落ちてきた娘 3
「お金まで巻き上げるのは、どうかと思うの」
リーゼは言った。
叩きのめした男たちが離れたところにつないでいた馬も拝借して道を急ぎ、なんとか日暮れまでに街にたどり着いた。
「どうせ、ヤツらの金じゃない」
カイは平然と言う。
「だからって」
「官憲には連絡した。キサナ街道の治安維持は、シルランドとゼクストン両国の責任だな」
カイの言葉はもっともだが、暴漢から金品を巻き上げるのは、また違うのじゃないかとリーゼは思う。
「官憲に協力した手伝い料だ」
どのみち、カイには今夜の宿代もなかった。
なんだか割り切れないものの、背に腹は変えられない。リーゼにしても一文無しなのだから。
二人は宿に入り、遅い食事にありついた。
温かいスープの湯気の向こうで、カイは黙々と食べている。彼に無理やりついてきてしまったけれど、よかったのだろうか。
リーゼは、改めて向かい合った彼を観察した。
水鏡越しではない、生身の彼。漆黒の髪は緩く波打ち、額にかかる長さ。少し日に焼けた顔は、驚くほど整っている。今は伏せられた瞳は、黒。光の加減によっては青にも見える深さを湛えた色。おそらく、平均以上に背も高く、細身だが先刻の剣の技量からも推察されるよく鍛えられた躰。口調の悪さはともかく、身のこなしは洗練されていて、黙っていれば、どこの貴公子かと思われるはず。
「食べないのか」
カイは、目も合わせずに言う。
「……いただきます」
リーゼだって、突然の展開に緊張もしていたし、朝から何も食べていないので、お腹も空いていた。お金の出どころにはこの際目をつぶって、リーゼも食べ始める。
「おいし……」
「空じゃ、どんなもの食ってんだ?」
「どんなって、地上とそんなに変わんないと思うけど」
地上からではわからないが、空の上でも、地上と同じように、雲の大地に作物を作ったりしていたし、森もあって狩りをしたりもしていた。
「ただ、あそこでは、そんなにお腹は空かない、かな」
空族は、何日かに一食程度しか食べなくても生きていける。
「って、信じてくれてるの?」
「まあ、実際に落ちてきたのは事実だからな。俺の上には、空しかなかった」
ただ、空族という言葉自体を聞いたことのある地上の人間はほとんどいないはずだ、ということをカイは言わなかった。
「どうして落とされたのかとか、聞かないのね」
「聞いてほしいのか?」
カイとしては、自分の立ち位置さえもてあましているところである。空族かなんだか知らないが他人の事情に巻き込まれるのは避けたかったので、つっけんどんになってしまう。
「……探さないといけないの」
リーゼは、カイの思惑を無視して言う。
「魔王と呼ばれた強大な力を持つ翼族と地上の人との間に生まれた稀種――――もうすぐ、十七になる、翼の王子を」
「どこにいるか、知らないのか?」
「おそらく、魔王が永く眠りについていたゼクストンだと思うんだけど。魔王が隠しているから、よくわからない」
「それで、ゼクストン、か」
「ねえ、カイ。ゼクストンに連れて行ってくれない?」
「は? なんで俺が」
とりあえず街まで面倒を見たし、食事と寝床を提供するだけでも、十分世話をしたつもりのカイだった。
「乗り掛かった舟じゃない」
リーゼが適当に言うと、
「乗り掛かってない」
即座に返された。
「別に、どこって行く当てもなさそうじゃない」
「それは! 仕事を探すつもりで……」
妙に的を得たリーゼの言葉にカイが詰まると、
「シルランドより、ゼクストンの方が仕事だってあるわよ。シルランドは、教皇様が亡くなったばっかりで落ち着かないし」
リーゼは畳みかけた。
「ね、お願い。地上に知ってる人もないし、空族ってことだけでも信じてくれるひとなんて、もう巡り会わないと思うの」
確かに、なんだそれ? と言われるのが落ちだろう、とカイは思う。
「それに、私ひとりじゃ、今日みたいなことがあったら、どうにもならないし。目的達成どころか、変なところに売り飛ばされて身を落とすかもしれないでしょ?」
年頃の、見栄えのいい娘が一人で歩き回れるほど、キサナ周辺の治安はよくないのが実情だった。
「だから、ね?」
両手を合わせてお願いのポーズ。自分の愛くるしさをわかってやっていそうなところが、鼻に着くが。
カイは、ふうと息を吐く。
出てきたところに戻るのは、本意ではないが……。カイは、空族の話を聞かせてくれた爺のところにでも押し付けてしまうのがよさそうだと腹を括る。
「わかったよ」
仕方なさそうなカイの返事。
カイは、リーゼが空の上で思い描いていた彼とは、少し違った。けれど少しずつ、彼を知っていけることがリーゼには嬉しかった。
それがたとえ、限られた時間であったとしても。