは赤い瞳をした大男と、艶やかな長髪と同じ色の瞳をした女だ。
だが二人の剣呑な気配を察知した紅髪の男が慌ててそれを仲裁する。
「おいおい! オシリウレス! アルブレヒト! 二人ともやめろって! まーた喧嘩かよ! お前らはいつになったら仲良く……とは言わないまでもまともにコミュニケーションとれるようになんだよ!」
「そうですよ、二人とも。一緒に篝火を辿る仲間なんですから、喧嘩はよくありません。もしどうしても殴り合いたいときは、アルタイルさんを殴って下さい」
「ほら、こいつもそう言ってんだし……ってえ? なんか解決法おかしくね?」
男の仲裁に少女が助け舟を出すと、なんとか荒事の雰囲気を収められる。
結果的にオシリウレスと呼ばれた黒髪の大男は鼻を鳴らすとそっぽを向き、アルブレヒトと呼ばれた紫瞳の女は腕を組むと顔をそむけてしまったが。
「まったく先が思いやられるぜ……本当にこんなんで大丈夫なのか?」
「大丈夫ですよ、というか大丈夫じゃないと困ります。私、約束してるので」
仲間たちの様子に疲れを滲ませる男とは裏腹に、少女の方は相変わらず瞳に力強い光を宿している。
自分たちのリーダーの頼もしさに驚くと共に、どこか安堵を覚えた男は唐突に大声で笑う。
少女だけでなく、他の二人からも訝しげな視線を送られるが、男は気にしていないようだ。
「どうしたんですか、アルタイルさん? ついに頭がパーになってしまいましたか?」
「気味の悪い奴だ。どうする? 一度殴っておくか?」
「いつものことだろう。放っておけ。病気なんだ。治りはしない」
散々な言葉を投げかけられても、男は笑みを我慢できない。
しかしやがて笑いを引っ込めると、やけに真剣な表情になると、少女の肩に手を置いた。
「そうだな。俺たち、約束したんだったな」
「俺たちって、最後のあの時アルタイルさんは気絶してましたけどね。でもまあ、そうですね。私は約束しました。だから私は旅を続けます」
なぜか誇らしげな顔をする男に、少女は半ば呆れてしまう。
だが鮮やかな旅の記憶を思い浮かべると、そんなことも簡単に許せる気がした。
貰ったもの。それは数えきれない。
自分の旅は、ある“人”の旅の延長線上にある、ゆえに歩みを止められはしない。
「……英雄になれ、私はあの人にそう言われていますから」
そう言って少女――ミヤは空を見上げる。
遥か彼方に見えるのは、天を穿つ篝火が二つ。
旅の終わりはまだ遠く、彼女は贈り物を胸と背中にしまって、篝火を辿る道を歩き続けていた。
――――――
デイムストロンガ大陸。
ディアボロ世界でも、最も未知なる大陸。
大地は荒れ、人は住まず、魔物でさえ息を潜めるその大陸の端で、ある一体のカガリビトが目を覚ます。
「……」
カガリビトは自らの身体をじっくりと眺めると、憂鬱気な溜め息を吐く。
服の類はない。
持ち物も一切ない。
雲一つない夜空を見仰げば、天に突き抜ける炎の柱と、欠けた部分のない月が二つずつ。
「……これは、名前?」
するとカガリビトはあることに気づく。
それは自らの腕に刻まれた、明確な読み方を持った文字列。
その文字列を確認すると、それを待っていたかのように文字列は薄れて消える。
「……はっ、ずいぶん英雄然とした名前をくれたな。というかこのファーストネームの方、超名前を呼んではいけない例のあの人じゃん」
カガリビトはカラカラと笑うと、腰を上げる。
行くべき場所、目指すべき場所は、すでにわかっていた。
「名前がないと生きたことにはならない……一度目の生者の夢はノーカウントってことね」
カガリビトは歩き出す。
不毛の大地を一人進んでいく。
やがて彼は、甲高い鳴き声を放つ奇妙な生き物を見つける。
「シュリンプギュルッ! シュリンプギュルッ!」
だがそのカガリビトは特に驚くこともなく、その生き物の頭を優しく撫でると、共に横になって歩みを再開させる。
それは誰も知らない、ある一人の骨と皮しかない男の旅路。
混沌の時代、そう呼ばれる時の中で、彼は自分の知らないミチを辿り続けていく。
***
【Name:トム・ボナパルト/Level:1/Ability:狂気の時/Gift:女神の名】
これにてこの物語は完結です!
ここまで読んで頂いた方には心からの感謝を!
ブックマーク、評価、感想など、この作品に応援を下さった方々に超絶感謝です!
この作品をお読みいただき本当にありがとうございました!




