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第32話 家畜

 


 黒い髪をした少女に案内されたのは古びた洋風の館だった。

 館の中からさっきの焼き殺された悪魔とは別の悪魔に迎え入れられ、そこで少女とは別れる。

 さらに連れて行かれるのはギシギシとどんなに気をつけても音が立ってしまう廊下の奥。

 電球などの類いは一切ない。悪魔や俺は闇にも目が効くため問題なかったが、後続のただの人間の女たちには窓から差す月光だけでは不十分だったようで、彼女たちは何度もつまづきかけていた。


「コレ、ツケロ」


 とある一室に数分立ち寄った悪魔は、俺たちのところに戻ると数字の刻まれたバッジを乱暴に押し付けてくる。

 俺は3797と書かれたバッジを取ると、残りの三つの銀バッジを後ろに回す。

 本物の銀だろうか。

 金銀に詳しくない俺は、いまや自らの胸で鈍く輝く徽章の価値を計れない。


「コッチ、コイ」


 犬のような顔をした悪魔は再び歩き出す。

 廊下はやがて突き当りに到達し、悪魔はそこにあった階段を下に降りていく。

 ここが一階だから、どうやら地下室に連れて行かれるらしい。

 底が抜けないように気を遣って階段を下りる。カビだかなんだかの不快な臭いがした気がしたが、俺の嗅覚は基本的に役に立たないはずなので、たぶん気のせいだ。


「ハヤク、アルケ」


 そして階段を降りきると、予想通り住居空間にしては設備の悪そうなところが視界に広がる。

 ポチャ、ポチャ、と聞こえる個人的に精神衛生上よくない音。

 蝋燭台に照らされた道の両脇には、死んだような顔をした女性が収監された鉄格子。

 どっからどう見ても完全に牢獄。

 細かく区切られた鉄牢を眺めていると、たまに俺とそっくりな骸骨とあいさつすることもできた。


「ハイレ」


 悪魔の犬の顔が硬質な声を飛ばす。

 一番奥の牢屋に俺は案内され、俺は殺風景なその中に特に抵抗もせず入った。

 俺が放り込まれたところには先客が一人いて、その伏し目がちにこちらを窺う少女からなるべく離れた場所に座り込む。

 後続の女たちもそれぞれ指示された部屋に入っていくが、最後の一人で問題が起きた。


「ア? ヘヤガタリナイナ」


 悪魔はシベリアンハスキーみたいな顔を横に曲げ、真っ赤な瞳を縦に鋭くさせる。

 残された最後の一人の女は、所在なさげに立ちぼうけていた。

 だが悪魔がゆっくりと女の方を振り返り、凶悪な顔を笑わせると、静寂な空気に微妙な変化が生まれる。

 耳まで裂けた鋭利な牙の並ぶ口。

 残酷な色が悪魔の瞳に宿り、俺は反射的に剣の柄に手を伸ばすが――、



「ナラ、ヘヤノカズニ、カチクヲ、アワセヨウ」



 ――勢いよく閉じられる悪魔の大口。薄明りの地下牢に飛び散る鮮血。

 誰かが小さな悲鳴を漏らすのが耳に届くが、それも間をおかず反響する咀嚼音に掻き消された。

 カラン、そんな音を鳴らして銀のバッジが床を転がる。

 赤黒い粘液に汚れた3800という数字。

 俺は湧き上がる破壊衝動を抑えることに、苦しくなる。


「アア、マズイニクダ。ショセン、カチクダナ」


 口元の血を獣の腕で拭うと、悪魔は原型を留めていない女の肉体を床に捨てた。

 俺は思考する。この目の前の鉄格子は斬り裂けるか。あの不細工な犬っころをぶち殺すことは可能か。

 答えはすぐに出た。両方イエスだ。


「オイ、コレヲカタヅケロ」


 しかし糞犬が近くの女二人の牢の鍵を開け、ぶしつけに命令するところで、浮き上がりかけた俺の肩を何か柔らかいものが抑えた。

 それは雪のように白く、か細い手。

 隣りを見てみれば、俺と同室の少女が翠色の瞳に涙をこらえて顔を横に振っている。

 少女の手の震えが俺に伝わり、沸騰していた頭が急速に冷えていく。

 

「ノロマメ、オワッタラサッサトモドレ」


 俺がゆっくりと深呼吸をすると少女も安心したのか手を離す。

 声を出すと俺が男だということがバレてしまうため、少女にジェスチャーだけで感謝を伝える。すると少女は銀髪を揺らして、儚い笑顔で答えた。

 危ないところだった。

 ここは悪魔の本拠地。こんなところで今騒ぎを起こしたら袋叩きにされるだけだし、何よりドネミネの作戦が台無しだ。

 あの糞犬は必ず高級焼肉セットに変えるとして、それは夜の王を倒した後でいい。




 そして生意気な糞犬が地下牢を去ると、はてしなく重い沈黙で空間が満たされる。

 いくつかある蝋燭の影だけがゆらゆらと蠢く以外に、他の何も動かない。

 怒りが再燃する前に気を静めてしまおうと、俺は瞳を閉じた。


「ねえ、あなた名前は?」


 だが俺の耳元で響いた鈴のような声が、俺の睡眠を邪魔する。

 小さな驚きと共に視線を横にやると、案の定同室の少女がすぐ横で翡翠の瞳を輝かせていた。

 俺は躊躇する。

 あまりこの少女を無碍にしたくはないが、どうしても喋ることはできないし、顔だって見せられない。


「私はチカ。チカ・リンカーン。あなたの名前も教えてよ。名前くらい別にいいでしょ?」


 チカと名乗った少女はさらに顔を近づけ、俺のフードの中身を覗き込むようにする。

 これはちょっとまずいな。

 どうやって誤魔化そうか。普通にガン無視決め込むか。


「なんで何も言ってくれないの? ……もしかして喋れないとか?」

「……!」


 それだ。その設定いただき。

 俺は若干の間を置いてから、重々しく頷いた。

 するとチカが申し訳なさそうな表情をして、むしろ俺の方が申し訳ない気持ちになった。


「そう、なんだ。ごめんなさい。もしかして気に障ったりした?」

「……」


 気にするな、そんな感じのニュアンスの首振りを送る。

 これで伝わったのか不安だったが、チカがほっとした溜め息を吐くので伝わっているようだ。これで伝わるとか、凄いなこの子。


「ならよかった。私、あなたと仲良くなりたいなって、思ってたから」

「……」

「それで、一つ訊きたいんだけど、あなたってなんでずっと手袋してるの? 手、むくれない? 外せば?」

「……!」


 しかし俺が油断した瞬間、またもやチカは答えにくい質問を飛ばしてくる。なんとも好奇心旺盛な子だ。いきなりドッキリホラーショウをしたらどんな反応するか見てみたい感はちょっとある。


「……もしかして、火傷とかそういう人に見せられない痕があるとか? ひょっとしてフードをそうやって深く被って外さないのも、そういう理由?」

「……!」


 それだ。その設定いただき。

 俺は軽い拍手をしながらウンウンと頷いて見せる。

 チカはまたちょっと顔を曇らせて、俺は若干悪いことをしている気分になった。


「私ったらまた……ごめんなさい。私、昔から余計なことばかり訊いちゃうの。気を悪くしたよね? 本当にごめんなさい」

「……」


 いいんだよ、気にするな。そんな感じの雰囲気を身体中から醸し出すと、チカはありがとうと言いながら頭を下げた。今ので伝わったのかよ。ほんとに凄いなこの子。


「……さっきあなた、あの悪魔に怒ってたよね? しかも何をしようとしたのかわからないけど、立ち上がろうとまでした。私、凄いびっくりしたよ。あんな怖い化け物に立ち向かおうとするなんて、私、これまで考えたこともなかったから」

「……」


 君の目の前にいるのもとんでもない化け物だよ、と種明かししたい衝動を我慢する。

 この世界では人間がとても弱い。

 それはわかってはいたけれど、いざ目の前でこうもまざまざと見せつけられると、怪物になってしまった俺の人として残滓が昂ぶってしまう。

 

「私、あなたが羨ましい。私はこれまでずっと悪魔たちに怯えて、縮こまっていただけ。もう生きてるか死んでるのか、自分でもよくわからなかった」

「……」

「でもあなたは違う。ここに連れてこられても、すぐ目の前に悪魔がいたとしても、あなたは自分の存在を主張しようとした。なんていうか、生きてるって感じがするの。私とは違って、あなたは。……でももう、悪魔にあんなあからさまに逆らおうとしたら駄目だよ?」

「……」


 チカは俺を少しからかうような笑顔を見せる。

 傷んだ銀髪に、憂いを帯びた翠瞳。

 そして彼女は俺から顔をそむけると、鉄格子の向こう側へ目を向けた。


「今日はごめんね? 来たばかりで疲れてるのに、余計なお喋りしちゃって。それじゃあ、おやすみなさい。また明日」


 俺から離れ、牢の隅へと移動すると、チカは猫のように丸まって瞳を閉じる。

 寂しい沈黙に揺れるのは蝋燭の炎だけ。

 やがてすやすやと寝息が聞こえてきて、そこで俺もやっと横になった。


 

 生きてるって感じがするの。



 気丈な声を頭の中で反芻し、俺は自分の左胸に手を当ててみる。

 脈打つ鼓動は感じられず、角ばった硬い手触りがするだけだった。




【Level:164/Ability:悠久の時(イーオン・テンプス)/Gift:嘆きの加護,憐みの加護,憂いの加護,狂気の呪い,混沌の呪い/Weapon:不治のポイズンアッシュ,不壊のファゴット,ありふれたローブ,質の良い鞘】 

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