第4話 贈り物
「一体どういうことだ? なんでまたここに……?」
暗闇の広がる空洞。壁を覆う蒼白光を発する苔。
さざ波一つ立たない湖の前で、俺は混乱に喘いでいた。
「ふふっ、どうしたの? ずいぶん不思議そうな顔をしてるけど?」
「どうしたもこうしたもあるか! 出口は反対側を真っ直ぐ行けば見つかるんじゃなかったのかよ!?」
「別に私は嘘は言ってないよー。外に繋がる道は反対側を真っ直ぐ行けば辿り着く……ほら、愉快なカガリビトさんもちゃんと辿り着いたじゃない?」
「は? 何を言ってるのかさっぱりなんだが?」
クスクスと笑う半透明の少女。
まったく頭が痛くなってくる。初っ端から不気味なループステージとか、一体どこの静岡を舞台にしたホラーゲームだよ。
「つまり外に繋がる道はここであってるっていうこと。ちょっとしたイタズラだよ。ふふっ、素直なカガリビトさんはまんまとひっかかってくれた」
「イタズラ?」
「そうだよー。でも久し振りに楽しませてもらったお礼に、その剣について少し話してあげる」
「楽しませてくれたお礼って……まあ、聞くのはただだから話は聞くけど」
そして少女は細い指で俺の腕を指し示す。
ほんのり赤みがかった両刃の剣、とりあえずはこの剣について教えてくれるらしい。
情報はたしかに欲しいし重要だが、正直もうこの少女のことはあまり信用できないな。
「その剣の名は“不治のポイズンアッシュ”。その刃によってつけられた傷は毒の呪いに侵され、時間が経てば経つほど命を蝕んでいく」
「毒?」
そういえばさっきゴブリンが突然苦しみだしていたが、あれはこの剣の毒のせいだったのか。
おそらくこの情報はたしかだろう。ポチを非力な俺が殺せたのも毒のおかげかもしれない
「はぁ……一応信じておくよ。それで、俺は結局どうすれば外に出ることができるんだ?」
「ふふっ、私のこと疑ってるの? ま、いいけどね。外に出る道は無知なカガリビトさんの目の前にあるよ」
「目の前? 頼むから本当のことを教えてくれ」
何が目の前だよ。目の前には底の見えない湖しかないだろうが。
まったく意地悪な女の子だな。俺は基本的に年下への興味はないのでご褒美にもならないぞ。
意地悪されるなら年上の赤縁眼鏡のお姉さん以外お断りだ。
「だから、私は嘘なんて何一つ言ってないんだって。う~ん、やっぱり愉快なカガリビトさんはとってもチャーミングだね。特別に贈り物もあげるよ」
「だから、それがどう意味なのかわかんないんだって。……まあ、貰えるものは貰っておくけど」
チャーミングだなんて洋画の下手な吹き替え以外で聞いたことがなかったが、まさか自分にその賞賛が向けられる日が来るとは。
しかしどこに出口があるのだろうか。俺は何か見落としている? あと贈り物ってなんだろう。
「私の中に入りなさい。奥まで、ずっぷりと」
「は? 突然どうしたんだ?」
思わず漏れたのは間抜けな声。
外に出る方を尋ねたはずなのに、帰ってきたのは痴女感丸出しの台詞。
大丈夫か? 両親は一体どういう教育をしてるんだ。
「ちょっと意味がわからないんだが……」
「ふふっ。言葉の通り。他意はないよー。私の中……この湖の中を進めば外に出れる」
なるほど。そう意味か。
少女は真下にある凪の水面を指差す。
だが心配事は沢山ある。呼吸とか。視界とか。
「なに? どうしたの? 私の言葉が信じられない?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど。息とかできるのかなって」
「息? 元々してないじゃない?」
「え」
あ、本当だ。俺、元々呼吸してないじゃないですかやだー。
自分が皮付きスケルトンになってしまったってことすっかり忘れていた。
「……え、えーと、それじゃあ、君の言葉を信じて、湖の中に入らせてもらう」
「うん、そうするといいと思うよー」
仕切り直しとばかり一度咳払いをすると、俺は意を決して暗い湖へ足を踏み入れていく。
目先は光のまるで通らない暗黒だが、もう後は野となれ山となれだ。
「それじゃあ、またいつか会おうねー。可愛いカガリビトさん?」
「ありがとう。なんだかんだで、色々教えてくれて助かったよ」
「ふふっ……」
そしてボコボコという水泡音と共に、少女の艶っぽい声も掻き消える。
俺を包むのは耳が痛くなるような静寂と、先の見通せない暗闇だけになった。
あれ、そういえば贈り物をもらってないけど……まあ、いいか。
――――――
いつになったら出口に着くのか。
俺が湖の中に潜り込んでからどれほど時間が経っただろう。
地上を離れてからしばらくすると、湖の底も蒼白く光始め、視界に困ることはなくなった。
息に関してもやはり問題なく、身体に不調は感じられない。
意外なことに、水中ならではの動き辛さもそれほどではない。
俺の心を苛むのは、言いようのない不安感のみだった。
「ん?」
すると、湖底のある一点に穴のようなものが空いているのが見つかる。
しかも隣りには、見覚えはあるのだが、一部分が決定的に俺の記憶と違う生き物の姿も確認できた。
「シュリンップギュルルゥゥゥ!!!」
「うわっ……なんだよアレ」
ぼっかりと空いた穴の横で、突如叫び声を上げるのは大きな鋏を両手に持った黒い瞳の生物。
エビ。
俗にいう日本では天麩羅の花形として調理されることの多いあの海洋生物だ。
だが、それはただのエビではなかった。
「なんというか……キモイな」
下腹部からスラリと伸びる雪のように白い二つの曲線美。
なんとモデル顔負けの、信じられないほど美脚をもったエビだったのだ。
これが本当のエビちゃんということなのだろう。
「シュッリンプギュルゥ!」
うむ。なにを言っているのかまるでわからない。
慎重に近づいてみるが、茹でられてもいないのになぜか赤い身体をブルブルさせるエビのメッセージは俺には理解できない。
これまでの経験から、おそらくこのエビもモンスター的な存在だと思うのだが、敵対意志があるのかまだ確信ができないでいた。
というか案外デカいなこのエビ。直立してるのでよくわかるが、俺とあまり身長変わらないんじゃないか?
「俺は剣を持ってる。しかもレア物だ。妙な動きをしたら斬るぞ」
「シュリンプギュルッ!」
威嚇がてら剣先を向けてみるが、エビは尾を丸めて何かブクブクとやるだけで、こちらの意図が伝わっているのかどうかは確認できない。
今のところエビは攻撃をする素振りも見せないし、なんだか調子が狂ってしまう。
というか太腿が無駄に肉感的でそこにばかり目がいく。
これはどうしたものか。コミュニケーションは不可能。無視して先に進むべき?
「シュリンップギュル! シュリンップギュル!」
エビは相変わらず何かを伝えようとしているが、あいにく俺が大学で選んだ第二外国語はエビ語じゃない。
これ以上は時間の無駄だな。先へ行こう。
そして俺はエビと大穴の横を通り過ぎようとするが――、
「シュリンプッギュルゥゥゥッッ!!!!!」
――エビのこれまでで一番の絶叫と共に、俺は突如足の踏み場を失う。
「なんだぁっ!? うわぁぁっっっ!?!?」
頭が何かにぶつかる。足下に広がるの湖底ではなく淀みない水。
そうか。俺は逆さになってるんだ。
でもなんで?
「……って嘘だろ? これはやばいぞ!?」
グイ、と強く背中を引っ張られる感覚。ガンガン、と全身が壁に打ち付けられる感触。
やっと俺は自分の現状を理解した。
どうやら俺は細長い穴の中に、物凄い勢いで吸い込まれてしまったらしい。
「痛いっ! 痛ててっ! 痛い痛い痛いってっ!?」
視界が目まぐるしく回転する。
微かな光放つ苔もいまやどこにもなく、視界は全方位真っ暗だ。
恐怖と混乱の中、手元の剣だけは必死で放さないように握り締める。
助けて。助けて。助けて。
軽く酔いと吐き気がし始めたところで、何かが弾ける音がした。
「ぐっへぇっ!」
ベキ、と硬い衝撃が顔面に襲い掛かる。
次いで感じる、背中を打ちつける似たような衝撃。
水飛沫が身体中にかかるのがわかった。
一体何がどうなった?
やっとのことで、落ち着きを取り戻した俺は、水中特有の重さが消えたことに気がつきながら、周囲を見回す。
まず目に入るのは天を穿つ勢いの大噴水。
さすがの俺でもわかる。あの噴水に俺は吹き上げられたのだろう。
それにしてもここはどこだ? 少なくとも、あの湖の中ではないことは間違いないと思うが。
「シュリンップギュルゥゥッッッ!!!」
「うわ!? お前、いたのかよ」
突然背後で叫ばれる解読不能な叫声。
振り返れば、案の定謎の美脚エビの姿があった。
どうやら俺と一緒に、あの穴の吸い込みに巻き込まれたらしい。
「シュリンプギュルッ! シュリンプギュルッ! シュリンプギュルッ!」
「な、なんだよ……怒ってるのか?」
エビは尻尾を地面にベチベチと叩きつけて何かをアピールしている。
尾を奮うたびに水が飛び、非常に煩わしい。
怒っているようにも見えるが、エビの感情表現なので真偽のほどは不明だ。
「シュリンプギュルゥゥゥ!」
「はいはい、わかったよ。しゅりんぷしゅりんぷ。じゃあ、俺はもう行くから」
「シュッリンプギュ!」
とりあえず究極の絶対領域をもつエビは放って置いて、俺はこの噴水広場を後にすることにする。
結構広めの空間。
見れば道が奥に続いているようだ。嘆きの湖に戻ることもできなさそうだし、進むしかないだろう。
俺は身体の水を適当に払い落とすと、先を目指した。
「……っておい。なんでお前も着いてくるんだ?」
しかし何歩か進むと確かに感じる変な気配。
振り返ってみれば、やはりと言うべきか、あのわがまま下半身ボディのエビが俺にぴったりとくっついてきていた。
「シュリンプギュルッ!」
当然だ! あたかもそう言ったように聞こえる。俺の頭もだいぶイカれてきているらしい。
「お前は一体何者だよ……」
「シューリンプギュー」
それはこっちの台詞ですぅー、なんとなくそんなニュアンスを感じる。本格的に俺の精神状態は末期に移行しているようだ。
人の形をした喋る湖に、美脚を持つエビ。
この世界にはロクな生き物がいないな。俺も含めて。
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【Level:8/Ability:悠久の時/Gift:嘆きの加護/Weapon:不治のポイズンアッシュ,狂気のローブ】