第34話 再会のヒ
楽しい楽しい食事の時間を終えると、当然俺は再び空気の悪い地下牢にぶち込まれた。
定位置である二人部屋の隅に腰を下ろしながら、適当に視線を宙に彷徨わせただひたすらに時間が過ぎるのを待つ。
もちろん、隣りから凄まじい視線を感じながら。
「……」
「……」
明らかに部屋の反対側からチカがこちらを睨んでいる。かなり気になるが設定上俺は喋れないので、
こちらからなんとかすることはできない。
なんとも睨まれるのが多い日だな。今日は。
「ねえ、それで結局あれは本当にあなたがやったの?」
「……!」
しかしとうとうしびれを切らしたのか、チカがこちらに身体を向け直したのがわかった。
やっとこの気まずい空気から解放されるのかと少し嬉しくなった俺は、軽く自慢げに親指を立てて意思を伝えようとする。
「はぁ……本っ当に信じられない。気づかれなかったからいいものの、もしあなたの仕業だって気づかれてたらどうするつもりだったの? というか、一体どうやったのよ……」
「……」
俺以外には聞こえないよう声の大きさを調整するチカの瞳はまた若干潤んでいる。
どうも本気で俺のことを心配してくれているようだが、俺が本気であの糞犬に腹が立ったのも事実。
だけどそうは言っても、あれは確かにやり過ぎだったかもしれない。ドネミネはわからないが、ソウルに知られたら真顔でぶっ飛ばされそうだ。
「もう! 今度こそ二度とこんなことしちゃ駄目だからね!? 次こそ絶対の絶対に取り返しのつかないことになっちゃうんだから!」
「……」
あまりに真剣な表情のチカに俺は、とりあえず頭を下げて反省してますアピールをしておく。
取り返しのつかないこと、か。
厳密にいえば、この洋館の他の女に一人気づかれてしまっている時点で、結構まずい気がする。
おそらくこの広い地下牢のどこかで今も、あの女は息を潜めているはず。
そう考えると急に視界に映る蝋燭の火が不気味に思えてきた。
「……でもありがと。あれ、私のためにやってくれたんだよね? それに、スープも結局貰っちゃったし。大丈夫? お腹、空いてない?」
「……?」
すると今度はチカの方が俺に頭を下げ、上目遣いにこちらの方を見た。
俺は頭を上げるようジェスチャーしながら、ふと考えてみる。
チカのために、やったのか。それとも自分のために、やったのか。
最近自制心の方の調子が悪い俺にはいまいち判断がすぐにはつかない。
「だけど凄いなー。どうやってやったのかは知らないけど、悪魔にあんなことしちゃうなんて。やっぱりあなたは凄い。私とは違うよ。なんであなたはここに連れてこられたの? あなたほどの人なら、もう少し上手く逃げられた気がするんだけど」
「……!」
ふいに投げかけられた問いかけに、俺は変な反応をしてしまう。
だがチカはその答えに期待はしていなかったのか、自嘲気味な表情で笑うだけ。
「なーんてね。思い出したくもないよね、そんな話。ごめんなさい。それに、本当は私、自分の話をしたかっただけだから」
チカは俺から顔を背け、不安定に揺れる蝋燭の影に瞳を落とした。
「私が前いた村は、この街の近くだったんだ。そこには男の人も女の人も沢山住んでいたけど、ある日悪魔の軍勢、しかも夜の王の“五幹部”がそれを引き連れてやってきて、男の人は全員、そして女の人も何人も殺された」
ポツポツといった調子で吐き出される暗い過去話を俺は黙って聞くだけ。
まあ喋れないんだけど。
「私のお父さんはもちろん、病気で足腰を弱らせていたお母さんも、みんな殺された。……その時、私、思ったんだ。もし私に力があれば、もっと力があればみんなを救えたのにって」
銀髪の少女は力があれば、そう繰り返す。
そうだ。この世界では力が全て。俺の前いた世界の方が圧倒的に素晴らしいとは言えないが、こちらの世界は中々にシビアだ。
今の俺に、その力はあるのだろうか。
「だから、やっぱり私はあなたが羨ましい。私と同じように、きっと力が足りなくてここに来ているのに、まだ前を向き続けているあなたが羨ましい。羨ましがるだけじゃ駄目だって、わかってるんだけどね」
「……」
羨ましい、か。
俺がこの外套を脱ぎ捨て、カガリビトであること教えても、チカは同じことを思ってくれるのか。
いや、そんなことはどうでもいいな。
誰かの羨望の的になるためにここに来たんじゃない。
「でもやっぱり五幹部は厳しいよねー。いくら私に力があっても、どっちみち何もできなかった可能性の方が高いかなー」
しかしここで、重くなった空気を変えるためかチカはからからとした笑みを見せた。
すると俺はなんだか気になるワードが紛れていることに今更気づき、ちょっと詳しく訊きたいオーラを出してみる。
「……」
「ん? なに? どうしたの? ……え、まさか、五幹部のこと知らないの?」
「!」
こいつエスパーかよ。
ピンポイントで俺が気になっていた事を悟ってくれたチカに、俺はぶんぶんと頭を縦に振る。
「はぁ……まったくこれだから新入りさんは困るわね。えっとね、五幹部って言うのは、夜の王の配下の中でも、一際強くて、なんか偉そうな悪魔たちのことよ。……あ、一人だけ人間が混じってるけど」
俺に物を教えるのが楽しいのか、途端にご機嫌になったチカは丁寧なんだか雑なんだかよくわからない説明を始めてくれる。
というかなんだよ五幹部って。ドネミネからもソウルからも聞いてないぞ。普通こういう情報は前もって伝えておくべきだろ。
「五幹部は、“悪魔子爵ネクロシス”、“悪魔公爵ベリアル”、“悪魔男爵フューネラル”、“夢魔のアリス”、“黒炎のケイル”、の名前通り五人いるわ。というか五幹部のこと今初めて知ったなら改めていっておくけど、この五人の悪魔には絶ぇっ対に逆らっちゃだめ! 一応黒炎のケイルって呼ばれている人は悪魔じゃなくて人間だけど、人間なのに五幹部にいる時点できっとまともじゃない」
黒炎のケイル。五幹部の中で唯一人間なのにその地位につく者。
俺はなんとなくこの街に来た昨日のことを思い出す。
突然真っ黒な炎を出して、部下らしき悪魔を焼き殺した黒髪の少女。
間違いなく、あれが黒炎のケイルだろう。
「まあ、でもあの五人に会うことなんてめったにないから、大丈夫だとは思うけど。もし会ったら、ひたすら目立たないようにやり過ごすんだよ? わかった?」
「……」
小さな身体のくせにやたら母性を強調してくるチカに、俺はわかったわかったと手を振っておく。
ただでさえ夜の王は尋常じゃなく強いらしいのに、さらに五幹部とかいうウルトラ面倒臭そうな悪魔ども。
ドネミネの奴、本当に大丈夫なのか。俺たちは三人なのに対し、向こうは夜の王も入れて六人。半分の戦力でどうやってこの街を陥落させるつもりなんだ。
「まったく、なんかあなたって本当に心配……というか、なんか暑くない?」
窓もないんだし熱だってこもるだろう。それに俺はカガリビトだから暑さ寒さには鈍感だ。
俺は改めてドネミネのことを考えてみる。あの女は色々考えているんだか、なにも考えていないんだかよくわからないところがある。
しかもいま俺はドネミネとソウルから隔離されているし、現在の状況もさっぱり把握できていない。
本当に俺はこのまま地下牢の中で待っているだけでいいのか。
「……ってえ? ちょ、ちょっと、これって!? 暑いとかそういうレベルじゃなくない!?」
「……?」
しかしここで何やら暑い暑いと騒いでいたチカ一人では到底起こせない、たしかな騒めきが地下牢全体に広がっていることに気づく。
俺は知らない間に伏せていた顔を上げ、オレンジ色に輝く前方に目を向ける。
「は?」
――そこにあったのは、濁流のようにうねり狂う炎の波。
思わず声を漏らしてしまう俺は、一体何が起きているのか咄嗟には掴めない。
「やばいやばいやばいって! これ火事だよね!? どうしよどうしよ!?」
もはや騒めきは耳うるさい喧騒に変わっている。
恐怖に怯えた声で喚く女たちの声が地下牢中に響き渡り、荒々しく燃え盛る炎はどんどん勢いを増していく。
「暑っ! というより熱っ!」
やっと正常な思考を取り戻しつつあった俺は、冷静に辺りを観察する。
すると真紅の輝きを放つ火焔が、対向側の鉄牢の鍵を溶かして破壊し、中にいた女たちが外に出て必死に逃げ惑う姿が見えた。
運が良いことに女たちは致命的な外傷も負うことなく階段の方まで行けたようだ。
「!」
だがここで俺は、ある異変にさらに気づく。
目の前で暴れる炎の勢いはいまだ萎まず、むしろ増しているくらい。
それにも関わらず、なぜか喧騒は段々と小さくなり始めていて、廊下を走り抜けていく足音はまだ途絶えない。
「あれ、なんかさっきより静かになってない……って!? 危ないよ! そんな前に行ったら!」
俺は鉄柵に手をかけ、炎の海に包まれた地下牢を見渡す。
溶けて消えた蝋燭台。
階段の方へ走り去って行く女たちの後ろ姿。
不自然に鍵の部分だけが破壊された、俺たちのいるところ以外の部屋。
これは、まさか。
「……ってちょっ!? 私たち以外もう、誰もいなくなってるし!?!?」
喧騒がついに止み、俺は柵から離れず、中央廊下の先を見据える。
朧げに揺らめく、大きな炎の影からこちらへ近づく一人の女。
俺は一つ溜め息を吐くと、諦めたように漆黒の刃を懐から取り出した。
「は!? なんであなたそんな剣持ってるの……ってきゃ!?」
チカの驚く声を無視して、俺は一瞬で鉄の柵を斬り裂き、凄まじい熱量を放つ灼熱の廊下の中央に立つ。
最悪だ。
まったく状況が理解できないが、どうもこの洋館で時を待っていたのは俺だけじゃなかったらしい。
炎を従えながら、俺のついに目前まで迫ったあの女。
ローブを着込み、フードを深く被った、俺の悪戯に気づいたあの女だ。
「あ、あの、こ、これは一体どういう状況……?」
チカの震えるか細い声を背にしながら、俺は不壊のファゴットを握る力を強め、念のため空いている手の方でポイズンアッシュの柄も触れておく。
これだけの大事を起こしたんだ、すぐに悪魔たち、下手すれば五幹部とやらもここに来る。
敵か、味方か。
すぐ目の前で立ち止まった背の低い女の一挙一動に俺は全神経を注ぐ。
「その剣……やっぱりそうだったんですね」
――しかし凛と紡がれたその声に、俺は息を飲む。
この平坦な抑揚のない声。
圧倒的なまで炎。
そしてあの、澄んだ灰色の瞳。
俺ははっきりと思い出す、今すぐ目の前にいる小さな魔女の名を。
「どうもお久しぶりです、カガリさん。カガリさんが女の人だったなんて、知りませんでした」
深く被ったフードを外した金髪の少女――ミヤは、相変わらずの無表情でそう冗談なのか本気なのかわからない再会の言葉を口にした。
【Level:164/Ability:悠久の時/Gift:嘆きの加護,憐みの加護,憂いの加護,狂気の呪い,混沌の呪い/Weapon:不治のポイズンアッシュ,不壊のファゴット,ありふれたローブ,質の良い鞘】