第25話 終焉の先に咲く花
蒼雷が煌めき、地面を焦がす。
気管支なんてないかもしれないが、俺は全力回避の際に喉に違和感を覚えた。
そして灰色の大地を転がるのは、骨に薄皮一枚巻いただけの俺の身体。
利き手とは反対に握られた黒刃の刀――不壊のファゴットを反射的に振るえば、ナイフのような鋭い形状に固定された雷撃がちょうど雨のように降ってくるところだった。
「ガルァッ!」
金色の毛を纏った巨狼が咆哮する。
空気がビリビリと焼きつけているのは、その怪物――光狼ザウルフの叫びのためか、放電された死の輝きのせいかはわからない。
「さてと、どうすっかね、これ」
ザラついた丘陵には俺なんかより遥かに大きな岩クズが散在している。
金色の狼の視界から逃げるべく、俺は近くの適当な岩陰に潜り込んだ。
「ガルァァァァッッッッ!!!」
耳を劈く絶叫。その瞬間、どう見ても即死級の落雷が俺の隠れていた大岩を砕き去る。
間一髪で、また別の岩陰へと移動することに成功した俺は無傷だったが、一か月単位で洗浄していない髪の後頭部らへんから香ばしい匂いがしていた。
またどこかの岩が粉々に砂塵と化す音が聞こえる。
気体交換の行われていない呼吸を整え、俺は足りない頭をグルグルと回した。
「遠くにいても雷が降ってくる……近寄れば雷の刃が飛んでくる……それでもなお近づけば超速の爪薙ぎが見舞われる……くそっ! なんだよこれ! ムリゲーじゃんか!」
俺の精神が不安定になったときのみ現れる独り言癖まで発症してしまっている。これは想像以上にマズイ。
左手には不壊のファゴット、どんな衝撃にも耐えきるとかなんとかいう凄い黒刀。
右手には不治のポイズンアッシュ、切り傷から毒を与えるという赤帯びの刃をした剣。
見た目ではそう見えないが、最強の盾と矛は揃ってる。
なら行けるだろ。考えるより感じろだ。全ての攻撃をかいくぐって一撃食らわせれば俺の勝利。
イメージを固定した俺は、澄み渡る意識の中飛び出していく。
三秒だ。三秒間だけはお前と同じ時間を生きてやる。
「ガルァッ!!!」
「眩し過ぎ。少し光度下げてくれ」
莫大なエネルギーを携えた蒼い雷が頭上で煌めいた瞬間、俺は大きく横っ飛び。
地面がクレーター並みに抉れた光景を視界の隅に置いた後、俺はファゴットを思い切り地面に叩きつけた。
舞い上がる大小様々な礫石たち。
その刹那襲い掛かってきた電撃の刃が礫石に衝突し、黄土色の霧が目前一杯に広がる。
体勢は限りなく低い前傾姿勢。
全神経をいまだ光輝く美しい獣を仕留めることだけに注ぐ。
「三秒」
「ガルァァァッッッッ!」
何がそんなに煩わしいのか、金色の怪物はチカチカ眩しく喚き散らす。
顔の真横を光矢が通り過ぎていくが、そちらへ意識を割く余裕はない。
左手の指先に力を込め、奥歯を噛み締めた。
「二秒」
「ガルッ!」
すっと指先から抜け落ちる感覚。
俺の左側から打ち出された漆黒の投擲が、凄まじい速度で唯一の目標に接近する。
野性的本能か。しかし金色の毛を靡かせ怪物は爪を奮い、その黒い閃光を打ち落とした。
「一秒」
だが光狼ザウルフと呼ばれる伝説級の魔物に接近していたのは、黒い刃だけではない。
凶爪を尖らせる前脚は伸びきっていて、迎撃体勢に入るには一秒ほどかかってしまう。
だがその一秒はもう、俺と同じ一秒ではないんだ。
「【悠久の時】」
怒りの咆哮よりも先に、無防備に伸びきった前脚に撫でるようにしてかすり傷を与える。
瞬間、俺と怪物を包む時空が歪む。
少量の血は飛び散った宙で張り付くように静止し、耳障りだった稲妻の軋轢音も聞こえない。
そして疲れ切った溜め息だけが目立つモノクロの世界で、俺はゆっくりと剣を仕舞い腰を下ろした。
「ガル……アッ」
「はぁ~、しんどかった」
眩い光が忽然と消失し、瞳から力を失った金色の狼は地面にゆっくりと倒れ込む。
相当な重量だったのだろう。倒れた際に伝わる振動は中々に大きかった。
命懸けの戦いを終え精神が解放されたのか、かなりの倦怠感が全身に圧し掛かる。しかしこれにも慣れたもので、今ここで大の字になって眠り込きたい衝動に耐えきらなければならないことも俺は知っていた。
「どうやら終わったようだな。レベルを見せてみろ」
「あ、あんた……それ、何で……」
その時、若干霞んだ視界の奥に黒い長髪を灰砂に引き摺らせる異形の怪物の姿が見えた。
天災のカガリビト。
人間にはそう呼ばれることの多い、本人自体はソウルと名乗るカガリビトだ。
そいつがここにいるのは問題ない。だがソウルが両手に掴む、明らかに異様な物体がどうも問題に思えた。
「なるほど。ついにレベル100を超えたか。これは重畳。いいペースだな」
「お、おい。それは別にいいとして、何であんたは見たことない魔物の死骸をわざわざ持ってるんだ?」
「ああ、これか」
「そう、それだよ」
大して嗅覚も発達しているわけではないくせに、思わず鼻をつまんでしまう。
ソウルが両手に掴んでいたのは、蝙蝠と鰻を混ぜ合わせたような、意味の分からない、とにかく気味の悪い生き物だった。こいつらに比べたら、皮付きスケルトンが実にオシャレなマスコットキャラクターに思えてくる。
「これはパフュームイビルだ。死後、独特な匂いを放ち、強力な魔物を呼び寄せる」
「は!? なんだそりゃ!?」
「これを殺すとより凶悪な魔物を呼び寄せてしまうことから、パフュームイビルを狙う魔物は少ない。生存競争に思考を張らせた、実に賢い生き物だ」
「まあその賢さのせいで、骨と皮の怪物に乱獲されるはめになってるんだけどな。にしても勘弁してくれよ。まだ戦うってのか?」
「当然だ。まだ目的の半分。だがここからは私も共に戦おう。そろそろ私のレベルも上げたいところだからな」
「疲れた。超疲れた。このままじゃ死ぬ。頼むから一度くらい休ませてくれ」
「心配は要らない。私は貴様を生かすと決めた。私が生きる限り貴様の生は保証される。貴様が死ぬのは、私が死ぬときだけだ」
俺はホラーグロテスクな骸骨の台詞に、もしこれがヒロインポジの美女からの台詞だったらいいなと思いながら、ふて寝のような姿勢をとった。
もうこうやってソウルと一緒に魔物との戦闘を繰り返し始めてから、何度昼と夜が交代したかわからない。
凶悪な魔物がいる場所に行っては殺し合う。能力の使い過ぎで気絶するまで、休憩は完璧にゼロ。そして目が覚めれば、またソウルに連れられ新たな魔物の待つ場所へ。
正直言って精神の磨り減りが尋常ではない。もちろんこんな生活を続けているのは、俺だけではなくソウルも同じなのだが、どうしてかグロッキー状態になっているのは俺だけらしかった。
「なあ、あんたは疲れないのか?」
「馬鹿か。カガリビトは疲労を知らない。貴様のように何度も能力を使用でもしない限り、疲れるわけがないだろう」
「違う、そういう意味じゃなくて。ほら、メンタル的な疲労だよ。ずっと戦闘を繰り返していると、なんかこう、気が滅入ってこないか? あんたは魔物を殺すこと以外に、何かやりたいこととかないの?」
「やりたいこと? そうだな……」
ソウルは白銀の瞳を細めて、しばし思案しているようだ。
それなりの時間一緒にいるとはいえ、まだ俺はほとんどこいつのことを知らない。
まともな会話する機会がなかったというのもあるし、そもそも大してこいつに興味がなかった。
「……花。野の花を摘みたいな」
「へ?」
「なんだその顔は。表情に乏しいカガリビトとは思えない顔をしているぞ貴様」
しかしソウルの俺の予想の斜め上上上を行った返答に口がぽっかり空いてしまう。
花? 今こいつはお花摘みをしたいって言ったのか?
無知のせいか。コミュニケーション不足か。
俺はあまりのギャップに吹き出すことを我慢できない。
「ぶはっ! ぶはははっ! それ本気で言ってるのか!? 花摘み? あの天災のカガリビトが、戦うこと以外の趣味はお花摘みっ!?」
「何がおかしい? 花摘みはいいぞ。気が安らぐ」
「へぇ。あんたにも気が安らぐなんて感情があったんだなぁ」
俺が笑った理由が本気でわからないのか、ソウルは涼しい顔で青空に視線を流していた。
それにしても本当に意外だ。
ただの戦闘狂だと思っていたが、思わぬファンシーな趣味があったなんて。
「しかし、それは後だ。私たちに残された時間は少ない。花摘みは今でなくてもできるからな」
「そういえば前から気になっていたんだけど、その残された時間は少ないっていうのは、どういう意味なんだ?」
「ん? 意味も何も、言葉通りだ。私たちに残された時間はあと僅かということ」
ほんの一瞬優しげだったソウルの瞳に、圧倒的な鋭さが戻る。
いつかもう一度、さっきの瞳を見ることができるのだろうか。
「近いうちに、闇の魔法使いは死ぬ。私たちは闇の魔法使いによって生み出された存在。ゆえに闇の魔法使いの敗北より早くディアボロの篝火に辿り着かなければならない。ただ、それだけのことだ」
***
【Level:101/Ability:悠久の時/Gift:嘆きの加護,憐みの加護,憂いの加護,狂気の呪い/Weapon:不治のポイズンアッシュ,不壊のファゴット】