黒猫と古老と 1
リーゼは、黒猫のルーディを抱いてベッドで眠った。
カイももう一台のベッドに横になっていたが、リーゼが寝入った後に起き出し、ベッドと反対側の壁にもたれて眠った。
二台のベッドは近すぎる気がして寝つけない。カイは、もともと今夜も野宿するつもりでいたから、床でも構わなかった。
夜明け前、リーゼの腕をすり抜けて、ルーディがカイのそばにやってきた。
黒猫の気配を察したカイは、
「わざわざ、何を知らせに来た?」
と薄目を開けて言った。
「妹君がたいそうご心配されていますよ」
ルーディは行儀よく前足を揃え、カイの立てた膝の隣でお座りの姿勢をとった。
「……いまさら」
クリスティーナが心を痛めるのはわかっていた。けれど、カイが出奔したのは彼女のためだ。
「お前を寄越したのは、ブランの思惑だろう?」
「実の父君を呼び捨てとは情けない」
「あれが父なものか」
「あなたがどう思われていても、事実は変わりません」
黒猫の尾が柔らかく床を打った。
「シュバルツ様は、封印の維持に苦労されています」
封印と聞いて、カイは顔を歪め、
「……大魔王が、聞いてあきれる」
と吐き捨てた。
「大魔王だから、封印できているのですよ?」
黒猫の瞳孔がすうっと細くなり、子供をたしなめるようにカイを見据えた。
「その血のおかげで、爆弾を抱えたんだろうが」
カイは譲らない。
「……そんなことを今更あなたと議論しても仕方ないですね」
「どうせ、空から来た客のことも察してたんだろ?」
「シュバルツ様は、古きものに尋ねよ、と」
「……言われなくても。とにかく、あいつを爺のところに連れてくつもりだから」
思惑は違っても、とりあえず目指すところは同じようだった。
日が昇ると、宿で軽く朝食をすませ、二人と一匹はゼクストンへ向かって出発した。
昨日拝借した馬は、そのままゼクストンまで使わせてもらうことにした。できればさっさと厄介ごとから逃れたいカイの思惑が隠れていたが、早くゼクストンへたどり着きたいリーゼと黒猫は反対しなかった。
リーゼは、黒猫が連れになり上機嫌で、終始にこにこと話しかけている。
「じゃあ、ルーディは、カイのお母さまの猫なのね」
「猫というか、傍仕えですね。あの方は、たいていのことはご自分でなさるんですが、正装が必要な場合などはお手伝いさせていただいています」
カイが手綱を引き、その前にリーゼが横乗りになって黒猫を抱いている。
「……じゃあ、小さい頃のカイって」
「そう、父君が怖くて、母君にべったりで」
目の前で繰り広げられるおしゃべりが、自分のことに及ぶと、
「いい加減黙ってろ」
カイは憮然と口を出した。
「聞いたら都合の悪いことでもあるの?」
「……あの母親が子どもにべったりを許す柄か」
カイの言葉にリーゼは首を傾げる。
黒猫が語るのは、リーゼも知らない幼いカイ。それが嬉しくて、聞き入っていたのだが。
「あの方は、さらに厳しく突き放しておられましたね」
くすくすと黒猫が笑う。
「まとわりつけば邪魔だと弾き飛ばされ、質問すれば、そんなこともわからないのかと突き放され、剣を持てば筋が甘いとたたき伏せられ」
カイは、滔々と言いながら当時を思い出したのか顔をしかめた。
「それって……お母さま?」
リーゼが信じられない思いで聞くと、
「産み落としたという意味では母親だろうな」
と、カイは答えた。
「一般的な母親像とは、かけ離れているが」
それでも、母にまとわりついていたのは、カイが生まれてからずっと封印の維持だけに尽力する父よりは、構ってもらえたからで。
「まあ、おかげで、一通りのことは十になるまでにこなせるようになったけどな」
こうして一人で旅をしても困らないのは、母に鍛えられたおかげだろう。
「……アリシア様は、不器用ですからね」
黒猫が小さくつぶやいたが、カイの耳には届かなかった。
そうして馬の背に揺られ、キサナ街道を逆にたどってゼクストンに入った。
岩場の多い周りの景色が劇的に変わったわけではなかったが、シルランドから離れるほど道を行き交う人が増えてきた気がする。
キサナ山地の険しい部分を迂回してできたキサナ街道は、山の麓のキルケルで終点となる。キルケルからは東へ、ゼクストン中心部へ向かう主街道が伸びていた。
キルケルで足を止め、一行は、また翌日の移動に備えることになった。
ほどほどの宿で昨夜と同じように夜を過ごす。
「ねえ、ルーディ。私たちはどこに向かってるの?」
リーゼが聞いた。とりあえずゼクストンへ入ることは叶ったので、その先は考えていなかった。これは言えないが、探さなければならない人は、すぐそばにいるのだから。
「お前はなんで猫に聞く?」
「だって、カイより聞きやすいし」
「空族のことを知ってそうな古老のところに行く。ブランの山奥だからな、だいぶ先だ」
カイの言葉は素っ気なかった。
リーゼは、ぎゅっと黒猫を抱きしめる。だいぶ先―――それなら、まだしばらくはカイといられる。
黒猫は黙って、空族の娘に寄り添っていた。