第17話 お嬢様の収穫と怒りし者
草木の生い茂る森の中を、1匹の小動物が駆け抜ける。
フサフサの体毛に包まれた小さな獣がふと立ち止まると、顔を上げて兎のように長い耳を立てた。
その小さな動物は村の者からラビレルと呼ばれており、兎とリスを足して2で割ったような見た目をしている。
どうやらラビレルは周りを警戒してるらしく、顔を左右に忙しなく動かしていた。
後ろから茂みをかき分ける音が聞こえ、小さな獣が振り返る。
遠くで茂みが揺れており、その音が近づいているのをつぶらな瞳で確認すると、ラビレルが走り出した。
「ウォン! ウォン!」
「オォオオオン!」
走り始めたラビレルの背後から、複数の犬のような鳴き声や遠吠えが聞こえる。
ラビレルが全速力で走り始め、茂みの中から顔を出した犬人達を引き離して行く。
犬人達が引き離されるなか、足の速い1匹の子鬼が必死の形相で、ラビレルの後を追走する。
土色の肌を持つ子鬼で、腰には湾曲刀を帯剣している。
「グギャア!」
子鬼のククリが、ラビレル目がけて勢いよくジャンプする。
しかし、それに勘づいたのかラビレルが咄嗟に横へ避け、ククリが茂みの中へ突撃してしまう。
「グギャギャ!?」
慌てて茂みの中からククリが顔を出すが、既に小さな獣の姿はなくなっていた。
獲物を見失ったことに気づいて、ククリが悔しそうに顔を歪ませた。
「グギィ……」
少し遅れて数匹の犬人が、ククリの近くへ駆け寄って来る。
全力で走ったからか、舌を出して「ハッハッハッ」と息を荒くしていた。
ふいに犬人達がしゃがむと、地面に顔を寄せて小刻みに鼻を動かし始める。
「スンスン、スンスン」
地面に残る微かな匂いを捕えたのか、前のめりの姿勢になった犬人達が、同じ方向へと進んで行く。
匂いを追う魔物達に誘導されながらしばらく森の中を進むと、木の根っこの隙間にある地面に、不自然な穴を見つける。
1匹の犬人が穴の中に鼻を突っ込むと、顔に皺を寄せて唸り声を出し始めた。
「ウーッ……ウォン! ウォン!」
「グギャギャ!」
「よくやったぞ!」と言わんばかりに、犬人の頭を撫でて場所を譲ってもらうと、ククリが迷わず穴の中に手を突っ込む。
ククリの眉間に皺が寄るが、穴の中から腕を出す。
すると、リスのように長くて大きな尻尾を掴んだククリの手に、小さな獣が歯を立てて噛みついていた。
噛まれた場所から血が出ているが、子鬼のククリは気にすることはなく、湾曲刀を鞘から抜いてラビレルに止めを刺す。
「グギャ!」
「ウォン! ウォン!」
ラビレルの長い耳を掴むと、ククリが自慢げに持ち上げた。
それを見た犬人達が、吠えながら嬉しそうに尻尾を左右に振っている。
獲物を無事に捕まえたククリと犬人達が森の中を歩いていると、不思議な光景が目に入った。
「もうちょっと右、右よ。って、そっちは左よ! お馬鹿!」
「グギャア……」
ペチンと可愛らしい音を出して、頭を叩かれた子鬼が困ったような表情をする。
なぜか肩車をされたクレスティーナが、下にいる子鬼を叱っていた。
そんな2人組にククリが近づき、魔界のお嬢様の服を引っ張る。
「何よククリ。今は忙しいのよ」
「グギ、グギャギャ」
「え? ……鬼語で、喋れ?」
近くにやって来たククリが鬼語で喋ると、クレスティーナが何かに気づいたように掌を叩いた。
「おお! そういえば、すっかり忘れてたわね」
1つのことに夢中になると、他のことをよく忘れる癖のあるクレスティーナが、鬼語で命令を出す。
今度は誘導に成功して目的の場所に到着すると、果樹になっている黄色の果実を、両手で掴んで引き千切った。
「グガ、グギャギャ!」
「え? ……そんなこと言っても、しょうがないじゃない。鬼族と一緒に森へ果物を取りに行くことなんて、絶対ないし。ていうか、ククリ。見てないでカゴよ。カゴ!」
「グギャ!」
鬼語で命令されなくても、クレスティーナの言葉が分かる節のあるククリが、足元に置いてあるカゴを持ち上げた。
オランゲの実をカゴの中に入れると、クレスティーナが満足そうに頷く。
「この果物を森から取って来ただけでお金になるなんて、人界でお金を稼ぐのって案外簡単よね。人手なら、余るほど沢山いるし」
クレスティーナがそう呟くと、カゴに次々とオランゲの実を放り込む魔物達を楽しそうに眺める。
昨日、ナテーシアからお金稼ぎの為に提案されたのが、森に入ってオランゲの実を収穫すること。
今でこそ、村の特産品となってるオランゲの実であるが、本来は自然豊かな森の中で育つ果樹である。
しかし、収穫する度に森へ出かけるとなると不便であったので、森に生えていたものを移動させることによって、村人達が収穫しやすいように果樹園が作られていた。
いつもなら、村の果樹園を全て取り尽くした際に、森から足りない分を村人達が取りに行くのだが、今は魔物達で溢れかえる危険地帯に変貌してしまったため、クレスティーナが取り放題な状態になっていた。
村の事情は当然ながら知らない魔界のお嬢様が、他のオランゲの実を楽しそうに引き千切っていると、近くにある茂みが揺れる。
茂みをかきわけて、犬人に背負われた悪魔幼女が顔を出した。
「クリピピ、キュルプイ!」
「え? もう、そっちは一杯になったの?」
どうやら別の場所でオランゲの実を取っていた魔物達が、クレスティーナに合流したようだ。
迷宮に生息する魔物は今や100を超えており、その半分を連れてくればハジマの村の人数に匹敵する程になっている。
要は村人総出で、森の中で作業をしてるようなものだ。
子鬼が背負っているカゴの中を覗けば、黄色の果実が沢山入っていた。
「そう。それじゃあ、そろそろ村に戻りましょうか。これだけあれば、きっとナテーシアも驚くわよ~。フヒヒヒ」
クレスティーナが、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべる。
合流した魔物達を引き連れて、上機嫌のクレスティーナが森を移動し始めた。
* * *
「ふざげるなッ!」
「グ、グギャア!?」
報告を受けたダンザガが憤怒の形相を見せると、突然に拳を振り上げる。
赤子鬼が宙を舞い、何かが折れるような奇妙な音を出して、頭から地面に落ちた。
しかし、それだけでは怒りが収まらなかったようだ。
2mもある巨漢の魔人からの理不尽な暴力が、赤子鬼に襲いかかる。
「なぜそれ程の大事な話を、今まで教えなかったんだ。この屑がッ!」
既にもの言わぬ躯となった子鬼を蹴り上げると、先程森から持ち帰った人の死体を睨む。
とばっちりを受けたくなかったのか、子鬼達が逃げ出した。
無数の斬り傷がある死体を、ダンザガが何度も踏みつける。
「人界の雑魚共がッ!」
「グギィ……」
子鬼達が寄り添うようにして、迷宮の主の怒りが収まるのを見守っている。
しばらくすると落ち着いたのか、肩で息するようにしてダンザガが座り込む。
腕を組むようにして考えるような仕草を見せると、近くにいた子鬼に鬼語でなにかを尋ねる。
「チッ、魔物を増やすどころか減ったんじゃ、アイツらに笑われちまう」
不機嫌そうな顔を見せながら立ち上がると、子鬼達に新たな命令を下す。
人から奪った2本の剣を腰から提げて、ツルハシのような物を担いだダンザガが迷宮から顔を出した。
森の中を進むが、配下の赤子鬼は1匹も連れていない。
どうやらこれ以上、迷宮内の子鬼達を減らすことをよくないと判断したようだ。
「人界の雑魚共が、小癪な真似を……」
森をしばらく進んだところで、ダンザガがふいに立ち止まる。
「待てよ……。子鬼が負ける程の奴らとなると、この前のような奴らがいるということか?」
ダンザガの視線が下に降りると、腰に提げている剣の1本を見つめた。
それは昨日、傭兵を殺した時に奪った剣であった。
「それはそれで、面白いかもしれんな。ならば全員、これで殺して死体を迷宮に放り込めば良いだけだ。森に引き込めれさえすれば、いくらでもやりようがある」
さっきまでの怒りはどこへやら、新しい玩具を見つけたのように、ダンザガの表情が楽しそうなものに変わる。
いや、どちからというと残虐な笑みに近い。
東にあるハジマの村を目指して、1人の魔人が再び森を歩き始めた。