第51話 国境砦攻防戦 その1
「ここに、穴を開けて下さい」
「あいよ」
生い茂った木を観察しながら、周辺をグルリと一回りしたセリィーナが、木の幹を指差す。
それを後ろで見ていたダスカが杭を握り締め、幹へとハンマーで打ち込み始めた。
太い杭を適度な深さまで挿入し、杭を一度抜き取る。
「これで良いか?」
「ええ。いいですね」
穴を覗き込んだセリィーナが満足気な表情で頷くと、手に持っていた種をその穴に放り込む。
コロコロと奥へと転がるその種は、『樹海の種』と呼ばれるセリィーナの故郷で栽培された特殊な種だ。
「これで最後です。これだけ埋めれば、何とかなるでしょう」
「後は、アイツらがちゃんと約束を守ってくれるかだな」
森の中での作業を終え、セリィーナが一休みするように腰を下ろす。
ダスカも汗を大きな手で拭いながら、適当な場所へと腰かけた。
「そればかりは、イネデール公を信じるしかありませんね。魔族の良心と言うよりは、人界に与する彼の奇妙な方針に、ですが……」
いつも持ち歩いてる日記を背負い袋から取り出すと、パラパラとページをめくる。
今日の予定を書いたページを開くと、セリィーナがペンを走らせた。
「イネデール公が心変わりしない限りは、砦にいる人達を助ける努力はしてくれるでしょう。イネデール公の真の目的はさっぱり分かりませんが、その目的に人界との良好な関係を作ることが含まれているのなら、砦に囚われている者を無視しないはずです。昨日のやり取りを思い出す限りでは、砦の内部構造だけでなく、人質の囚われている場所も聞いてましたし……。具体的な人数まで把握しようとしてる時点で、私は高い確率で人質を救出する意思はあると思ってますよ」
「随分と信用してるんだな……」
アゴをボリボリと手でかきながら、ダスカが何とも言えない表情を作る。
「ハジマの村と友好的にしてる前例がありますからね。それに砦を攻略するだけで手一杯なはずなのに、人質を救出することまで考える余裕なんて、普通はないですよ。それをわざわざ検討してる時点で、人質を救出する意思があると判断しただけです」
「ふーん……」
「ただ、どうしても未だに分からないのが。なぜ、イネデール公がハジマの村を、あれ程に重要視してるかなんですよね……。言っては悪いですが、大して戦力にならないハジマの村と友好関係を保つ為だけに、あれだけの手間暇をかけてる理由が、どうしても私には理解できないんですよねー。ダスカも、そう思いませんか?」
「セリィの分からないことが、あたいに分かるわけねぇだろうが」
ペンの上部を頬にあてながら、考え込む仕草をするセリィーナに問われるが、ダスカは口を尖らせて答える。
特に返答を期待してなかったのか、セリィーナは気にすることなく独り言を呟きながら、日記にペンを走らせた。
「人界での戦争をする為の地盤を作る目的なら、城あるいは大きな街の一つでも支配下に置いてないと、割に合わないと思うんですよね……。あの村に、それがあるかと言われると……」
「ユリィラは、オランゲの実が一杯あるって喜んでたけどな」
「オランゲの実では、魔界の三国を相手する程の価値はないと思いますよ。それこそ、兵力の差を埋める兵器でもないと……」
「セリィ?」
「そうなんです……。大した施設も無いあの場所を占領しても、割りに合わないはずです……。でも……。もし、割に合うものが施設では無く、あの土地にあるとすれば?」
動かしていた手を止めたセリィーナが、虚空へと視線を向けてブツブツと呟く。
不思議そうな顔で様子を伺っていたダスカへ、セリィーナが思い詰めたような表情で顔を動かす。
「ダスカ……。私はやっぱり、迷宮にあったアレがどうしても気になります」
「アレ?」
「転移門のある部屋にあった、アレですよ。金色の……。ダスカが何かの卵みたいで、気持ち悪いと言ってた転移門ですよ」
「ああ、アレか……」
今回の作戦の為に、迷宮にある転移門を使う事を特別に許可された際に、二人は奇妙な光景を目の当たりにした。
その時を思い出したのか、ダスカの顔が気味の悪い物を見たような、苦々しげな表情に変わる。
「エモンナさんは、イネデール公が使う特別な転移門だと言ってました……。王族が扱う転移門と考えれば、そうなのかと納得はしかけましたが、私の知識には無い物なので、何とも言えないモヤモヤした感じが」
「準備は、終わったのですか?」
茂みをかきわける音に反応して、会話を中断した二人が背後へ振り返る。
「ああ。こっちは終わったよ」
大きな翼を持つ、メイド服を着た女性の接近に気づいたダスカが、不快な表情を隠さず答えた。
「そうですか。では、予定通りにお願いします。『樹海の賢者』と南山族のご活躍を、オニ様も期待してますよ」
楽しそうな表情で微笑むエモンナに、ダスカが鋭い眼差しで睨む。
「おめぇらも、ちゃんと仕事をしろよ。もし、あたいらを裏切って襲ってきやがったら、全員残らず潰してやるからな」
「それは、こちらの台詞です。貴方達が期待外れな事をすれば、砦に囚われている人達が死ぬだけですよ。死体だけを回収すればよいのですから、私としては無駄な手間が減る分、そちらの方が効率が良いと思ってますけど」
「てめぇ」
口元を歪めて冷笑するエモンナに、拳を握りしめたダスカが前に出ようとする。
しかし、それを阻むようにセリィーナが横へ腕を上げた。
「今回に限っては、倒すべき敵は互いに共通のはず。大事な戦を前に不要な煽りは、やめて頂けますか。それともその煽りも、イネデール公の命令ですか?」
「……」
微笑みを投げかけるセリィーナに対して、エモンナは表情を硬くして沈黙で返す。
しばらくして、エモンナの方が先に口を開いた。
「大鬼子には、貴方達を護衛するようオニ様が指示を出しています。すきに使って下さい。その代わり彼らと敵対した場合、命の保証はありません」
「分かりました」
「貴重な兵力を、貸し出すのです。有意義に使って下さい。それでは、ご武運を」
「ええ。ダスカ、行きましょう」
「フンッ」
不機嫌そうに大股で歩くダスカの後を追うように、セリィーナは森の前に展開された集団へと足を向けた。
* * *
「おそらく、全滅だろう……。問題は、どこの誰が、それをしたかだ」
両手を後ろに組みながら、ラドルスが円を描くように室内を歩く。
彼がいる書斎の真ん中には、紫色の魔石が嵌められた奇妙な形の台座が置かれている。
それを中心にして、悪魔貴族の青年が落ち着きなく、グルグルと回るように歩き続けていた。
「一晩だよ。子鬼とはいえ300という数が、そんな簡単に消えると思うかい?」
不意に足を止めると、壁に背を向けて並ぶローブを着た吸血鬼の一人を指差す。
「例えば君が、300の子鬼を一匹も逃がすことなく、一晩で消せと命令されたら、可能かね?」
「いえ、流石に一晩では……。せめて数を揃えて、相手を包囲してから、殲滅するやり方でないと」
「そうだ。数だよ」
相手の返答を遮る形で、ラドルスが広げた手を差し出す。
「そして、よく統率された集団。今回迷宮に行かせたのは子鬼だけでなく、私の部下である吸血鬼が数人と、大鬼子が一人。これだけの部隊を、策も練らずに一晩で殲滅することは、容易ではない」
レース付きの派手なコートを着た青年が、おもむろに後ろへ振り返る。
すると、壁に背を預けて不機嫌そうな表情で腕を組む、大鬼子の女性と目が合った。
「デゼムン。相手は、誰だと思うかね?」
「知らねぇよ、そんなこと。あたいに、分かるわけねぇだろう」
「ああ、これは申し訳ない。学の無い鬼族に、尋ねるだけ無駄だったね」
「あん?」
もともと機嫌が悪いのに、ラドルスの発言で気分を害した大鬼子の眉間に、更に深い皺が刻まれる。
左手を額に当て身体を仰け反らすポーズをしたラドルスが、壁に並ぶ吸血鬼の一人を右手で指差す。
「では、君はどう思う?」
「予想がつく範囲では、ルドロフ様がイージナの町を落とした際に、そこから逃げ出した残党の騎士達ではないかと……」
「うむ……。良い推理だね。及第点だ」
「騎士なら、さっさと潰しに行けよ。敵が誰か分かってるのに、いつまでこんな所でダベってるんだ?」
「デゼムン。君は相手が、本当に騎士だと思ってるのかい?」
「はあ? さっき、そいつがそう言ったじゃねぇか?」
「チッチッチッ。僕は、及第点だと言ったんだよ」
一本だけ立てた人差し指を横に振りながら、ラドルスが自身の頭を左右に振る。
「きゅうだいてん? 何だよそれは」
「よく考えてみたまえ。追手から逃げるのに必死な連中が、子鬼とはいえ300にもなる魔物を、一匹も逃さず殲滅できると思うかい? 僕は思わないね。それこそ巧妙な作戦を練るか、強力な魔法で一網打尽にしない限りは、無理という話だよ。つまりは、最初からこの砦を狙っている連中が、いるということさ」
「……誰だよ。そいつは?」
「さて、誰だろうね。少なくとも、僕は森の中に入るのはごめんだね。もし、あそこに僕の知る連中が潜んでるとしたら……」
通路の外から、バタバタと騒々しい足音が聞こえる。
蹴破らんばかりの勢いで扉が開くと、吸血鬼の青年が息を切らして部屋に駆けこんだ。
「ラドルス様! 大変です!」
「どうしたのかね?」
「鬼族が……」
「鬼族? アイツら、帰って来たのか?」
「いえ……。見た事の無い、鬼族の軍団が…」
「……は?」
予想外の報せに目を丸くした面々だったが、異変を発見した砦の西門へと慌てたようにして皆が向かう。
塁壁の上では、赤肌の中鬼達が集まって一点を見つめていた。
彼らは、もともと魔界から連れて来られた鬼族ではなく、勇敢にも魔族達と戦って死んだ騎士達を迷宮に放り込んで、新たに生み出された魔物達である。
「なんだ、ありゃ?」
中鬼達を押しのけるようにして、国境砦に備え付けられていた望遠鏡を、大鬼子のデゼムンが覗き込む。
対してラドルスは目を大きく見開き、遠視ができる状態で森の前に展開された集団を凝視する。
「あれは……。あたいの仲間じゃないね」
「だろうね……。肌の色が違う。どちらかと言えば、南山族に近い……。デゼムン、森の方を見てみろ」
「あん?」
表情の硬くなったラドルスに言われて、デゼムンが何かを探すように望遠鏡を動かす。
森の中から、熊のように大きな身体と浅黒い肌が目立つ、大柄の男女7人が現れた。
南山族の格好をした者達が横に並び、横長に展開された中鬼達の後方で歩みを止める。
「おい、ラドルス。あの後ろにいる奴、魔族じゃねぇぞ」
「……」
最後に森から現れたのは、ローブを着た青髪の女性。
握り締めた杖を地に立てると、胸元にある首飾りに手の平を当てて、俯くような姿勢で目を瞑る。
詠唱を始めたのか、胸元にある紫魔石の首飾りが輝き出すと、後方にある森に変化が現れた。
望遠鏡を目元から外した大鬼子のデゼムンが、口をあんぐりと開けて、その異様な光景を見つめる。
「ラドルス……。森が、動いてるぞ……」
「やはり貴様の仕業か……。『樹海の賢者』、ユンドレフよ……」




