第42話 それぞれの思惑(後編)
※隣国より来たりし者達:関連話(第24話、第25話、第33話、第40話)
「おい、セリィ。チビ共が、帰って来たぞ!」
ノックも無しに勢いよく扉が開かれると、扉の向こうから熊のように大きな女性が室内に顔を出す。
南山族の血を引く浅黒い肌の大女が、二段ベッドが二つ並べられただけの狭い相部屋に、飲みかけの酒瓶を持って騒がしく入って来た。
「んん……。何事かの?」
「ちょっと、ダスカ。深夜なんですから、声を抑えて下さい。他のお客さんに、迷惑でしょ」
ランタンの灯りを頼りに、本を読んでいた若い女性が布団を捲ると、声を抑えながらも嗜めるような口調で注意する。
二段ベッドの下で寝ていたユリィラ・レイルランドが、眠そうな声を出しながら寝返りをうつ。
長い青髪女性の注意を気にした様子もなく、ダスカが部屋に備えつけられたランタンを点けると、誰もいないベッドに腰を下ろした。
大柄の女性がベッドに座ると、ベッドからギシリと軋む音が漏れる。
「ユリィラ。チビ共が、帰って来たぞ。今、女将に金を払っている」
「……ほう。随分と、早かったの……。ふぁ~」
ユリィラがゆっくりと上体を起こすと、大きく欠伸をした。
二段ベッドの上にいたセリィーナが梯子を使って降りて来ると、本とペンを握りしめてダスカの隣に座る。
すぐさま本を開くと、日記を書いてるページにペンを走らせた。
「帰った」
「眠い」
ほどなくして、開きっぱなしだった扉の向こうに、同じ背丈の二つの人影が現れる。
目元以外を黒い生地の服に身を包んだ、怪しげな風貌の二人組が部屋に入って来た。
扉を閉めるなり、小柄な二人組が膝から崩れ落ちる様に、床へと座り込んだ。
「それで。ウキリル、サキリル。村の様子は、どうじゃった?」
ユリィラが声を掛けると、二人が黒い目出し帽を外そうとする。
目出し帽の中からは、鏡の様にそっくりな双子の少女が顔を出す。
「はぁー」
「はぁー」
唯一違う箇所が、髪を束ねたサイドポニーの位置が、左右逆なところだけな双子の少女が、全く同じタイミングで大きく溜息を吐いた。
酷く疲れ切ったような様子の双子剣士を見て、ユリィラの眉根が寄る。
「どうした。何か、あったのか?」
「ユリィラ様。あの森、変」
「獣、みんな二本足。早い」
「女の傭兵、5つ子。強い」
「……は? どういう事かの?」
「サキリル。女の傭兵に、負けた」
頭部の右側がサイドポニーのウキリルが、ポツリと呟く。
すると、隣で座り込んでいた少女がキッと眉根を上げて、怒った表情で隣にいるウキリルを睨む。
「負けてない」
「私、助けなかったら、負けてた」
「負けてない。次は、勝てる」
「無理」
「勝てる!」
「こらこら、喧嘩をするでない」
鏡のように同じ顔の二人が、無言で睨み合う。
しばらくすると、頭部の左側がサイドポニーのサキリルが頬を膨らませて、プイっと明後日の方向へ顔を向けた。
「ユリィラ様。森は、危険。全力で、逃げた」
「なんじゃと?」
おもむろにウキリルがブーツに嵌められた赤魔石を外す作業を始めると、サキリルも頬を膨らませながら同じ作業を始める。
サキリルが赤魔石を床に放り投げ、ウキリルが手に握り締めた赤魔石をユリィラに差し出す。
「ユリィラ様。空っぽ」
「なんじゃと。全部、使い切ったのかい?」
「眠い。寝る!」
驚いた表情で赤魔石を受け取ったユリィラの横を、怒った表情のサキリルが通り過ぎて行く。
ノシノシと床を踏みしめると、ダスカ達の座る二段ベッドの梯子を使って、上へと登った。
「ユリィラ様。私達、寝てない」
「……おお。そうかい。少し、寝ると良い。後でもう少し、詳しく聞かせておくれ」
少女がコクリと頷く。
二段ベッドの梯子を上ると、双子のサキリルが眠るベッドに這い寄る。
壁向きへ横になったサキリルと背中合わせになるようにして、少女が布団へ入った。
「サキリル、おやすみ」
「おやすみ」
数秒も経たずして、双子の少女達から寝息が聞こえる。
ユリィラが見上げていた視線を下に落とすと、反対側のベッドに座るダスカとセリィーナと目が合う。
詳しい説明を求めたがってる二人を見て、真剣な表情になったユリィラが口を開く。
「ここへ来る道中にも言ったが、あの子らは北国に住んでいた雪忍じゃ。腕だけで言えば、エジィスを護衛してるダスバムよりも、遥かに強い。保険に渡していた、風の魔装具を赤魔石が空になるまで、逃げて来たようだの。よっぽど恐ろしい目に、あったに違いない」
「女の傭兵って、言ってたな」
「ええ、言ってましたね……。それと、獣。みんな、二本足……。どういう意味でしょうか?」
「その辺りは、また目が覚めた時にでも、ゆっくり聞いてみればいいじゃろう。あたしは負けず嫌いの二人が、戦わずして逃げてきたという事の方が、にわかに信じられんがの……」
手元にある赤魔石に視線を落とすと、ユリィラの目が細くなる。
ベッドから腰を上げると、床にも転がる赤魔石を拾い始めた。
「あたしは寝る前に、この魔石に魔力の補充をしておくよ。この子らが、これを全て使い切るとなると、よっぽどの相手じゃからの」
荷物袋から魔道具を取り出して、ユリィラが作業をする為の準備をする。
「魔石の予備はまだあるが。念を入れて準備しておくに、越したことは無い。馬車の中だと揺られて集中ができんから、二人が起きるまでに、できるだけ急いでやっとくよ」
「それでしたら。明日の出発時間を、ずらしますが……」
「いや、予定通り。明朝、出発でいいじゃろ。あたしも、村の様子が少し気になってきた」
「私も、ユリィラに賛成だね。動くなら、できるだけ早い方が良い」
「ですが……」
「無用な心配じゃよ、セリィーナ。砦についてから、しばらく休ませてもらったから、あたしはもう大丈夫じゃよ」
心配そうな表情をするセリィーナに、ユリィラが笑みを向ける。
それでも何か言いたげなセリィーナの肩を、ダスカがポンと手で叩く。
「荷馬車の様子を見て来るついでに、女将と話をしてくる。お前も、少し仮眠しとけ」
「……分かりました。すぐに出掛けれるよう、準備をしておいて下さい」
「おうよ」
手をヒラヒラと振りながら、部屋を退室するダスカを見送る。
二段ベッドの梯子を登って、散らかしてた資料を荷物袋に入れると、布団を被って横になった。
赤魔石への魔力補充の詠唱を子守歌代わりにして、セリィーナは静かに目を瞑る。
* * *
美しい文様の描かれた赤い絨毯の上を、いかにも身分の高そうな、レースの飾り付きのコートを着た一人の男性が歩く。
背中からコウモリの翼を生やした壮年の男性が、とある部屋の前で立ち止まる。
扉の前には、二人の美しい侍女が立っていた。
「ルドロフ・イスフォンスだ。ゼルヴィス様に、御目通りを願いたい」
「少々、お待ち下さい」
女性の一人が頭を下げると、扉の前に近づく。
黒いコウモリのような翼の生えた背中を見せると、扉をノックして中に入った。
しばらくすると、再び開いた扉から吸血鬼の侍女が顔を出す。
「ルドロフ様。どうぞ、中にお入り下さい」
「失礼します」
部屋に入ると、美しい装飾がされた調度品が目に飛び込んでくる。
色白の男性が椅子に座っており、頬杖を突きながら何か考え事をしていた。
ルドロフが静かに歩み寄ると、テーブルの上に置かれた盤面に目を移す。
それは『人魔将棋』と呼ばれるボードゲームで、人界や魔界に存在する生物を駒に見立てて、盤上で遊ぶゲームであった。
悪魔貴族の男性が産まれた時に、出産祝いとしてプレゼントされるくらいに、魔界では有名なボードゲームの1つである。
各駒には独自のルールが存在し、これを遊戯代わりに悪魔貴族の男性は戦術を学んで育つのだ。
声を掛けるタイミングを伺うように、ルドロフが静かにその場でしばし待機する。
太陽のある外に一度も出たことないような、雪の様に白い肌の男性がおもむろに手を伸ばすと、赤い駒を細い指で摘まんだ。
鬼の姿を模した駒を、騎士の姿を模した白い駒の横に置く。
「ドランの件は、上手くいったのかい?」
「はい。ゼルヴィス様の思惑通りに、事が進んでおります」
「それは、良い事だね」
盤上から目を離さずに男性が口を開くと、ルドロフが軽く頭を下げて返答する。
「ドランは、ダザランがセイアナン王国の騎士団にやられたと、本気で信じ込んでおります。数日後には、イージナの町は戦火に沈む事でしょう」
「うん、そうだね……。ただ、ダザランが誰にやられたのかが、今一つ謎ではあるね。死体全部を運び出すとしたら、相当の数がいたはずだから」
騎士の駒を指で盤上から持ち上げると、魔法使いを模した白い駒を動かす。
駒を握りしめた状態で、手を口元にあてながら男性が盤上を静かに見つめる。
「ポーラニア共和国の騎士団が、わざわざ国境砦を越えてまで、あの迷宮に来たとは考えにくいです」
「それはないだろうね……。ただ、王位継承権の問題で、内戦一歩手前のセイアナン王国が、大勢の騎士をわざわざ地方に派遣するかと考えてみると……」
「やはり『樹海の賢者』が、あの迷宮で何かをした可能性が?」
「さあ、どうだろうね……」
「ポーラニア共和国には、既にかなりの南山族の民が入ってきております。きたる人魔戦争に向けて準備をしているらしく、その中に『樹海の賢者』の姿を見たという噂も……」
「ふーん……。監視は、強めた方がよさそうだね」
盤上の駒をいくつか握りしめ、色白の男性が椅子から立ち上がる。
机の上に広げられた大きな地図の前に歩み寄ると、人界の国や町の名前が書かれた場所に駒を置いて行く。
「しかし、一滴の流血もなく、魔界が休戦状態となったのが、未だに信じられません。おそらく人界の者達も、未だに我々が王位継承権を決める戦争をしている最中だと、思っているでしょう」
「今回は、母上達が上手くやってくれたからね。同族で争うことが、いかに無駄で非効率か。父上の側室達が、早くに理解してくれたから、たまたま上手くいっただけだよ。過去の先人達には、もっと早く気付いて欲しかったけどね……。人魔戦争に突入する前から、半数以上が戦死していれば、人界を制圧するのは不可能でしかないと」
『イージナの町』と書かれた場所には赤い鬼の駒が置かれ、国境砦には赤い山羊人の駒が置かれる。
「『樹海の賢者』と言えども。今回の我々の行動は、流石に想定してないでしょう」
「そうかもね。でも、面白い趣向だろ?」
「はい。人界の領地を駒に見立てるというのは、ゼルヴィス様らしいお考えかと」
「優秀な駒を一番多く手にした者が、魔王となる。単純で、最も無駄のないやり方だと思うけどね」
机の上に両手を置くと、各主要都市に置かれた駒を見渡し、ゼルヴィスが楽しそうな笑みを浮かべる。
「さて、人界の諸君。我々の先祖代々の戦いに、そろそろ決着をつけようじゃないか。フフフ……」




