第35話 名前ナキ革命―1
ミヤ・マスィフ。
今目の前にいるのは、たしかに俺がこの世界で初めてまともなコミュニケーションを取ることに成功した人間だ。
ソウルから生きているとは聞いていたが、こうしてしっかりと生きている姿を間近で見ると少しだけ嬉しい気持ちになる。
だがなぜこんなところにいるのか。理由がさっぱりわからない。
まさか夜の王に捕まった? あまりそのような気配はないが。
「どうしたんですか、カガリさん? あの、カガリさんですよね? もし人違いなら言ってください」
周囲の炎を巧みに手繰りながら、ミヤは眠そうな瞳を何度か瞬きさせる。
俺の方はまだフードを深々と被ったままなので、本当に俺かどうかまだ確認できていないのだろう。
ちらりと後ろのチカを一目見てから、そして俺は諦めたように言葉を返した。
「……はぁ。久し振りだな、ミヤ。だけどこれは一体なんのつもりなんだ。というか、なんでここにお前がいる?」
「えぇっ!? しゃ、喋ったっ!? あなた喋れたの!? しかも男の人の声だし!」
「ああ、悪いなチカ。騙すようなことをして。まあ、騙してたんだけど」
まさに絶叫といった様子でチカが驚きに目を見張る。
喋っただけでこの驚きよう。フードを外したらどんな反応をするのか、逆に楽しみになるくらいだ。
「やっぱりカガリさんでしたか。女の勘ってやつでしょうか。すぐにわかりましたよ」
「それで? この火事騒ぎはなに? 別に俺とどうしても感動の再会をしたくてやったわけじゃないんだろ?」
「はい。当然です。実は私、このヴィーナスの街に夜の王を倒すために潜伏していたんです」
夜の王を倒すために潜伏。
どうやらミヤも俺やドネミネと同じ様な理由でここにいるらしい。
なぜこんな騒ぎを起こしたのか、そもそもなぜミヤが夜の王を倒そうとしているのかはまだわからないままだが。
「それで、一緒に夜の王を倒そうとしている仲間が、私以外に三人いるんですけど、そのうちの一人に命令されたんですよ。私はこの人間が捉えられている洋館に潜入して時を待て、と」
「奇遇だな。俺もそうだ。俺も仲間があと二人いる。だけど結局なんで炎を?」
「私はこう言われたんです。おそらくこの洋館にしばらくいれば、怪しげな動きをする人間が一人現れる。そしてその怪しげな動きをする人間が現れたのを合図に、派手な騒ぎを起こせと」
「はぁ!? なんだそれ? その怪しげな動きをする人間ってのが俺のことか?」
「そうです。実際怪しい行動をとっていたじゃないですか」
俺は唖然とする。
この火事騒ぎを起こす合図が俺。一体なにがどうなってるんだ。
これもドネミネの作戦の範囲内のか思案できない俺は、話の続きをミヤに促す。
「そ、それで、ミヤにそう命令した奴は騒ぎを起こした後はどうしろって?」
「はい。騒ぎを起こせば五幹部の何人かが釣れる。なのでその怪しげな動きをした人に任せて、私は離脱しろと言われました。なんでも、その怪しげな動きをする人はおそらくそれなりに強いので、任せても心配は要らないと」
「おいおい、つまり俺が餌、というか揺動担当ってことか? なんだよそれ! 聞いてないぞ! だいたい五幹部も釣れるってどういうことだ?」
「話では現在この街は厳戒態勢が敷かれているので、ちょっと騒ぎを起こせば幹部級が駆け付けるとのことです」
厳戒態勢。
つまりそれは、俺やドネミネたちが侵入していることもすでに夜の王にはバレているということ。
色々な情報が一気になだれ込んできて、俺はパニック寸前だ。
「それではカガリさん。あとのことはお任せします。私は城の方に向かいますので」
「いや待て待て。本当に行くのか? 大量の悪魔と幹部級が何人かって、それ俺一人じゃ無理だろ」
「カガリさんのお仲間はなんて言ってたんですか? というか闇の魔法使いドネミネはどこです?」
「俺の方は何も……ってお前、俺の仲間がドネミネだって知ってたのかよ」
「はい。事前に聞いてました」
ドネミネの野郎。こうなることをあいつ絶対知ってたな。
だが結局これはミヤたちと共同作戦ということでいいのか?
たぶん色々なにも知らないのは俺だけなんだろう。ドネミネはそういう奴だ。
「じゃあ私はこれで。そろそろ離脱しないとマズイですし」
「本当にこれが俺の役目なのか……?」
するとミヤは再びフードを被り直し背を向ける。
まったくもって納得いかないが、もし何かしらの間違いがあればドネミネの方からアクションがあるだろう。
「それではまた後で、カガリさん」
そしてとうとうミヤも炎だけを残して階段の方へ駆けていった。
燃え盛る地下牢に残されたのは俺と、もう一人だけ。
「ねぇ、どういうこと……なの?」
俺は背後から投げかけられる言葉に、顔だけ振り返らせる。
真摯なエメラルドグリーンの瞳が俺に注がれていて、少しだけ憂鬱な気分になった。
「……どういうこともなにも、話の通りだ。俺はここに夜の王を倒すために来た。そのためにずっと隠れてただけってことだよ」
「本気で夜の王を倒すつもりなの?」
「ああ、本気だ。俺はそのために生まれてきたんだからな」
「え?」
ずっと俺の顔を影で覆わせていたフードに手をかける。
短い間だったが、この少女との会話はそれなりに楽しかった。
その記憶を穢してしまうのは、一応申し訳ないとは思うが、これが俺なりの誠実さだ。
「俺はカガリビトなんだ、チカ」
視界が開け、燃える真紅の煌めきが俺の瞳をくらませる。
その中で、真っ直ぐと俺はチカの目を受け止めた。
彼女に今の俺はどんな風に見えているのか、わからない。
「それじゃあ、そういうことだから俺は行くよ。お前も早くここから逃げろ。火傷に気をつけてな」
そして俺は唖然としたチカから視線を外し、ミヤの去っていった方向へ歩き始める。
ここから先は命懸けの戦い。いよいよディアボロの篝火へ繋がる闘いだ。
「待って」
しかし、戦いへと赴こうとする俺を止める可憐な声。
振り向きはせず、ただ立ち止まるだけ。
「頑張って。私に力はないけど、信じてる」
剣を握る手に力が入る。
この世界では人間は弱い。家畜として虐げられている。
でもだからって俺はその人間たちの為に戦うわけじゃない。
あくまで、自分のためだ。
「またいつか会える日を、信じてる。その時はあなたの口から名前を教えてくれるでしょ?」
そう、俺はただ自分のためだけに夜の王を倒す。
俺は自分自身のために、名前を取り戻すんだ。
「ああ、またな、チカ・リンカーン」
そして本当の名前を持たない俺は、銀髪の少女を残して地下牢を去った。
――――――
「ア! キサマハ!?」
「どけよ。邪魔だ」
洋館から出た俺は、案の定入り口付近に集まって来ていた悪魔の内の一匹を切り捨てる。
煌々と燃える洋館の周囲に続々と向かってくる悪魔たちの姿が遠くに見えた。
チカのためにも、騒ぎの中心地を移すとするか。
「ほら、こっちだ。こいよザコども」
「マテ! オロカナカガリビト!」
悪魔の群集を連れながら、俺は街路を駆け抜ける。
黒い刃を振り抜くたびに、獣の顔をした怪物の四肢が吹き飛んだ。
「この程度の相手なら俺一人でもいけそうだな」
先ほどまで不安はあったものの、いざ悪魔たちと向き合ってみると意外と苦戦しない。
時折り繰り出される魔法らしき炎波などに気をつけてさえいれば、正直俺の敵ではなさそうだ。
ある程度レベルを上げておいたかいがある。いくら数がいても、このくらいなら俺の敗北はない。
「ん?」
だがその時、目を血走らせて俺に襲い掛かって来ていた悪魔たちの動きがぴたりと止まる。
一体何事かと辺りを窺ってみると、その理由はすぐにわかった。
「へぇ? あのインチキくさい影の眷属の悪魔が言ってたことは本当だったんだ。この街にカガリビトがいる」
漆黒の外套をはためかせ、こちらへ悠然と歩み寄ってくる一人の少女。
黒い髪に真紅の瞳。
力なき悪魔もいれば、力を持つ人間もいる。
まったく本当に不思議な世界だ。
「どうも、初めまして。僕の名前はケイル・ライプニッツ。できれば闇の魔法使いの居場所を吐かせてから殺せと言われてるんだけど……あんまりその望みはなさそうだね」
***
【Level:164/Ability:悠久の時/Gift:嘆きの加護,憐みの加護,憂いの加護,狂気の呪い,混沌の呪い/Weapon:不治のポイズンアッシュ,不壊のファゴット,ありふれたローブ,質の良い鞘】




