第40話 探りを入れる者、再び(★挿絵あり)
草木の生い茂る森の中を、1人の少女が歩いている。
何か良いことでもあったのか、鼻唄を口ずさみながら、陽もあけたばかりの森の中を散歩していた。
「フン、フン、フフーン……お?」
何かを見つけたのか、前に屈む。
深夜に雨が降った為か、水滴が残ったままの白い花が咲いていた。
黒い前髪を手でかきあげると、まだ幼さの見える可愛らしい顔が現れる。
「綺麗な花。フフフ……」
容姿にあった無邪気な笑みを浮かべるが、少女の身に纏ってる物が少し物騒だ。
平民が着る服の上に、使い込まれた革の胸当てを装備している。
腰にも短剣を提げて、まるで傭兵のような格好だ。
少女が花の鑑賞を終えると、背負い袋をまさぐる。
袋から取り出した手には赤い果実が握られていて、青白く光る小さな粒の目立つ表面を撫でた。
「あっさごはーん」
口を大きく開けて、勢いよくかじる。
頬を膨らましながら、ゴリンの実を美味しそうに咀嚼した。
「やっぱコレを食べないと、朝は始まらないわね!」
上機嫌な様子で、小袋の中に食べ終えた果実の種を入れる。
「……はぁー」
なぜか溜め息を吐くと、持っていた背負い袋を地面に落とした。
「飽きたわね」
おもむろに地面にあった小石を蹴り上げると、手で掴む。
「用があるなら、さっさと声をかけろ、よ!」
素早く振り返ると、真後ろに向かって小石を投げた。
大木の隣を掠めると、小石が空中で消えた。
いや、正確には投げられた石は、手の中に納められている。
木から顔だけを覗かせていた人物が歩み出た。
「不審者はっけーん!」
傭兵の格好をしたパイアが、楽しそうな表情で指差す。
「……」
指を差された相手は、黒い忍装束とでも言えばいいのか、目元以外を黒い生地の服に身を包んでいる。
警戒するような様子で、唯一外気に晒された2つの金色の瞳が、パイアを静かに見つめている。
「一応聞いとくけど、村の入り口にある看板は見たのよね? 許可なく森に入った奴は、皆殺しってやつ。……あれ? 半殺しだっけ?」
「……」
腕を組んで考え事を始めたパイアに向かって、黒い忍装束の人物が握っていた石を素早く投げた。
それを予期していたかのように、パイアが顔をずらして避ける。
一瞬で間合いを詰めて来ると、パイアに向かって蹴り上げた。
しかし、その足が空中で止まる。
「へへーん。ざんねーん」
蹴り上げようとした足を抑え込む形で、パイアのブーツが相手の足の上にのっている。
黒い忍装束の人物が、蹴り上げた足を素早く戻すと、横からの回し蹴りの体勢に入った。
しかし、その前に鋭い蹴りが相手の腹にめり込む。
「ぐっ……」
エモンナと初対面の時にやられた事を再現して相手を転倒させると、中鬼騎士のナイトン仕込の技で、素早く相手の腕を捻った。
うつ伏せに倒れた背中に膝をのせ、パイアが体重をかけて動けないようにする。
「フヒヒヒ。とりあえず、お顔をはいけーん」
空いた手をワキワキと握ったり開いたりしながら、相手の頭に手を伸ばそうとする。
「ッ!?」
突然、何かが茂みから飛び出す。
素早くパイアが避けたが、頬をナイフが掠める。
間をおかず茂みから飛び出た人物の蹴りを避け、パイアがその場から飛び退く。
「やるじゃない」
頬をつたう血を手の甲で乱暴に拭うと、新たに現れた人物を鋭い瞳で睨む。
仲間なのか、同じ格好をした黒い忍装束の人物が、倒れていた者の腕を掴んで起こしてやる。
腰に提げた武器を抜くと、謎の2人組が短剣を逆手に持って構えた。
「2対1かー。こりゃあ、本気でやらないとヤバイかな?」
不利な状況にも関わらず、パイアの表情は楽しげだ。
相手が戦闘態勢へ入ってるのも気にせず、腕を伸ばしたり身体を捻ったりして、ストレッチを始める。
2人組が警戒した様子で、その作業を見つめていた。
「パイア。助けなくても大丈夫?」
「!?」
不意に背後から声をかけられ、2人組が反射的に振り返る。
「ううん、たぶん大丈夫」
いつの間にいたのだろうか。
パイアに容姿が似た少女が、木に背中を預けてパイア達を見ていた。
「パイアさーん。もしかして、苦戦中ですか~?」
「失敬な。これから、反撃するとこですぅー」
「んぐ、あむ。パヒア、またまへひょうなにょ?」
「何言ってる分かんないですけどー。後、エモンナ以外に、負けたことないんですけどー」
また別の場所から声が掛けられて、それに反応した2人組が背中合わせになるよう身構える。
よく周りを見渡せば、木の枝に腰かけた者や、岩に座ってゴリンの実を齧じってる者など、計4匹の吸血鬼亜種が四方に位置する形で、三者の戦いを観戦していた。
どうやらパイアを追跡してるつもりで、他の吸血鬼亜種達にその後を追われていたようである。
「……」
黒い忍び装束の二人組が、互いに顔を見合わせた。
アイコンタクトを取ると同時にしゃがみ、足のくるぶしに手を置く。
よく見れば、ブーツのくるぶし辺りに赤魔石が入っているようで、表面の一部が外気に晒されているのに気づく。
「……ん?」
ブツブツと呟く二人組を見て、ストレッチを終えたパイアが不思議そうな顔で首を傾げる。
二人組のブーツが緑色に輝いた次の瞬間、一陣の風が森の中を走った。
「キャッ!?」
「にょわ!? あっ、私のゴリンの実が!」
パイア達の戦いを観察していた吸血鬼亜種のすぐ横を、2人組が疾風の如き速さで駆け抜ける。
その様子を、他の者達がポカーンと呆けた様子でしばらく見つめていたが、輪っか状にした指をパイアが口に咥え、森に響き渡るような口笛を吹く。
「ウォン!」
遥か遠くの茂みから、茶色の体毛に覆われた犬人が顔を出す。
犬人の背中には悪魔幼女が乗っており、目玉が零れ落ちそうな程に、大きく目を見開いていた。
「すぐに追いかけて!」
悪魔幼女がいることに気づいたパイアが、手を振って大きな声で指示を出す。
「キュピポイ、プルピプ!」
「オォオオオン!」
すぐさま悪魔幼女が、奇声を上げながら森の奥を指差す。
犬人が周りに報せる為、サイレンのような遠吠えを始める。
すると、森のいたるところで遠吠えの連鎖が始まった。
しばらく経たないうちに、灰色の体毛に覆われた狼人達が、物凄い速さで森の中を駆け抜けていくのが遠目に確認できる。
「パイア。逃げられちゃったね」
「ホントねー。つまんないの」
悪魔幼女達に逃亡者の追跡を任せると、パイアが不満そうな顔で森の奥を見つめた。
* * *
魔樹農園がある6階層を、小さな幼女の姿をした悪魔族であるリリス達が、犬人の背中にのせられて忙しなく動き回っている。
鬼族の亡骸を埋めた土を掘り起こし、ゴリンの苗を指定の場所に運んでいるようだ。
最近、大量の鬼族を埋めたせいで、魔樹農園の管理を任された悪魔幼女達は、連日のように朝から大忙しである。
「それで。貴方達はおめおめとその者達を、逃がしたと言うことですか?」
侍女服を着た悪魔メイドが、持っていた分厚い本を閉じると、目の前にいる少女達を見つめる。
「うぅ……」
「しょうがないでしょ。魔道具か何か知らないけど、そんな方法で逃げるとは思わなかったんだから」
腕を組んだパイアが、不満そうな顔でエモンナを睨み返す。
エモンナに気押されてか、他の吸血鬼亜種の少女達は、パイアの後ろへ隠れるようにして縮こまっている。
「もう1度確認しますが。使ったのは、風魔法なのですね?」
「そうよ。私が使う魔法に似た感じで、あっという間に逃げて行ったわ」
「ふむ……」
エモンナが顎に手を当てると、考え込むような様子を見せる。
しばし時間を置いて、エモンナが口を開く。
「反撃にでるのではなく、逃走のみに魔法を使用したという事は、やはり斥候が目的でしょうね。ひとまずは、外に出てる者達を迷宮に戻しなさい」
「もう戻って来てるわよ」
「それは結構。では、悪魔幼女達に仕事を中断して、異界門へ集まるよう言いなさい」
「はいはい」
パイアが近くにいた悪魔幼女を呼び止めると、悪魔幼女に分かる言葉で何かを指示する。
悪魔幼女が1つ頷くと、犬人に背負われて、その場を足早に立ち去った。
他の吸血鬼亜種達と一緒に、異界門へ向かうエモンナの後を追う。
「あいつら、この前来た連中と同じ奴らだと思う?」
「どうでしょうね。前回の傭兵を捕まえたことで、相手方が更に優秀な傭兵を送り込んで来たという可能性も、否定はできませんが……」
「次は、攻めて来ると思う?」
「何とも言えませんね。今分かってるのは、鬼族を相手するようなやり方が、人界の連中には通用しない、という事くらいでしょうね」
「ふーん」
エモンナの横に並ぶように歩きながら、パイアが両手を頭の後ろで組む。
「そういえば、前にダザランが言ってた、魔界の協定って何の事か分かったの?」
「クレス様とも話しましたが、その言葉をそのままの意味で捉えるなら、魔界の戦争が終わり、全ての魔物達の間で不戦の協定が結ばれた、と言う事になりますね。しかし、まだ魔王の後継者を決める戦争は、始まったばかり……。もしかしたら、私達が魔界を逃げ出してすぐに、あちらで何かが起こった可能性もありますが……。詳細は分からないので、何とも言えませんね」
「結局、分からない事だらけって事ね」
「そうですね」
前を真っ直ぐ見つめながら、エモンナがパイアの質問を受け答えする。
エモンナ達の横を、悪魔幼女を背中にのせた犬人が、次々と足早に通り過ぎて行く。
「先日の戦争で、魔物の数はかなり増えました。いろいろ気になる情報も増えたので、魔物達の配置を見直すことも含めて、オニ様に相談するしかないですね」
「やっぱり誰かさんと違って、お父様が一番頼りになるわね!」
会話中は視線を動かさなかった悪魔メイドの瞳が、隣にいるパイアへと移る。
後ろを歩いていた吸血鬼亜種の少女達が、「うっ……」となぜかたじろいた様子を見せた。
「私は別に、戦争の専門家ではありませんからね。こういった事は、私よりもオニ様に相談した方が早いですから」
「へー。流石、お父様ね!」
エモンナからの冷たい視線を気にした様子もなく、パイアが満面の笑みを浮かべる。
ギスギスとした妙な空気を漂わせながら、エモンナ達が異界門のある大部屋へと入って行く。
中に入ると既に魔物達が整列しており、地べたに座って分厚い本を読んでいたクレスティーナが顔を上げた。
「間に合ったみたいね」
「そのようですね」
クレスティーナとエモンナが会話を交えたタイミングで、心臓が跳ねるような鼓動音が迷宮内に響き渡る。
主達の来訪を告げるように、黄金の輝きを放つ巨大な繭が、激しい明滅を繰り返す。
黄金繭の入口が左右に開かれると、人の形をしたシルエットが浮かび上がる。
「モフモフ、フェスティバルなのじゃぁああああ!」
数日振りになる異界人の来訪により、今日もまた賑やかな一日が始まった。




