第21話 新たな脅威
灯りの無い迷宮内を、争い合うような奇声が聞こえる。
とても広い大部屋で、2匹の赤子鬼が取っ組み合いの喧嘩をしていた。
「グギ、グガガ!」
「グギャア!?」
赤子鬼の拳が、もう1匹の赤子鬼の顔に命中する。
殴られた赤子鬼が地面を転がると、追い討ちをかける様に赤子鬼が何度も蹴りを入れた。
「グギャ、グギィ!」
「……」
身動き1つしなくなった赤子鬼を一瞥すると、地面に転がっている齧りかけの一角兎を拾う。
顔は腫れあがっているが、勝利した赤子鬼がご機嫌な様子で一角兎を齧り、その場を離れて行く。
ダンザガが迷宮を出てから、既に数日が経っていた。
以前は、迷宮内を沢山飛び跳ねていた一角兎が、ほとんど見当たらない。
ダンザガが討伐された夜から急激に迷宮の力が弱りだし、迷宮内で産まれる一角兎の数が激減してしまったようだ。
一角兎がいなくなった代わりに、土壁には青い石が目立ちだした。
迷宮に残った赤子鬼達が、残り少ない一角兎を奪い合って、喧嘩をしている状態である。
「グギィ……」
喧嘩に負けて傷だらけになった赤子鬼が、悔しそうな表情で迷宮の奥を見つめている。
すると突然に、大部屋の中心にある魔法陣が青白く輝き出した。
「グギャア?」
それに気づいた赤子鬼が不思議そうな顔で、首を傾げる。
青白い光の奔流が溢れ出し、しばらくすると飛散した。
魔法陣の上に、複数の人影が見える。
人影の1つが土壁に近づくと、壁に埋まっている青い魔石を指で掴んで取り出す。
「迷宮の結晶化が、始まってる……。ダンザガは、死んだのか?」
「おいおいおい。子鬼が全然いねぇじゃねぇかよ」
「んー……お? 子鬼がいるよ! アイツに聞いてみたら良いじゃん」
地面に倒れている子鬼のもとへ、大きな人影が駆け寄った。
鬼語で尋ねられて、赤子鬼が怯えながらも相手の質問に返答する。
「何日か前に1人で出て行った後、帰って来てないってさ」
「なにやってんだよ、アイツ」
詠唱のような呟きが聞こえると、転移門が青でなく紫色に発光する。
怪しげな光に照らされて現れたのは、手袋を嵌めて魔法陣に触れる壮年の男性。
レースの飾りを付けたコートを着ており、周りにいる動物の毛皮を巻いただけの者達に比べると、身分が高そうに見える。
「薄々気づいていたが、やはり迷宮の契約も切れておるようだ。死んだのは、確定のようだな……」
コートを着た男性の背中には、コウモリのような翼が生えている。
悪魔族の魔人が淡々とした様子で、ダンザガの死を皆に報せると、近くにいる者へ顔を向ける。
「ダザラン、準備はできたぞ。では、最初の予定通り、迷宮の契約を変更する。まずは契約主になる、お前から血を垂らせ」
「うむ」
紫色に光る転移門へ、2mにもなる大柄な鬼族の魔人が近づく。
己の歯で指を噛むと、指先から垂れた血を魔法陣の上へ落とす。
悪魔族の魔人が、詠唱をしながら魔法陣の上を指でなぞると、転移門に描かれた文字の羅列が変化した。
「よし。お前達も血を垂らせ。それでこの迷宮で産まれた魔物は、お前達を味方と認識する。ただし、躾を上手くやってないと、すぐに反乱されるぞ」
「心配いらん。それはいつものことだ。上手くやる」
他の鬼族の魔人達が血を垂らすのを確認すると、再び悪魔族の魔人が詠唱を始める。
作業が完了すると、悪魔族の魔人がダザランを見上げた。
「よし。これで完了だ。魔石は持ってきてるな?」
「勿論だ。親父から預かっている」
ダザランが、魔界から持ち込んだ背負い袋に手を入れる。
袋の中から血のように赤い魔石を取り出して、それを悪魔族の魔人に見せた。
「宜しい。ならば後は、それをこの転移門に置くだけだ。今度はしくじるでないぞ」
壮年の魔人が立ち上がり、マントを翻すと転移門の上に立つ。
暫くすると青い光の奔流と共に、その場から消え去った。
悪魔族の魔人が消え去った魔法陣の上に、背負い袋から取り出した赤い魔石をダザランが並べていく。
ダザランのもとへ、大鬼子の2人が歩み寄る。
「ていうかアイツ、偉そうだよなー」
「私、アイツ嫌い」
「そう言うな。俺も悪魔族は気に入らないが、人界の迷宮を使うのは、悪魔族の協力がないと無理だ。親父もそれを分かって、奴らと渋々協力してるんだ」
ダザランが立ち上がると、腕を組んで魔法陣の様子を見守る。
大鬼子達が様子を伺っていると、赤い魔石が魔法陣の中へ吸い込まれるように沈んだ。
「……お?」
「ダザラン、何コレ?」
突然に心臓が跳ねるような、鼓動音が迷宮内に響き渡る。
2人の大鬼子が、落ち着きなくキョロキョロと周りを見渡す。
ダザランが指で顎を撫でながら、興味深げにその様子を見つめている。
「ふむ……。少し待っていよう。そのうち魔物も産まれるだろう」
「ふーん。あいよ」
「待つのは嫌いだなー。グギ、ゴギャギャ」
「グギャア?」
暇を持て余した大鬼子が、大部屋にいた子鬼と鬼語で喋り始める。
子鬼の話を聞いてると、胸に動物の毛皮を巻いた大鬼子が頬を膨らます。
「なにさ、それ。アイツ、全然駄目じゃない。デゼムン達の報告より酷いじゃない……」
「ふむ……。デゼムン達は、こっちでダンザガを見たと言ってたから、おそらくその後にやられたんだろうな」
「でも、あっちも1人やられたんだろ? 今は迷宮に引き籠ってるみたいな話を、他の奴からも聞いたし。人界の連中にやられるとか、情けねぇよな」
「油断はするなということだ。子鬼だけで人界を滅ぼすのは、流石に難しいという事だろう。……ふむ、アレが迷宮の卵か」
「グギャア!」
ダザランが目敏く卵を見つけると、赤子鬼が嬉しそうに駆け出した。
待ちきれないとばかりに地面に転がる石を拾って、目を血走らせて卵を割り始める。
卵の中に手を突っ込むと、取り出した未成熟な一角兎にすぐさま噛みついた。
「どんだけ腹空かしてんだよ……」
「親父から聞いた感じだと、デゼムンの所も時間の問題かもねー。迷宮に青魔石が多少あったらしいけど、子鬼を増やしても……ねぇ?」
「アイツらも馬鹿だよなー。親父が反乱しようとしてる奴らに、気づかないわけがないだろうに……」
2人の大鬼子が、互いの顔を見ると意味深な笑みを浮かべた。
しかし、ダザランだけが溜め息を吐く。
「反乱しそうな連中を切るのは仕方がない。しかし、ダンザガを切るのはな……。他に手はなかったものか……」
「なんだい、ダザラン。まだそんなこと言ってるのかい。アレは親父でさえ、手を焼くような親不孝もんだよ。私達の躾じゃ、どっちにしろ無理だったのさ」
「あのクソ野郎。俺の角を折りやがって……俺より若い癖に……死んで当然なんだよ……」
片方の角が折れたが大鬼子が、爪を噛みながらブツブツと何かを呟いている。
魔界にいた頃のダンザガは若いうちからメキメキと頭角を現し、彼らの父親である大鬼を除けば、1対1の決闘では負けなしなくらいに強かった。
しかし、若過ぎたせいか酷く驕り、ダザラン達がいた一族の中では完全に孤立していた。
「あの子ったら、大鬼の血を引いてるからかあっという間に、手が付けられないくらい強くなっちゃったからね……。アレで、ダザランくらい賢ければねー。女にも手を上げるような馬鹿野郎は、流石にいらないよ」
「今回の話は少々露骨過ぎたから、ダンザガは断ると思ったんだがな。それすら気づけないのが、アイツの限界ということか……ん?」
「はいはい、いつまでしょぼくれてんだよ。ほら、何か来たよー」
「あん?」
3人の大鬼子が、迷宮の奥から現れた人影に気づく。
子鬼よりも大きな魔物だ。
しかも1匹だけでなく、何匹もいる。
「さて、人界を攻めるための戦士を集めるか……。躾が上手くいった奴は、そのままお前達の部下にして良いぞ」
「おっしゃー!」
「よーし、私も頑張っちゃうぞー」
凶悪な笑みを浮かべながら、ダザラン達が魔界から持って来た棍棒を握りしめる。
迷宮の奥から次々と顔を出す魔物達に向かって、魔人達が駆け出した。




