第11話 出会い
腹の内側まで響いてくる咆哮。
逆立つ赤毛から火の粉が舞い散っていて、近づいたら火傷しそうだ。
大きな眼球はギラついていて、野生動物特有の凶暴さが見に見える。
「名付けて……赤ゴリラ、だな」
そして俺は真正面に立つその化け物な名を適当に決めると、落ち葉で覆われた大地を跳ねた。
「ヴォォォォオッッッ!」
「うるせぇな。声デケェよ」
赤ゴリラが馬鹿みたいに大きな腕を振り回す。
だが速度は不十分で、俺を捉えることは叶わない。
朱染みの刃が特徴のポイズンアッシュという名の剣で軽く空を斬り、準備体操をする余裕さえある。
「ヴォウッ!」
「おっと、危ない危ない」
目の前を極太の拳が通り過ぎていく。
口では危ないなんてつい言ってしまったが、実際には完全に読み切っていたため万が一にもあたることはなかっただろう。
動物園で見たゴリラもこんなに大きかったかな。
色褪せた記憶に思い馳せるほどの心的余地を残しながら、俺は剣閃を一つ見舞う。
「ヴォォォオッ!」
「おー怖い怖い」
太腿に深い切り傷。
赤ゴリラは反撃を食らったことにご立腹なのか、唸り声を上げて暴れ回る。
しかし残念ながら俺にはかすりもしない。
二閃。三閃。
作業のように淡々と傷を増やしていくだけだ。
「ヴゥオ……!」
「少し前の俺だったら、お前には勝てなかったかもな。でも悪いが――」
蹴りを躱し、背後に回ると横に薙ぎ払い。
剣が刺さってしまうと厄介なことになるかもしれないので、なるべく浅い傷を幾つもつけていくことを狙う。
長い旅の闘いの中で、俺は学んできた。
こういった命のやり取りでは、どれだけ慎重になれるかが鍵を担う。
ちょっと前には馬鹿みたいな特攻もよくやってたが、正直あんなことをやってまだ俺が生きていられるのは奇跡だ。
俺はちょうどそういった闘い方がしやすい武器を持ってるしな。
「ヴォ…オ……」
「ん? そろそろか」
そしてついに赤ゴリラの動きが鈍くなり始め、もはや俺に攻撃しようという意思させ見られなくなる。
そんな隙を俺は当然見逃さない。
ここぞとばかり更に剣閃を奮い、万が一の可能性を消していく。
「よし。これで、いっちょ上がりだな」
やがてドシンと大袈裟な音を立てて赤ゴリラは地面に倒れ込む。
瞳は光を失い、荒んだ生気もどこかに消え果てる。
しばらく動かなくなった赤ゴリラを距離をとって眺めていた俺は、確実に死んだであろうことを確認してやっと剣を腰にしまった。
「シュリンプギュルッ! シュリンプギュルッ!」
俺が異臭を放ち始めた赤ゴリラからさらに距離をとると、ちょうどいいタイミングで奇声に似たよくわからない鳴き声が聞こえてくる。
声がした方へ顔を向けてみれば、やはり俺の想像通りの奇妙な生き物がそこにはいた。
「どうだった、エビ。この付近は?」
「シューリンプギュゥルッ!」
そう、それはエビだ。
しかしただのエビではない。
完璧なプロポーションの脚を二本生やした、二足歩行タイプのエビだ。
「なに? それは本当か?」
「シュリンプギュル!」
俺がこのエビと出会ってからそれなりに時間が経っている。
すると不思議なことになんとなく、このほんのりピンクな甲殻纏ったエビとある程度意思疎通ができるようになってきた。
いや、たぶんそれは正確ではない。
どちらかと言えば、俺の頭がこのエビと一緒に過ごしている間に、どんどんおかしくなってきたんだろう。
「この近くに人間の住む村か……一応行ってみるとしよう」
「シュリンプ」
了解。たぶんエビはそれに近いことを言っている。
そんなエビの頭を軽く撫でたあと、俺はエビに先導させてその背中についていく。
「俺もすっかりこっちの世界に馴染んできたなぁ……」
俺がこの世界ディアボロにやってきてから、本当の名前を失いカガリビトなどという骨と皮しかない怪物に生まれ変わってしまってから、どれくらい時間が経ったのだろう。
生者に戻るためには、名前を取り戻すためには、天を穿つアホみたいに大きな炎のところへ行けばいいらしい。
だがその炎の場所が想像以上に遠いのだ。
ずっと見えているのに、まるで近づかない。
炎を目指す旅を始めた当初は本気で気が狂いそうだった。
「でも、それにも慣れた」
昔からの癖である独り言を零しながら、森の中からでもわかる巨大な火の柱を見つめる。
最初は俺みたいに前の世界の記憶を持ったカガリビトがいるのではないかと考えてたが、それも可能性が低いであろうことも今は知っていた。
なんだか知らないが俺以外のカガリビトはやけに好戦的で、生きているモノを見つけると狂ったように襲い掛かる。
正直言って仲間とは思えない。
生きている人間を容赦なく殺していくアイツらは本当にただの怪物だ。
「人間……人間か」
そう、この世界には人間もいる。
もちろん、元々この世界で生まれ育った人間たちだ。
そして実は俺はこの生きている人間にもなるべく接触しようとしている。
それは別に、このスケルトンな見た目でこちらの人間社会に溶け込もうというのが理由ではない。
なんとこちらの世界には“魔法”という不可思議な現象が存在し、人間はその魔法が使えるらしいというのが彼らを俺が探す理由だ。
「シュリンプギュルッ! シュリンプギュルッ!」
「ん? 着いたのか?」
やがて俺が思考に深く潜っていると、エビが叫んでいる声が聞こえる。
どうやら目的地にたどり着いたらしい。
俺の傷ついた片方の目を治す魔法を使える人間がいるかもしれない、村に到着したのだ。
「……あれ? でもこの村、なんか、めちゃくちゃ荒れてね? というか人死にまくってる気がするんだけど……」
「シュリンプギュルッ!」
「は? マジかよ? うっわ……面倒くさ。まあ、仕方ないか。じゃあ、エビはここで待ってろよ。ちょっと行ってくるから」
だが視界に入った村らしき森のひらけた場所は、地面のいたるところに赤汚れた人型の物体が転がっていて、凄惨な様子が甚だしい。
エビの話を聞くところによると、ちょうどカガリビトの群れに襲われていたところのようだ。
運が悪いというか、タイミングが悪いというか。
理由はわからないがこの世界の人間はやたら弱い。
もしかしたらもうすでに全滅してるかもな。
「よっと、どこかに生き残りは……と」
半分諦めた気持ちで人間の村へと足を踏み入れる。
見渡す限り酷い有様で、どうしようもない。
「……ん? あれは?」
しかし、ふと視界の隅でオレンジ色の光が点滅した。
さらに何かが爆発するような音。
これはもしかすると、もしかするかも。
「オレンジの光……爆発音……間違いない、近くに魔法使いがいる! 頼む! 死ぬなよ!」
これまで経験から、感じ取った気配を魔法だと断定し、光が見えた方へ俺は全力ダッシュをする。
すると案の定、俺とよく似た質感の異業種が真っ黒な刀を持って、金髪の少女へにじり寄るところだった。
「ニンゲン……」
「あ、やり過ぎましたかね。これ、私先に死ぬ感じですか」
低く粗いサンドペーパーを擦ったような声と、どこか落ち着いた響きのある声。
おそらくあの背の高いカガリビトと金髪の少女の声だろう。
「シネ」
そしてとうとうカガリビトが刀を振りかぶる。
申し訳ないけど、死ぬのはお前なんだよね。
一瞬で間合いを詰め、剣を抜く。
相手は俺にまるで反応はできず、そもそも接近に気づいてもいなそうだ。
コイツは格下。
危険がないと判断した俺は、迷わず太刀を無防備な首に叩き込む。
「……ってえ?」
イメージ通りに首の切断に成功。
頭は地面をコロコロと転がり、身体の方も若干遅れて重力に負けて崩れ落ちる。
ふう、間一髪だったな。
ギリギリ救出できた少女の顔をみれば、状況を理解できていないのか呆けた顔をしている。
「生きたニンゲンに会うのはずいぶんと久し振りだ。しかも、結構可愛い。今回は当たりだな」
さらにいえばこの子はおそらく魔法使い。今日の俺はツイてる。
前会った生きた人間には俺が害のないことを伝えるのに苦労したことくらいが、残る不安要素だ。
「隻眼のカガリビトが……もう一匹?」
隻眼のカガリビト? 俺のことだろうか。
実は俺有名人だったの?
まあいいや、積もる話はもう少し落ち着いた場所の方がいいだろう。
「君、名前は?」
「え? 私に訊いてるんですか?」
「そうだよ。他に誰がいる?」
綺麗で真ん丸な目が大きく見開かれる。
ずいぶんと驚かれているらしい。これも前、生きた人間に会ったときと同じ反応だ。
この世界ではカガリビトがニンゲンとコミュニケーションをとることなんて基本ないようだからな。それも当然か。
「……私はミヤ。ミヤ・マスィフです」
「そうか。よろしくミヤ。俺には君たちも知っての通り名前がない。だから気軽にカガリさんとでも呼んでくれ」
しかしこの子は前に会った人間とは違い、割と普通に答えを返してくれた。
ありがたいことだ。
なんとなく、彼女の灰色の瞳は、これまで見てきた人間とは違う輝きを秘めているような気がするよ。
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【Level:56/Ability:悠久の時/Gift:嘆きの加護/Weapon:不治のポイズンアッシュ,狂気のローブ,ありふれた鞘】