第49話 国境砦前哨戦
鬱蒼と生い茂る森の中を、紅い川かと思うような長い行列が移動している。
おおよそ300匹にもなる赤肌の子鬼達が、食料を求めて国境砦から隣村にある迷宮まで、わざわざ足を運んでいた。
部隊を指揮するのは、ラドルスの部下である吸血鬼と大鬼子の女性。
本来なら、国境砦の近くに転移門を移す手はずであったが、セナソの村で発生した転移門の不調によりその作業も延期されていた。
森の奥へと消えて行った鬼族達を吸血鬼の一人が見送ると、村に待機している食料を運ぶ為の荷馬車へと向かう。
「鬼共は、迷宮に行ったぞ」
「ああ、ご苦労」
廃村となった集落の広場では、空き家から持ち出した机が並べられ、背中からコウモリの翼を生やした吸血鬼の青年達が、暇つぶしに『人魔将棋』と呼ばれるボードゲームを興じていた。
「それにしても、転移門はいつになったら移してもらえるんだ? 食料が無くなる度に、こうも遠出を毎回するのは不便極まりない」
「ラドルス様の命とは言え、全く面倒なものだな」
子鬼達が食事を終えて、予備の食糧を迷宮から運び出すまでは、しばらく時間がかかる。
盤面に置かれた駒を動かしながら、いつものように暇な時間を過ごす吸血鬼達が愚痴をぼやく。
「国境砦とやらも、案外大した事なかったしな。わざわざ山羊人も連れて来たというのに、敵も攻めて来ない場所で毎日待機だけだと、暇で仕方が無い」
「ルドロフ様から指示があれば、この国の城まで攻める作戦に我々も参加できるらしいが、この分ではそれもなさそうだな」
「このまま何も無く、魔界の勝利というのも詰まらんな」
「昔とは違うんだ。ゼルヴィス様の知略にかかれば、こんなものさ。父親の言いなりで動いて、全部が自分の手柄だと勘違いしてる、どこぞの息子と違ってな」
「おいおい。ラドルス様の悪口は、そのくらいにしておけよ」
「おっと。ラドルス様の名前は一言も言ってないのに、何で分かったんだ?」
吸血鬼の青年達が、上司への愚痴を肴にしたネタでゲラゲラと笑う。
「さてと、俺の勝ちだな。それじゃあ、今回は俺がやるぞ」
「チッ、負けちまったか」
ボードゲームに勝利した吸血鬼の一人が立ち上げると、ニヤニヤと笑みを浮かべながら荷馬車へと近づく。
ローブの裾を捲ると、腰に提げていた鞭を取り外す。
「おい、降りろ」
しなった鞭の先が地面を打ち、その音に反応して荷馬車がギシリと揺れる。
荷馬車から顔を出したのは、一人の男性。
頬はこけており、疲労によるものか目の下には黒いクマができていた。
「さっさと、降りろ!」
「ヒッ!」
激しく鞭を振るう吸血鬼に男が小さな悲鳴を漏らし、恐怖に怯えながらも荷馬車を降りて来た。
荒縄を持った別の吸血鬼が、村を囲う柵の一つへと男を縛りつけ、逃げれないように拘束する。
男が来ている衣服の背中はボロボロであり、破れた衣服の間から酷く腫れた黒いアザがいくつもあった。
「これより。我等、高貴な者に逆らう愚かな下等生物に、裁きを与える!」
鞭を持った吸血鬼の青年が高らかに宣言すると、周りの者達が「わーわー」と叫んだり、拍手をしたりしてはやし立てる。
それに気を良くした吸血鬼が、鞭を振り上げた。
「家畜如きが。主人に逆らうとは、愚かなり!」
「ぎゃっ!?」
空中でしなった鞭が背中へと命中し、苦痛に顔を歪めた男が悲鳴を上げる。
日頃のストレスによる鬱憤を晴らすかのように、ボードゲームに飽きた吸血鬼による、非道な遊戯が催される。
主催者が気が済むまで鞭は何度も振られ、痛々しい音が周囲に響くが、それを見ている吸血鬼達はケラケラと楽しそうに笑う。
息を荒くした吸血鬼が、満足そうな表情で息を吐く。
「ふぅー……。しかし、男の悲鳴を聞くばかりというのも飽きてきたな。最近は、コイツらも元気が無くなって、反応もつまらないしな」
鞭を振るう手を止めると、吸血鬼が何かを思案するように腕を組んだ。
「そろそろ、女も使うか?」
「それもいいな。次からは、女も連れて来るか?」
「お、おい……。俺達が大人しく従えば、女や子供には手を出さない約束だろうが」
痛みに苦しみながら、男が吸血鬼の青年を睨む。
「確かに、そんな約束はしていたな。でも、お前が死ねば。次の玩具が必要だろ?」
「な!?」
「女や子供の為に、せいぜい頑張って生きるんだな」
「ぐぎぃ!?」
吸血鬼がニタァと残酷な笑みを浮かべると、再び容赦なく男に何度も鞭を振るう。
悲鳴を上げる力も無くなったのか、男は息も絶え絶えな様子で、ぐったりと柵にもたれ掛かる。
「我等の物である人界を、大人しく渡せば良かったものを。主人に逆らう愚かな家畜は、死んで詫びろ!」
もはや虫の息となっているが、吸血鬼が男へ止めを刺すように、鞭を持った腕を勢いよく振り下ろす。
「……ん? あれ?」
動かそうとした腕が途中で止まり、吸血鬼が視線を上げる。
すると、何かに引っ掛かったように、鞭が後ろへ伸びていた。
「楽しそうね。私も、混ぜてくれない?」
「だ、誰だお前は!?」
いつ接近したのか分からないが、背後に少女がいたことに驚いた吸血鬼が、距離を取るように後ずさる。
しかし、傭兵の格好をした少女の手には鞭の先が握られており、吸血鬼がそれを引っ張ろうとするがビクとも動かない。
それどころか、少女が握った鞭を引き寄せると、吸血鬼の身体が前へと引き摺られた。
まるで巨漢の大男と綱引きをしてるかのように、グイッと力強く引き寄せられて、吸血鬼が前に転びそうになる。
「あぐぅ!?」
素早く伸びた手が吸血鬼の首を掴み、少女の容姿に似合わぬ異常なまでの膂力で、そのまま軽々と持ち上げた。
地面と足が付かぬ状態で身体が持ち上げられ、苦しそうにもがきながら、吸血鬼が空中で足をバタバタと動かす。
苦痛に歪む吸血鬼の顔が、助けを求めるように周りを見渡した。
「残念だったわね。ここにいる貴方のお仲間は、皆お眠り中よ」
先程まで騒いでいた吸血鬼達は、どこからともなく現れた傭兵の格好をした少女達に、いつの間にか取り押さえられていた。
少女達に首を絞められ、皆が白目を剥いて気絶している。
「あなた、拷問が好きなの? 私達、趣味が合いそうね」
「グゥ……」
ニコニコと可愛らしい笑みを浮かべる少女の指が、吸血鬼の首にミシミシと食い込む。
「でもね……。貴方、一つだけ間違っているわ」
少女がゆっくりと腕を下ろすと、吸血鬼の頭を自身の近くに寄せる。
苦悶の表情を浮かべる吸血鬼の耳元に、少女が顔を寄せると囁くように告げた。
「人界も魔界も、貴方のものじゃない……。この世界は全て、お父様のものよ。だから、次は貴方達が拷問される番よ。家畜さん」
少女がクスクスと冷血に笑うと、吸血鬼の目が大きく見開いた。
「カヒュッ……」
ついに耐えきれなくなったのか吸血鬼が白目を剥くと、口から泡を吹いて気絶した。
意識を無くした吸血鬼の身体を地面に転がすと、少女が柵に繋がれた男の元へ歩み寄る。
痛みに苦しむ男の縄を外すと、大人一人を軽々と片腕で持ち上げた。
「お前達は……誰だ?」
「悪いけど。今は、お仕事中なの。死にたくなければ、大人しくしてなさい」
「待ってくれ……。砦には、妻と……娘が……」
「パイア。そいつは、どうするんだ?」
意識が朦朧とした瀕死の男を担ぐ少女の前に、2mにもなる巨漢の人影が現れた。
南山族の好む半裸と腰巻の格好で、角の生えた大兜を被った大男を、吸血鬼亜種のパイアが見上げる。
「とりあえず、村に連れて行くわ。こっちは、私達が警戒しとくから。アンタ達は予定通り、迷宮へ行きなさい」
「おう」
大鬼子のダンザが腰に提げた騎士の剣を抜くと、刀身を日光に当てる。
予め示し合わせた合図に反応したのか、森の奥にある茂みから沢山の人影が顔を出す。
「ダンザ。一匹も、逃がさないでよ」
「分かってる」
背後からパイアに声をかけられて、大鬼子のダンザが口の端を吊り上げる。
獰猛な笑みを浮かべながら、待機していた仲間達と共に迷宮へと向かった。
* * *
「私は書簡を届けに行く。お前達は、さっさと食事を終わらせて、食料を集めておけ」
「はいよ」
部隊の指揮を任された吸血鬼の指示に、同行していた大鬼子の女性が、やる気なさげな態度で返答する。
いつものやり取りだからか、大鬼子の女性を特に咎める事もなく、吸血鬼の男性が通路の奥へと向かう。
彼らのやり取りから、共通の敵を倒すまで一時的に協力してるだけという関係が、明け透けて見える。
暗い洞穴を進んだ先の部屋に、地面に描かれた青白い光を放つ転移門があった。
「……」
吸血鬼の男が普段通り、転移門の上へ足をのせる。
全身を青白い光の奔流が包み込み、視界が激変した。
転移を終えた吸血鬼の目が大きく見開き、目の前の光景を凝視する。
「ここは……。どこだ?」
そこは、彼の知る魔界では無かった。
自身が先程までいた迷宮と特徴の似た、土壁で囲われた広い部屋。
しかし、見覚えの無いそれが、彼の知る迷宮ではないことを明確にしていた。
「何だ……これは……」
呆けた表情で男が見つめる先にあったのは、黄金に輝く巨大な繭。
その巨大な繭は、生き物のようにゆっくりと鼓動を繰り返し、その下部からは木の根に似た太い触手を地面へと伸ばして、地面に描かれた魔法陣を覆うように根を張っていた。
魔界でも見た事の無い、植物かも分からぬ得体の知れない生物に、男の目が釘付けになる。
「どういうことだ……。何が、どうなって」
「お勤め、ご苦労様でした」
「!?」
振り返った男の瞳には、何が映っていたのだろうか。
何者かのブーツが男の頬へと触れた瞬間には、吸血鬼の身体は宙へと浮かび、勢いよく土壁へと叩き付けられた。
全身から緑色のオーラを放つ女性が、回し蹴りをした足をゆっくりと地面に降ろす。
「ちょっと、エモンナ。殺しちゃ駄目じゃない」
「大丈夫ですよ、クレス様。気を失ってるだけです」
地面へと崩れ落ちた吸血鬼の身体をチェックすると、エモンナが男の胸元から取り出した紙を広げて一読する。
「やはり。魔界との連絡役のようです。オニ様、彼が先頭です。攻めるなら、今かと……」
「よし。それじゃあ、やるか」
エモンナのやり取りを見ていた勇樹が、後ろへ振り返る。
悪魔幼女達の強化魔法により、2mの巨躯へと膨れ上がった強化山羊人を、勇樹が見上げた。
「沙理奈。行けそう?」
「うむ」
強化山羊人の頭から生えた巻き角を手で掴み、肩車をされたツイテールの少女が頷く。
沙理奈の身体には、革ベルトと革ひもが巻かれており、それが強化山羊人と結びつけるように固定されていた。
「さあ、行くわよ」
「キュプイ」
沙理奈と同じように、強化山羊人へ肩車をしたクレスティーナが指示を出す。
すると、強化山羊人に肩車をして、革ベルトと革ひもで固定された悪魔幼女達が率いる部隊が、転移門へ移動を開始する。
クレスティーナの操作により、転移先の座標が修正された転移門へ、待機していた魔物達が次々と転移した。
「サリナ様。モフモフ特攻隊、揃いました」
「フッフッフッ。戦の始まりなのじゃー」
主力が子鬼との情報から、特別に今回の特攻隊長を任命された沙理奈が、不敵な笑みを浮かべる。
その沙理奈を中心に、灰色の体毛に覆われた狼人86匹が整列し、「グルルル」と低い唸り声を漏らしながら、その時を今か今かと待っていた。
「サリナ様。出陣のご命令を」
「うむ」
こちらもノリノリの様子で、特攻副隊長に任命されたクレスティーナが強化山羊人と共に、沙理奈の横に並ぶ。
『モフモフ命』と書かれた木製の軍配団扇 を握り締めると、それを前へと突き出す。
ちなみに、この軍配団扇は、手先の器用なスナイフに作らせた。
「子鬼を捕まえた者には、骨付き肉をやるのじゃー。モフモフ特攻隊、突撃なのじゃー!」
「ガァアアアア!」
狐耳帽子を装着した少女の号令により、咆哮を上げた魔物達が一斉に迷宮へと解き放たれた。
* * *
「これは、酷い腫れ方だの」
「グウゥ……」
ハジマの村にある宿屋に連れ込まれた男性を、皺の目立つ手を口元にあてながら、ユリィラが覗き込む。
「ひでぇこと、しやがるぜ……」
「よほど執拗に鞭で打たれないと、ここまで酷くはならないはずです」
床へとうつ伏せに寝かされ、苦悶の表情で呻く男性を観察しながら、セリィーナが日記へとペンを走らせた。
その隣にいるダスカが床であぐらをかいて、腕を組んで男の背中を睨んでいる。
部屋の外にある通路をバタバタと走る音が響き、白い聖職者の服を着た女性が顔を出す。
「お待たせしました、ユリィラさん。準備ができたので、父の研究所で作業をお願いします」
「おお、そうかい。それじゃあ、仕事をするかの……。よいしょっと」
村の聖職者であるローミナに声をかけられて、ユリィラがゆっくりと腰をあげる。
「すみません。魔力水を譲って頂いた上に、作ることまでお願いして……」
「構わんよ。どうせ、ここで足止めをされている間は、暇じゃからの。それにこの様子だと、まだまだ怪我人が運び込まれて来そうだしの。今持ってる魔石だけだと、すぐに足りなくなるだろう」
「そうですね……。外では一体、何が起こってるのでしょうか?」
不安そうな表情で問いかけるローミナと共に、ユリィラが部屋を出て行く。
「本当に……。国境砦では、何が起こっているんでしょうね?」
ペンを走らせていた手を止めると、セリィーナがポツリと呟く。
すると、隣にいたダスカが不機嫌そうな顔で舌打ちをした。
「私らが、もう少し残ってればな……」
「ダスカ。今回のことは、誰にも予想ができませんでした。過ぎたことを悔いても、仕方がありません」
「そんな事は、分かってるよ……」
「しかし、向こうの状況が見えないのが、厳しいですね。何か手を打つにも、このままでは」
「グウゥ……。誰か、水を……」
気を失っていた男性が、突然に身じろぎをする。
ガラガラの乾いた声で男が呻き、セリィーナが近くに置いていた水の入った器を手に持った。
「ゆっくり……。慌てないで」
よほど喉が渇いてたのか、男が口元に当てた飲み物をガブガブと勢いよく飲むと咳き込んだ。
「ゲホッ。……ここは、どこだ?」
「ハジマの村です。貴方は、拷問をされているところを、助けられたそうです」
目が覚めたばかりで状況を理解できてない様子の男性に、吸血鬼亜種のパイアから聞かされた話をセリィーナが伝える。
すると、男性の目が大きく見開かれた。
「砦は、砦はどうなった? 妻は、娘は!」
「それは……。砦がどうなってるのかは、私達には」
セリィーナの言葉を遮るようにして、男が突然に立ち上がる。
しかし、痛みに悲鳴を上げて、その場にすぐ蹲った。
「おいおい。それは無茶だぜ、おやっさん。さっきまで、死ぬ寸前だったのに」
「早く、戻らないと……。俺達が戻らないと、今度は妻や娘が……。俺のように、鞭で打たれて……」
「……」
「娘は、まだ5歳なんだ。アイツらに、鞭で打たれて……。一回だって、耐えれるわけがない……。頼む、娘達を助けてくれ!」
腕を掴まれて男に懇願されるが、セリィーナは力無く首を横に振る。
「ごめんなさい。今の私達では、国境砦を落とすだけの戦力に、正面からぶつかる力がないのです」
「なら。せめて、俺を砦に……。走馬を、貸してくれるだけも良い。頼むよ……」
「ごめんなさい……」
彼を治療した聖職者のローミナからは、彼が生きてるのも奇跡なぐらいで、ここから決して動かすなと念を押されている。
無力感に嗚咽を漏らす男を、二人の女性は静かに見守ることしかできない。
「ダスカ」
「分かってる……。あたいも、考え無しに動くほど馬鹿じゃないさ」
痛いほどに握り締めた拳を震わすダスカに気付いて、セリィーナが思わず声をかける。
「でも、これが……。アイツらのやり方かよ……」
「残虐非道。彼らに、人界の者を労る心など持ってません。それは、歴史が証明しています。しかし、せめて人質を解放する交渉だけでも、できるのなら……」
「交渉なんて、する必要ねぇよ。連中は全て、叩き潰す。それだけだ」
ダスカが歯を食いしばり、抑えきれない怒りの形相で、ここにいないモノを睨みつける。
「……」
すすり泣く男の声だけ漏れる部屋の外で、コツコツとブーツの足音が響く。
通路を歩いて来た者が、部屋の前で立ち止まる。
「目を覚ましたのですか? 喋れる者がいるなら、聞きたい事があるのですが……」
「ヒィッ! きゅ、吸血鬼……」
黒い翼を持つ者の存在に気づき、黒い目の中にある桃色の瞳と目が合った男性が、悲鳴を上げた。
泣いてたのも忘れて恐怖に引きつった顔で、その場から逃げようとする。
しかし、先程まで瀕死の重傷を負った身体では、這いずって部屋の隅へ逃げるのがやっとだ。
「エモンナさん……。この状況を見て、彼にお話ができると思えますか?」
部屋を訪問したメイド服の魔族に、長い青髪の女性が背中越しに、感情を押し殺したような硬い声で尋ねた。
「……酷く、怯えてますね。他に、起きてる者はいないのですか?」
「部屋に入るんじゃねぇ!」
「……」
突然の怒号に、片足を上げた状態でエモンナが静止する。
「今はな……。てめぇら魔族の顔を、見るのも嫌だってくらいに、腹が立ってるんだ。この部屋に、一歩でも入ってみろ……。ただじゃあ、おかねぇぞ」
「……」
背中に担いだ戦槌を握りしめたダスカから、怒りに震えた低い声で脅迫され、エモンナが元あった場所に無言でブーツを戻す。
すると、背を向けていたセリィーナが、ゆっくりと顔を後ろに向けた。
普段の優しげな表情は消え去り、氷のように冷たい視線がエモンナを見つめる。
「重傷を負った彼らを、ここまで送り届けてくれた貴方の仲間達には、感謝しています。しかし……これ以上、彼らの心を痛めつける行為を、大人しく見守る気は私達にありません。ここにいる人達から、貴方達の有益になる情報は得られません。お帰り下さい」
「そうですか……。では、オニ様には、そのように伝えておきます」
「エモンナさん」
「何ですか?」
エモンナが部屋から離れようとするが、セリィーナに呼び止められて足を止める。
「国境砦には、ここにいる者達のご家族が、捕まってるそうです」
「そのようですね。パイアから、そう聞いてます」
「彼らが砦に戻らないと、残った女性や子供達が鞭で打たれて、拷問されるそうです。それを聞いて、どう思いますか?」
「私なら……自害しますね。痛めつけられる趣味は、ありませんから」
「……そうですか」
淡々としたエモンナの答えを聞いて、セリィーナの表情に落胆の色が微かに見えた。
「ですが……。オニ様は、それを良しとしないようです」
「……?」
「明朝に計画していた作戦を、変更するそうです。人質が捕えられている場所、もしくは内部の情報を正確に把握している者を、知っていれば教えて下さい。私は興味ないですが、誰かの協力があれば……。救える命が、あるかもしれませんね」
クスリと意味深な笑みを浮かべると、エモンナがその場を立ち去った。
コツコツとブーツが床を踏む音が離れると、部屋の中には沈黙だけが残る。
「……」
「……」
どちらともなく、視線を動かした二人の女性が目を合わす。
「あたいは、魔族の話は信じないぞ」
「まだ、何も言ってませんよ」
「……セリィ」
「急かさないで下さい。そんなすぐに、良い案が浮かぶわけではないのです」
ここに至るまで、二人はそれなりの付き合いがある。
目を見れば通じ合う事もある。
何かを期待するようにチラチラと向けるダスカの視線を受けながら、セリィーナが口元に手を当てて何かを考える。
しばらくすると、大きく溜息を一つ吐いた。
「セリィ?」
「ダスカは、ここにいて下さい。少し、彼女と話をしてきます」
「お、おう」
セリィーナが腰を上げると、部屋を出て行く。
通路の奥を見れば誰かを待っているのか、背を向けて静かに立つ人影があった。
背中から大きな蝙蝠の翼を生やした、メイド服の女性だ。
「お爺様。敵の敵は味方は、魔族に通じると思いますか?」
これからやろうとしてる事への不安からか、セリィーナの口から独白が漏れる。
気合を入れるようにセリィーナが表情を引き締めると、交渉相手の元へ駆けて行った。




