第30話 突入当夜
俺の薄っぺらい皮膚にまとわりつく、少し湿っぽい毛布のようなもの。
視界が真っ暗に染まり、身動きが一切とれなくなる。
音が途絶え、世界から締め出される感覚。
ふいに俺は思い出す。
今よりずっと前、記憶のどこか片隅に、全く同じ経験をした覚えがある。
深い深い暗闇。光が失われ、誰もいない、独りぼっちの忘却。
俺は前にもこんな――――、
「着きましたよ。二人とも」
――眩しく、たしかな熱を持った光が俺を突然照らしつける。
反射的に閉じられていた瞳をこじあければ、雲一つない夜の空に輝く二つの月と、成層圏にも届いていそうな大きな炎。
月と炎を灯りとした視下には、白調で整えられた美しい街並みが広がっていた。
中でも街の遠奥に聳え立つ西洋式の城が特別目立っていて、その城すぐ背後に真紅の炎柱が立ち昇っている。
「ここが夜の王が支配する街、ヴィーナスです。それであそこに見えるのが、みんな大好きディアボロの篝火ですね」
「……ここからでも感じる。凄まじい威圧感を」
先の街を睥睨しながら漆黒の外套をはためかせる闇の魔法使い――ドネミネは何がそんなに楽しいのか、ずっと頬を緩めっぱなしなのに対して、その横ではソウルが顔を難しくしているのが実に印象的だ。
そういえばいつも無表情なソウルの喜怒哀楽もだいたいわかるようになってきたな。こいつとの修行で一番成長したのはコミュ力とそういった類の能力かもしれない。
「してドネミネ。ここから先はどうするつもりだ? ヴィーナスは“夜の眷属”と呼ばれる魔物、特に悪魔種の巣窟だ。悪魔種は闇の三王を除けば、魔物の中の最上位種。多くの悪魔種を相手しながら夜の王と闘うのにはあまりにも無謀と思うが」
「そうですね。馬鹿みたいに正面から突っ切るのは私も愚策だと思います。まあ、本当は直接夜の王のところに転移できたら一番だったんですけどね。それはちょっと無理でした」
街の方をずば抜けた視力を生かして観察してみると、たしかに凶悪そうな人型の魔物が壮麗な街中を行ったり来たりしている。警備兵だろうか。それともあれがこの街の住民なのだろうか。
「なので、ずばり、ここはこの私の優秀なる頭脳が考え出した作戦に二人とも乗っかって貰おうと思います!」
「作戦? なんだそれ?」
「話せ」
しかしドネミネが無駄に豊かな胸を張り怪しげなワードを発したところで、俺の注意はそちらの方へ吸い寄せられた。
作戦。しかも闇の魔法使いとかいう頭のおかしい女の考えた作戦。嫌な予感しかしない。
「名付けて、“私たちみんな夜の王の家畜です大作戦”! はい復唱!」
「私たちみんな夜の王の家畜です大作戦?」
「はい。その通り。カガリちゃんよくできました~~~!」
「……詳細を話せ」
俺の馬鹿みたいなオウム返しにドネミネはけらけらと笑う。よく笑う女だ。中身がどす黒く濁ってさえいなければ、かなり俺好みの女なのになんとももったいない。
「夜の王が家畜として人間を保有していることはご存知ですね?」
「いや知らないけど」
「そこで私たちはその家畜のふりをして夜の王のところまで接近しよう、という実に素晴らしい作戦が私の提唱している作戦なのです!」
「私たちに人間の真似をさせるつもりか?」
「二足歩行で手もちょうど二つですし、大丈夫ですよ」
ソウルの質問にドネミネはにこやかに頷く。
なんとなくこの腹黒魔女が考えていることを理解し始めていた俺は、嫌な予感が的中したことに頭を掻いた。
要するにスニーキングだ。アルセーヌ的なスパイミッションをこの女はやろうとしているのだろう。
まず俺が抱いたのは不安。そして不安だった。
「一応聞いておきたいんだが、その家畜とやらの真似事をすれば城まで近づけるってのは、一体どういう仕組みで?」
「夜の王は吸血鬼なので定期的に血を吸うんですが、特に人間の女の血がお気に入りなんです。そこで血を吸う用の人間を家畜として飼っていて、厳しい審査を突破した上質な家畜はヴィーナス城への入城が許されるらしいんですよ」
「人間の女? 待て待て。俺はカガリビトで、しかも男だぞ? ちょっと無理がないか?」
「何言ってるんですか。カガリビトの性別なんてあってないようなものです。大丈夫ですよ」
「いやいやいや……楽観が過ぎるだろお前。おい、ソウルもなんとか言ってやれ」
「……服はどうするつもりだ?」
「え? 案外乗り気なの?」
真っ黒なローブの裏側から、仕舞うスペースがあったのかはなはだ疑問だが、二人分の衣服をドネミネはするりと出してくる。
こいつら、本気か?
まったく成功のビジョンが見えない作戦が当たり前のように実行されそうな空気。俺は戦慄した。
「ここにある服を全部着て貰えれば、とりあえずそのシワシワな肌は隠せます。あとはその外套のフードを深く被るだけ。これで完璧! ソウルちゃんもカガリちゃんも人間の女の子に大変身!」
「なるほど」
「いや全然なるほどじゃないから。城に入るためには厳正な審査とやらが必要なんだろ? それはどうやって突破するつもりなんだよ?」
「そこは二人それぞれなんとか頑張って! ちなみに私はスーパー美少女なので、何もしなくてもその審査とやらは突破できるでしょう」
闇の魔法使いの逸話を聞く限り、この女はどう考えても少女を名乗っていい年齢とは思えなかったが、あえてそこは突っ込まない。
というかなんとか頑張るって。こいつ本当に夜の王を倒す気あるのか?
「してまず一手めとしてだが、どうやって家畜の中に潜り込むつもりだ? そこが最初の難関だが」
「ふっふっふっ! この私がそれを考えていないわけないじゃないですか、ソウルちゃん。目には目を。歯には歯を。悪魔には悪魔を。すでに手は打ってありますよ」
どこかで聞いたことのある言い回しを使いながら、ドネミネは金色の瞳を闇夜に輝かせる。
不安感ばかりが募っていく中、ついに目前にまで迫った巨大な篝火に俺は目を奪われていた。
――――――
肌が全て隠れるよう着替えた後、フードをこれでもかと深く被った俺たち三人は街へと続く道の上を歩いていた。
木枯らしが吹き、月と炎の光が夜を照らしている。
やがて俺たちの前に、道端で不自然に止まっている馬車が現れた。
あれが例の馬車か。
事前に作戦の全てを聞き終えていた俺は特に感慨も抱かず、小ぶりな馬車と、足が六本ある馬にまたがる巻き角を生やした一匹の悪魔に注意を向ける。
「こんばんわぁ~。時間ぴったりやねぇ、ドネミネ」
「こんばんは。調子はどう? スーイサイド」
「まあ、ぼちぼちかなぁ」
先頭を行くドネミネがその巻き角の悪魔に朗らかに話しかける。
この悪魔が俺たちに手を貸してくれる、“影の眷属”の悪魔か。
なんかどこかで聞いたことのある声な気がするが、たぶん気のせいだろう。俺に悪魔の知り合いなんていないからな。
「それじゃあ今日はよろしくお願いします」
「お任せあれぇ。ほな、後ろに乗りや」
悪魔との話もそこそこに、ドネミネは馬車の中へ入って行き、俺とソウルもそれに続く。
そしてちょうど俺たち三人が全員乗り込んだタイミングで、馬車は動き始めた。
「…………」
馬車の中にはすでに何人か先客がいて、その全てが人間の女性だった。中には明らかに幼女という年齢の女の子もいる。残念ながら顔色は曇りに曇っているが。
適当な場所に腰を下ろし、壁に背を持たせかかる。
初めはあからさまに俺たちの格好は怪しく浮いてしまんじゃないかと思っていたが、案外そんなことはなく、他の女性たちも俺たちと似たような姿だった。フードで顔を隠す人も珍しくはない。
「なんか、わくわくしますね」
意味のわからないドネミネの耳打ちを無視して、俺は馬車の揺れに身を任す。
人間の女を家畜として扱う夜の王、か。
なんとも卑猥で、悪役チックな響きだろうか。
そしてヴィーナスと呼ばれる街の通行門に到着するまで、束の間の沈黙は続いた。
【Level:164/Ability:悠久の時/Gift:嘆きの加護,憐みの加護,憂いの加護,狂気の呪い,混沌の呪い/Weapon:不治のポイズンアッシュ,不壊のファゴット,ありふれたローブ,質の良い鞘】




