第39話 兄の高校生活2とその裏で
昼休みの生徒が行き交う校舎の外から、雨音が聞こえる。
空を見上げれば、どんよりした雨雲。
梅雨の時期だからか、連日のように雨が降っていた。
校舎にある窓の1つから、学生服を着た少年が、外の景色を眺めている。
「勇樹」
背後から声を掛けられて、少年が振り返る。
勇樹の視線の先には、幼馴染の真希が立っていた
「なんだ小姑」
「誰が小姑よ」
黒い髪を肩のあたりで切り揃えた少女が、右手を腰に当てると眉根を寄せた。
しかし、すぐさま気を取り直したように表情をやわらげ、勇樹の隣に歩み寄る。
「あんたさぁ、夏休みの予定は何かあるの?」
「予定? うーん……。沙理奈が最近ハマってるゲームがあるから、たぶんそれをやることになるだろうな」
「えーと。モフモフできるゲームだっけ?」
学校が休みである土日は妹に付き合わされて、勇樹は新作のゲームばかりをしていた。
昨晩も、「夏休みは、絶対にモフモフ三昧するのじゃー!」と鼻息を荒くして叫ぶ妹の会話を思い出したのか、勇樹が苦笑する。
「そうそう。お前は、また例のやつに行くんだろ? ノベゲーだっけ?」
「ノベケよ。ノ・ベ・ケ。なんでノベルゲームみたいになってるのよ。そろそろちゃんと覚えなさいよ」
「へいへい」
ノベルマーケット、通称ノベケ。
夏休みと冬休みの年2回、東京で開催されるイベントである。
昨今のネット小説ブームから派生した、小説好きの若い人達が参加する大規模なオフ会のようなものだ。
真希が言い聞かせるように説明をすると、勇樹が面倒臭そうに「へいへい、そうでしたね」と適当な返事をする。
「ノベケの参加は当然の決定事項よ。夏休みまでに、ノベケの原稿を作るので大忙しだわ。サークルの準備もあるしね。あんたも東京行く? 観光くらいなら、付き合ってあげるわよ」
「人ごみは嫌いだから、遠慮します。それに、どうせスタッフとかで力仕事をさせられるのが、目に見えてるしな」
「チッ、バレたか。スタッフとして参加すれば、旅費はルミ姉が出してくれるのにね」
ちなみに移動の旅費は、真希の従姉である留美音が出してくれるようだ。
留美音も人気サークルの売り子スタッフとして参加してるらしく、真希もそのサークルに入っていた。
余談ではあるが、留美音は美人コスプレイヤーとして有名であり、留美音のコスプレ目当てに来る常連も多い。
ノベケが終わった後は、サークルの仲間と一緒に都会を観光するのが、いつものお決まりのパターンである。
「夏休みの計画を立てるのはいいんだけどさ。それよりまずは、期末試験だろうが。来週の期末試験の勉強は、ちゃんとしてるのかよ。おばさんが、この前の中間も赤点ギリギリのがあったって嘆いて」
「おお! そういえば、漫研に呼び出されていたんだわ。チャオ」
「おい……」
真希がわざとらしく手を叩いた。
勇樹に話す隙を与えないくらいに早口で喋ると、手を振りながらその場を、足早に立ち去って行く。
「なんだよチャオって……。ホント知らねぇぞ、俺は」
幼馴染の後ろ姿を、勇樹が呆れた表情で見送ると、視線を再び外へ向けた。
窓枠に手を置きながら、ぼーっと外を眺める。
「夏休みか……」
ポツリと呟くと、雨雲で覆われた空を見上げた。
* * *
「……」
薄暗い迷宮内で、高貴なゴシックドレスを着た幼女が、黙々と本を読んでいる。
時々ページをめくる音が聞こえ、大きな狐耳を生やした幼女が、書かれた文字を追うように視線を動かす。
上等な毛皮に寝そべりながら、辞書のように分厚い本を読んでると、目を擦りながら大きな口を開けた。
「ふわぁ~。難しいものばかり読んでると、眠くなってくるわね……。うーん」
異界門について書かれた、難解な本を読むのに飽きたのか、クレスティーナが立ち上がる。
狐耳をピンと立てて、大きく伸びをすると周りを見渡した。
大部屋の隅で昼寝をしたり、同族の身体に顎をのせてくつろいでいる犬人の集団へ歩み寄ると、魔界のお嬢様が声を掛ける。
「散歩に行くわよ」
「クゥン?」
地べたに座って、後ろ足で首元をかいていた1匹の犬人が首を傾げた。
クレスティーナの意図に気づいたのか、狐耳幼女のお嬢様を背中にのせると、大部屋の中心にある異界門へと向かって歩く。
異界門の傍にある6階層へ繋がる転移門に、犬人が足を運ぼうとする。
しかし、クレスティーナが突然に垂れ耳を引っ張った。
犬人が立ち止まると、不思議そうな顔で振り返る。
「クゥン?」
「今日は、そっちじゃないのよ」
垂れ耳を引っ張りながら、クレスティーナが犬人を誘導する。
最近まで起動していなかった、青白い光を放つもう1つの魔法陣へ移動すると、犬人が立ち止まった。
青白い光に包まれて、クレスティーナ達の姿が大部屋から消える。
転移門で11階層に移動すると、犬人が通路内をトコトコと歩き始めた。
「お? ちゃんと、悪魔幼女達が仕事してるわね。感心感心」
通路の壁に青白く光る壁灯を見つけて、狐耳幼女のお嬢様が満足気な表情を見せる。
灯りがなくても移動できるよう細工された通路内を進んでいると、こちらへ向かってくる鬼族の集団が遠目に確認できた。
それに目敏く気付いたクレスティーナが、犬人を別の小部屋に移動させる。
「ゴギャギャ、ゴギグギャ!」
小部屋の入口でしばらく待っていると、目の前を鬼族の集団が走り過ぎて行く。
腰に騎士の剣を提げた中鬼騎士のナイトラを先頭にして、騎士の鎧を着せられた中鬼達が10匹。
元気良く皆に声を掛けるリーダーの中鬼騎士とは違い、中鬼達は「ぜぇぜぇ」と辛そうに息をしながら、リーダーの後を必死の表情で追っていた。
「真面目に訓練する中鬼とか、すごい違和感しかないわね」
訓練好きな中鬼騎士の考案で、持久力をつける為にランニングの参加を強制的に課せされた集団を見送ると、クレスティーナ達が先を進む。
迷宮内を暫く歩いてると、今度は沢山の奇声が聞こえる騒がしい部屋を見つけた。
部屋の中を覗き込むと、浅黒い肌の大鬼子2匹が取っ組み合いをしている。
大鬼子達の周りでは、中鬼達が拳を振り回すなどして、楽しそうな表情で観戦していた。
「……」
「何だい、おチビちゃん。こんな所へ顔出して」
部屋の入口で様子を伺っていたところに声を掛けられて、クレスティーナが振り返る。
クレスティーナが見上げた先には、動物の毛皮を胸と腰に巻いた、女性の大鬼子が立っていた。
頭から2本の白い角が生え、身長が2mもあるガタイの良い大女が腕を組んで、狐耳幼女のお嬢様を見下ろしている。
普通の人間ならたじろいてしまう雰囲気だが、クレスティーナは気にした様子もなく指を差す。
「ねえ、ムデス。アレって、何してるの?」
「あん? あー、アレかい。ダンザがナイトラに新しい技を教わったから、ダオスンが練習相手にさせられてるのさ」
「へー」
楽しそうな表情のダンザとは違い、ダオスンは必死の表情で抵抗している。
過去の決闘で、勢い余って角を折られた苦い経験がある故に、ダオスンが必死になるのも無理はない。
大鬼子の取っ組み合いをしばらく眺めた後、視線を再びムデスに移す。
「そういえば、ダザランは一緒じゃないの?」
「ん? おー、あっちにいるよ」
歯並びの良い白い歯を見せて、笑みを浮かべたムデスが、親指を立てて後ろを差す。
案内をしてくれるらしく、ムデスの後をクレスティーナがついて行く。
「こっちの生活はどう。馴染んできた?」
「んー。まあまあさね」
「産まれる前の事は、何か思い出した?」
「いいや。ダザランといつも一緒だったなーっていう事ぐらいさね」
木刀を使って剣の訓練をする中鬼達を横目に眺めつつ、ムデスと雑談をしながら広い室内を移動する。
11階層へ繋がる転移門が新たに使えるようになってから、この辺りの階層は6階層にある魔樹農園とは違い、魔物達の訓練階層として利用されている。
騒々しい訓練所を抜けて別の小部屋に移動すると、大鬼子のダザランと騎士の鎧を着た中鬼騎士が談笑をしていた。
「なんだか楽しそうね。何の話をしてるの?」
「ん? クレスか?」
地べたに座って、談笑をしていたダザランが振り返る。
「ナイトンが面白い話をいろいろしてくれるから、それを聞いていた」
「面白い話?」
「剣術や格闘術。それに、軍隊の作り方や戦術などいろいろだ」
「それのどこが面白いのよ」
期待していたものと違ったからか、クレスティーナが眉根を寄せる。
「鬼族はそんな難しいことを考えない。数を多く集めて相手にぶつかる。そればっかりだ。俺もいろいろ考える方だが、ナイトンはもっといろんな戦い方を知っている」
「へ~。鬼族の癖に、そういうのに興味を持つのね。あなた、変わってるわね」
「俺は、力で1番になれないのを分かってるからな」
不意にダザランが、どこか陰りの見える笑みを浮かべる。
すると、ムデスが後ろに回ってダザランの肩を揉む。
「ダザランの良いところは賢いところじゃないか。私は腕っぷしがよくても、馬鹿は嫌いだよ」
「そうか……。ありがとう、ムデス」
「……?」
ダザランの過去を知らないクレスティーナが、大鬼子達のやりとりを見て、不思議そうな顔で首を傾げる。
「ウォン! ウォン!」
「ん?」
一緒にいた犬人が尻尾を左右に振りながら、小部屋の外に向かって吠え始めた。
クレスティーナが小部屋から顔を覗かせると、訓練所に鍋と棒のような物を持った子鬼がいた。
子鬼のククリの後へ続くように、今度は巨漢の強化山羊人達が、荷車を引っ張りながら大部屋に入って来る。
「グギャー! グギャゴギャギャ!」
「飯の時間だぞー」とでも言ってるのか、子鬼のククリが持っていた棒で鍋を叩き始める。
荷車には、大量の一角兎が山のように載せられており、それに気づいた中鬼達の目の色が変わった。
「ゴギャギャァアアアア!」
「グギャア!?」
目を血走らせた何十匹もの中鬼が、訓練を中断して我先にと荷車へ殺到する。
大きく目を見開いた子鬼のククリが、慌てた様子で訓練所の入口へ向かって走り出した。
しかし、入口からはランニングから帰ってきた別の中鬼達が、大量に雪崩れ込んで来る。
子鬼の悲鳴が聞こえ、興奮した中鬼達に蹴られた鍋が宙を舞い、室内はまるで戦場かと思うような状況へと一変した。
荷車をガタガタと激しく揺らしながら、腹を空かした中鬼達が兎肉を奪い合う。
100匹を超える中鬼達が、餌に群がる蟻の大軍のような状況で、押し合いへし合いをしていた。
「キュプー」
「これは酷いわね」と言いたげな表情で、強化山羊人に肩車をされた悪魔幼女が、安全な場所から見下ろしている
食料班に任命された子鬼や犬人達が、一生懸命集めた一角兎の山が、あっという間に消えていく。
「グギィ……」
間一髪で逃げ出せたのか、子鬼のククリが「やれやれ」と言った様子で、額の汗を拭っていた。
部屋の隅で座っている子鬼に、犬人が駆け寄る。
仲が良いのか、犬人が尻尾を左右に振りながら、子鬼のククリの顔を舐め回す。
「ククリ、ごくろうさま」
「グギャ!」
クレスティーナに声をかけられた子鬼のククリが、犬人を撫でながら笑みを浮かべた。
「飯か。腹が減っていたところだ」
小部屋の中から、大鬼子のダザラン達も顔を出す。
道中で渡されたらしい荷袋を担いだ中鬼騎士のナイトラに近寄ると、荷袋の中から次々と取りだす一角兎を受け取っている。
「ゴギャギャギャ! 腹減ったぞ。ナイトラ、俺にも肉をよこせ」
全身汗だくになりがらも、満足げな笑みを浮かべた大鬼子のダンザも、ナイトラから一角兎を受け取る。
耳まで裂けた大口を開くと、一角兎の生肉へ豪快に齧りついた。
ちなみに先程までダンザの訓練に付き合わされていたダオスンは、地面に大の字になって倒れている。
疲労困憊な様子で、しばらくは立ち上がれそうにもない。
鬼族達の食事風景を眺めていたクレスティーナに、強化山羊人に肩車をされた悪魔幼女が声を掛ける。
「え? オランゲの実の納品? ……おー。もうそんな時間だったかしら。すっかり忘れてたわね」
クレスティーナが、拳を掌でポンと叩く。
どうやら、採取班が収穫したオランゲの実を、村へ納品するのを忘れていたらしい。
「妙に眠いと思ったら、昼寝をしてなかったわね」
ちなみに、ナテーシア達が納品分の確認作業をしている間、お気に入りのハンモックで昼寝をするのが、最近のクレスティーナの日課であった。
「そこ、なかなかいいわね」
「クルピポ?」
強化山羊人に肩車をされている悪魔幼女を見上げると、何かを指示する。
別の強化山羊人が近づいてくると、狐耳幼女のお嬢様を持ち上げて肩にのせた。
「おー。いつも見上げてばかりだから、この感覚は新鮮ね!」
何やらご機嫌な様子で、強化山羊人に肩車をされたクレスティーナがはしゃいでいる。
ククリ達に、先に行って村へ納品に行く準備をするよう指示を出すと、鼻歌まじりに訓練所を後にした。




