第10話 妹の中学生活
ハジマの村から西へ半日程歩くと、セナソの村と呼ばれる場所がある。
人口100人にも満たぬ村ではあったが、今の村には人の気配はない。
その代わりに、なぜか赤子鬼達が村の中を徘徊していた。
空き家になった部屋の中では、2mにもなる長身の大鬼子が、床に寝転がっている。
「暇だ……」
大きな欠伸をすると、魔人のダンザガが身体を起こす。
「やはり人の住処を、早く潰すのではなかったな」
後悔にも聞こえる台詞を口にしながら、ダンザガが村の広場へ顔を出した。
井戸で水を汲んで飲み干すと、街へ繋がる道に足を運び、村人達が逃げ去った方向を睨みつける。
ダンザガは数日前に、東にあるハジマの村の若者達を蹴散らした後、そのまま西へ足を向けた。
西へ行く道中でダンザガは、先に偵察へ出していた赤子鬼が、森の中で倒されているのを目撃する。
深夜を1人で徘徊し、セナソの村を発見すると、遠目から偵察をした。
どうやら西の村は、早くから魔物に対する警戒を強めており、村の若者だけでなく年配者までが魔物と戦う意思を見せていた。
数匹程度の中途半端な赤子鬼では、返り討ちにされるだけだろう。
ダンザガは本格的に村を制圧することに決め、住処にしている迷宮から赤子鬼達を呼び寄せる。
大鬼子と60匹にもなる赤子鬼の軍勢。
軍団を指揮するダンザガの表情には、配下の赤子鬼を殺された怒りではなく、喜びの笑みが浮かんでいた。
魔人の咆哮と同時に、森の中から現れた鬼族の軍勢が、村に襲い掛かる。
セナソの村人にとっては、想定外の人数だったのだろう。
村の外で警戒をしていた者達が、慌てて村へ戻って報告し、戦える者だけが村に残って迎え撃った。
高台や家の上から弓矢を放ち、先陣を切った赤子鬼達が次々と矢に討たれる。
だがその程度では鬼族の侵攻は止められず、村の中まで赤子鬼達の侵入を許してしまう。
赤子鬼が次々と村人達に襲い掛かり、戦う者と逃げる者で混乱する村の中を、大鬼子も意気揚々と駆け抜ける。
ダンザガは強そうな者を選んでは、次々と武装した村人を屠って行った。
数の暴力と、それを指揮する魔人の前に、村はあっけなく制圧されてしまう。
戦いに負けた者達の中心で、鬼族達は勝利の雄叫びを上げた。
「やはり、いきなり大勢を引き連れて、攻め込むものではないな。腰抜けどもめ、住処を捨てて逃げ出すとは……。次からは、もう少し時間をかけて滅ぼさねばな」
その時の事を思い出していたのか、ダンザガは不機嫌そうに溜息を吐く。
「うーむ……。村を滅ぼせば、もっと強い奴が来るかと思ったが、誰も来る気配がない。流石に、待つのも飽きてきたな……」
新たな配下となる魔物を作るために、死んだ者達は迷宮に運ばせた。
村を制圧した後もダンザガが村にいるのは、更なる強者が来ることを期待していたからだ。
「腰抜けの人の子がいた村は、いつでも滅ぼせる。ならば、他の面白そうな住処を探すしかないか」
次の目標を決めると、ダンザガは鬼語で赤子鬼達に新たな命令を出す。
お供を連れぬまま村を出ると、ダンザガは北へ向けて足を進めた。
* * *
「沙理奈、起きろよー。遅刻するぞー」
「あいあいあー」
兄の勇樹がノックをしながら、ドア越しに声を掛けた。
すると布団の中から、かろうじて人の声のようなものが聞こえる。
亀のようにゆっくりと、布団の中から黒い塊が現れた。
ライオンのたてがみのような、ボサボサ髪になった少女が上体を起こす。
まだ半分夢の中にいるのか、しばらくボーっとした後、ようやく立ち上がった。
床に転がるぬいぐるみを蹴り飛ばしながら、なめくじのようなゆっくりとした足取りで、クローゼットに近づく。
ちなみに沙理奈の部屋にある大量のぬいぐるみは、全てゲームセンターにあるクレーンゲーム機でゲットしたものだ。
腕は決してよくないはずなのだが、なぜか沙理奈がやると必ずぬいぐるみが取れてしまうので、友人にあげても余るくらいにぬいぐるみが家にある。
クローゼットを開けると、ほとんど目をつぶったままの状態で、服を脱ぎ始めた。
「ふあぁ~」
まだ眠いのか、大きなあくびをしながら学生服に着替える。
案の定というか、スカートのファスナーは、きちんと最後まで閉じられてない。
スカートの隙間から縞々パンツを覗かせながら、部屋のドアに向かってノロノロと移動する。
「にゃんにゃん……」
大きな黒猫のぬいぐるみの頭を撫でると、その隣に置いていた学生鞄を手に持つ。
どう見ても目は瞑ってるようにしか見えないので、もしかしたらここまで、普段の習慣からくる無意識の動作なのかもしれない。
兄に先導されながらも、長い道のりを経て、学校近くの駅に辿り着く。
「遅刻すんなよー」
「らじゃー」
バスや電車の中でよく眠れたのか、スッキリしたような表情で、通学路の途中で勇樹と別れた。
中学校の近くにあるコンビニに立ち寄ると、洗面所で身だしなみを整え、お気に入りのシュシュで髪をくくる。
若者に人気の『からあげさま』をコンビニで買って、また食べ歩きしながら中学校まで行くのが、お決まりの通学パターンである。
「おおー。今日も、おまけの唐揚げが2個も入っておるのじゃー。さすが、『からあげさま』なのじゃー」
『からあげさま』は通常1袋5個入りなのだが、時々おまけが入っている場合がある。
1/50で1個のおまけ、1/100で2個のおまけなのだが、本人はそんなことも知らずに、毎日2個おまけが入ったものを買っている。
余談ではあるが兄が買った場合は、おまけが入ってたことは一度も無い。
証拠の写真を携帯で撮ると、いつものように自慢メールを兄に送った。
無駄にリアルラックを使いながら、ツインテールの黒髪をなびかせて、中学校の門をくぐる。
「沙理奈ちゃん、おはよう!」
「おはようなのじゃ~」
沙理奈が教室へ入ると、仲の良いクラスメイトの雪那が声をかけてくる。
雪那と挨拶をして席へ座ると、雪那は前の席に座って、沙理奈の方へ顔を向けた。
黒い前髪を綺麗に切り揃えた、美人顔の少女がニコニコと笑みを作って、沙理奈を見ている。
「……?」
「沙理奈ちゃん。昨日、投稿した小説があるんだけど、また感想が欲しいなーと思って」
「ほうほう」
雪那のお願いに、沙理奈が頷く。
嬉しそうな顔で雪那が携帯を操作すると、沙理奈の携帯にメールが届く。
本文に貼られたアドレスを選択すると、小説の投稿サイトへ画面が移った。
「いつものちょっと腐りかけのネタなんだけど……」
「腐りかけ?」
雪那の台詞に、沙理奈が首を傾げる。
しばらくすると、意味を理解したように頷いた。
「ああ、海パンレスリングなら任せろ。おにぃが、ニヤニヤする動画で見てたのを、一緒に見てたから得意だ!」
「だから、海パンレスリングなんてないって、いつも言って……」
雪那が意味を訂正しようと試みるが、沙理奈は携帯に目を移して読書に没頭してるので、話をまったく聞いていない。
「ふむふむ……。それで雪那。こいつらは、いつになった海パンでレスリングを始めて、ケツを叩き合うんだ?」
「だから、そんなことはしないよ。これから2人は仲良くなって、ときどき手を繋いで……キャッ!」
赤く染めた頬を両手で触りながら、「禁断の愛ですわー!」と意味不明な事を呟きながら、雪那が身体を左右に振っている。
腰まで届く長い黒髪を振り回して、妄想が暴走してる美少女を見つめる男子達は、「あの性格が、なければなー」と溜め息を吐いていた。
「そして、互いのケツドラムを叩く音が……聞こえる……だと?」
「もう、変な話を作らないで!」
「モフモフも全然出てこないし、なんだこの小説は……。評価は0だ!」
「沙理奈ちゃん、酷い!」
身体をワナワナと震わせると、沙理奈が怒りの表情を見せて咆哮する。
悲しそうな顔をする雪那を、沙理奈が睨み返す。
「それよりもなんだ、この無駄にでかい胸は! 酷いのはどっちだ! ロリ巨乳め、このロリ巨乳め!」
「ふわぁん! 沙理奈ちゃん、そんなに揉まないでー!」
「貧乳は、希少価値だと、何度言えば、分かるのだ、この、くのぉ!」
怒りが冷めやらないのか、両手で鷲掴みをして揉みまくる。
いつもの賑やかな光景に、クラスメイト達から生温かい視線が送られる。
「あの2人、また何かやってるよー」
「天然コンビは、相変わらずだねー」
「あーあ、男子がまたいやらしい目で見てるよー。教えなくていいの?」
「別にー、良いんじゃなーい?」
ちなみに沙理奈は文句を言いつつも、小説は後でちゃんと読んで、感想もしっかりと書きこんでいた。
朝のこのやりとりは、真面目な性格の雪那をからかうための悪ふざけである。
『モフモフを、もっといっぱい出した方が良い』とか、参考になってるかどうか分からない感想ばかりではあるが、雪那にとっては唯一のリアル読者なので、なんだかんだで2人は仲が良い。
学校の授業を終えて放課後になると、沙理奈は町の商店街を歩きながら、いつもの場所へ向かう。
コーヒーカップから湯気が出るイラストの描かれた、見るからに喫茶店と分かる看板を目にすると、沙理奈が迷うことなく店の中へ入る。
喫茶店の扉を開けるなり、黒髪を頭の左右で束ねてツインテールにした、メイド服姿の女性が目に入った。
頭にはカチューシャだけでなく、なぜか猫耳も装着している。
「萌え萌えニャンニャン?」
「萌え萌えニャンニャン!」
沙理奈と目が合うと、女性が猫の手のように両手を握って、可愛らしい笑顔を作りながら謎の台詞を発する。
それを見た沙理奈が、同じようなポーズを取って、元気良く返事した。
「ミルクティーを、ロックで欲しいニャン!」
「了解ニャン! 今日も、お兄ちゃんと一緒じゃないニャン?」
「おにぃは、一緒じゃないニャン。おにぃは、今日も小姑に捕まってるニャン!」
語尾に『ニャン』をつける決まりでもあるのか、2人が店の入口前で普通に会話をしてると、サラリーマン風の2人組が店に入って来る。
猫耳メイドにコスプレしたお姉さんを見るなり、サラリーマン風の2人組が慌てて店の外へ出ると、看板を確かめていた。
その2人を追いかけるようにして、メイド服の女性が店の外へ出て行く。
「大丈夫ですよー。メイド喫茶じゃなく、普通の喫茶店ですよー」
普通の喫茶店だと分かると、お客さんが中に入ってコーヒーを注文する。
コスプレメイドが店長に声をかけると、店の奥へ入って行く。
しばらくすると普通の格好になった女性が、氷の入ったアイスミルクティーを持って、沙理奈の所へやって来た。
「ルミルミ、仕事は終わったのじゃー?」
「もう終わってるよー。今日も沙理奈ちゃんが来るって聞いてたから、待ってたんだよーん」
真希の従姉でもある留美音は、高校を卒業してからこの喫茶店で働いている。
もともとコスプレ好きではあったが、その趣味が高じて、この喫茶店でもコスプレ姿で働くようになった、かなりの変わり者である。
「今日は、数学の宿題が出てるのじゃー。ちょっと見て欲しいのじゃー」
「いいよー」
いつものように、学校から出た苦手な宿題を留美音に見てもらう。
宿題を終えると沙理奈が携帯ゲーム機を取りだし、それを見た留美音も鞄から同じようなゲーム機を取り出す。
沙理奈がこの店に来る時は、ゲームで留美音と協力プレイをしながら、雑談で時間を潰すのがお決まりのパターンになっている。
「マッキーに捕まったとなると、今日もマッキーの所にお泊り?」
「そうなのじゃー。昨日は逃げれたけど、今日は無理そうなのじゃー。ばーやにも、さっき電話したのじゃー」
沙理奈達の家は田舎なので、バスの本数にも限りがあり、帰りが遅くなり過ぎるとバスにも乗れなくなる。
幼馴染という古い付き合いもあってか、家に帰れそうにない時は、勇樹達はよく真希の家に泊めさせてもらっていた。
勇樹が早く帰れなくなる理由が、真希の趣味に関連して捕まった時が多いので、割と気兼ねなくお泊りをしている。
2人の寝巻も、普通に真希の家にあったりする。
「そうだルミルミ、モフモフできるゲームを知ってるのじゃー?」
「モフモフできるゲーム?」
沙理奈が思い出したように喋る言葉に、留美音が首を傾げる。
週末に遊んだゲームの話をすると、留美音が理解したように頷いた。
「あー、あれねー。今は積みゲーしてるのがいっぱいあるから、そっちは正式版がでるまで、私は待ってるかな―? やっぱり初めてのことだからか、結構バグも多いみたいだしねー。いろんな種族でテストをしてもらうために、スタートキャラはランダムにしてるって噂だけど、キャラが選べない時点で私にはちょっとねー。AI疑惑のある主要NPCのバグが多くて、テスターの募集枠も増やすって噂もあるけど、正式版ができるまで上手くいくのか見物よね~」
「ほうほう」
携帯ゲーム機の画面を見つめながら、沙理奈が分かったような分かってないような生返事をする。
難しい話は得意でないので、たぶん分かってないのだろう。
疲労困憊の勇樹と、納得いかなさそうな不機嫌顔の真希が店にやって来るまで、沙理奈達は協力プレイを楽しんでいた。