第36話 名前ナキ革命―2
変装のためのローブを脱ぎ捨て、少し伸びた金髪を揺らすミヤはヴィーナス城に向かっていた。
焔が空に立ち昇っていく光景を後ろに眺めると、たしかな蝉噪がその方向から聞こえてくる。
しかし足を止めることなく、一心不乱に彼女は走り続けた。
(カガリさん……クロウリー先生が強力なカガリビトに出会うかもしれないと言ってたからまさかとは思ってたけど)
悪魔の気配を鋭敏に察知し、遭遇を避けながら駆けるミヤの顔に薄い笑みが浮かぶ。
記憶に新しい、彼女にとって最も馴染み深いカガリビトの声。
夜の王が支配する街での再会は、どこか期待していた事であると自覚できた。
(でも自分で任せると言っておいてなんだけど……本当にカガリさん一人で大丈夫だろうか)
先刻対峙した際にカガリから放たれた威圧感は、ミヤの覚えているものより質を増していた。そのことからカガリも彼女と同じように、天災のカガリビトとの遭遇から力を蓄えていたことは明らか。
だかそれでも懸念は消えない。
五幹部と呼ばれるヴィーナスの街でも特に強力な五体の悪魔達。それに加え、おそらく街中の悪魔をカガリは一人で相手することとなる。
普通に考えればカガリはあくまで時間稼ぎにしかならず、その末路に希望はない。
カガリが倒れる前に夜の王、ゴーズィ・ファン・ルシフェルを討つ。
ミヤはカガリと本当の意味での再会のためにも、地面を蹴りつける足に力を込めた。
「あら、何やら目障りな炎がこの街にもう一つ増えたと思ったら……ずいぶん懐かしい顔がいるじゃない」
その時、薄暗い一本道の向こう側から、心底つまらなそうな顔をした女が現れる。
煽情的な純白のドレスに身を包んだ眉目良い金髪の女は、ミヤの前に立ちはだかるようにして痰を下に吐き捨てた。
「貴方は……これは驚きです。まさか貴方とも再会できるとは思わなかったですよ。私たちの村の“神官”だった貴方とこんなところで再会できるなんて、これも神の思し召しでしょうか」
「そうね。今からあなたは神に召されるんだから、あながち間違いじゃないんじゃない? 小さな魔女」
夢魔のアリス。
夜の王に仕える五幹部の一人である彼女は、騒動の起きている火事の現場へ向かう途中でミヤを見つけたのだった。
かつて強力なカガリビトを呼び寄せる餌場としてホグワイツ村に潜伏していた時以来の再会に、アリスはあからさまに機嫌が悪くなる。
「はあ、本当に面倒ね。私、嫌いなのよ。何かを壊すのも、誰かを殺すのも。なにも面白くないし、ただ疲れるだけ」
「意外です。悪魔という生き物は、人間を殺すことに幸福を覚えるものだと思っていました」
「やめて、他の馬鹿どもと私を一緒にしないで。知能の低い悪魔の中には、嬉々として人間を襲うものもいるけど、私はそこまで野蛮じゃない」
ホグワイツ村の神官であったアリスの正体に驚きながらも、ミヤはむしろその言動に興味を持っていた。
悪魔が人間社会に溶け込み、諜報活動をする。それはあまりに不自然で驚異的なことだ。
それほど負担のかかりそうなことを、人間に対してあまり執着のなさそうなアリスが行うことに疑問を覚えてしまう。
「ではなぜ貴方はそこまでして、人間やカガリビトに敵対しようとするのですか?」
「そんなの決まってるじゃない」
しかしミヤが素直な気持ちでその疑問を口にすると、途端にアリスは恍惚とした表情を見せ小さく身悶える。
「私の愛する人……ゴーズィ様がそう望んでいるからよ」
「なるほど」
顔を赤らめる絶世の悪魔の眺めながら、ミヤは納得した。
仕える王、愛する人、夜の王のため。
その言葉はすっとミヤの中に溶け込んでいき、もう疑念はどこにもない。
(愛する人のため……私はまだ恋愛感情とかには疎いけど、なんとなくわかる)
もやは交わす必要のある言葉はなくなったと判断したミヤは、内なる魔力を引き揚げ本格的な戦闘態勢に入る。
「さて、それじゃあもう話すことはないわね? じゃ、私、面倒事は嫌いだから、さっさとあなたのことは殺させてもらうわ。悪く思わないでよ。ここでサボったら、ゴーズィ様に怒られちゃうから」
「いえ、構いません。私はこんなところで殺されるつもりはありませんので」
「へぇ? 言うじゃない。見ない間に、少しは種として、いえ女としてマシになったようね」
「それほどでも」
瞬間、アリスの立っていた場所に爆炎が炸裂するが、その火属性魔法は蒼い瞳の悪魔に軽く払いのけられる。
舞い散る熱を帯びた火の粉。
交差する互いの瞳に見えるのは炎のように燃え上がる輝き。
「貴方を倒し、そして夜の王も倒します」
「ふーん……ちょっとだけあなたを殺したくなってきたかも」
――――――
悪魔子爵ネクロシスは、ヴィーナスの街の一角で火の手が上がるのを確認すると、すぐさま五幹部全員を招集し指示を飛ばした。
事前に得られた情報から、街に闇の魔法使いドネミネとその仲間であるカガリビトが二体潜伏していることは知っている。
この火事騒ぎがその一派の仕業であることはまず間違いない。
ネクロシスはアリスとケイル・ライプニッツにそれぞれ現場に向かうよう指示し、悪魔男爵フューネラルと悪魔公爵ベリアルには城に残り警備をするよう伝えた。
「それで、君は? ネクロシスくぅん?」
「私は城の周辺を調べる。相手は闇の魔法使いだ。警戒は最大限にするべきだろう」
「ほーん。君も慎重な悪魔やねぇ。悪魔にしては傲慢さが少し足りんとちゃう?」
「黙れ。お前の意見は必要としていない」
そしてネクロシスもヴィーナス城から外に出て、注意深く辺りを見回っていた。
悪魔公爵スーイサイドもそれに初めは付き合っていたが、すぐに退屈したのか彼の方は知らない間に姿を消す。
だがそうして知覚範囲を広げながら探索を続けていると、ネクロシスは突如明確な気配を見つける。
異質で強大な、見過ごすことのできない気配。
ネクロシスはすぐさまその気配の居所に駆けつけ、その元凶の悪魔よりよっぽど傲慢な笑みを目した。
「この俺に相応しくない醜い悪魔のお出ましか。まあ、この俺に相応しいほどの美を備えた存在など悪魔に限らずこのディアボロには存在しないがな」
肩を超え伸びる銀髪を手櫛しする、刀身の長い一振りの剣を持つ男。
“剣聖”トリニティ・アナスタシア・ヴィヴァルディ。
ネクロシスは正確に目の前にいる男の名を把握しながら、なぜいとも簡単にこれほどの人間の侵入を許したのか思考した。
「……今回の件に関与しているのは、闇の魔法使いだけではないようだな」
「ほお? そのエレガンスの欠片もない外見をしておきながら、人の言葉を話せるのか。喜べ。今お前は、この世界で最も崇高な存在である俺と会話する好機を得たぞ」
「……よく喋る人間だな。愚かな存在ほど、よく口を動かす」
「はっはっはっ! この俺の神聖さが理解できないとは、可哀想すぎて涙が出そうだ。むろん、俺の涙には価値がありすぎておいそれと実際に出すわけにはいかないが」
この男を殺さず、闇の魔法使いに関する全てを吐き出させるべきか。
ネクロシスは刹那の逡巡を抱いたが、すぐにそれは掻き消えた。
「今日からこの城は俺のものになる。誇れ。新たな王の誕生する日に立ち会えたことを」
「……侮辱が過ぎるぞ」
凶悪な爪が一気に伸長し、槍のような形状を取る。
憤怒に顔を歪ませたネクロシスはその爪槍を猛然と振りかぶるが、どこまでも傲慢な笑みを浮かべたままのトリニティがそれを受け止める。
衝撃が空気を震わせるが、接した互いの刃は微塵も動かない。
「俺の美にひれ伏せ、悪魔」
「ゴーズィ様の名の下に頭を垂れろ、ニンゲン」
***
【Level:164/Ability:悠久の時/Gift:嘆きの加護,憐みの加護,憂いの加護,狂気の呪い,混沌の呪い/Weapon:不治のポイズンアッシュ,不壊のファゴット,ありふれたローブ,質の良い鞘】




