第20話 白銀の瞳
雨こそ降ってはいないが、涸れ細った大地は満たされた。
鼠灰の曇り空の下で、静寂だけが空虚する大地に立つのは、一際大きな身躯を持つ者が一人だけ。
――ヘパイストス平原は、仄かに温度の残る血で満たされていた。
地面を埋め尽くす、数え切れない骨と皮の骸。
夥しい血痕と充満する死の匂いをものともせず、その者は淡々と足を進めるのみ。
片手に何の変哲もない、無個性に見える剣を一つ持ち、その者はひたすら目指す場所へ近づいていく。
「……あそこか、憂いの拝殿は」
やがて重々しい足取りが止まる。
手入れのなされた気配のしない真っ黒な髪はつま先まで届き、長身痩躯な肉体はまさに骨と皮だけといった様子で人間とはあまりに言い難い。
そして胸の中心に刻まれた三つの数字。
それは人ではない。
それは魔物でもない。
そう、それはカガリビト。
導かれるように、吸い込まれるように、幾多の同族の屍を背に、その者はヘパイストス平原で異様な存在感を放つ真っ暗な穴へ向かっていく。
――――――
確かな手ごたえに俺は頬を緩める。
身体の中から根こそぎエネルギーがもっていかれる感覚を代償に、ポイズンアッシュの刃が中ほどまでスノウスクアレルとかいう化け物に突き刺さった。
「ギルル……ッ!」
最後にと、怪物モモンガの緋色の瞳と俺の視線が合致する。
その瞳に、どんな感情が渦巻いていたのか、愚鈍な俺にはわからない。
そいつにとっては一瞬の間に、一気に致死量まで毒牙が身体を蝕む。
どんな痛みをその際に感じたのか、俺は知りたくもなかった。
「ギルル――」
――ついに圧倒的な威圧感が消える。
悠久の中刺突されていた剣を抜くと、純白の巨躯がゆっくりと倒れていく。
極寒の雪嵐は忽然と消え、真紅の眼光から力が抜け落ちた。
「……ふぅ、やっぱメチャクチャ疲れるなコレ」
そして俺も生命の最期を遂げたスノウスクアレルの隣にどっかりと腰を下ろす。
久しぶりに使った俺の悠久の時。
相変わらず尋常ではない疲労感だ。何度か使う内に、使った瞬間気を失うというような事はなくなったが、それでもできるだけ使いたくはない。
まさに寿命を削ってる、そんな感覚がするからだ。
「カガリさん! 無事ですか!? というかスノウスクアレルを倒したんですか!? でもどうやって!? 意味不明です! 意味不明ですよカガリさん!!!」
すると珍しくテンションの高いミヤが、顔を上気させてこちらへ駆け寄ってくる。
これほど寒いのに耳まで真っ赤だ。
普段まるで言葉に抑揚をつけない彼女をここまでハイにさせるなんて、やはり今回は相当な相手だったらしい。
俺の傷をつけられさえすれば相手が誰であろうと一撃必殺なデスコンボがなければ、まず勝てない相手だったのだろう。
「さすがだな! カガリ! 俺は信じてたぜ! お前ならやってくれるってな!」
「シュリンプギュル!」
ミヤに少し遅れて、アルタイルとエビも祭壇の上部へやってくる。
今回の戦闘ではこいつらにも助けられたな。
髪の毛に霜だか雪だかが乗っかっている様子を見るに、この二人もかなり体を張ってくれたはず。
「ありがとな、ミヤ、エビ、アルタイル。俺一人じゃこいつには多分勝てなかった。これは皆の勝利だ」
大人な俺はまず感謝の言葉を述べ、皆で力を合わせた結果の勝利であることをアピールする。
さすが俺だ。なんて大人な態度だろうか。
「そんなことはどうでもいいですよ! それでどうやって倒したんですかっ!? まさかスノウスクアレルを倒してしまうなんて! しかも一撃で! 自分が何をやったのか本当にわかっているんですか!?」
「え。どうでもいいの?」
しかしミヤは俺の大人な謝辞を華麗に切って捨て、鼻息荒く詰め寄ってくる。
一体どうしちゃったのこの子。
アルタイルの方を見てみると、無言で親指を立てられた。まるで役に立たない。
「もう我慢できません! カガリさん! 今すぐ服を脱いでください! さあ早く!?」
「え、え、え、ちょっと待て!? なんでそうなる!?」
「いいです! 私が脱がしましょうっ!」
「いや! ちょ止めてっ!?!?」
だがミヤの勢いは非常を超えて異常の域にまで達する。
なんと彼女は目を血走らせて、俺の唯一の肌着をはぎ取ろうとしてくるのだ。
アルタイルに助けを求めると、頬を紅潮させて顔を手で覆っていた。なんだこいつは。まるで意味が分からない。
「さあ! どこだ! どこにあるんですか! カガリさんのレベルは!」
「お、落ち着くんだミヤ! 俺のナニを見ようとしてるんだ!?」
ミヤが俺のありとあらゆる場所をまさぐっていく。ヘンな声が出ないようにするので俺は必死だ。
これが肉食系女子という奴なのだろうか。俺は骨と皮しかない絶食系男子なのに。
「あった! 66! こんな大きな数字見たことありませんよ! ……だけどこのレベルでも、さすがに一撃というのはおかしな気が……」
「アヒィんっ!? や、やめろ、そんなところを見るなっ!」
俺はやっとのことでミヤの魔の手から脱出することに成功する。
最後に彼女が注視していたのは、俺のお尻の辺りだ。正直言って恥ずかしいなんてもんじゃない。
これが若き魔性の女、小さな魔女、なんて恐ろしいんだ。
「ったく何なんだよいきなり」
「……うーん……でもありえるのかな……魔物にはレベルの概念がないし……単純な比較はできない……他にこれほどの高レベルのカガリビトは……」
もちろん今しがたの暴挙の説明があるのだろうとミヤの方を見てみるが、彼女は何やら一人でブツブツと呟くだけで一切俺の方を見ようともしない。
まったく最近の若い娘は何を考えているのか、さっぱりわからないな。
眩暈がするほどの疲労を覚えた俺は、なんとなくスノウスクアレルの死骸に隠れるように燃える篝火の方に近づいて行った。
「ん? これは……」
「どうした、カガリ?」
すると俺は、バチバチと懐かしい音を立てる篝火の中に、何か惹かれる物を感じる。
自然と伸びる、俺の空っぽな片手。
迷わず俺は、燃え盛る火炎の中に手を突っ込んでいた。
「おい、だから何してんだよ、カガリ?」
「いや……これを見てくれ」
「は? なんだそりゃ、というかどっから?」
そして篝火の中から無事引き戻された俺の手には、一振りの剣が収まっている。
しかし、それは普通の剣ではない。いや普通ではないというより、そもそも剣なのかもわからない。
たしかに掴まれた剣の柄。だがそこから先に、本来あるべき物がない。
なんと驚くべきことに、俺が篝火の奥から取り出した剣には、一番大事な刃がなかった。
「それ、剣なのか?」
「さあ? 見た感じ、剣には見えるんだけどな」
手に持った感じだとそこまで重くない。まあ肝心の刃が存在しないので当然といえば当然なのだが。
ふと思い出されるのは、湖の少女が言っていた言葉。
加護の篝火、闇を打ち払う隠された武器、至上の七振り。
考えれば考えるほど、胸の内に納得できるような気分になる。
「とりあえずこれは貰っておこう。さて、それじゃあ一旦休憩してから――――」
――ピタ、としかし唐突に感じるのは、首元にナイフを突き立てられたような感覚。
自らの言葉が途絶えるのも気にならない、あまりに緊迫した気配。
戦闘の疲労のせいか。なぜここまで気づかなかった。
顔を動かさず、視線だけで急変した雰囲気の正体を見つけ出す。
「お、おい、カガリ? どうしたんだ急に?」
「……カガリさん?」
ミヤとアルタイルはまだ気づいていない。
むしろ俺が突然態度を一変させたことに意識を向けている。
だけど、そうじゃない。
今、神経を注ぐべき相手は俺ではないんだ。
「……なあ、二人とも、アレはお前らの知り合いか?」
ゆっくりと二人の瞳が俺の指さす方に向けられる。
テレビの砂嵐が似合いそうな漆黒の長髪。
病的に痩せ細った体躯は、見覚えがありすぎて悲しくなる。
下半身には布切れのような物が巻かれているが、骨に申し訳程度の皮しかない上半身は剥き出し。
そして何より異様な雰囲気を放つ、167、そう胸の中心に刻まれた数字。
本能でわかる。アレは決して同族なんかではないと。
「嘘……でしょ? あれはまさか……“天災”のカガリビト? 世界最古の……一番最初にディアボロに出現したといわれるカガリビト……!」
「マジ……かよ! アレはヤベェ……アレはマジでヤベェぞ!?」
伝説の魔物と呼ばれたスノウスクアレルが可愛く見えてしまうほどの信じられない重圧。
それが殺気なのか、敵意なのか、それともこれすら自然体なのか。
具現化した死。
そうとしか言い表せない存在の――銀色の瞳が俺の視線と交差する。
「レベルは167……あり得ない……三桁のレベル……しかもあのカガリさんと100以上もレベルが離れているなんて……」
妖しく輝く白銀の瞳。
俺はもう一度剣を掲げる。
おそらくあと一撃が限界。
だけどそれでいい。
一撃で、十分だ。
そして俺は、伝説の向こう側で俺を待っていた白銀の瞳に、自らの意志を伝える。
***
【Level:66/Ability:悠久の時/Gift:嘆きの加護,憐みの加護,憂いの加護/Weapon:不治のポイズンアッシュ,不壊のファゴット,無刃のヴァニッシュ,狂気のローブ,ありふれた鞘】




