第38話 決闘
「来たか……」
地べたに座り、あぐらをかいていた大鬼子のダザランが、ゆっくりと腰をあげる。
ざわつく赤鬼族達の視線の先には、大勢の魔物が続々と大部屋に入って来ていた。
大部屋の中心には青白く光る魔法陣があり、それが魔界へと繋がる転移門になっている。
胸と腰に動物の毛皮を巻いた、女性の大鬼子であるムデスが、ダザランの隣へ歩み寄る。
ムデスが腕を組むと、不機嫌そうな顔で相手を睨む。
彼女の視線の先には、集団を指揮するリーダー格の吸血鬼亜種がいた。
傭兵の格好をした少女がムデスの視線に気づき、笑みを浮かべる。
「てっきり、もう魔界に逃げたかと思ってたわ。ここにいるってことは、まだやる気はあるみたいだけど……。どうして、転移門の近くにいるのかしら? 負けたらすぐ逃げるつもり? 鬼族って、思ってたより腰抜けなのね」
「ッ!」
牙を剥き出しにして、怒りの表情を作ったムデスが何かを言おうとしたところで、ダザランが手でそれを止める。
ダザランに目で何かの合図をされ、ムデスが身体をワナワナと震わせながら押し黙った。
挑発的な態度を見せる少女を、大鬼子のダザランが見つめる。
「お前達は、何者だ?」
「……ん?」
大鬼子のダザランの問いかけに、黒髪の少女が首を傾げた。
「俺の名はダザラン。魔界の連中が、なぜ我々を襲う」
「なぜ、あなた達を襲うかですって? お父様が、あなた達を潰せって言うから、潰しに来ただけよ」
「お父様? そいつが、お前達の主人か? ならばそいつに伝えろ。魔界の協定を破れば、どうなるかを分かって」
「はぁあ? 協定? 何それ?」
「……」
噛み合わない会話に、沈黙の間ができる。
意味を理解しきれないように、吸血鬼亜種の女傭兵が再び首を傾げた。
「ダザラン」
「うむ。やはり、親父に報告する必要がありそうだな」
横から小声でムデスが尋ねると、ダザランが1つ頷く。
騎士から奪った剣を両手で握り締めると、鋭い目つきで相手を睨む。
「お前達には、いろいろと聞かねばならぬことがありそうだ」
「そうね。これ以上聞きたければ、力尽くで聞くことね。弱い者が、強い者に従う。それが魔界のやり方でしょ?」
口の端を吊り上げると、吸血鬼亜種のパイアが凶悪な笑みを見せた。
ダザランが、空を斬るように剣を振り下ろし、その切っ先を相手に向ける。
「そうだな。ならばそうすることにしよう。ここが、お前達の墓場だ」
「フフフ。それはどうかしら?」
口元に手を当てて、黒髪の少女が不敵な笑みを浮かべる。
パイアが手招くような仕草を見せると、2mにもなる黒い獣人達が前に進み出て来た。
「たっぷりと時間をかけて詠唱強化した肉壁に、あなた達が勝てるのかしら?」
「……突撃ー!」
「ゴガ、ゴギャギャー!」
ダザランが剣を高々と掲げて、戦闘開始の合図を出す。
それに合わせてムデスが咆哮し、頭から2本の白い角を生やした鬼族達が、一斉に走り出した。
2人の大鬼子と99匹の赤中鬼の集団が、奇声を上げながら全速力で大地を駆ける。
向かってくる集団を、冷静な顔で見ていたパイアが指差し、口を開く。
「蹴散らしなさい」
「ヴメァアアアア!」
全身を黒い体毛で覆われた獣人達が、身体を仰け反らせて野太い声で咆哮すると、相手を迎え撃つ形で突撃した。
2mにもなる強化山羊人20匹が、赤鬼族の集団と激突する。
「ゴギャギャ!?」
「ゴギャゥ!」
目を血走らせた強化山羊人達が先陣を切り、強烈なタックルで赤肌の中鬼達を次々と突き飛ばして行く。
真正面から激しい体当たりを受けて、不運にも転倒した中鬼は、蹄のついた大きな足で容赦なく蹴り飛ばれた。
巨漢の強化山羊人が、体重をかけて勢いよく足を踏み下ろすと、骨を砕く音が耳に入る。
1匹ではどうにもならないと分かってるのか、足を止めた強化山羊人に、数匹の赤中鬼が一斉に飛び掛かった。
赤中鬼達が群がり、金色の巻き角を持つ山羊頭の獣人が、必死に振りほどこうとしている。
「ダンザ!」
「おう! ゴガ、ゴギャギャー!」
タイミングを見計らったように、吸血鬼亜種の少女が仲間に声を掛ける。
大鬼子のダンザが、騎士の剣を高々と掲げて咆哮する。
大兜を被ったダンザの後を追うように、浅黒い肌の鬼族達が駆け出した。
72匹の中鬼を従えて、大鬼子と騎士の鎧を着た中鬼騎士が、戦場へ雪崩れ込む。
「のりこめー!」
「おー!」
奇声を上げて突撃する鬼族達を追うかたちで、吸血鬼亜種の少女達も楽しそうな表情で駆け出す。
手に持った短剣を振り回し、次々と赤中鬼の身体を切り裂いて行く。
「そいや!」
「ッ!?」
強化山羊人のタックルから必死に逃げていた赤中鬼の顔面に、吸血鬼亜種の少女の飛び膝蹴りがめり込む。
鼻血を流しながら派手に転倒した赤中鬼に、大鬼子のダンザが近寄る。
倒れた中鬼を足で踏みつけると、逆手に持った騎士の剣を、相手の心臓めがけて振り下ろした。
「ゴフッ……」
「ゴギャギャギャ! 次はどいつだ! オルァ!」
吐血した赤中鬼から剣を抜くと、楽しそうに笑いながら、次の獲物を力任せに斬り裂いた。
怒号、絶叫、様々な奇声が飛び交い、魔物達による争いは血生臭さを増していく。
かくして戦場は様々な種族が入り乱れた、大混戦状態となった。
「ヴメァアアアア!」
「うおっと」
目を血走らせた強化山羊人が、闘牛士に突撃する闘牛の如く、獲物めがけて体当たりを仕掛けた。
しかし、そのタックル攻撃に気づいたムデスが、咄嗟に横へ飛んで避ける。
「ゴギャン!?」
大鬼子が避けたことで、ムデスの後ろで戦っていた中鬼達が強化山羊人に突き飛ばされた。
その様子をムデスがチラ見すると、してやったりの嬉しそうな顔を見せる。
「ヘヘん。……オルァ!」
愛用の棍棒を両手で握り締めると、ムデスが近くにいた中鬼を殴り飛ばす。
力任せに棍棒を振り回し、浅黒い肌の中鬼達を次々となぎ倒し行く。
「ヴフ-ッ! ヴフ-ッ!」
興奮状態の強化山羊人が鼻息を荒くして、逃した獲物を探すように視線を動かす。
「フンッ!」
「!?」
突然背後から、騎士の剣が振り下ろされた。
金属音が耳に入ると、強化山羊人が顔をしかめる。
「うーむ……。これは確かに硬いな」
「ヴメァア?」
強化山羊人が振り返ると、騎士の剣を握りしめて難しそうな顔をした、大鬼子の姿があった。
ダザランが手元から視線を上げると、黒い体毛に覆われた獣人と目が合う。
「ふむ。ならば……」
刃を鞘に仕舞うと、大鬼子が強化山羊人と対峙する。
両手を広げて向かってきた大鬼子と対抗するように、強化山羊人も両手を伸ばす。
互いの指が絡み合い、2mもある巨漢の魔物達による力比べが始まった。
「なるほど……。力はあるな」
「ヴ、ヴミャー」
歯を食いしばって力む強化山羊人と違って、大鬼子の表情は冷静だ。
相手の顔色を伺っていたダザランが、笑みを深めた。
「だが、俺に勝つにはまだまだな……フンッ!」
「ッ!?」
大鬼子が更に力を込めたらしく、強化山羊人の顔に苦悶の表情が浮かぶ。
相手の手を握り潰そうと力比べをしていたようだが、どうやら大鬼子の方が握力は上のようである。
「そるぁ!」
「ヴミャ!?」
いきなりダザランが、黒い獣人の顔めがけて頭突きを食らわす。
顔面に突然の不意打ちを食らって、強化山羊人が両手で顔を押さえながら、後ろへよろめく。
鞘から抜いた剣を逆手に持つと、姿勢の低くなった強化山羊人の頭へ、上から一気に貫いた。
「なるほどな……。弱点は、魔界の山羊人と同じか」
串刺しされた頭から、剣を引き抜く。
止めを刺されて崩れ落ちた獣人を、ダザランが興味深そうな顔で見下ろす。
「それが分かれば、充分だな」
山羊人を強化する魔法は心臓がある胴体が最も固く、それより外側に向かうほど硬質化が弱くなる。
エモンナが勇樹に語っていた話ではあるが、実は頭や手足などは素の固さのままだったりする。
一度戦闘をしたムデスから聞いた情報をもとに、相手の弱点を再確認できたダザランが、満足そうに頷く。
「ダザラン!」
強化山羊人を倒した仲間に、ムデスが駆け寄る。
激しい戦闘を繰り返したせいか、体中に汗をかいていた。
「ダザラン。そろそろ引き揚げないと、まずいよ!」
「やはり中鬼だけでは、どうにもならんか……」
同族に言われて、争い合う魔物達を見つめるダザランの顔が、厳しい表情へと変わる。
互いの軍勢は同じような数ではあったが、魔物の質にはかなりの差があった。
大鬼子が2人だけの赤鬼族に対して、相手の方は1/3程が中鬼よりも強い魔物や魔人達で構成されている。
戦いが長引けば、ダザラン側が不利な状況になるのは、時間の問題だろう。
「ダザラン!」
「分かってる。行くぞ」
ダザラン達が目配せをすると、当初の予定通りに行動を起こす。
「オラオラ! どけやゴルァ!」
転移門へ向かうように、先陣を切ったムデスが愛用の棍棒で、中鬼達を次々と殴り飛ばす。
その後を追うダザランに、頭上から強烈な斬撃が振り下ろされる。
咄嗟に気付いた大鬼子が、自分の剣でその斬撃を弾いた。
「おう。やるな」
「……」
ダザランが睨んだ先には、角の生えた大兜をかぶった、2mの大男が立っていた。
騎士の剣を肩に担ぎ、南山族を彷彿とさせるような、腰巻に半裸の大男が楽しそうな笑みを浮かべる。
南山族に似せた傭兵の格好をした大男の背後には、斬り伏せられた赤中鬼達が倒れていた。
どうやら逃走を図ろうとするダザランめがけて、強行突破をして来たらしい。
「どうした。また俺から逃げるのか、ダザラン」
「また……だと? お前と会うのは、初めてのはずだが?」
「俺もそう思ったんだが、どうにも違うらしい。昔の俺は、お前と知り合いみたいだな」
「昔の俺?」
意味不明なことを言う大男を、ダザランが訝しげな表情で見つめる。
隙を見て逃走を図ろうとしているのか、ダザランの足がじりじりと後ずさる。
その行動に気づいたのか、大兜を被った大男の目線がダザランの足元に向く。
「まあ、そんなことはどうでもよい。俺は強い奴を倒せれば、それで良いんだ。それとも親父の背中に隠れて、また鬼族の決闘から逃げるのか? 腰抜けダザラン」
「ッ!」
大兜の大男が馬鹿にしたような笑みを浮かべた瞬間、その顔目がけて刃が振り下ろされる。
2つの刃が激しくぶつかると、接触した部分からチリチリと火花を散らせながら、ダザランが殺気立った目で相手を睨む。
「お前の名を聞こう」
「ダンザだ」
「……そうか。俺の倒したかった奴を、思い出す名だ……。ダンザ……。お前が俺のことをなぜ知ってるのか、全て聞かせてもらうぞ!」
歯を食いしばりながら、相手を覗き込むように、ダザランが顔を寄せる。
同じように顔を寄せたダンザが、歯並びの良い白い歯を見せた。
「お前が俺を……倒せたらなッ!」
「ッ!?」
予想以上の力だったのか、ダンザの振り上げた剣から逃げる様に、大鬼子が後退する。
魔人の力を最大限に発揮し、剣が壊れるかと思わんばかりの激しい剣戟が始まった。
「ダザラン! 何をやって……」
転移門まで走り抜けて、仲間が後ろをついてきてないことに気付いたムデスが、驚いた表情で振り返る。
慌てた様子で戻ろうとするが、その進行を2つの人影が遮った。
騎士の盾を前に突き出して、剣を構えた中鬼騎士2匹を、大鬼子が睨みつける。
「邪魔だよ!」
力任せにムデスが棍棒を振り回したが、中鬼騎士が騎士の盾でそれを防御する。
腕力は大鬼子の方が上らしく、中鬼騎士が少し後ずさるが、その場にしっかりと踏ん張った。
ムデスが追撃をしようとするが、もう1匹の中鬼騎士の斬撃に阻まれ、距離を取るように後退する。
戦場から離れた転移門まで駆け抜けた為か、助けてくれる同族も周りにおらず、2対1の睨み合いが始まった。
「くっそぉ……」
仲間を助けに行きたくてもいけないムデスが、思わず歯ぎしりをする。
ムデスの視線の先では、肌色の違う大鬼子同士による斬撃の応酬が続いていた。
「どうした! 威勢が良いのは最初だけか? ゴギャギャギャ!」
「グゥッ!」
愉しげな表情で、激しく剣を振り回すダンザに対して、大鬼子のダザランは必死の表情で応戦している。
防戦一方な大鬼子の様子からして、戦闘能力はダンザの方が上なのは、一目瞭然だ。
そして、これこそがダンザの生前であるダンザガと、ダザランが彼らの父から決闘することを、禁じられた理由でもある。
力こそ正義な鬼族において、後継者に敗北があってはならない。
ダザランとの決闘を禁じられた理由を父から告げられ、厄介事を片づける為にダンザガを敢えて死にやすい状況で、人界に送り出した理由を父から聞いたダザランの心中は、いかなるものであったのか。
しかし、息子の為に気を利かせた父の行為は、結果的にダザランの鬼族としてのプライドを大きく傷つけ、ダンザの安い挑発にも乗ってしまったのだろう。
相手の素性を知らぬまま、勝てぬ戦いに挑んだ結果、ダザランがじりじりと追い詰められていく。
「フンッ!」
「ッ!? しまっ……」
振り上げたダンザの強烈な斬撃を、正面からまともに受け止めてしまい、力負けしたダザランの両手が上がる。
その直後、無防備になったダザランの胴体目がけて、即座に身体を捻ったダンザが、横薙ぎに剣を振るう。
大量の血飛沫が宙に舞い、腹を手で押さえたダザランが膝をついた。
「グゥッ……」
「俺の勝ちだな」
致命傷の攻撃を受けた為か、ダザランは苦悶の表情を浮かべたまま、その場を動かない。
ダンザが止めを刺そうと、再び剣を構えた。
それに気づいたムデスが走り出す。
「ダザラン! どけぇ! 邪魔だぁあああ!」
タックルで中鬼騎士を突き飛ばし、もう1匹から背中を斬られながらも、ムデスが強引に敵陣を突破して、ダザランのもとへ駆けつけようとする。
必死の形相で、仲間のもとへ駆け寄ろうとするムデスに気づいたダザランが、それを止めるように手を差し出す。
「来るな、ムデス!」
「やめろぉおおおお!」
しかし、彼女の叫びもむなしく、無情にも騎士の剣が振り下ろされた。
止めを刺された大鬼子の上体が、ゆっくりと血溜まりへ倒れる。
「ダザ……ラン……」
ムデスが声を震わせながら、重くなった足を動かして、仲間のもとへ近寄る。
手を伸ばそうとした瞬間、ムデスの身体から2本の刃が飛び出る。
「グゥッ!」
隙だらけになった獲物を見逃すわけもなく、背後から襲撃した中鬼騎士達が、ムデスの身体から剣を引き抜く。
致命傷の攻撃を受けて、ムデスが膝から崩れ落ちる。
「馬鹿野郎が……ゴフッ!」
口から大量の血を流し、もう1人の大鬼子も地面に倒れた。
それでもまだ諦めきれないのか、ほふく前進をしながらダザランの傍に近寄る。
最後の力を振り絞って腕を伸すと、ダサランの手を力強く握りしめた。
ムデスの目が静かに閉じると、そのままピクリとも動かなくなる。
敗北した魔人達に、少女の人影が近づく。
「馬鹿な連中ね。勝てない戦いなんだから、さっさと逃げればいいのに……」
吸血鬼亜種の少女が、酷くつまらなそうな顔で、地に伏した2人の魔人を見下ろす。
パイアの視線が、仲間の手を握りしめて、息絶えたムデスへと向かう。
「お父様が同じ目に遭ったら、私も同じことをするのかな……」
目元にかかった黒い前髪を指先でかきあげながら、少女がボソリと呟く。
パイアの傍へ、大鬼子のダンザが近寄る。
「パイア、どうする?」
「そうねー。とりあえず、魔人は倒したし、適当に残党を狩ったら帰りましょ」
「うむ」
指先で髪を弄びながらパイアが返答をすると、ダンザが他の中鬼達に残党狩りの指示を出す。
再びパイアの視線が、戦いに敗れた魔人達の亡骸へ向かう。
感傷的な表情から一変して、白い歯を見せる様に口角を上げ、愉しげな笑みを浮かべた。
「今度はこっちで、2人仲良く暮らしなさい。フフフ……」
黒い長髪をなびかせながら振り返ると、パイアも残党狩りへ参加する為に駆け出す。
リーダーを失った集団の士気は落ち、あっという間に赤鬼族達が討ち倒されていく。
こうしてセナソの村で発生した赤鬼族との戦争は、終戦を迎えた。




