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第46話 黄金の瞳

 


 気づけば俺は古びた木製の椅子に座っていた。

 顔を上向きにしてみれば満天の青空が広がっていて、爽やかな風がずいぶんと心地良い。

 

 ここはどこだろう。

 

 足下には草花がところせましと生え揃っていて、くるぶしがこそばゆい。

 頭上の浮雲と同じようにゆっくり流れていく時間の中で、俺はなんとなく椅子から腰を上げる気持ちにはならなかった。


 暖かいな。


 身を包む空気の温度に対してそんな感想を持つと、そこであることに気づく。

 鼻腔をくすぐる草花の香り。

 頬を撫でる風の温もり。

 そして目に映るほんのり赤い乳白色の手のひら。

 自分の肌を触ってみれば、いつもの乾いた感覚ではなく、しっとりとした弾力性を感じ取れた。


 

「久し振りね……今はカガリ、と名乗っていたんだっけ?」



 気づくと目の前に一人の少女がいる。

 銀髪を風に靡かせる少女は、これまたいつの間にか出現した椅子に座ると、弦楽器のハープみたいな声で話す。

 綺麗な声だ。

 俺はどこか見覚えのある少女の声を、もっと聴きたいと思った。


「君はたしか……ラー、だったかな?」

「ふふ、前に会った時はその名を私が持ってたけど、ごめんなさい。今はもうその名前は別の存在に与えてしまったの。だからそれはもう、私の名前じゃないわ。今の私に名前はない」

「そうなのか……じゃあ、君をなんて呼べばいい?」

「そうね……今はただの女神でいいわよ」

「女神? 様はつけた方がいい?」

「ふふ、いいえ。必要ないわ。ただの女神でいい」


 少女の色彩を定められない瞳を見ながら、俺は思い出す。

 そうだ。彼女は女神だ。

 前に会った時も、彼女は自分のことをそう言っていた。

 

 前に会った時?


 俺は相変わらず曖昧な記憶の中で、自分が何者かを必死に思案する。


「それでどうだった? 篝火を辿る旅をした感想は?」

「篝火を辿る旅?」


 そうだ。俺はカガリビトとかいうわけのわからない存在にされて、篝火を辿る旅をしていた。

 戦い、傷つき、それでも旅を続け、そして死んだ。

 段々と明瞭になっていく記憶。

 やがて俺は全てを思い出す。


「……ああ、思い出した。俺は君に一度会ってる。そして君に言われたんだ。篝火を辿れ、闇に光を灯せ、と」

「あら? まだそのことを思い出してなかったの?」


 異世界ディアボロ。

 魔物とかいう怪物と、カガリビトなる化け物が闊歩する世界。

 そんな場所に目を覚ましたら、俺はいた。

 だが俺は歩き続けた。

 生きるために、旅を続ければ、元の世界に帰れると信じて。

 骨と皮しかない異形から、生身の人間に戻れると疑わず、篝火を辿る旅をしていた。


「でもそれは全て、夢だったのか」


 しかし俺は全てを思い出し、全てに気づいてしまう。

 俺の旅はとっくのとうに終わっていた。

 初めから、希望なんてなかったんだ。


「元の世界の俺は今……どうなってる?」

「そうね。もう元の世界で貴方が死んで・・・からずいぶん時間が経ってる。おそらく骨と皮だけでも残ってたらいい方じゃないかしら? 貴方の元いた世界は本当は私の管轄じゃないから、確認はできないけれど」


 本当の俺はもう死んでいる。

 帰る場所なんて、戻る身体なんて、存在しない。

 異形の生命喰らいソウルイーターになる前から、俺はすでに骨と皮しかない死人だったんだ。


「それでどうだった? 一度死んだ貴方が、カガリビトとして過ごした時間は? 二度生き、二度死んだ感想を聞かせてくれる?」

「ああ……そうだった。そういえばそうだった」


 記憶の奔流は止まらない。

 かつて一度死んだ時も、俺はこうして彼女に尋ねられたんだ。

 

 生とは何か。

 死とは何か。

 貴方に私は死者に見えるか、生者に見えるのか。


 そして俺は答えたんだったな。


 わからない。俺は死ぬの初めてだから。

 あと一回くらい死ねばわかるかもね。


 そんな冗談みたいな言葉を真に受けた彼女は、俺にこう続けた。


 なら貴方に夢を見せて上げる。

 死者である貴方に生者の夢を。

 その夢が覚めたら、今度こそ答えを聞かせて欲しいと。


「……そうだな。生とは何か、死とは何か、そういう難しいことはやっぱりまだわからない。でも、君が死者なのか、生者なのか、それはわかるよ」

「それは本当? なら是非教えて欲しいわ」


 少女の瞳の虹彩が輝く。

 対する俺は、静かな風と、優しい陽光を浴びながら、答えを示す。



「君は死者だ。いや、死者は言い過ぎかもしれない。だけど、少なくとも君は生者じゃない」

「……理由を教えてくれるかしら?」



 これまでずっと移ろい続けていた、少女の瞳の色が黄金に定まる。

 そこに映っていた俺の瞳もまた、透き通るような金色だった。


「君はさっき言っていたな。今の私に名前はないって。かつてあった名前は別の存在に与えてしまったと」

「ええ、それがどうしたの?」

「ならやっぱり君は生者じゃないな。俺はカガリビトとして旅をしてる間ずっと、自分の本当の“名”がなにかを考えていた。自分だけの名が欲しい。名を取り戻すこと、それこそが本当の意味で“生者”になることだと初めから信じて疑わなかった」

「……」


 元の世界にいた頃の自分の名。

 それもすでに俺は思い出している。

 だけどそれが今の俺の名だとは、どうしても思えない。

 理由は簡単だ。

 その名を持った奴は、ずいぶん前に死んでいるから。


「失うことを怖れ、他者に譲れない“名”を君は持っていない。なら君は死者とは言わないまでも、生者とは言えないな」


 カガリ。そんな仮の名はたしかにあったが、あれはあくまで仮の名だ。

 本当の名は、いつだって他者から与えられるもの。

 真の意味で名を持ち、かつその名を失うことに怯え、自分以外の者にその名を渡したくないと思った時初めて、生者となる。

 そういう意味では、俺は一度目の死から、ずっと死にっぱなしだった。


「……そう。なるほどね。とても参考になったわ。ありがとう」

「どういたしまして、名もなき女神」

「ふふ、嫌味な人ね、貴方」

「それは悪い。ちょっと心臓にカビが生えてて」


 少女は表情を崩すと、どこか寂しそうに笑う。

 それにしても長い旅、いや長い夢だった。

 無駄に痛いし、余計な悲しみばかり背負った旅だったと心の底から思う。


「それで女神、貴方の質問に答えを一つ返した褒美を、ちょっとくらいくれやしませんか?」

「なにかしら? 貴方は特別な人だから、要件次第では考えてあげてもいいわよ?」


 そして俺は目の前の少女、いや女神に頭を下げる。

 まやかしの希望を抱いたままあれだけ苦労したんだ、少しくらいこっちの願いを叶えてくれたっていいだろう。

 ああ。絶対いいはずだ。


「実はプレゼントをしたい奴がいるんです」

「贈り物? ……なるほど、そういうことね。別に構わないわよ」

「……感謝します」


 物わかりの良い女神は、俺の申し出を二つ返事で了承する。

 ありがた迷惑かもしれないが、俺はこのまま何も残さず消えるのだけは嫌だった。

 俺以外にも夢を見ていた奴がいる。

 それだけは旅の土産として残していく。



「それじゃあ、また後で。すぐに戻ってきますよ」

「ええ、行ってらっしゃい。私からも少し色を付けておくわ」



 吹き抜ける風の強さが凄まじい勢いで強くなっていき、俺の目は自然と閉じられる。

 全身から感覚が薄まっていき、潤いを取り戻した身体にまた皺が刻まれていく。

 余計な肉が削がれていき、また俺は闇の中に真っ逆さまだ。


 そして俺は、もう一度だけ夢の続きを見る。

 



――――――




 ミヤは今、目の前で起きた出来事を信じることができないでいた。

 傷が深刻なアルタイルを光属性魔法で治癒させながら、夜の王を封印した後の成り行きを見守っていたが、それは予想だにしない凶行によって遮られる。


 ふいに舞い飛ぶ一人のカガリビトの頭部。

 噴水のように溢れる血。

 重力に逆らうことができず倒れる骨と皮だけの身体。


 理解できない。理由がわからない。

 夜の王に勝利を収めたはずの結末は、彼女の想像とあまりにかけ離れていた。


「あー、貴方はミヤちゃんとアルタイルちゃんですね。クロウリーさんから話は聞いてますよ。なんでもずいぶん優秀だとか」

「な、なんで……」


 世間話のような気軽さを保つ女。闇の魔法使いドネミネに、ミヤはまるで未知の生き物を見る目つきを向向ける。

 

 カガリは死んだ。いや、殺された。


 この戦いにおいて、たしかに仲間以上の存在であったカガリがなぜ殺される必要があったのか。

 理解の及ばない混沌に、ミヤは吐き気を催す。


「心配はいりませんよ。貴方たちも殺してしまうと、人間側の戦力が減り過ぎますからね。貴方たちは殺すつもりはありません。あと私の妹が死んだことに対しても、気にする必要はないですから。クロウリーさんは、なんだか死んでも構わないようでしたので」


 無邪気にドネミネは語り続ける。

 それがミヤには怖ろしくて仕方ない。腹立たしくて仕方ない。

 

 なぜクロウリーという犠牲者にそれほどの感情しか抱けない?

 なぜカガリを殺した?

 

 しかし、ミヤがその疑問を言いようのない怒りに変える前に、彼女の隣りで伏していた男がドネミネにとびかかった。



「てめぇぇぇっっっっ!!!!! なんでカガリを殺し――」

「どうしたんですか? 怪我人は大人しくしていてくださいよ」



 ――ゴキュ、という鈍い音が響く。

 飛びかかったのはアルタイルだったが、いとも簡単に躱され、反対にドネミネに痛烈な膝蹴りをくらう。


「ぐばぁっ……!」

「いいじゃないですか。カガリビトを生かそうと、殺そうと。貴方たち人間には関係ないでしょう」

「ふざけないで。カガリさんは……ソウルさんも、私たちと一緒に戦った仲間なんです。闇の魔法使いドネミネ。貴方がやったことは、到底見過ごせることじゃない」

「ふ~ん? まさかカガリちゃんがこんなに人気者だとは思わなかったですねぇ」


 あっさり気を失ったアルタイルに代わり、今度はミヤが怒りの言葉をぶつける。

 怯えはある、しかしそれ以上の憤りが抑えられない。

 不機嫌気で、それでいて少し退屈そうにするドネミネは声のトーンを一段下げた。


「……仕方ない。じゃあ面倒臭いので、貴方たちも殺してしまいましょうか?」


 ドネミネの周囲に漂う闇が質量を持ち、暴力の権化として渦巻く。

 歴然とした力の差。

 相手は手負いとはいえ、闇の三王を封印までした魔法使い。

 ミヤは勝ち目がないことをたしかに自覚していたが、それでも一歩も引かない。


(ソウルさんも……カガリさんだって、どんなに絶望的な状況になっても諦めなかった。私は戦うためにここに来た。みんなの代わりに、私が戦う!)


 ミヤが思い描くのは、一体のカガリビト。

 いつだって彼女の前に立ち、いつだって剣を振るっていた。

 自覚する憧憬。

 彼女の想いは、彼女を強くさせる。



「《闇の絶望ダーク・ディスペア》」

「《光の篝火エル・ボーンファイア》」



 全てを飲み込まんとする闇の波動を、ミヤの手から放たれた光の火焔が受け止める。

 しかし練り込まれた魔力量、発動させた術者の差は埋めがたく、力は均衡はしない。

 自らのキャパシティを遥かに超えたにも関わらず、さらにその上をいく闇の魔法に、ミヤの身体が悲鳴を上げる。

 

 勝てない。


 脳裏をよぎるそんな言葉に、ミヤは屈しそうになるが――――、



「ミヤ、お前が戦うんだ。もうお前しかいない。お前が英雄になるんだよ、この世界のな」



 ――暖かく肩に乗せられた骨ばった手に、ミヤの身体が軽くなる。

 思わず横を見てみれば、そこに立つのは彼女が自分の名を教えた唯一のカガリビト。



「……カ、カガリさん?」

「冥土の土産だ。俺がこの世界にいた証を全部お前にくれてやる」



 眩しく煌めく黄金の瞳がミヤにそっと促す。


 

 ――闇に光を灯せと。


 

 


***

【Level:16500/Ability:悠久の時(イーオン・テンプス)/Gift:狂気の呪い,女神の加護】

次で最終話になります

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