第31話 番犬
「兄上、出陣じゃー!」
勢いよく扉が開くと、顔にご飯粒をつけた沙理奈が、勇樹の部屋に飛び込んでくる。
狐耳帽子を頭にかぶって、準備万端の様子だ。
鼻息を荒くした妹を見つめると、勇樹が視線をパソコンに移す。
画面隅にあるデジタル時計には、『7:55』の文字が表示されていた。
ちなみに、公民館の開館時間は9時である。
「まだ出掛けるには、少し早いな。後30分したら出掛けよう」
「そんなこと言って、モフモフが全滅してたらどうするのじゃー!」
「攻略情報を見てたけど、無料版の難易度は初心者にも優しいらしいから、大丈夫だと思うけど……たぶん」
「たぶんじゃ駄目なのじぁああああ!」
突然に沙理奈が床に寝転がると、部屋を右へ左へと転がりながら喚き立てる。
待ちに待った休日のゲームに、一分一秒も我慢できないようだ。
「そんなこと言っても、公民館はまだ開いてないし……。沙理奈、宿題終わった?」
「もうとっくに終わってるのじゃー!」
「それは良い事だな」
休日をゲーム三昧したいが為に、昨日は学校から帰って来るなりゲームもせず、宿題を真面目にしてたらしい。
「あっ……そう言えば、沙理奈。『今日のケモナー』、更新されてたぞ。パソコンにはダウンロードしたけど、どうする?」
「ふぉおおおお!」
突然に目をカッと見開くと、沙理奈が飛び起きる。
奇声を上げながら、勇樹の部屋から飛び出した。
自分の部屋から慌てて戻って来ると、背負い袋からタブレットPCを取り出す。
「もっふるもっふる! もっふるもっふる!」
タブレットPCにファイルを移している間も、待ちきれないとばかりに、机に両手を置いて楽しそうに飛び跳ねている。
勇樹のパソコンからデータを移し終えると、タブレットPCを持って沙理奈が床に寝転がる。
鼻歌交じりに、タッチペンで目的のフォルダを開き、画像をプレビュー表示にした。
すると画面いっぱいに、ゲームに登場する犬人達が現れた。
様々な種類の犬人達が、つぶらな瞳でこちらを見ている。
「可愛いのじゃー!」
顔をほころばせると、満面の笑みを見せる。
嬉しそうに次の画面へ移すと、また違った様子の犬人達が現れた。
こちらは犬人達が丸くなって、昼寝をしている。
「これも可愛いのじゃー」
触り心地の良さそうな体毛に覆われた可愛い獣人達に、沙理奈がだらしない笑みを見せる。
沙理奈が見ているプレビュー表示機能は、フォルダ内にある全ての画像を見る事ができ、最後までファイルを閲覧すると最初のファイルに戻るという優れた機能を持つ。
そして、沙理奈のタブレットPCには、公式サイトにある『今日のケモナー』からダウンロードしたファイル画像が、既に100枚以上ある。
モフモフ好きの沙理奈の場合、勇樹が声をかけなければ、モフモフ鑑賞で30分を超えていることもザラであった。
足を上下にパタパタしながら、モフモフ鑑賞に没頭している妹から視線を外すと、勇樹が再びパソコンに目を移す。
「うーん……」
難しそうな顔で、『異世界の住人(邦題)』に関するゲームの攻略サイトを眺める。
今日やるゲームのために、事前に情報を収集しようとしていたが、該当するものが見つからないようだ。
「メインクエストにはないから、サブクエストかと思ったんだけど……。うーん……。やっぱり、まだ誰も見つけてないクエストを、見つけちゃったかなー?」
両手を頭の後ろで組むと、椅子の背もたれに身体を預けながら、妹を見つめる。
「沙理奈だと、ありえるから困るんだよなー」
リアルラックの高い妹のおかげで、勇樹は別のゲームでも似たような経験をしていた。
その時と同じだと判断したのか、見ていた攻略サイトを閉じて、別のサイトに画面を移す。
「……へー。性別判定は、カメラで顔認識して、自動で判定されるんだー。ふーん……。だから、性別を選ぶ画面もなかったんだ。納得」
「可愛いのじゃー」
公式サイトを眺めながら、勇樹がブツブツと独り言を呟く。
床に寝転がる沙理奈は、飽きもせずタブレットPCにかぶりつき、勇樹に声をかけられるまで、モフモフ鑑賞を楽しんでいた。
* * *
壁に描かれた不思議な紋様が、青白く光る通路で、1匹の魔物が地面に丸くなっていた。
寝息の呼吸音に合わせて、灰色の体毛に包まれた身体が、膨らんだり縮んだりを繰り返す。
気持ちよさそうに寝ている魔物の両耳が突然に立ち、何かを探すようにピクピクと動く。
顔を上げると目を見開き、金色の眼で通路の奥を睨む。
「グルルル……」
ゆっくりと上体を起こしながら、口に皺を寄せて低い唸り声を出す。
白い牙を剥き出しにして、誰もいないように見える通路の奥を、狼人が威嚇し続ける。
「チッ、バレたか」
小さな舌打ちと同時に、通路の曲がり角から黒髪の少女が顔を出す。
顔を覗かせた吸血鬼亜種のパイアが、忌々しそうな顔で狼人を見つめ返す。
「狼人を手懐けて見張りにするとか、悪魔幼女の癖に生意気ね」
狼人がいる通路の奥には、悪魔幼女が管理する魔樹農園がある。
この通路が、魔樹農園へ繋がる唯一の道であり、どうやらこの狼人は番犬として配置されてるようだ。
大切に育てているゴリンの実を、盗み食いに来る果実泥棒対策の為に、悪魔幼女達が仕掛けたのが容易に想像できる。
「むー……。こうなれば、強行突破をしてでも」
もはや手段は選ばないとばかりに、己を加速させる為に風魔法の詠唱を呟き始めた。
そんな愚かことを考える少女の前に、ヒタヒタと複数の足音が近づく。
通路の奥から現れた狼人達を見て、思わずパイアが詠唱を中断した。
計6匹にもなる狼人達が、通路の隙間を塞ぐ形で横に並び、パイアを威嚇している。
「グルルル……」
「ちょっと……数が多いわね」
土壁に隠れるように身体を引っ込めて、パイアが様子を伺う。
追いかけごっこをするには、流石に分が悪いと思ったらしい。
「貴方も懲りないですね」
「ッ!?」
背後から声を掛けられて、パイアが驚いた表情で振り返る。
後ろへ振り返れば、音もなく忍び寄った悪魔メイドのエモンナが、呆れたような顔でパイアを見ていた。
「ちょっとエモンナ。これは何よ」
「見て分からないのですか? 貴方のように、足の速い者が侵入しても捕まえれるよう、私が悪魔幼女に指示を出したのですよ」
「やっぱりアンタの入れ知恵だったのね」
パイアが頬を膨らますと、ニコニコと笑みを浮かべるエモンナを睨む。
「これに懲りたら、侵入は諦める事ですね」
「むー」
不満げな顔をするパイアの横を素通りすると、恐れることなく狼人達に近づく。
「お座り」
小さな呟きだが、桃色の瞳を爛々と輝かせた威圧感のある悪魔メイドの一言に、狼人達が素早く腰を下ろし、『お座り』をした。
気のせいか狼人の背筋も、いつも以上に伸びてるようにも見える。
腰に提げた小袋から数本の骨付き肉を摘み、エモンナがそれを放り投げる。
宙に舞ったご褒美を素早く口でキャッチすると、嬉しそうに尻尾を振りながら、狼人達が齧りだす。
魔樹農園のある部屋に向かって、通路を進むエモンナの後ろ姿をパイアが悔しそうに見つめていると、不意に心臓のような鼓動音が迷宮内に響く。
「あっ! お父様!」
途端にパイアが、嬉しそうに目を輝かせた。
「来たようですね。パイア、他の者達を連れて……言うまでもないですか」
エモンナが後ろへ振り返るが、既に少女の姿はなかった。
「さて、折角なので貴方達も、顔合わせをしておきなさい」
「ガウ?」
エモンナに声を掛けられた狼人達が、不思議そうな顔で首を傾げる。
犬人に背負われて、通路の奥から慌てた様子で駆けて来た悪魔幼女達と合流すると、迷宮の主を出迎える為に異界門へと向かった。




