第06話 不穏
「その話は、本当なんだな? 確認するが、見間違いではないんだな?」
「ああ。森の中で仲間と狩りをしてる時に、赤い子鬼を見たんだ。相手は1匹だったから、こっちの数が多いと見るや、すぐ逃げだして行きやがったが……」
「村の外にある畑でも、魔物を見た者達がいたらしい。森の中から、3匹くらいの子鬼が村の様子を伺うように、こちらを見ていたそうだ」
「儂の代では、村の近くで鬼の魔物なんぞ見なかったのにのぉ……。魔界から魔人達がやって来て、迷宮を作ってるという噂は本当じゃったか」
村長の家に、急遽集められた村の年配者達に知らされた情報は、そこにいる者達に大きな衝撃を与えた。
王国からのお触れの書いた紙を見て、村長が深く溜息を吐く。
魔界を支配していた魔王が亡くなり、次の後継者争いのために魔人同士が、骨肉の争いを繰り返している。
しいてはその中で魔界を追われた者や、魔界での戦争に使うための戦力を補充しに来た魔人が、こちらの世界で迷宮を作って、配下の魔物を増やす可能性がある。
近隣の村々で魔物を見かけた場合は、速やかに国へ報告を出すようにと書かれていた。
「わざわざこんな辺境の村まで、やって来んでもいいのにのぉ……」
「はぁー。全くですな」
「……」
ここ最近、大きな戦争にすら巻き込まれたことのなかった静かな村では、魔物らしき生物の発見報告があってから、大きな動揺が走っていた。
村長からは村の外に出る時は、単独行動は必ず避けるように厳命がなされ、村は緊張感に包まれている。
沈黙を破るように、年配の狩人が口を開いた。
「問題は数だな。子鬼を見た奴らの話が本当なら、その子鬼が数匹くらい、村の皆で協力すればなんとか追い払えるだろう。でもな、これが何十匹や何百匹と大群になって襲ってきたら、うちの村などひとたまりもないぞ。もしくは、更にでかい親玉とかがいたらな」
「考えたくもない話だな……」
「自警団を作るとしても、果たしてうちの村がどれだけもつかだな。俺も後で、仲間と一緒に少しだけ森の様子を見て来よう」
「お前なら大丈夫だと思ってるが、くれぐれも無理をするなよ」
「フンッ、俺をガキ共と一緒にするんじゃねぇよ。分かってるよ」
逞しい顎ひげを撫でると、強面の狩人が腕を組み直す。
「村長よ。国に報せるとしても、実際に村へ救いの手が差し伸べられるまでは、どれくらいかかるんじゃ?」
「分かりません。恐らくこの村だけでなく、他の場所でも似たようなことが起こってるはずですから、すぐにこちらへ来てくれるかはなんとも……」
村長の歯切れの悪い返答に、再び重苦しい空気がその場を支配する。
静寂を破るように、部屋の扉がノックされる。
顔を現したのは、村長の長男だった。
「どうした?」
「父上、ライデの奴がまだ帰って来てません。それどころか、ダナンズさんの娘も昨日から姿を見せてないらしく、もしかしたらあの馬鹿が……」
暗い表情で語る息子の言葉に、村長が手を額に当てると、思わず苦悶の表情を浮かべる。
「分かった……。ダナンの所には、私から言っておく」
「お願いします」
「村長、大変です!」
「今度は何事だ!」
息子と入れ替わるようにして部屋に飛び込んできた男に、思わず村長が声を荒げる。
「村の若い者達が、武器を持って勝手に森の中へ!」
部屋に飛び込んできた男から告げられた報せに、村長達は言葉を失った。
* * *
「魔物に侵入された?」
「はい」
妹に急かされるようにしてゲームへログインした勇樹だったが、黄金の繭から降りた所をクレスティーナに開口一番で報告されたのがそれだった。
ただ、こちらの被害は特になく、やって来た赤子鬼3匹を無事撃退したらしい。
「ふーん……。まだ、チュートリアルだろうから、そんなものか?」
「チュートリアル?」
勇樹の呟きに、クレスティーナが首を傾げて反応する。
「あー、気にしなくて良いよ。それよりも、自分を囮にして魔物の大勢いる部屋に誘い込むとか、思ったより賢い魔物だったんだな」
「私達も驚いたのですが、この子は戦う力がない代わりに、他の魔物より知恵が回るようです」
「クルピポ?」
勇樹達の視線に晒された幼女悪魔が、不思議そうな顔で見上げて首を傾げる。
クレスティーナが通訳をすると、手を腰に当てて自慢げに胸を反らした。
「キュルポ!」
「へぇー。じゃあさ、次からも同じようなことを指示できるか?」
「分かりました。エモンナとも話をしてたのですが、魔物と戦う時は複数で対応するように指示させます」
「よろしく。問題はこっちだな……」
部屋の隅で寝転がる2人の子供に、勇樹が視線を移す。
もともと今回の侵入は、この子供達がどこからか魔物を連れて来たことから始まったらしい。
子鬼達から逃げて心労が溜まっていたのか、昨日の深夜に気を失ってからずっと眠り続けているため、まだ事情聴取もろくにできてない。
鞭を構えた悪魔メイドのエモンナに「起こしましょうか?」と尋ねられたが、「いや、目が覚めるまでそっとしてあげて……」と勇樹は顔を引きつらせて言うしかなかった。
「オニ様、もう1つ相談が……」
「何?」
数匹の悪魔幼女達に背中を押されるようにして、クレスティーナが申し訳そうな顔で口を開く。
「農園を作りたい?」
「はい」
「キュルポ!」
クレスティーナが取り出した物を勇樹が受け取る。
ミニトマトくらいの大きさの赤い実を、黄金の繭から照らされる光に当てた。
よく見ると紫の斑点が付いている。
「昨晩、この子達が勝手に魔樹農園を作り始めまして、折角だからとエモンナが持ち込んでいたゴリンの種を植えましたら、朝それができてました。どうやら、埋めた赤子鬼を肥料にしてできたようですが、栄養が足りてないらしく本来の物よりかなり小さな物ができました。私とエモンナで試食をしましたが、味も不味く、魔力もほとんどありません」
「ふーん」
相槌を打ってた勇樹が、ふとした視線に気づいて下を見ると、勇樹の周りに集まった悪魔幼女達がゴリンの実を見上げていた。
小さなゴリンの実を、右へ動かすと悪魔幼女達の視線も右へ動き、左へ動かすと皆の視線も左へ動く。
目の前にいる1匹の悪魔幼女の口元に小さなゴリンの実を持って行くと、パクッと素早くそれを食べてしまった。
周りの悪魔幼女達から、思わず「キュプ~」と悲しそうな声が聞こえる。
「ゴリンの実が食べれるなら、もっと仕事を頑張るとこの子達が言ってまして……」
「確かに、仕事が捗りそうだな。ちょっと沙理奈と相談させてくれ」
「はい」
クレスティーナ達から離れると、勇樹が沙理奈のもとへ向かう。
勉強を朝のうちに無事終わらして、午後からゲームに参加できた妹は、お腹を出して寝転がる犬人のお腹の体毛に顔を埋めていた。
「沙理奈、ちと相談」
兄の声に気づいたのか横に転がり、沙理奈が顔をこちらへ向けると、カッと目を見開く。
「お兄様。わたくし、この世界に永住しますわ!」
「誰がお兄様だ。ここはゲームの世界なんだから、永住できるわけないだろ。アホなキャラ作ってないで、現実に戻って来い」
至福の時を過ごしていた妹を正気に戻してやると、さっきのクレスティーナ達のやりとりを説明する。
「それで、どうする? メインストーリーには直接絡まないけど、条件をクリアすると魔物の能力が上がるとかだったら、やっといた方がいいよな? 後、上手くやれば、NPCの好感度も上がりそうな雰囲気だし」
「どっちでもいいよ~」
「じゃあ、攻略できそうなサブクエストも、俺が適当に選んでやっとくからな?」
「どうぞー。モフモフ! 獣臭いモフモフ!」
モフモフ充電に忙しい妹は、あまり他のことに興味がないらしい。
身体を反転させると、犬人の体毛に再び顔を埋めた。
いつもの状態になった沙理奈を呆れたように見つめると、クレスティーナ達に魔樹農園の生産を許可する。
昨晩の赤子鬼討伐で2階層も解放されたらしく、2階層で魔樹農園にしてよい部屋を視察してから、再び異界門がある部屋へ移動した。
「魔樹農園はいいんだ。問題は、あの子供達なんだよな……」
「モフモフ! モフモフ!」
「このゲームが魔物側の話だっていうのを、すっかり忘れてたよ。そりゃあ、人界とやらにいたら人とも遭遇するわな」
「モフモフ! モフモフ!」
「今回は、人とは敵対しない形で進めたいなー」
一応相談していたつもりだったのか、隣りにいる妹にチラリと視線を移す。
「見よ、兄上。これが夢のモフモフ布団だ!」
「……」
数匹の犬人達を地面に寝かせて、その上に寝転がる沙理奈が、満面の笑みで宣言する。
「分かった。とりあえず、外で魔物もうろついてるみたいだから、今日は外の様子を見に行ってくるけど、沙理奈はどうする?」
「お留守番してるでござる!」
「はいはい」
赤子鬼のことも気になるので、外の偵察に行きたいと言う話をクレスティーナ達にすると、迷宮内の魔物達を集めて出かける準備を始める。
「エモンナは、沙理奈と留守番を宜しく。後、子供の面倒も」
「承知しました。皆様、ご武運を……」
留守を任された悪魔メイドが、深々と頭を下げた。
* * *
「リコ……リコ……」
「ライ君?」
ライデが小さな声で、囁くように呼びかける。
リコナが顔を上げると、ライデが周りを警戒するように見渡していた。
「今なら誰もいない。リコ、動くぞ」
「でも……」
「このままここにいたら、俺達はアイツらに食べられちゃうかもしれないんだぞ? なぜかアイツらはいなくなってるから、逃げるなら今しかない。逃げよう!」
少女が考えるようにうつむき、顔をあげて少年を見ると無言で頷く。
部屋の中心には大きな黄金の繭があり、それをしばし呆けたように2人が見つめた後、思い出したように慌てて部屋の外へ出る。
通路の壁には足元が分かる程度の光が灯されており、転ぶ危険はなさそうだ。
2人は出口を目指して、複数の通路と部屋で構成された、蟻の巣のような迷宮内をうろつく。
とある部屋へ辿り着いた時に、見慣れぬ人影を見つけた。
頭の左右で黒髪を束ねた少女が、土壁にくっついた大きな白い繭に似た塊を覗き込んだり、触ったりしている。
「ライ君……」
「待って、様子を見よう」
しばらくすると白い繭に亀裂が入り、割れた底から魔物が落ちて来た。
「おー。犬のモフモフ!」
お目当ての景品が当たったように喜ぶと、卵から落ちて来た犬人の体毛を、沙理奈が嬉しそうに撫でる。
むくりと犬人が身体を起こし、沙理奈の手をペロペロと舐めた。
しかし、何かに気づいたように鼻をひくひくと動かすと、耳を立ててライデ達の方へ顔を向ける。
「スンスン、スンスン、ウーッ!」
「ヒッ……」
「ん? どうしたのじゃ?」
犬人が何かに気づいて、2人の方へ顔を向けて威嚇している。
「リコ、逃げるぞ」
怯えるリコナにライデが耳元で囁くと、後ろへ下がろうと2人が振り返る。
「グギャア?」
「キャアアア!」
いつから後ろにいたのか、数匹の子鬼が一緒になって部屋の中を覗いており、2人と目が合うと首を傾げた。
リコナの口から思わず大きな悲鳴が漏れると、それに気づいた犬人が吠え始めた。
「ウォン! ウォン!」
「んー? ……おー。こらこら、お客さんを威嚇しちゃ駄目だぞ」
沙理奈が歩いて来ると、2人の顔に気づいて頷いた。
興奮して吠えまくる犬人の尻尾を両手で掴んで、沙理奈が犬人をなだめている。
「この子達は、私の知り合いなのじゃー。ほらほら、匂いを嗅いで覚えるのじゃー」
沙理奈がリコナの身体をベタベタと触る。
安全な相手と分かったのか、犬人が警戒しながらリコナに近づく。
まだ産まれたばかりの犬人が、恐怖で直立不動になった涙目の少女の匂いを嗅ぎ始めた。
「何をされてるのですか?」
「ッ!?」
背後から突然に声を掛けられて、2人が再度固まる。
「2人を見つけたから、コボルトに挨拶をさせていたのじゃー」
「なるほど……」
ライデが振り返ると、音も立てずに忍び寄ったエモンナが、ライデを見下ろしていた。
悪魔メイドが、ゆっくりとライデに顔を近づける。
「貴方達。寝たふりをして、逃げ出そうとしてましたね?」
「ッ!」
ライデの耳元に顔を寄せたエモンナが、囁くように尋ねる。
どうやら悪魔メイドには、ライデの脱走計画は見透かされていたようだ。
「今回は見逃してあげましょう。しかし、次はありません。くだらぬことをしてオニ様達の手を煩わせることがあれば、昨日の子鬼達のように土へ埋めます。宜しいですね?」
「は、はひぃ!」
静かだが異を唱えることが不可能な威圧に、ライデは完全に恐縮してしまう。
犬人が増えてご機嫌になった沙理奈と一緒に行動を共にすると、魔物達の餌となる一角兎を捕獲する仕事を、2人は手伝わされることとなった。