第3話 嘆きの湖
少女は言う。篝火を辿れと。
そうすれば生者の世界に帰れる。というかやっぱりここは普通の世界じゃなかったんだな。
「えーと、だいたい話はわかったよ。でもなんで俺はこんな場所に?」
「さあ? 知ーらない。カガリビトがどうやって生まれるとか、どんな場所で生まれるとか、そんなの私が知ってるはずないじゃん?」
知ってるはずないじゃん、と言われましても。
それにしても困ったぞ。あの暖かいオフトゥンで眠る安住の日々に戻るには、どうやらけっこう時間がかかりそうだ。
「それじゃあ、篝火を辿れとか言うけど、実際のところ俺はどうすればいいんだ? まさかこの広い洞窟内を闇雲に探せと? そんなの無理だろ。辿るべき篝火への道のりにヒントとかないの」
「ふふっ、無知なカガリビトさん。篝火がどこにあるかなんて一目瞭然だよ。外に出れば、天まで昇る篝火に炎が三つ見える。迷いようがないと思うけどー?」
「え?」
天まで昇る篝火の炎? この少女は一体何を言っているんだ?
俺の記憶がたしかなら、あの篝火は俺の背丈くらいの大きさしかなかったはず。しかも洞窟内だし、どう考えても一目瞭然な場所に置かれているとは思えない。
だけど篝火はたった三つしかないのか。もうすでに一つ目は見つけている。案外この篝火を辿る作業は簡単そうだな。
「でも俺がさっき見つけた篝火はそんなに大きくはなかったぞ? あれが外からも見えるのか?」
「ううん。君の言ってるここで見つけたっていう篝火は、カガリビトが辿るべき三つの篝火じゃないよ」
「は? どういうこと?」
「ふふっ、本当におかしなカガリビトさん。本来なら、カガリビトは辿るべき道が本能的にわかるはずなのに、変なのー」
どうやら人間復活スタンプラリーの一つ目はあの篝火ではないらしい。
まったくややこしいことだ。
クスクスと楽しそうな少女に俺は話の続きを促す。
「ここにあるのは加護の篝火と呼ばれる、ディアボロの篝火とはまた別の物。なんでも加護の篝火には“至上の七振り”っていうすごーい武器が隠されているらしいよ。その武器は闇を打ち払う助けになるとかならないとか」
「すごーい武器? これのことか?」
「そうそう。それそれ」
俺が朱色を帯びた剣を軽く掲げると、少女が頷く。
運が良いのか悪いのか、知らない間に俺はレアアイテムを手に入れていたようだ。
「……なるほどな。感謝するよ。なんとなく現状を理解できた」
「それはよかった。無知なカガリビトさん」
「ああ、それでなんだが、どうすれば外に出られる?」
「外? うーん……あ、いいよ教えて上げる」
だがここで少女は妖しい微笑を浮かべる。
なんだか悪いことを企んでそうな顔だ。
「出口は反対側を真っ直ぐ行くと見つかるよ」
「そうなのか? わかったありがとう。じゃあ、俺はもう行くよ」
「ふふっ、それじゃあ、また近いうちに。愉快なカガリビトさん」
やがて何やら笑いを堪えるような不思議な表情を見せたあと、少女の形を保っていた水は再び湖と同化して消える。
戻る静寂。
聞こえる息遣いは一人分で、それは二酸化炭素が含まれているのか怪しいもの。
「また近いうちに、か。たぶんもう会うことはないと思うけどな」
運悪く反対側の道を選んでしまっていたのか。でもそのおかげで情報が手に入ったし、よしとしよう。
そして蒼白く煌めく祠をもう一度見回すと、俺は踵を返し、来た道を戻るべくまた歩き始めた。
――――――
「ふぅ……やっとここまで戻ってこれたか」
目の前ではバチ、バチ、と燃え立つ篝火。
しかしなぜか炎の色は蒼く変わっていて、勢いも最初見たときよりだいぶ弱くなっていた
そんな青光に顔を照らされながら、俺はこれまで辿った道とは反対側の道を見据える。
辺りには不思議と凶悪ポチの死体が見当たらず、なんとなく目覚めた時と雰囲気が違うような気がしないでもない。
なんとなしに怖い。ポチ二号とか頼むから止めてくれ。
俺が嘆きの湖の側へ行ったのだって、元々はポチが現れた方向とは逆に行こうという思いからだ。
たしかに一度は退けたが、もう一度あれと戦えと言われたら俺は速攻でノーを答えるだろう。
さらにもしあれが群れなんかで出てきたら、間違いなく俺の人生はそこでバッドエンドを迎えるはず。
どう考えてもやはり前進あるのみ。
いつまでもここで暖を取っていても仕方がない。
こんな暗くてジメジメしたところで一生を終えるなんて、現代っ子の俺には考えただけで鳥肌ものだ。
行こう。篝火を辿るんだ。
ポチさえ勘弁してくれるなら、もうなんでもいい。
骨と皮だけの顎をガチガチと震わせながら、やがて俺は前に進みだす。
「げっ! また出やがった」
「キシャ!」
すると淡く赤い光にボウッと灯された通路を進むこと数時間、俺はまた不細工なあいつに出くわす。
無駄に研ぎ澄まされた爪をもつ化け物、ゴブリンだ。まあ、名称がゴブリンで合っているかはわからないが。
「キシャッ!」
「おっと! 危ない!」
そして躊躇いなく振り回されるゴブリンクロー。俺はそれを華麗なるローリングで回避してみせる。
生前、いや今も生きてるけど、とにかく皮付きスケルトンになる前の俺にこんな運動神経があったのかはなはだ疑問だが、とりあえず今の俺はRPGの主人公よろしく見事な動きができている。
こうなってくると少し、楽しくなってくるな。
「ほらよ!」
「キシャッ!?」
段々調子の上がってきた俺は舞うように剣を奮う。致命傷を与えることは狙わずに、ジワジワと切り傷を増やしていく作戦だ。
俺はこう見えて昔から一人でいるときの方がテンションがあがるタイプなんだ。風呂上りにヴァーチャルロックコンサートとかいつもやっていた。
「キシャァァァ!」
「ん?」
だが俺が適当な剣舞を見せていると、突然ゴブリンが苦しそうな顔で絶叫する。
まだかすり傷程度しか与えられていないはずなのに、一体どうしたのだろう。
痺れたように全身を痙攣させ、濁った瞳もどんどん虚ろになっていく。
なにこれ怖い。
「キ…シャ……」
グチ、と鈍い音を立ててゴブリンはとうとう倒れ込んでしまう。
痙攣はピクピクとまだ少し続いているが、再び立ち上がる気配は一切しない。
「死んだのか?」
試しに剣先でツンツンとしてみる。返事がない。ただの屍のようだ。
でもどうやら本当に息絶えてしまったらしい。目立った外傷はまだなく、寸前まで元気そうだったのにいきなり死んでしまった。
なんかの発作かな? どっかの新世界の神に名前をノートに書かれでもしたのだろうか。
まあ、いいか。先を急ごう。
しかしゴブリンの死因にさして興味もないので、平常時に落ちたテンションを引き連れて通路の先に視線を戻す。
赤い光が延々と灯され、景色の変化に乏しいこの通路を一刻も早く抜け出したいからな。
そういえば俺以外にもカガリビトっているのか?
また篝火を辿る旅を再開させた俺だが、ふと疑問に思う。
どうして俺以外の皮付きスケルトンに遭遇しないのだろう。
あの少女の言い方だと、俺以外にもカガリビトなんて呼ばれる可哀想な人がいるようだが、今のところそれらしき存在には出会っていない。
スタート地点はランダムなのか。
もうとっくに先に行ってしまっているのか。それともそもそも絶対数が少ないのか。
理由はわからないが、まあ出会ったところで面白いことは特になさそうなので別にいいか。
とにかくさっさとお家に帰って出前ピザ頼んでネトゲしたい。
食欲、睡眠欲、性欲の弱いこの身体ではあまり生きているという感じがしない。実際に生と死の狭間らしいので当然かもしれないけど。
意味もなくパチン、と硬質な指で音を一度鳴らしてみる。
すると、その時俺は見覚えのある不吉な物体を見つけた。
また白骨死体だった。できればこうはなりたくない。たとえすでに似たようなものだとしても。
真っ暗な眼窪。これでもうこっちの世界に来てから、二つ目の白骨死体になる。
今のところ生者より死者の方が会う回数が多い。不安しか募らない。
「……早く行こう」
最初の白骨死体とは違って剥ぎ取れるものもなさそうなので、俺は足早に先へ進む。
じっくりとあれを眺めていたって精神汚染が進むだけで、得られるものは何一つない。
そして俺はこの娯楽不足著しい世界とのお別れを目指して、ひたすらに篝火を辿る。
二つ目の白骨死体を見てから、またしばらく経つとどこからか悄然とした音が聞こえてくる。
ロールプレイングゲームだったら背景の使い回しでクレームが来そうな通路にやっとオサラバできそうだ。
思わず小走り。俺は若干の興奮と共に硬い地面を蹴る。
道の先からはこれまでとは違う雰囲気が感じられ、赤い灯火も光を弱めていく。
篝火を辿れ、か。そういえばどうして篝火を辿ると元の世界に帰れるんだろうな。どういう仕組みなんだろう。
「……ん?」
ついに広がった視界。
長い長い通路はやはり終わりを告げていて、これまでとは違う色の光が俺を優しく照らしている。
でも、違う。
これは俺の望んだ景色じゃない。
「嘘だろ……? な、なんで……?」
息苦しい回廊の先にあったのは、天井が見えないほど大きな祠。
壁は神秘的な蒼白光を輝かせていて、波一つ立たない湖が静かにその光を反射している。
しかし俺に感動はない。
俺を満たすのは圧倒的な絶望だけ。
「ふふっ? また会ったねー、愉快なカガリビトさん? どう? 驚いた?」
ふいに湖上に姿を見せる少女。
透き通る身体は見覚えがあり、伝播する声は俺にどうしようもない現実を教える。
――嘆きの湖。俺はその呼称の意味を知った。
***
【Level:8/Ability:悠久の時/Gift:嘆きの加護/Weapon:不治のポイズンアッシュ,狂気のローブ】