第04話 侵入者
「どうやら、本当に帰ったようですね」
「みたいね」
入口が閉じられた黄金の繭を、クレスティーナとエモンナが見つめる。
不思議な力で完全に閉じられているのか、エモンナが手で開けようと試みているがビクともしない。
その後ろで狐耳のお嬢様が、脱力したように地面へ腰を下ろす。
「はぁー……。疲れた~」
クレスティーナが客人をもてなす態度から、いつものだらけた態度に変わると、自らの肩を揉むような仕草をする。
それを見たエモンナが後ろに回り、労をねぎらうようにクレスティーナの肩を揉み始める。
「クレス様、お疲れ様です。年中引きこもりの割には、なかなかの接待ぶりでしたよ?」
「それは褒めてるのかしら?」
「もちろん褒めてますよ」
クレスティーナが横目で不満そうに見るが、エモンナはニコニコと笑みを浮かべている。
「グギャア?」
「ヒィッ!」
部屋の中に顔を出した子鬼を見て、条件反射的にクレスティーナが悲鳴を上げる。
「クレス様、落ち着いて下さい。オニ様の子鬼ですよ。何か用ですか?」
腰に備え付けた鞭を取り出すと、クレスティーナをかばうようにして鞭を構えたエモンナが、子鬼を睨む。
子鬼の方は眉根を寄せた後、鬼語で何かを喋り始める。
悪魔メイドの後ろから顔を出しながら、クレスティーナが子鬼と会話をする。
しばらくすると、子鬼はどこかへ行ってしまった。
「何の用だったのですか?」
「砂の山をのけたら、次は何をするんだ? ですって。オニ様は、明日になるまで来ないから、適当に一角兎を食べて待ってなさいと言っておいたわ」
「随分、仕事熱心な鬼族ですね」
「ホントね。私の知ってる鬼族とは、全然違うわね。でも、やっぱり鬼族は、未だに慣れないわね……」
「お気持ちは分かります。鬼族には私の魔樹農園を荒らされたりと、私もあまり良い思い出がありませんので、どうしても警戒をしてしまいます」
お互いが視線を合わすと、思わず苦笑し合う。
「とりあえず、勢いでこっちに逃げてきたけど、これから大変ね」
「そうですね。オニ様達が、思ったより優しそうな方達でしたので、とても助かりました。クレス様が勝手に異界門を開いて、異界の者達に捕えられた時は、本気でどうしたものかと頭を悩ませましたよ。クレス様が気絶している間に、死を覚悟して交渉をした私を、少しは労って欲しいものですね」
「ううっ……。ごめんなさい」
エモンナに睨まれて、クレスティーナが思わずペコリと頭を下げる。
「ひとまず、生活するための拠点を確保できただけ、良しとしましょう。引きこもりのクレス様にしては、珍しく及第点を上げてもよい成果ですね」
「うう……。エモンナの意地悪!」
「ご褒美に、クレス様の一角兎を捕まえてこようかと思いましたが、やめておきますか?」
「エモンナ、いつもありがとう! すごく感謝してるわ!」
分かりやすいくらいに態度を豹変したお嬢様に、思わずエモンナが溜め息を吐く。
仲が良いのか悪いのか、よく分からないやり取りをした2人が部屋の外に出ると、何やら作業をしてる悪魔幼女が目に入る。
土壁に手を当てて、何かをブツブツと呟くと、壁に青白い光を灯す文様が描かれる。
「貴方も、仕事熱心ですね」
「キュポ?」
悪魔メイドに声をかけられて、壁灯を作っていた黒髪の幼女が喋り出す。
唯一、悪魔幼女の言葉が分かるクレスティーナが会話を始めた。
「オニ様達が、この部屋に来るまで見にくそうに移動してたから、道を照らすようにしてるんですって」
「それは感心ですね。次にオニ様達が来た時に、喜ばれるでしょう。……クレス様。どうされたのですか?」
壁に作られた円形の不思議な文様を、クレスティーナが食い入るように見つめている。
「さっき触れた時に思ったんだけど、この子の魔法って私の魔法とすごく似てるのよねー。詠唱さえ真似れば、意外と私もできるかも……」
悪魔幼女が作った壁灯の隣に手を触れながら、クレスティーナがブツブツと呟き始める。
するとクレスティーナの手が触れていた場所に、同じような壁灯が現れた。
「ほら。やっぱりできちゃった……」
「クレス様、どういうことですか?」
困惑したような顔で自分の手を見つめるクレスティーナに、エモンナが驚いたような表情で問いかける。
「私の予想なんだけど……。もしかしたらこの子、私の血を少し受け継いでるかも?」
「キュポ?」
悪魔幼女を見たクレスティーナが、頬をかきながら苦笑した。
* * *
月明かりのみが照らす暗い森の中を、小走りに移動する人影が2つ。
まだ幼さが見える少女の手を握って、少年が何度も後ろを振り返りながら、なるべく音を立てないように移動している。
顔は汗だくで、2人共ひどく疲れたような表情に見える。
「ライ君。私、もう駄目だよぅ」
少女が思わず腰をおろし、木に背中を預けながらうずくまった。
少年も疲労が溜まっていたのか、後ろを気にしながら静かに腰を下ろす。
「私達、もう家に帰れないのかな……」
「リコ……。ごめん」
リコナの呟きに、ライデが思わず謝罪を口にした。
互いに無言のまま座っていると、2人の鼻腔を香ばしい匂いがくすぐる。
「ライ君……」
「誰か、人がいるのかもしれない」
2人が顔を上げると、匂いのする方向へと足を運ぶ。
肉の焼ける匂いにつられて、不思議な明りの灯った洞窟の中へと足を踏み入れた。
「にくぅ~、にくぅ~、美味しいお肉ぅ~」
「ウォン!」
「クゥン……」
「迷宮を利用したこの魔法は、なかなかに便利ですね」
床に描かれた、赤い円形の不思議な文様に触れた兎肉が、美味しそうな音を奏でながら焼かれている。
それを作った当の本人である悪魔幼女は、赤い魔法陣を作った後に、どこかへ行ってしまった。
楽しそうに鼻歌を口ずさむクレスティーナの隣には、2匹の犬人が涎を垂らしながら、大人しくお座りをしている。
「あの子が、私の火魔法も受け継いでるのには驚きましたが、異界門を開く際に私とクレス様の血を1滴垂らしたのが関係してると考えれば、確かに納得できる話ですね」
「やっぱ生肉よりは、焼き肉よねー。あ~、良いにほひー。エモンナ、お肉まだぁ?」
「もう少しですよ」
クレスティーナのリクエストで兎肉を焼いていたエモンナ達に、複数の足音が近づいて来る。
息を切らせて走って来た少年と少女が、いきなり頭を下げた。
「た、助けて下さい! 俺達、鬼に追われて……」
頭を上げた少年と少女が、クレスティーナ達を見て固まる。
「ら、ライ君。この人達って……」
「コイツら、人じゃない……。ま、魔物!」
2人は肉の焼ける匂いと人の声を頼りにして走って来た。
しかし、近くまで寄ったことで、相手が普通の容姿でないことに気がついたようだ。
リコナも小さく悲鳴を上げて、ライデの腕にしがみつく。
「妙な気配がすると思えば、どうやら人の子が、迷い込んだみたいですね」
「それだけじゃないわよ。この嫌な感じは……。むー、鬼族も入って来てる……」
兎肉を丁寧に焼きながら、エモンナが横目で子供達を見つめる。
狐耳を立てたクレスティーナは、顔に皺を寄せてすごく嫌そうな顔をした。
2匹の犬人は目をギラギラと光らせて、こんがり焼けた兎肉を凝視している。
「まさか、魔人ではないですよね?」
「魔人だったら、私はもう全力で逃げてるわよ。オニ様の子鬼と気配が似てるから、たぶん子鬼ね。それよりエモンナ、早くお肉頂戴!」
エモンナが立ち上がると、木の棒で串刺した兎肉をクレスティーナに渡す。
それを見たライデが、反射的に持っていた短剣を両手で握り締め、リコナを守るようにして身構えた。
「人の子よ。それを私に向けるということが、どういう意味か分かってるのですか?」
「あ……。ああ……」
目を細めたエモンナの放つ威圧に、ライデの顔が恐怖に歪む。
手に持っていた短剣を落として、少年が崩れ落ちる。
「俺はいいんです。俺の命は差し上げます……。だから、この子は見逃して下さい。お願いします!」
ライデは身体を震わせながらも、地面に額を擦りつけるようにして頭を下げる。
声も震えてるが歯を食いしばって、必死に幼馴染の助けを懇願した。
「ライ君!」
「はぁー。クレス様、どうしますか?」
「あー、え? 私?」
こんがり焼けた肉の匂いを充分に楽しみ、ようやく齧りつこうと口を開けた所で、クレスティーナが停止する。
「人の子だけでなく、魔物も侵入して来たようなので、とりあえず何かしらの対応をしてないと、まずいと思いますよ? 万が一、外からやって来た魔物達に、オニ様の魔物が減らされた日には、お前達は何をやってたんだとオニ様がお怒りになって、配下の魔物達を私達にけしかけて……」
「え、エモンナ! どうしよう!」
エモンナに脅かされて、パニック状態になったクレスティーナが、兎肉を放り投げる。
美味しくこんがり焼けた兎肉が宙を舞い、犬人の顔も自然と上を向いた。
犬人の視線が下に落ちると同時に、兎肉が地面を転がっていく。
途端に目を血走らせた2匹の犬人が走り出し、兎肉に飛び掛かった。
争い合うようにして、兎肉に牙を深く食い込ませ、焼けた肉を勢いよく食いちぎる。
一心不乱に貪り食う魔物達を見て、2人の子供達は小さく悲鳴を上げ、互いを抱きしめ合い、完全に怯えていた。
「落ち着いて下さい、クレス様。ひとまず子鬼達に、動いてもらえるよう交渉しましょう。相手が少数なら数で囲めば、勝機はこちらに充分あると思われます」
「そ、そうよね! そうしましょう!」
「ひとまず、異界門がある部屋へ参りましょう。貴方達も、死にたくなければついて来なさい」
「は、はひぃ!」
涙目になって怯える子供達を半ば強引に連れて、クレスティーナ達は迷宮の奥へと移動を始めた。