第29話 釣りと首を傾げる者達
「ゴギャ、ゴギャギャ!」
「ゴギャー!」
森の中から、複数の奇声が聞こえる。
頭から2本の白い角を生やした、赤い肌の中鬼4匹が、どうやら奇声をあげているようだ。
体格の良い赤中鬼達は、草木の生い茂る森の中を走り、誰かを追い掛けていた。
彼らの前を走っているのは、赤中鬼達よりも一回り小さな土肌の子鬼。
腰に湾曲刀を提げた子鬼が、何度も後ろへ振り返りながら、一心不乱に森の中を走っている。
子鬼を追う赤中鬼達は、もともと川を渡る橋の前でうろついていた者達だ。
本来は、彼らの上司である大鬼子から、橋は渡らぬよう言われていたが、橋の反対側から様子を伺う見知らぬ子鬼を見つけてしまい、思わず橋を渡って来た。
なぜ橋を渡ったのかと聞かれたら、子鬼が橋の反対側から舌を出しておどけたり、お尻を見せて叩いたりと、馬鹿にしたような挑発行為を繰り返していたからである。
短気な中鬼達の怒りに、火をつけたのも無理はない。
「……」
自分達よりも弱そうな子鬼を追いかけ回し、ついには追い詰めることに成功したようだ。
崖のような土壁を見上げて途方にくれる子鬼を、4匹の赤中鬼が退路を断つように取り囲む。
どうやって痛めつけてやろうかと、舌舐めずりをしながら子鬼へにじり寄る。
「囮役、ご苦労様」
唐突に、上から女性の声がして、赤中鬼達が顔を見上げる。
すると黒髪の少女が上から落ちて来て、1匹の赤中鬼に肩車した体勢になると、そのままの勢いでナイフを喉元に突き刺した。
目の前で喉を切り裂かれた仲間を、他の赤中鬼達が呆けたように見つめる。
「よそ見をしていて良いのか?」
「!?」
2匹の赤中鬼が驚いて背後を振り返ると、大きな手で首を掴まれる。
高い土壁から飛び降りて来たダンザが、赤中鬼達の首を掴んで力強く持ち上げる。
赤中鬼達もそこそこ体格が良い方だが、2mも身長がある大鬼子のダンザには、流石に力負けをしてしまうようだ。
地面から足が離れた赤中鬼達が、苦しそうな顔でもがきながら、空中で足を激しく動かす。
「コフッ」
「カフッ」
ダンザに首を絞められて、呼吸困難になっている2匹の赤中鬼が、ついには白目を剥く。
ピクリとも動かなくなると、ダンザが手を放した。
崩れ落ちた赤中鬼を見下ろすと、視線を隣に移す。
地面に倒れた赤中鬼から、喉元を貫いた湾曲刀を、子鬼のククリが引き抜く。
木の枝から飛び降りた吸血鬼亜種のパイアに、見取れている赤中鬼を背後から襲い、喉元を切り裂いたようだ。
顔についた血糊を乱暴に手で拭うと、ダンザと目を合わせたククリが、嬉しそうな笑みを見せる。
「グギャ!」
「うむ。上出来だ、ククリ」
「よーし。とりあえず、コイツらを運んで頂戴」
「グギャギャ!」
パイアが指示を出すと、ククリが土壁を見上げて奇声を上げる。
すると、待機していた子鬼達が顔を出す。
子鬼達が次々と飛び降りると、上にいる子鬼が降ろした木製担架を受け取る。
ダンザ達に手伝ってもらいながら、倒した赤中鬼達を担架に乗せると、子鬼達が肩に担いで運び始めた。
迷宮へと死体を運ぶ子鬼達と入れ替わるようにして、別の集団がパイア達に近づく。
2mの鬼族と黒髪の少女、それと先程倒した赤中鬼達の肌が土色になった鬼族が10匹。
その集団に視線を移すと、パイアが楽しそうな表情で白い歯を見せる。
「まあ、ざっとこんな感じ。どう、できそ?」
「うん、大丈夫だと思う」
「うむ」
新たに仲間入りした、吸血鬼亜種と大鬼子にパイアが説明すると、魔人達が頷いた。
ダンザも魔人達の後ろにいる中鬼達に、鬼語で説明する。
理解はできたのか、木製担架を持つ中鬼達も頷いた。
説明を終えたタイミングで、ククリがダンザに何かを喋り始める。
「ほう。他にも、良い待ち伏せ場所があるのか。案内しろ」
「グギャ!」
生前のムナザが、自分の庭のように狩りをしていた森の中を走り回っていると、身体に刻まれた記憶が掘り起こされるらしい。
ククリが楽しそうな顔で、ダンザ達を別の待ち伏せポイントへ案内しようとする。
ダンザ達が走り出すと、数匹の中鬼がその後を慌てて追いかけ始めた。
「ちょっと、ダンザ! そいつらに、橋は絶対に渡らないよう言っといてよ! もし、勝手に橋を渡ったら、あの馬鹿みたいに迷宮へ埋めるって!」
「分かってる!」
ダンザが早口気味に鬼語で喋ると、パイアを見た中鬼達が激しく首を上下に振って、コクコクと何度も頷く。
実は、本来ここには中鬼がもう1匹いるはずなのだが、なぜかナイフで全身を切り刻まれて、魔樹農園の入り口前で事切れていた。
無知とは怖ろしいもので、不運にもパイアの怒りに触れた仲間の末路を見た中鬼達は、大鬼子のダンザより吸血鬼亜種のパイアに、恐怖を抱くようになったらしい。
他の魔人達と簡単な打ち合わせをすると、パイアも次の獲物を求めて走り出す。
「さーて。今日は何匹釣れるかなー。お父様のために、仲間をいっぱい増やさないとねー」
可愛い顔して、怒らせると仲間に心の傷を残す程に怖い少女が、森の中を楽しそうに駆け抜ける。
* * *
光の届かぬ迷宮内で、激しく争い合う音が響く。
どうやら中鬼よりも身体の大きな大鬼子が、反抗的な赤中鬼達に躾をしてるようだ。
身体を赤く染めたダザランに、片角が折れた大鬼子が近寄ると声をかけた。
「戻ってない中鬼がいる?」
「おう。なんか騒いでる中鬼に聞いてみたらよ。そんなこと言ってやがったんだ。昨日から、帰って来てない奴がいるってよ」
ダオスンの話を聞いて、ダザランが眉根を寄せる。
手で汗を拭ったダザランの下には、体中が青痣だらけの赤中鬼が数匹倒れている。
「数は分かるか?」
「そこまでは、分からねぇってよ。ただ、1匹じゃないのは、間違いないみてぇだな」
「そうか……。とりあえず、外にいる奴等も集めて、数をかぞえ直すか。さすがに中鬼が200もいると、3人だけでは目が行き届かないな」
2人の大鬼子が、迷宮の外へと向かって通路を歩いていると、見知った顔が現れる。
胸と腰に動物の毛皮を巻いた、女性の大鬼子であるムデスが、腰に手を当てて口角を上げた。
「どうしたんだい。難しい顔して」
「ムデスか。頼んでた用事は、終わったか?」
「終わったよー。剥がしたやつは、とりあえず全部遠くに隠して来たよ。あーあ、1人で全部運んだから、もう疲れたよー」
腕を回しながら、ムデスが自分の肩を揉む仕草をする。
ムデスに頼んだ用事とは、調査隊として村へ訪れた騎士達の亡骸から、装備していた鎧や兜を剥いで、遠くへ持ち運ぶことである。
2mもの身長がある魔人達は、人が着るサイズの鎧や兜は装備できない。
中鬼達がそれを着れば、装甲は厚くなるが、中鬼達の反乱を警戒した魔人達が、それを良しとしなかったのだ。
産まれて日が浅い中鬼達に装備させるのにはまだ早く、しっかりと躾ができるまでは遠くに隠しておくよう、ムデスに指示を出したのである。
「中鬼達には、気づかれない場所に隠したか?」
「もちろんだよ。1人で行って来たから、中鬼達には気づかれてないよ。よっぽど目か鼻でも良い奴が、私の後をついてなきゃ、私が隠した所なんて、誰にも分かりやしないよ」
「なら問題ない」
ケラケラと笑うムデスを見て、ダザランが頷く。
「それで、こっちは何があったんだい?」
「うむ。どうやら中鬼達が何匹か、勝手にどこかへ行ったまま、戻ってないらしい。外にいる時に、何か気づかなかったか?」
「そうだねー。村にいたような奴らが、まだ森に隠れてたなら、それにやられたのかもしれないけど……。あっ、気になることと言えば……」
「何かあったのか?」
顎に手を当てると、何かを考え込む様子のムデスを見て、ダザランが尋ねる。
「遠吠えが聞こえてたね」
「遠吠え?」
「うん、川の向こうの森からね。鎧とか隠すのに、目印になる石とかを川で探してる時に、獣の遠吠えが聞こえたんだよ。人界には、立って歩く獣人はいないけど、犬や狼はいるんだろ?」
「らしいな」
「なんか魔界にいる獣人にも鳴き声が似てたから、もしかしたら中鬼達が反応しちゃうかもねーって、思ったのさ」
「獣か……」
腕を組んだダザランが、難しそうな顔で考え込む。
「デゼムンの報告だと、橋を渡った先に村があるって、ダンザガが言ってたらしいね。獣を追いかけてる時に、村を見つけて、勝手に暴れてるかもしれないねー」
「なんだと! アイツら、抜け駆けしやがって……」
「ふむ……。ありえるな」
ムデスの言葉に、片角の折れた大鬼子が反応する。
抜け駆けされたと思って、悔しそうな顔をするダオスンを見て、ダザランが苦笑する。
「橋はまだ渡るなって、言っといたんだけどねぇー。やっぱ数が多いと、全部は見張りきれないねー」
「ゴギャギャー!」
「騒がしいぞ。どうした?」
顔が青痣だらけの中鬼が、慌てた様子で走って来ると、ダザラン達の前で喚きたてる。
「はぁー。また喧嘩かい。困った奴らだねー」
「そっちの喧嘩は、俺が止めに行こう。ムデス、悪いが俺の代わりに外へ行って、村や森でうろついてる奴らに、日が暮れたら必ず迷宮に戻るよう言ってくれ。そこで一度、何匹いるか数え直そう」
「あいよ」
ムデスが1つ頷くと、迷宮の外へ向かって歩いて行く。
「ダオスン。お前は中鬼達を連れて、橋を渡って様子を見て来い。そうだな……。30匹もいれば、充分だろ」
「それはいいけどさー。俺も村で暴れたいぜ」
「分かってる。村を見つけたら、多少暴れても良い。そのかわり、他の奴等を見つけたら、ちゃんと連れて帰って来い」
「よっしゃー!」
片角の折れた大鬼子が、思わず拳を握り締める。
分かりやすいくらいに、嬉しそうな顔で返答する様子からして、村で暴れる気満々なのだろう。
「それと、殺した奴らの死体も、忘れず持ち帰れよ?」
「おう、分かってる!」
足取り軽やかに迷宮の外へ向かうダオスンを見送ると、喧嘩の仲裁をする為に、迷宮の奥へと向かった。




