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ゼロからの距離  作者: 大宮ゆあ
第1章 街ダケガ生キテイル
1/1

1.カヲル

《カァーン・・・カァーン・・・カァーン・・》

 突然、鳴り出した鐘の音にカヲルはぎょっとして身をすくめた。何だ!?音の主を見つけようと、周囲をぐるりと見回す。するとすぐにそれが、橋の中央に立つ3メートルたらずの小さな時計塔から出た音だと気付いた。

「ふざけんな、時計の音かよ」

 吐き捨てるように呟く。たかが時を告げる鐘の音に肝をつぶすほど、彼はいま動揺しているのだ。

「なんだ、この街…」

 鐘が鳴り響くその街に人の気配はない。人がひとりもいないのに、街だけが動いている?いや、人だけではなかった。街中を歩き回ってみても、生命ある何者とも出会わないのだ。公園で手折ってきた、手の中の一本のパンジーを見る。

「こんなのばっかだ」

 この数時間、カヲルが目にした生物と言えば、街路樹と、花壇に埋められた色とりどりの草花ぐらいだった。子どものいない学校。店員も客もいない店。誰も座らないベンチ。赤から青へ、青から赤へ。定期的に点滅を繰り返す、渡る者などいない横断歩道の信号機。乗客を乗せない空っぽのバスが、停留所を通過していく。バスも電車も飛行機も、公共の乗り物という乗り物が自動運転になったのは、もう6年も前の話だ。そうだ、当時、どこかのニュースキャスターが、画面いっぱいに軽薄そうな顔を晒して、がなっていたな。


『いつか人間がいなくなっても、たとえ動物だけの世界になったとしても、これらの交通機関は動き続けるというのです。まさに現代文明が生み出した方船と言ったところでしょうか!』


 ふざけたことを言う奴だと、あの時は思ったが、まだ方船の方がマシだ。ここには、この街には、現代の方船に乗れる動物さえいない。あの、ウザいほど群れをなす鳩はどこへいったのか。嫌われ者のカラスはどこだ?犬も猫も、自らの意志で動くであろう生き物という生き物は、いったいどこへいってしまったというのか。まるで。ここで、今、生きて動いているのは、

「俺だけ?」

 カヲルはぞくりとして、自分の体をぎゅっと抱きしめた。その体温と感触で、間違いなく己の肉体が存在していることを確かめホッとする。

「馬鹿じゃねーの。何ビビってんだよ俺。んなこと、あるわけねーじゃん」

 自らを嘲った声が、思いがけず大きくてギクリとする。雑踏に吸収されることのないそれは、時計塔の鐘の音よろしく、この世界唯一の音であるかのように辺りへ響いた。俺以外の生き物が、この世から消えてなくなるなんて、ありえない。この街が異様なんだ。ゴーストタウンなんて珍しくない。珍しくない?それこそ嘘だ。ここは首都だぞ。たとえ片隅でも、街ごと捨てる意味がわからない。

「じゃあ、この街が空っぽな理由を説明してみろよっ!!!」

 自問自答のあげく、自分の考えに自分で噛み付いた。街ごと閉じこめてでもいるように、重く低く垂れこめる雨雲。湿気った空気。今にも落ちてきそうな雨。

「少なくとも、世界が終わったわけじゃなさそうだ」

 ぽつりと頬に当たった水滴に手をやって投げやりに言うと、カヲルはいま来た道を駅に向かって戻り始めた。始めは早足で、そのうちに駆け足で、ついには全力で走り出す。雨に降られたくない、そんな理由ではなかった。思い出せないのだ。

(いつからだ?いつから俺は一人だった?)

 乗って来た電車の、同じ車輌に人はいなかった。じゃあ隣の車輌にはいたのか?駅には誰かいただろうか?それよりも・・・家を出てからここまで、俺は他人に会ったか?鳩はいたか?カラスはどうだ?今朝、鳥たちは鳴いていただろうか?

(チクショウ、思い出せない)

 そんな当たり前のことを気にして生きてるわけじゃない。思い出せなくて当然じゃないか。駅に着く。改札を走り抜ける。階段を駆け降りる。ホームに立つ。・・・立ちつくす。

「な、ん、で・・・」

 カヲルはガクリと膝を折った。

「なんで、誰もいないんだよッ…!」

 怒鳴った声がホームにワンワンと響き渡り、小さなこだまになって返ってきた。


『まもなく1番線に電車がまいります。』


 電車の到着を伝えるアナウンスが空しく響く。何度目だろう。この声を聞くのは。ベンチに腰掛けて首をうなだれていたカヲルは、それでもノロノロと顔を上げた。停まった電車のドアが開く。誰も降りない。ドアが閉まる。走り出した電車の、車輌という車輌に人の姿は、ない。

「何なんだよ・・・」

 呟く声が震えている。理不尽な恐怖感で息がつまる。ウォンウォンと低く鳴るのは空調の音だろうか。時折、頬を掠める冷風にさえも肩を強ばらせながら、カヲルは懸命に考え続けた。自分が乗ってみればいいことだ。ここで人を待つのではなく。そんなことわかっていた。ここから移動してみればいい。が、どうしても動けない。この駅を出れば、隣の駅には人がいるのかもしれない。いや、いるはずだ。いなきゃおかしいじゃねーか。隣にはいなくても、その隣には。その隣にはいなくても、どこかには。・・・・・・いるのか?もし、いなかったら?何処にも人がいなかったら?どうすればいい?本当に、俺以外は誰も存在していなかったら?そう思うとカヲルは怖くて、この場を離れられなかった。ここにいる間は、少なくとも信じていられる。おかしいのは、この街なのだと。膝に両肘をつき、組んだ指に眉間をあてる。

(いつまでも、こんなことはしてられない。確かめるしかない)

 こんな馬鹿げたことを考えた自分を、きっとあとで笑うことになるんだ。

(あ、携帯)

 そうか、馬鹿だな俺。電話してみりゃいいんじゃん。友達に、家族に、誰かに。携帯電話をポケットから取り出して、アドレス帳を開く。誰にかけようか。一人を選んで通話ボタンを押す。たいして親しくもない相手を選んだのは、無意識に防衛したからだ。もしも繋がらなかったら?その時のために。トゥルルル・・・。はたして、呼び出し音はいつまでも続いた。

「ふざけんなよ、留守電にもなんねーじゃんッ」

 苛々と次の番号を選ぶ。


『おかけになった電話は電波の・・・』。


「チッ、留守電かよッ」

 頭にきて全てを聞かずに切る。どっちにしろ腹が立つ。電話に人が出ないということが、そもそもムカつくのだ。次を選ぶ。繋がらない。また次を選ぶ。繋がらない。何人選んでも、電話の向こうに人の声を聞くことができない。

「ちくしょう!」

 縁遠い相手から始めたはずの電話かけは、いつしかローラー作戦へと変わっていった。片っ端からかける電話。それでも誰にも繋がらない。アドレス帳に登録されている件数は少なくはない。なのに。誰も彼もが電話に出られないなんてことがあるだろうか?いやな汗が背中を流れていく。電話番号の残りはあと4つ。実家と、親父とお袋の携帯。それから・・・。

「あーっ!こんなとこにいたのっ!?」

 緊張した静寂を無遠慮に破った、ハイテンションで馬鹿デカい声に、カヲルは飛び上がった。驚いて振り返る間もなく、勢いよく階段を駆け降りて来た長身の男に飛び付かれる。

「探したよー。ダメじゃん。ちゃんと言った場所にいてくれないと。俺が迷子になるでしょ、ね、カミヤ・カヲルくん?」

《ニッコリ》と擬態語を添えたくなるような屈託ない笑顔で、首を傾げて俺の顔を覗き込む男。そうだ、こいつ、ノダ、アスカ・・・まだ、かけていなかった番号の、今日、俺をこの街に呼び出した・・ヤ・・ツ・・・。なんだ?すげー、ね、む、い・・・・・。

「カヲルくん?カヲルくんっ!?」

 ガクリと崩れたカヲルの体を支えて、アスカは徐に振り返った。

「あーもう、イルマ、なんてことするんだよっ。俺まだ挨拶も何もしてないのにっ」

「もたもたしてるお前が悪いんだろうが。」

 言われた男は面倒くさそうに言って、手にした小さな器具を上着のポケットにしまった。

「これ以上、面倒なことになる前に行くぞ」

「あらら、イルマちゃんはご機嫌ななめ」

 踵を返すイルマに肩をすくめると、アスカはカヲルの体を軽々と担ぎあげた。その時、カヲルの胸ポケットに差されていた小さなパンジーの花が、ぽとりとベンチに落ちる。

「あっ」

「アスカ、早く」

「待ってよ、もう。ちょっとくらい手伝ってよ。こいつ見かけより重い」

「なら、置いてけよ」

「わかったって、いま行く。ったく、イルマの怒りんぼう」

 アスカはベンチの花を一瞥して、ため息をつく。

「ごめんね、ちっちゃい君さえ余分には連れてけないや」

「アスカッ!!」

 すでに階段を上がり切ったらしいイルマが、待ちきれずに怒鳴った。

「ハイ、ハイ、ハイ。少しぐらい待てって」

 じゃね、と名残惜しそうに小さな花に声をかけ、アスカはカヲルを担いだままヨロヨロと走り出した。残されたパンジーが、カサリと風に動く。と、サラサラと音を立てて、まるで風化するように端から少しずつ、その花は崩れ始めた。


『まもなく2番線に・・・』


 辺りに再びのアナウンスが響いた。人を乗せない電車が到着し、また人を乗せずに出発する。その無機質な車体が線路の向こうに見えなくなるころ、ホームに残された唯一の有機物だったパンジーも姿を消した。色鮮やかだったその花は、ゆっくりと崩れ、ついには一摘みの黄色い砂に変わり、それさえも空調の風に吹きさらわれて何処かへ消えたのだった。今やベンチの上に何も残ってはいない。この駅に生命と呼べる物は何ひとつありはしない。


「早く乗れっ」

 イルマが焦れて、アスカに手を貸す。荷物でも投げ出すようにカヲルの体を後部座席に押し込むと、アスカを促して車に乗り込む。それを待ってでもいたかのように、駐車した通り沿いのポプラ並木が予告もなく次々と、サーッという音と共に細かな粒子となって崩れ落ちていく。

「行くぞ」

 イルマとアスカ、そして眠るカヲルを乗せた車が走り出した。

「もう、ここもダメだね」

「だな」

「イルマ、俺たち、こうして逃げるだけ?」

「わかんねえ」

「逃げてたら、いつか世界の果てに着いちゃうね」

「・・・・・」

 イルマは黙って窓の外を眺めた。ぽつぽつと降り始めていた雨が、今は豪雨となって車窓を叩く。いつの間にか日も暮れて外は真っ暗だ。

「なんとかなんなら、俺だってそうしてーよ」

 イルマは奥歯をギリリと噛み締めた。

「・・・ごめん」

「少し寝よう。明日の朝には、また人のいる街に着く」

 息を吐き出し、シートに身を沈めたイルマを見て、アスカも大きく伸びをした。

「あと、何回、繰り返すのかな?」

「次は俺が行こうか」

 イルマが言った。アスカは、そうして、と返事をすると、ゴロンと体の向きを変えて目を閉じる。後ろのシートに眠る、いまだ事情を知らない男に、すべてを説明するのはかなり面倒だろうな、と思いながら。彼らの行く手を阻もうとでもしているのか。闇夜に降る雨が一際強く、激しくなった。だが、一寸先も見えない暗雨の中でさえ、目的地を入力された自動運転の車は、道を過ることなく走り続ける。どこへ?まだ人がいる街へ。間に合うかぎり、連れ出さねばならないのだ。この、崩壊を始めた世界から。

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