第19話 新種
日は沈み、静まり返った夜の村を、1人の大柄な男が歩いている。
豊満な顎髭を撫でながら1軒の簡素な家に到着すると、扉を力強くノックした。
「俺だ、ダゴックだ。開けてくれ」
スナイフがやっている『修理屋』の扉が開くと、ダゴックが中に入る。
家の中には、数人の武装した者達がいた。
「わりぃな、待たせちまって。村長達にも報告してたら、遅くなっちまった」
「良いさ。それで、本当に魔人だったのか?」
トーナスの護衛をしていた傭兵が声をかけると、ダゴックが頷く。
「ああ、砦に行って魔人と戦った奴にも、確認させたからな。それと、村のガキ共にも確認させたんだが、ムナザが腹につけた傷があったみてぇだ。村を襲おうとした魔人で、たぶん間違いないだろう」
「そうか。それは、おめでとうと言うべきかな?」
「そうだな。一応は、ムナザの仇は討てたからな……。あの魔人共が、それをやったっていうのか、少し気にいらねぇけどな」
ダゴックが不満そうな顔をしながら、テーブルの上にあった器を手に取る。
オランゲの実を浸した水を、喉を鳴らしながら一気に飲み干した。
「それじゃあ。ひとまず、村は安全になったんだな?」
「まあ、そうだな……。他の魔人がまだ村にいるのに、安全になったというのも妙な話だが……」
ダゴックが腕を組んで、難しそうな顔をする。
トーナスの護衛をしていた傭兵が、1枚の紙を取り出した。
ナテーシアの手に刻まれた呪印を、スナイフが描き写したものだ。
「コレの話だが、とりあえずは若旦那とも相談して、知ってそうな奴を俺達でも当たってみるよ」
「悪ぃな」
「良いさ。若旦那にも、ナテーシアちゃんのことは、よく聞いとけって言われてるからな」
「まあ、そうなるわな」
頭をボリボリとかきながら、ダゴックが苦笑いを浮かべる。
「スナイフからも聞いたけど、いろいろ大変だったらしいな」
「まったくだよ。ナテーシアを人質として差し出す話になった時は、すごく悩んだぞ。奴らと戦うか、逃げるかでな……。国の助けが来るどころか、周りの村がどんどんやられていくし。逃げるにしても、村長の息子を見捨てるわけにもいかねぇし、そもそもどこへ逃げるんだって話だし……」
「厳しいな」
「もし、お前がその時にいたら、どうしたよ?」
当時の頃を思い出してるのか、部屋にいる者達が難しそうな表情をしてる。
ダゴックから投げかけられた質問に、トーナスの護衛をしていた傭兵が、しばし考えるような様子を見せた。
「たぶん、お前と同じことをしたな」
「そうか……。俺の勘だが、奴らはまだ俺達の知らない何かを、隠してるはずだ。ナテーシアにかけられた呪印を見て、奴らが魔法を使うことは分かった。あのチビでさえ、そんなよく分からん魔法を使えるんだ。迷宮の奥にいる連中は、もっと凄いことができるのかもしれん。そんな奴らとは、まともに戦いたいとは思わん」
「なるほどな」
ダゴックが目配せで、周りにいる男達に合図をする。
すると、武装した者達が家の外に出て、誰かが近くにいないかを警戒し始めた。
2人が身体を寄せて、声をひそめた。
「村の連中には、下手に動くなって釘を刺して、今は奴らに大人しく従ってるフリをしている。でもな、ナテーシアの件さえ片付けば、すぐに逃げるつもりだ。その時は、村の奴らを逃がすのに協力して欲しい」
「まあ、それが一番だろうな。町にさえ逃げれば、もう少し安全になるからな。若旦那にも言っとくよ。ナテーシアちゃんのことが絡めば、どうせ嫌とは言わねぇだろうしな」
「すまねぇな」
「はぁー。しゃあない、これも仕事だ……」
トーナスの護衛をしていた傭兵が、肩を落として溜め息を吐く。
ダゴックがその肩を叩くと、これからのことについての打ち合わせを始めた。
* * *
闇で覆われた部屋の中心で、床に描かれた魔法陣のような物が、青白く発光している。
突然に魔法陣の中から青白い光の奔流が現れ、しばらくすると飛散した。
大小2つの人影が、魔法陣の上に立っている。
1人は狐耳にゴシックドレスを来た、見た目は幼女のお嬢様。
もう1人は侍女服に身を包んだ、背中に蝙蝠の翼を持つ女性。
クレスティーナの小さな手には、魔人を倒したことで手に入れた『赤い魔石』が握り締められていた。
「ふーん。一応は、使えるようになったみたいね」
「昨日の目印もありますし、6階層で間違いはないようですね」
昨晩、目印として地面に刻んでおいたモノをエモンナが見つける。
2人が周辺の様子を確認してると、再び魔法陣が青白く輝いた。
1階層の転移門からやって来たのは、犬人におんぶされた悪魔幼女達だ。
6階層に到着するなり、ゴリンの種を握り締めた悪魔幼女達に指示されて、犬人達が駆け出した。
「プルプイ! プルプイ!」
「皆、大はしゃぎね」
「どうやら悪魔幼女達も、階層が深くなれば良い物ができると理解してるようです。6階層への魔樹農園の引っ越し作業を、朝早くから勝手に始めてましたので」
「まあ、良いんじゃない。やる気があるのは、良いことだし」
「6階層にも、簡単に移動できるようになりましたし。オニ様達が来た時のために、地図を作っておいた方が良いですね」
和やかな雰囲気で会話をしていた2人の表情が、すぐさま真剣なものになる。
クレスティーナの狐耳も、何かを捉えたようにとある方向へ向けたまま、固まっていた。
「クレス様、何かいるようです」
「みたいね」
「味方だとは思いますが、魔人を埋めてから産まれた魔物ですので、一応は警戒を」
「分かってるわよ」
2人の魔人が、同階層にいる何者かの気配に気づいたようだ。
先程、迷宮の奥へ駆け出した悪魔幼女達が、慌てたような様子で戻って来た。
どうやら新種の魔物を発見したらしい。
鞭を構えたエモンナに先導されて、目的の場所へと向かう。
通路を進んだ先から、誰かの話し声が聞こえる。
見通しの良いひらけた部屋に到着すると、壁に貼りついた卵を見つけた。
ただし、1つはすごく大きい。
その中に、2m級の大きな生き物がいたことが推測できる。
そして、その卵の隣に寄り添うようにして、もう1つの卵が見えた。
2つとも既に割れており、中は空洞である。
クレスティーナが卵の下に寄って来て、興味深げに中を覗き込んでいる。
そんな魔界のお嬢様とエモンナの近くに悪魔幼女達が集まって、とある場所を凝視していた。
「何があったのか知らないけど、いつまで凹んでるのよ……」
「俺は、負けたのか?」
「またそれ? はぁー、会話にならないわね」
頭から2本の角を生やした鬼族らしき魔物が、地面にあぐらをかいて、なぜかうな垂れている。
肌は赤でなく土色で、座っていても分かるくらいに大柄なので、大きい方の卵から産まれたのがこちらだろう。
その隣には、長い黒髪の女性が立っていた。
背中には、コウモリに似た小さな翼が生えている。
「会話はできるみたいね」
クレスティーナが卵から視線を外して魔物達を見ると、黒髪の女性が振り返った。
長い黒髪に桃色の瞳が特徴的で、悪魔幼女を高校生くらいに成長させたような少女だ。
その少女が腰に手を当てて、鋭い目つきでクレスティーナ達を見ている。
あまり友好的な雰囲気ではない。
黒髪の少女が、無言で手を前に出す。
「……?」
「服よ。貴方達、服着てるんだから、私にも何か着る物をよこしなさいよ。まさか、裸でいろとか言うんじゃないでしょうね?」
「ああ、なるほど」
少女の姿を再度見て、クレスティーナが納得したように頷く。
クレスティーナが悪魔幼女達に指示を出すと、慌てて転移門のある方へ走って行く。
その後ろ姿を、黒髪の少女が不機嫌そうな顔で見送る。
「吸血鬼のようにも、見えますね」
「そうねぇ……」
クレスティーナの耳元で、エモンナが小声で囁く。
吸血鬼とは、鬼族で言うところの子鬼にあたる魔物である。
肉を食べることを好む鬼族とは違い、生き物から血を吸うことを好む魔物だ。
この迷宮には、悪魔幼女と呼ばれる魔物がいるが、実は幼女サイズの悪魔族は魔界に存在しない。
クレスティーナ達が勇樹に語った持論ではあるが、必要最低限の魔素で悪魔族として産まれようとしたために、このようなサイズになったのだと思われる。
実際問題、悪魔幼女は迷宮の助けがないと魔法も使えない、悪魔族としては致命的な欠陥を持つ魔物だ。
それ故に、クレスティーナ達は悪魔幼女を、この迷宮にだけ産まれる特殊な悪魔族と認識していた。
「なんかうちにいたのと、妙に雰囲気が……」
「やっぱりそう思いますか?」
魔界にいた頃は、同族と一緒に住んでいたことがある。
その時の者達と見比べてるのだろう。
今回は悪魔族の吸血鬼が産まれたようだが、どうにもエモンナ達の顔色はよくない。
「そこまで露骨に睨まれると、流石に気になるのですが。私に何か言いたいことがあるなら、言いなさい」
「なぜかしらね……。貴方のこと、すごく気に食わないのよねぇ」
「……」
吸血鬼の目が細くなり、殺気のこもった視線へと変化する。
エモンナへ向かって、突然に駆け出した。
咄嗟に悪魔メイドが、クレスティーナから離れる。
「例えばその上から目線な感じとか、ねッ!」
「エモンナ!」
黒髪の少女が、飛び回し蹴りを放つ。
しかし、エモンナは驚くことなく、上体を後ろへ逸らした。
蹴りが空を切ると、少女が舌打ちをする。
「クレス様、さがって下さい。どうやら、躾をしないといけないようなので」
「何が躾よ! ッ!?」
「誰に似たのか、随分と足癖の悪い吸血鬼ですね」
少女が追撃の蹴りを入れようとするが、それは阻まれた。
蹴り上げようとした足を抑え込む形で、悪魔メイドのブーツが少女の足の上にのっている。
上が駄目ならと身体を捻って、横からの回し蹴りの体勢に入るが、その前に鋭い蹴りが少女の腹にめり込む。
「グッ!?」
「遅いですよ」
「だったら……」
苦悶の表情を浮かべた少女が、エモンナから距離を取るように走り出す。
何かの魔法を使おうとしてるのか、詠唱を始めだした。
「はぁ……。少し知恵がつくと、これですからね」
ため息を吐くと、エモンナが遅れて詠唱を始める。
背中に生えた翼が身の丈程に大きくなり、縦長に変化した桃色の瞳が不気味に輝く。
黒髪の少女よりも早口で、エモンナが高速詠唱を終え、身体の周りが緑色に発光する。
少女が驚いたように目を見開くと同時に、疾風の如き速さで少女との距離を詰める。
「ッ!?」
「勝負になりませんね」
足払いをされたのか、少女が派手に横へ転んで詠唱が中断する。
嗜虐的な笑みを浮かべた悪魔メイドが、少女の顔をブーツの底で踏みつけた。
「アグゥ」
「私の勝ちです。度胸があるのは結構ですが、喧嘩を売る相手を見誤ったようですね。貴方の得意なものが、私の得意なものであることをお忘れなく。『血の記憶』があっても、それを上手く使いこなせないうちは、私に逆らわないことですね」
「グゥ……」
顔を踏みつけられて、黒髪の少女が悔しそうな顔をする。
決闘による勝敗は力こそ正義な魔界において、組織内での上下関係を決める上で大きな意味をもつ。
それを理解してるのか、黒髪の少女が急に大人しくなる。
そんな少女を見下ろしながら、悪魔メイドが素敵な笑みを浮かべた。
「貴方の存在は、まだオニ様は知りません。このまま貴方を、産まれなかったことにしても良いのですよ?」
「……」
「好きな方を選びなさい。貴方は、私に従いますか? それとも逆らいますか?」
「……従います」
「宜しい。ちなみに、そこにいるお嬢様が私の主になりますので、彼女にも今後は従うように。宜しいですね?」
「はい」
エモンナが黒髪の少女から足をどける。
身体を起こした吸血鬼の少女が、不機嫌そうな顔で身体についた汚れを払う。
2本の角を生やした鬼族のもとへ向かうと、なぜか無言で蹴りを入れた。
「なぜ、俺を蹴る?」
「あの女、ムカツク!」
質問を文句で返すと、腕を組んで明後日の方向へ顔を向けた。
両頬を膨らませて、不機嫌そうな顔をする少女から視線を外すと、2本角の鬼族がエモンナを見つめる。
「お前……強いな」
「魔法も使えない貴方と、一緒にされても困りますね。よろしければ貴方も、私と決闘をしますか? ダンザガ」
「ダンザガ?」
エモンナに名を呼ばれて、2本角の鬼族が首を傾げる。
言葉の意味を、よく理解してない顔だ。
「覚えてないのですか?」
「いや……なんとなく、聞き覚えがある。ダンザガ……ダンザガ?」
「……。姿形は似ていても、やはり中身は違うものと考えた方が、良いですかね?」
「うーん、どうなのかしらね」
2本角の鬼族が難しそうな顔で、『生前の名前』を何度も呟く。
それを見ながら2人が小声でヒソヒソと囁き合うと、クレスティーナが前に出る。
「さて、決闘をしないのなら、貴方達にも仕事をしてもらうわよ」
「仕事?」
「5階層と6階層が解放されたので、魔樹農園の引っ越しと壁灯を点ける作業をします。それと地図の作成ですね。3日後には、オニ様達がいらっしゃる予定ですので、それまでには終わらせます」
「ねぇ、オニ様って誰よ」
「あー。名前を言っても、産まれたばかりの貴方達では、まだ分からないのですね。この迷宮の主ですよ」
「迷宮の主? ……強いのか?」
上の空だった元大鬼子が、興味深げな顔で悪魔メイドを見つめる。
吸血鬼の少女は相変わらず不機嫌顔で、エモンナを睨んでいた。
2人から視線を向けられて、エモンナが意味深な笑みを浮かべる。
「会えば分かりますよ」
「フン。弱い奴には、従わないわよ?」
「俺もだ」
「むー。大丈夫かしら?」
皆のやり取りを見つめる魔界のお嬢様が、不安そうな表情を見せた。