第44話 絶望の国境砦
※大鬼子の女・デゼムン:関連話(第21話)
※セイナアン王国の国境砦:関連話(第25話)
「ふぁ~」
騎士の鎧を着た男が、椅子に深く腰掛けながら大きな欠伸をする。
両手を頭に載せて足を組み、見るからにやる気のなさそうな態度で、見張り台から外の様子を眺めていた。
彼がいる場所は、四方を数mにもなる石造りの高い塁壁で囲われた、セイナアン王国の国境砦。
本来は、隣国であるポーラニア共和国から敵軍が攻めて来た時に、防衛拠点として機能する砦だ。
しかし、両国の関係は良好で戦争しているわけでもないので、防衛拠点と言うよりは両国を行き来する者達の宿泊施設として利用されていた。
隣村にある迷宮で鬼族が出現したという話があってから、数人の騎士が交代で偵察に行く事はあったが、砦にまで魔物が攻めてくることは無かった。
ここに配属された騎士達は、町で不祥事を起こしたりなどして左遷された者が多く、普段の態度から察するにそれほど仕事熱心とも言えない。
見張り台で眠そうにしてる彼もまた、酒場で酔った勢いで客に暴行した罪で、閑職と揶揄されるこの暇な国境砦に派遣された者だ。
「ふぁ~。……ん?」
伸びをしようと騎士の男が立ち上がると、隣国に繋がる街道から砦に近づく、奇妙な集団を見つけた。
「何だ、あれ……」
前のめりの体勢になってしばしそれを観察すると、見張り台に備え付けられている望遠鏡を覗き込んだ。
騎士の男が青ざめた表情になると、転げ落ちそうになりながら、近くにいた同僚を呼びに走る。
砦の見張り台からけたたましい警鐘の音が鳴り響くと、朝から酒を呑みながら賭け事をしていた騎士達が何事かと驚いた様子で、見張り台に向かって駆け上がる。
「何事だ!」
「小隊長。あれを……」
部下に呼び出された小隊長が見張り台までやって来ると、部下から受け取った望遠鏡を覗き込む。
「何という事だ……。魔物だ。すぐに、戦闘準備に入れ!」
「はっ!」
普段は不真面目な騎士達が、上へ下へと忙しなく走る姿を見て、砦で宿泊などの管理をしてる住人達が驚いた様子を見せる。
「外に出るな! 魔物だ! 戦えない者は、鍵を閉めて家の中にいろ!」
慌てた様子で砦の門を閉める騎士達に、ようやく事態が飲み込めたのか、砦の住人が悲鳴を上げながら砦内を走り回る。
予期せぬ事態にパニック状態になる住人達を、小隊長が塁壁の上から見下ろしながら、地上がよく見渡せる位置まで歩いて行く。
小隊長に気づいた若い騎士が、青ざめた表情で望遠鏡を覗き込みながら口を開く。
「小隊長。鬼族では、ないようですが……」
「俺も、魔物の事は詳しく知らんが、過去の歴史資料で似たような魔物を見た覚えがある。人外である以上、戦うだけだ」
「は、はい……」
集団を見据えながら小隊長が応えると、若い騎士が不安そうな表情ながらも頷いた。
装備を整えた騎士達の配置が着々と進む中、砦に近づく人影の姿もはっきりと見え始める。
それは、山羊人と呼ばれる魔界の獣人。
金色の体毛に全身を覆われ、山羊頭の左右からは黒い巻き角が生えた、人型の獣人だ。
魔法による肉体強化がされているようで、血のように赤い肌には、金色に輝く複雑な文字の羅列が浮かんでいる。
本来の小柄な身体から2mの大きさに膨れ上がり、盛り上がった頑丈そうな筋肉を覆う黒い鎧が、ミシミシと軋む音を漏らす。
大きな拳で握りしめられた武器は、戦斧や戦槌にハルバードなど、力の無い者には到底扱えそうにもない物ばかりだ。
そして、その数は100体。
訓練された部隊らしく、横長の陣形を展開して、黙々と砦に向かって歩みを進めていた。
対して、国境砦に配置された騎士は30人も満たない。
険しい表情で魔物達を睨む小隊長に、分隊長の一人が歩み寄ると小声で尋ねる。
「小隊長。これは、勝てるでしょうか?」
「最悪の場合は、砦にいる者達をイージナの町へ逃がすしかない」
「しかし、街道には魔物が出るという噂が……」
「致し方あるまい。西門はいつでも開けれる様に、お前達の部隊を配置させる。住人には、いつでも逃げる準備をしておけと伝えろ」
「はっ!」
駆けだした男と入れ替わるようにして、別の分隊長が駆け寄ると敬礼をした。
「小隊長。弓兵の準備ができました」
「よし。射程範囲に入り次第、弓を放つ。狙うは、破城槌だ」
「はっ!」
強化山羊人が展開する部隊の中央には、丸太程もある大きな長い棒を運ぶ者達がいた。
小隊長の言う破城槌と呼ばれる物で、城の扉を破壊する目的で扱われる。
先端を頑丈に改造された一本の棒を、数人が抱えて持ちながら何度も扉にぶつかることで、無理やり扉を破壊する。
「放てっ!」
当然、砦の者達がそんな行為を許すはずもなく、塁壁の上に展開した騎士達から一斉に矢が射出された。
上空に高々と飛んだ矢が放物線を描き、魔物達の頭上へ雨のように降り注ぐ。
しかし、魔法により硬質化された肉体と、唯一の脆い部分をカバーした兜などの装甲により、弓矢が次々と弾かれる。
涼しげな表情で、なおも迫り来る強化山羊人の部隊に、騎士達から動揺の声が漏れた。
「怯むな! 矢を撃ち続けろ!」
少しでも士気が落ちないよう、小隊長が必死の形相で激を飛ばす。
騎士達もそれに呼応して、矢が尽きるまで懸命に弓矢を放ち続けた。
* * *
「さて、デゼムン。頃合いのようです。僕の為に、キリキリ働いてくれたまえ」
「うっせ。私に、命令するんじゃないよ」
茂みをかき分けて、森の中から大小二つの人影が出て来る。
大きい方は、身長が2mもある大柄な、角を生やした赤肌の大鬼子。
胸や腰に動物の毛皮を巻いており、胸の膨らみ方から女性だと判断ができる。
もう片方が、レース付きの派手なコートを着た、長い紫髪の若い青年。
背中から黒いコウモリの羽を生やしており、吸血鬼の類であることが判断できる容姿だ。
「まったく、こんな砦一つも未だに落とせてないとは。大鬼子が二人やられて、制圧できたのは村一つとは、情けない話だね」
「ケッ……。ほら、早く梯子を持ってきな」
大袈裟にマントを翻して、口上を述べる悪魔貴族の青年を無視して、大鬼子のデゼムンが森の奥にいる者達を手招く。
「グギャギャギャ!」
「グギャー!」
茂みをかきわけて現れたのは、赤肌の子鬼達。
続々と森の中から顔を出した大量の子鬼達が、奇声を発しながら森の前を無邪気に走り回る。
その数は10や20ではすまず、視認できるだけでも既に100を超えていた。
「グギャギャー!」
「大鬼子をたった二人で倒したと言う、腕の立つ傭兵がいたという話だけど。どんな強者でも、流石にこの軍勢には太刀打ちできないさ。なにせ今回は、イスフォンス家の精鋭である山羊人達がいるわけだからね」
「ほら。騒いでないで。梯子をそこに並べるんだよ。グギギ、ゴギャギャ!」
悪魔貴族の青年のお喋りを完全に無視して、鬼語でデゼムンが指示を出すと、1m程の木製梯子を持った子鬼達がそれを並べ始めた。
周辺を騒がしく走り回る赤子鬼を眺めていた悪魔貴族の青年が、前髪を手で払うと口を開く。
「ふむ……。戦力には、ならなそうだけど。数だけは多いから、弾除けくらいにはなりそうだね。さあ君達、梯子を組み立てたまえ」
「はい、ラドルス様」
森の中から新たに顔を出した吸血鬼達が、腰袋から工具を取り出す。
次々と木製梯子を繋ぎ合わせ、長梯子を組み立てていく。
「それでは、デゼムン。打ち合わせ通りに頼むよ。我が一族が誇る強化山羊人達が陽動している隙に、君は反対側の門から梯子を使って中に侵入し、中から扉を開けて」
「はいはい。それじゃあ、行くよ」
森を移動中に散々同じ事を言われたからか、デゼムンが面倒臭そうな顔で会話を遮って、長梯子を担いだ子鬼達と一緒に砦を目指す。
「イスフォンス家が長子。ラドルスの名を、彼らの記憶に刻んできたまえ!」
悪魔貴族の青年と吸血鬼達に見送られながら、合流した仲間の赤大鬼子4人と300にもなる赤子鬼達を引き連れて砦へと進軍する。
赤大鬼子の女性が、なおも背後で何かを喋ってるラドルスを見つめると、デゼムンに声を掛けた。
「デゼムン。あの煩い奴、殺していいか?」
「今は、我慢しな。ダンザガの死体を見つけるまでは、大人しく言う事をきいとくんだよ」
「ねぇ、デゼムン。本当に、ダンザガは死んだと思ってるのかい?」
「さぁね。親父がそう言うなら、そうなんだろ。腰抜けのダザランやムデスも死んで、いい気味だよ」
「……」
デゼムンを含め、ここにいる赤大鬼子の女性達は、父親である大鬼のドランと後継者問題で意見が対立した者達であった。
誰が見ても一番戦闘能力のあるダンザガこそが、次の後継者に相応しいと考え、ダザランの嫁になるくらいならとダンザガを担ぎ上げようとしたせいで、人界への先発隊として送り込まれたのだ。
「もし、本当にダンザガが死んでるのなら。ダンザガの魔石さえ手に入れば、何とかなる」
「グギャン!?」
「ほら、来たよ!」
近くを走っていた赤子鬼が突然に奇声を上げて、地面に転倒する。
地面に寝転び悶絶する赤子鬼の肩に、一本の矢が突き刺さっていた。
それに目敏く気付いたデゼムンが、木のラージシールドを頭上に掲げると、他の赤大鬼子の女性達も同じように盾を構えた。
ヒュン、ヒュンと風を切り割く音と共に、地面や周りを走る赤子鬼に矢が突き刺さる。
西門に配置されていた数人の騎士が異変に気づいたらしく、塁壁の上から弓矢を射出していた。
「ほら、そっちを持ちな……。フンッ!」
閉じられた門の前まで近づくと、赤大鬼子達が歯を食いしばって長梯子を持ち上げた。
塁壁に長梯子の先が架かると、デゼムンが鬼語で命令をして、赤子鬼達が次々とよじ登り始める。
「さっさと砦に入って、門を開けるんだよ! 逃げ出した奴は、飯抜きだよ!」
「グギャギャギャ!」
デゼムン以外の場所でも長梯子が塁壁に架けられ、慌てた様子で騎士達がその長梯子を落とそうとする。
しかし、大鬼子との力比べでは人手が足りないらしく、長梯子を落とす方法を諦めて、支えているデゼムンを狙って弓矢を射出した。
「はん。当たらないよ」
長梯子を腕でしっかりと掴みながらも、自身を覆い隠すようにラージシールドを構えて、デゼムンがしたり顔で矢を弾く。
その間にも、まるで赤蟻の如く赤子鬼達が列をなして、長梯子を登り続ける。
剣を構えた騎士が、砦に近づく赤子鬼を叩き斬って、必死の形相で長梯子から落としている。
「なっ、しまった!?」
乱暴に振り回した剣先が、不運にも先頭の赤子鬼の身体に食い込む。
落とすのにもたついてる騎士へ、後続の赤子鬼が決死のタックルを仕掛けた。
塁壁の上で揉み合い状態になってる隙をついて、次々と赤子鬼が砦内へ侵入する。
「ちくしょう! コイツ、離れろ!」
「グギャギャ!」
「グギャギャギャー!」
一匹で勝てないなら複数だと言わんばかりに、剣を振り回す騎士に赤子鬼が次々と飛び掛かる。
身体にしがみついたり、噛みついたりして群がる赤子鬼達を、騎士が剣の柄で殴打して必死に引き剥がそうとしている。
「痛ぇ!? てめぇ、この野郎! この……あっ?」
不意に男の身体が傾くと、その身が空中へと投げ出された。
足元に気を配れなかった騎士が絶叫を上げながら、数匹の赤子鬼と共に塁壁の上から地面へ墜落した。
長梯子や塁壁から、不運にも落ちた者達の屍を砦門の前に築きながら、数にものを言わせて赤子鬼が砦へ次々と侵入して行く。
砦内からは女性達の悲鳴が聞こえ、阿鼻叫喚の地獄絵図となってるのが、外からでも容易に伺える。
目を爛々と光らせて、舌なめずりをする赤大鬼子達の前で、ついに砦の門がゆっくりと開かれた。




