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第23話 選択と契約

 


 寒い。

 俺は鉛のように重い覚醒の外皮に、やけに肌寒さを感じた。

 まだ目覚めたばかりで視界がやけに霞んでいるが、寝起きにしては思考がはっきりとしている。

 相変わらずミイラ然とした頬に当たるのは、ほんの少し雪のようなものが混じる風。

 ゆっくりと身体を起こし立ち上がると、俺の視界に蒼と白の世界が広がった。

 足下は礫と砂だらけの山肌。

 蒼は空で、白は雲。

 空の海に浮かぶ雲を見下ろしながら、とりあえずどこかの山頂らしきところにいることに気づく。


 ここはどこだ?


 当然の疑問の中で、俺は気を失う前の光景を突如鮮明に思い出す。

 尋常ではない数のカガリビトからの逃走。

 暗い洞穴の奥で待ち構えていたスノウスクアレルと呼ばれる伝説級の魔物。

 そしてその激闘の先に現れた、正真正銘の怪物。


 なぜ俺はまだ生きている?


 軽く捻り飛ばされたアルタイル。

 魔力を使い果たし倒れたミヤ。

 とっておきの一撃を無効化され袈裟に切り捨てられた、俺。

 致命傷になったはずの胸を恐る恐る触ってみるが、手の平には薄っぺらい骨と皮の感触しか得られない。

 いや。それだけじゃない。そうだ。最後に。俺を守るかのように。何かが立ちはだかって――、



「目が覚めたか」 



 ――しかしその時、重く腹の内に響くような声が俺の追憶を遮った。

 圧倒的な気配に全身が一瞬硬直してしまう。

 それでも生唾を飲み込み背後を振り返れば、そこにはできれば二度と見たくない奴の姿があった。


「お前は……!」


 真っ暗な髪が足下まで伸びている、俺よりも頭二つ分ほど背の高い骨と皮の異形種。

 “天災”のカガリビト。

 たしかミヤがそう呼んでいた、俺たちを絶望に追いやった張本人がすぐ目の前にいた。

 反射的に武器を取り出そうとするが、なぜか手は空を切る。

 武器が、ない。

 

「そう逸るな」

「……なんだと?」


 だが警戒を一気に最高潮まで上げた俺に対して、天災のカガリビトは戦闘態勢を一向に見せない。

 さらにスノウスクアレルの洞窟で遭遇した時とは違い、相手を押し潰すような殺意も今は放たれていなかった。 


「今すぐに貴様を殺すつもりはない」

「……どういう意味だ。それにここはどこだ? アルタイルやミヤ、あとエビはどうした? どうして俺はまだ生きている? あの後、一体何が起きた?」


 まず驚いたのは、このカガリビトも俺と同じように知性を感じさせること。

 これがチャンスであると確信した俺は、ここぞとばかりに質問を重ねてみた。

 俺の記憶は目の前のコイツに斬り払われたところで終わっている。どう考えても今の俺を悩ませる疑問の答えを知っているのは、この悪魔のような怪物だけのはず。


「その質問に答えるかどうかは、貴様次第だ」

「何を言って――」


 ――瞬間満ちる、脳髄まで刻み込まれたあの・・殺意。

 最も新しい死の恐怖を呼び起こすその殺意は、前触れなく俺を刺し抜いている。



「もう一度、私を殺してみろ。それができれば、貴様の問いに答えてやる」



 天災わたしを殺せ。

 この世のものとは思えない力を顕現させながら、そいつはムチャクチャなことを言う。

 まったくもって意味が分からない。

 お前を殺せる力があれば、俺は今ここにいないだろうが。


「……お、おい。お前頭がイかれてるのか? お前を殺せって……死んだ後に、どうやってお前は質問に答えるつもりなんだよ?」

「その心配は要らない。貴様が私を殺せたあかつきには、貴様の問いに全て答えてやる」

「いや、だから、それが意味わかんないんだが……」


 知性を感じさせる話し方とは裏腹に、やはりコイツもただの化け物らしい。まるで会話が成り立たなかった。

 だけど一体ここから俺はどんな選択をすべきなのだろう。眼前の怪物が何を考えているのかさっぱりわからないこの状況で、せっかくの伸びた寿命はあっという間に風前の灯火。


「先に言っておくが貴様の選択肢はたった二つ。私を殺すか、ここで死ぬかだ」

「最悪だし理解不能だし、何がいったいどうなってるんだ……なぁ、せめて、武器くらい貰えないのか? というか俺の剣、お前が持ってるんじゃないのかよ?」

「私を殺せたのは武器のおかげなのか? ……いいだろう。受け取れ」


 天災のカガリビトはおもむろに、見慣れた剣を二本俺に向かって放り投げる。

 俺の愛剣ポイズンアッシュと、刀名があるのかもわからない黒い刃の刀だ。

 黒刀の方はどうせ役に立たないので、ポイズンアッシュの方だけをとりあえず拾っておく。


「貴様に許されるのは一撃のみだ。貴様を生かす理由を自らの手で証明してみろ」

「はいはい。わかったよ。殺せばいいんだろ? 殺せば」


 若干投げやりにながらも、俺は神経を集中させる。

 どうやら一撃だけは、回避も防御もしないでくれるらしい。

 正直、雰囲気的なアレで実力に天と地ほどの差があるのはとっくとうに知っているし、悠久の時イーオン・テンプスが効かないことも経験済みなので、あまりやる気が出ない。

 しかしそれでも、俺がコイツに唯一勝てる可能性があるのは不治のポイズンアッシュと悠久の時のデスコンボだけなので、とりあえずもう一度試してみることにする。

 もしかしたら、あの時は疲れていて能力の効果が薄まっていただけかもしれないしな。


「……行くぞ!」

「来い」


 幸いにも今は体力満タン。フルスロットルだ。

 一直線に俺は底知れぬ怪物に突進していく。

 今のところ倒せるヴィジョンはまったく頭に浮かばない。

 だが、それは剣閃が鈍る理由にはならず、俺は渾身の突きを無防備な骨皮に繰り出した。


「【悠久の時イーオン・テンプス】」


 赤帯びの刃は抵抗なく天災のカガリビトの右胸を貫く。

 血が沸騰するような昂ぶりを抑えて、俺は自らの周囲の時空が歪んでいく感覚に意識を向ける。

 スロウ。スロウ。スロウ。

 完全に停止したのではないかと云えるレベルまで、時間を加速させていく。

 やがて手に痺れを感じ始め、痙攣が起きたところで、俺は時の歯車が再び常速に戻ったことを知った。



「【永遠の命ファルサ・ヴィテ】。……なるほど。そういうことか」



 なんとなくの予想通り頭上から聞こえた声が、俺に非常な現実を教える。

 やっぱり駄目、か。

 たしかにポイズンアッシュは傷を与えていて、俺の能力も発動している。

 間違いなく、命を奪い去った感触もあった。

 だけど、この感触は初めてじゃない。

 これは、二度目だ。


「がは……っ!?」


 突然下腹部にとてつもない衝撃。

 馬鹿みたいに身体が吹き飛び、巨岩に背中が叩きつけられる。

 痛みに呻くのは俺の声で、胸に深々と突き刺さったポイズンアッシュを易々と抜き取る天災のカガリビトの姿が見えた。

 また負けた。

 死の運命は、結局変えられなかった。

 俺はもう何度目かもわからない絶望に、力なく頭を垂れる――、



「いいだろう。合格だ。これで貴様は私を二度・・殺したことになるな」

「……は?」



 しかし、ゆっくりと俺に歩み寄ってきたその化け物が口にした言葉は、この日最も理解不能なもの。

 白銀の瞳が薄く吊り上がり、鮮やかな血のこびりついた剣が俺の手元に返される。



「貴様は私が鍛えてやる。今から貴様は私の武器だ」



 尋ねるべき質問がまた増えてしまった事と、やはり目の前のカガリビトは完全に気が狂っている事を知った俺は、またもや暗転する意識を引き留める努力を放棄した。



――――――



「ふんふ、ふんふ~ん♪ ふんふ、ふんふ~ん♪」


 豪壮な柱が幾つも連なる、厳かな雰囲気を残す荒廃した神殿跡。

 かつては立派な装飾で彩られた天井は見る影もなく、燦々と陽の光る青空が吹き抜けに覗いている。

 埃に塗れたタイル状の床を、しかし下手糞な鼻歌を唄いながら跳ね歩く女が一人。

 そのマッシュルームカットの髪は雪のように白く、吟遊詩人に似た服装で歩く彼女には大きな荷物があった。


「ふんふ、ふんふ~ん♪ ふんふ~んふ~♪」


 ズリズリと彼女の両手にそれぞれ引き摺られているのは、二人の人間だ。

 右手に連れられるのは金髪の少女で、左手に掴まれるのは紅い髪を尖らせた青年。

 死んだように眠る二人の人を床に滑らせながら、彼女は実に機嫌ようさそうに鼻歌を唄い続ける。



「久し振りじゃないか、“狂える賢者インサニア・ワイズマン”。だけどその耳障りな鼻歌は何だ? 是非ともやめてくれ。吐き気がする」



 ――鼻歌が途絶え、代わりに廃殿に反響するのは気品溢れる男の声。

 彼女は目当ての人物を見つけることに成功し、満面の笑みを浮かべる。


「なはは、これはよかったです。貴方を探していたんですよ、“剣聖”トリニティ・アナスタシア・ヴィヴァルディさん」

「俺を? お前がか? それはまた珍しいことだな。どうした? この俺の美しい顔を眺めたくなったのか?」


 高貴なる気配を孕んだ男――トリニティはきざったらしい仕草をまるで観客でもいるかのように振る舞う。

 剣聖。そう呼ばれる彼は自ら以外のほとんど全てを見下し、その態度を隠さずいるのが常だった。


「なはっ♪ 凄い面白いことを言いますね♪ でも違いますよ。今回は、ちょっとお願いがあってきたんです」

「お願い? この俺に? いつも思うが、お前は狂っているよ。普通じゃない」

「なはは。そうですかね?」

「ああ、間違いない。だが勘違いするなよ? 別にお前を非難しているわけじゃない。その狂気はお前の美点だとすら思っている。もちろん、その美しさは俺に比べれば馬糞と変わらないが」

「なははっ。それフォローになってないですよ、トリニティさん」


 抜き身の剣に己の顔を映しながら、トリニティは自らの顔に見惚れている。

 湧き上がる哄笑の衝動を堪えるの必死になるのは、彼があまりにも彼女の知る通りの行動をとるせいだ。

   

「それで、お願いというのは何だ? 俺の女になりたいというのならば、悪いがお断りだ」

「なは、そんな馬鹿なこと頼みませんよ。実は私、ちょっとあるものが欲しくて、それを手に入れる手伝いをトリニティさんにお願いしたいんです」

「そうか。さすがにそこまで愚かな事はしないか」

「ええ、そんな馬鹿馬鹿しいことじゃないですよ」


 彼女はまたも笑いを我慢するのに苦しくなるが、何度か深呼吸をした後に本題に入る。

 

「それで、手伝いというのはですね、コレ・・を鍛え上げて欲しいんです」

「……ん? それは何だ? あまりにも醜くてこれまで視界に入っていなかったぞ?」


 トリニティが均整のとれた顔をかしげさせるのも気にせず、彼女は左手を前に差し出した。


「コレはアルタイル・クリングホッファーという男。“戯ける剣士クラウン・フェンサー”と巷では呼ばれてます。コレを鍛えて欲しいんですよ」

「俺が? この醜いナニカをか? 死ぬほど嫌だな」

「そう言わないでくださいよ、トリニティさん。暇でしょ? ちなみに私は、こっちの“小さな魔女リトル・ウィッチ”を鍛え上げる予定です」

「まるで話がわからないな。どうしてこの石ころどもを磨き上げることが、お前の欲しい物を手に入れることに繋がる?」


 薄ら笑みを浮かべる彼女が何を考えているのか、トリニティには一切把握できない。

 彼女が思惑を隠すのはいつものことだが、普段とは若干異なる様子に、少しだけ興味がわく。


「契約したんです。コレらを鍛え上げる代わりに、私の欲しい物を頂く契約を」

「要するに、つべこべ言わず手伝えということか? やはりお前は狂っているな。狂える賢者インサニア・ワイズマン

「なはっ♪ ちゃん見返りは約束します。あと、私たちの仲なんですから、そんな他人行儀な呼び名で呼ばないでくださいよ」


 トリニティは自慢の銀髪の毛先を弄りながら、彼女の黄金の瞳を覗き込む。

 そこに深く渦巻くのは、底知れぬ混沌。

 しかし恐怖も抵抗も感じない彼は、抜き身の剣を仕舞うだけ。



「私にはクロウリーという可愛い名前があるんですから。愛しのクロちゃんとでも呼んでください、トリニティさん」

「仲の良い覚えはないし、美しさもないがな、クロウリー」



 自らより高位の魔法使いを知らない彼女――クロウリー・ハイゼンベルグは、目の前の男が提案に乗るであろうことをずっと前から知っていた。




***

【Level:66/Ability:悠久の時(イーオン・テンプス)/Gift:嘆きの加護,憐みの加護,憂いの加護,狂気の呪い/Weapon:不治のポイズンアッシュ,不壊のファゴット】 


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