第41話 名前ナキ革命―7
ヴィーナス城の内壁には幾多のヒビが入り、床の破片は宙に飛び散っている。
しかし天災のカガリビト――ソウルはそんな城の内装の崩壊は微塵も気にせず、両手に持った二本の剣を目の前の悪魔に叩きつけ続けていた。
「アハハッ! 凄い凄いっ! このカガリビト本当に強いよーっ!?」
「んだよコイツマジで。俺とベリアルの二人がかりでも倒せねぇとかマジ舐めてんだろ」
悪魔男爵フューネラルは漆黒の槍を剛腕で振り回すが、ソウルにそれは軽々と受け止められてしまう。
骨と皮しかないような細い腕からは考えられないような力。それは確実にフューネラルを超えたものだった。
「《魔神の破叫》! フューネラルちんどいて!」
「魔法使うなら、使う前に言ってくれよ」
悪魔公爵ベリアルの口に黒く淀んだ力が結集し、すぐにそれは暴力の波動として吐き出される。
だがその闇属性の魔法をソウルは真正面から受け止め、力ずくで掻き消した。
絶句するフューネラルは、反対に更なる剣撃を繰り出され防ぐのに精一杯となる。
「がっ……! 重っ! んだよこの一撃は。ベリアル! 助けてくれ!」
「フューネラルちんそのままで! 今度はもっと強めに行くよ! 《魔神の破叫》!」
「は。マジかよ」
再びベリアルに渦巻く漆黒の魔力。
ソウルはまた受け止めようと剣を構え直そうとするが、剣が動かないことに眉をひそめる。
「……む?」
「《魔神の鎖縛》。悪いな天災のカガリビト。ちっとばかしじっとしてくれや」
フューネラルの身体から黒い鎖が蠢き出て、ソウルの身体を拘束しようとしていた。
いまだ全身は捕縛されていなが、両の腕、特に二本の剣はすでに完全に捕まえられてしまっている。
だが一瞬の迷いもなくソウルは二本の剣を手から離し、身体を束縛しようとする他の鎖は無理矢理力で解ききった。
「《ウィード》」
そしてソウルが小さく口を動かすと、空いた掌にまた剣が忽然と出現する。
握り、構え、振り抜く。
凄まじい威力を内包した斬撃は、ベリアルの放った闇の破滅波と衝突し対消滅させる。
大きな舌打ちを響かせるのはベリアルで、苛立ちを募らせているのは明らかだった。
「……ちょっとフューネラルちん。そのままでって言ったじゃん」
「いや、あれはずるいだろ。つかあの剣さっきからポンポンどっから出てきてんだよ」
フューネラルは相変わらずの無表情だったが、ベリアルの感情の変化に気づき言葉の調子を変え始める。
「それでどうすんだ、ベリアル。噂以上に強いぞ、コイツ」
「もういい。僕はもう怒った。なんかこいつ余裕ぶっこいてて、ムカつく」
「おいおい、まさかここで“罪の罰”使うつもりか? 城ぶっ壊れんぞ?」
「うるさい。僕はもう怒ったんだ」
「あー、知らねぇぞ。ゴーズィ様に怒られても」
説得の意味がないと判断したフューネラルは、ベリアルとソウルから大きく距離を取る。
悪魔族の中でも、闇の三王から公爵の名を認められた悪魔だけに使用できる特殊な魔法、“罪の罰”をベリアルが発動させようとしていることに気づいたためだ。
その悪魔によってその効力、種類は異なるが、ベリアルに与えられた罪の罰は広範囲に見境なく害を及ぼすものだった。
「そのムカつく余裕面を潰してあげるよ、天災のカガリビト」
「何をしても無駄だ。貴様より私の方が強い」
余裕、慢心などではなく、はっきりとした事実としてソウルはそう返す。
返答にますます苛立ちを大きくさせたベリアルは、怒りに顔を歪めると悪魔公爵として力をついに解放させた。
「《憤怒の罰》」
――爆発的に肥大化するベリアルの身躯。
背丈は天井まで届き、両腕両足は元の何十倍にも膨れ上がっている。
身に纏う魔力の量、密度も跳ね上がっていて、鼓膜を破るような咆哮を震わせていた。
「アハハッ! 自分以外の存在を見下ろすってのはずいぶんと気持ちいいものだねーっ!」
「まあ、ベリアルは普段ただのちっさい餓鬼んちょだしな」
高笑いをするベリアルは足下のソウルを視界に捉えると、心底嬉しそうに顔を歪めた。
両手を合わせ一つの巨大な拳をつくると、そこに溢れ出る魔力を注ぎ込む。
「アハハハハハッ! 潰れちゃえ天災のカガリビトーっ!」
そして一切の躊躇なくベリアルはその暴力の塊を振り下ろす。
哄笑は止めないままで、避ける気配を見せないソウルを過重な一撃が影で覆う。
「言ったはずだ。何をしても無駄だと」
しかしその大きな影はふわりとソウルの頭上を飛び越え、ベリアルの憤怒の一撃は空発に終わった。
「え?」
「は?」
ベリアルは状況を理解できずに表情を困惑させ、フューネラルは驚きに声を凍らせる。
消えたのはベリアルの両手首の先で、ソウルの後ろで重々しい音を立て転がるのはベリアルの両手。
紅い雨が降り注ぐ城内で、たった一人のカガリビトだけが動き続けていた。
「私の方が強い」
軽く跳躍し、巨大化したベリアルの顔前に辿り着いたソウルは、見えない剣閃を首筋に打ち込む。
思考を停止させていたベリアルはその刃を防ぐことも、躱すこともできず、素直に受け止めるだけ。
真紅の横線が首に刻まれ、そこから血が噴出する。
崩れる身体は倒れ込むまでに伸縮していき、最後には瞳を開けたまま絶命している少年悪魔を床に残した。
「次は貴様だ」
「ファッキンデビルだな、オイ。これ俺も死んだだろ」
白銀の瞳が自らに視線を移したことに気づき、フューネラルは憂鬱気な溜め息を吐く。
目の前にいるカガリビトは圧倒的な力を、ただそれ以上のさらに圧倒的な力でねじ伏せただけ。
勝ち目はない。
逃走の手段を算段するフューネラルは、そのどれもが成功する確率が低いことに気落ちを重ね、いとも簡単に自分の命を諦めた。
ソウルが剣を持ち直し、フューネラルに向かって一歩踏み出す――、
「……ソウルさぁん。駄目やないですか、悪魔の城で油断したら」
――ザクリ、としかし一歩踏み出たところで、ソウルの動きが止まる。
数字の刻まれた胸から突き出る、細長い手。
ソウルの肩に顔を乗せ囁くのは、二本の巻き角をし、軽薄な笑みを携えた悪魔だった。
「……ぐっ、サイガード。いや……悪魔公爵スーイサイドか」
「どもども。お久しぶりです。だけども今日でソウルさんともお別れですわ。さすがのソウルさんでも、これは死んだんちゃいます?」
現れるその瞬間まで、全く存在を感知させなかった悪魔――スーイサイドは胸を貫通させた腕をグチュグチュと掻き回す。
「おいおい、どっから出てきたんだよお前。全然気づかなったぞ、マジで」
「当たり前やん。これ、一応僕も、罪の罰使こてるからね?」
スーイサイドの前触れない乱入にフューネラルも呆けた声を上げるが、表情だけは変わっていない。
苦悶の声を漏らすソウルは、ゆっくりと手元の剣を地面に落とした。
「……【永遠の命】。《ウィード》。そうだな。貴様と顔を合わせるもこれで最後になりそうだ」
「げ」
だがソウルは再び剣を出現させると、振り向き様に剣閃を放つ。
呻き声は消えていて、胸からの出血もピタリと途絶える。
どこか予想はしていたのか、スーイサイドはそれを避けるとフューネラルの方へ逃げていった。
「ぶふっ! ぶふふふっ! いやいや嘘やろ!? 今ので死なへんの!? ソウルさんほんまおもろいな。試しに殺してみたけど、やっぱ無理か。これ以上は僕の出番やないね。僕、不意打ちしかできへんし。フューネラル、ほな逃げるで。今がチャンスや」
「は? いきなり何言ってんだお前――」
「いいから早く! 急がないと死ぬ!」
「わ、わかったよ。《魔神の抱擁》」
逃がすまいと追撃の体勢を整えるソウルだが、その一瞬の隙にフューネラルは魔法を発動させることに成功する。
闇色の霧が二人の悪魔を包み込み、そこに斬撃を飛ばすが何も斬り裂くことはできない。
すぐに霧は広がり消えるが、もうフューネラルとスーイサイドの姿は残っていなかった。
「逃がしたか」
気配が消えたことには安心できず、警戒をソウルは保つが、どこからも異変は感じられない。
手に持った剣を消し、そこでやっとソウルは先に進むことを決断した。
「うわ。凄いですね、ここ。超スプラッタです」
「おおいっ! あそこにいるの、天災のカガリビトじゃねぇかっ!?」
「あー、大丈夫、大丈夫。アイツと俺、友達になったから」
だがその時、ソウルは背後から聞こえる喧しい声に顔を向ける。
そこにいたのは見覚えのある人間が二人とカガリビトが一体。
「……旅の終わりは近いな」
三者三様の表情で近づいてくる者たちを眺めながら、ソウルは珍しく表情を緩める。
胸につけられた傷はすでに癒え刻まれた数字が増えていることに気づいていたが、この世界に永遠の命など存在しないこともたしかにソウルは気づいていた。
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【Level:165/Ability:悠久の時/Gift:嘆きの加護,憂いの加護,狂気の呪い,混沌の呪い/Weapon:不治のポイズンアッシュ,ありふれたローブ,質の良い鞘】