追ってきた男 1
ゼクストンへ向かうのは明日。とりあえず今夜は、食事した宿で休むことになった。
「なんで二部屋も?」
宿の主人にカイが二部屋と言ったとたん、リーゼが口を出した。
「なんで、って。当然だろう」
ついさっき知り合ったばかりの、男女が同じ部屋というのはどうか。カイはごく当たり前に対応しているのに、なぜ文句を言われるのか。
「だってお金がもったいないじゃない」
リーゼは言う。
「もともと私たちの……」
ものじゃないお金だと続けて言いそうになったのを、カイの手が先に回ってリーゼの口を塞いだ。
後ろから、カイにがっしりつかまれて、リーゼは何もしゃべれなくなってしまった。触れ合った背中にカイの力強さを感じて顔が熱くなる。
宿の主人はじゃれあっているような二人を見ながら、言い難そうに言った。
「お客さん、申し訳ないけど部屋が詰まっててね。連れの方もいいんなら、一部屋でお願いしたいんだが……」
宿の主人にそう言われては、カイもうなずくしかなかった。
それから、カイはリーゼが余計なことを言わないよう目を光らせつつ、宿の二階の部屋に入った。
部屋は寝台が二つと小さなテーブル、テーブルのそばに椅子が二脚のあっさりしたものだった。街道沿いの宿なら中の中、ごく平均的な設えである。
それでもリーゼは、なんだか珍しそうに部屋を見回していた。それから、奥の窓のそばまで行って、窓を上に押し上げて開けると、外に身を乗り出してキサナ山脈の景色を見ている。
「希望通り、一部屋だ」
カイが憮然としているので、
「いけなかった?」
とリーゼは聞いた。
「お前、女じゃないのか?」
「失礼ね、どこをどう見たら女じゃないように見えるのよ?」
窓からカイに向きなおって、リーゼは両手を腰に当てていた。
「だから、さっき知り合ったばっかりの男と同じ部屋って……ふつう、ありえないだろ」
カイがふうと息を吐き、荷袋をテーブル近くの床に音を立てて置いた。
「それとも、空族ってのは、そういうの、気にしないのか?」
「……気にしないことはないけど」
リーゼは考えて言葉を選ぶ。カイのことは、ずっと見てきた。だから、本当に人の嫌がるようなことはしないと信頼している。けれど、それを伝えることは難しいような気がした。
「でも、カイは大丈夫でしょ」
「は? なにが?」
「うん、嫌がる女の子に手を出したりしないよ、きっと」
「なんだそれ?」
「えーと、直感?」
「お前な……」
「だって、わざわざこうして忠告してくれるんだもん、カイはちゃんと相手のこと考えてくれる人ってことでしょ」
「……」
カイは言葉を継げず、小さな椅子に腰を下ろした。
「ゼクストンにもついてきてくれるって言ってくれたし。カイは、ちょっと口が悪いだけで、ほんとはすごく優しいひと」
リーゼは、カイの目を見て微笑んだ。
リーゼが笑うと、春風がやさしく頬を撫でていくような、そんな柔らかさがあった。
「俺はそんな……」
カイが言いかけたが、部屋の扉をたたく音でかき消される。
「お客様。すみません、たぶん、連れの娘さんに、お客様が見えてるんですが……」
宿の主人のなんともあやふやな物言いに、カイは仕方なく立ち上がった。
落ちてきた娘に客? 首を傾げつつ、カイが扉を開けると、宿の主人の後ろに背の高い厳つい銀髪の男が立っていた。
男の衣装は、薄布を幾重にも体に巻き付け革紐のようなもので縛ってある見たこともないもので、リーゼの衣装と仕様が似ていた。リーゼのドレスをもっと機動性を高め、動きやすく強くしたようなもの、といった印象である。
「おじさま、どうしてここに……」
「いよいよ女王が君を落としたと聞いてね。迎えに来たよ」
鋼のような硬質な声で言った男は、リーゼに笑いかけたが、薄緑の目はちっとも笑っていなかった。
「じゃあ、案内しましたんで」
そう言って男を部屋に残し、宿の主人はそそくさと退去していった。
「さあ、リーゼロッテ。無駄な遊びはやめて、私と帰ろう」
男は手を差し出したが、リーゼは後退る。それでも、
「嫌です」
きっぱりと言って、リーゼは男と対峙した。
「やれやれ。女王だって君がうまくやれるとは思っていないよ。だから、私がこうして迎えに来たんだから」
子供をあやすような男の物言いに、
「いいえ。女王は、覚悟と時間を下さいました。こんなに早く、迎えを寄越すなんてありえません」
リーゼは凛と応えた。
「おじさまの、独断でしょう?」
「……そう、揺らがないんだね。さっさとあきらめて、私と一緒になった方が君のためなのに」
男はちらりと自分たちの攻防を見守るカイに視線を投げ、
「彼、かな?」
とリーゼを探るように聞いてきた。