不機嫌な彼女
毎日毎日一緒にいるのに振り向いてくれない年上の彼にやきもきしたのは今に始まったことじゃない。どうして、なんで、って思うけど両親と年の変わらない彼にとっては私なんて子供にしか過ぎないのかしら。なんて、過ごす日々に飽き飽きしてる。
今日は私の社交界デビューの日。お父様が魔王なので私は王女になるわけで、デビューしたからにはそのへんの貴族の子息と会わされたりする。それを私の騎士は何とも思っていないのだろうか。
「レオって、私のことどう思ってるの?」
「唐突ですね」
「別に唐突じゃないわ。常日頃から思ってたのよ」
年上の彼はレオンハルト・フォン・ヴィスバーデン。お父様の幼馴染みで、192歳の彼と84歳の私じゃ釣り合わないのかなと近頃不安なのだ。
「大切ですよ。かわいい姫様」
私は知っている。こうして“大切だ”と言う言葉が、恋情を含んでいないことを。
そりゃ、私が生まれたばかりの頃から知っているわけで、おしめだって替えてもらっていた時期もあるのだから、娘のように思っているのかも。まだ独身の癖に。
「今夜のお披露目は貴方にエスコートを頼むわ。お父様にも許可していただきましたから」
「姫様は、我が儘なお人だ。母のエスコートを誰かに頼まなくては」
「結構よ。お母様が手配してくれたから」
彼は困ったように笑う。私はその顔を見る度に自分がまだまだ子供なのだと自覚させられる。いつ呆れられてもおかしくないはずなのに、レオはいつも側にいてくれる。忙しい両親の代わりに、寂しい私を慰めてくれた。私が生まれる前は近衛騎士団長だったけど、生まれてからは私の護衛兼お守り役になったことは本人は隠しているようだけど、私は知っているわけで。
実は私のことを少なからず恨んでいるのではと不安になる。要するに彼は私をいつも不安にさせてばかりなのだ。
「私は貴方のことが好きなのに」
彼が私の部屋を去った後、一人きりのこの場に虚しく響いた。
「美しい姫君。会えて光栄です」
元老院とかの貴族との挨拶ほど面倒なものはない。切実にそう思う。
今はレオとは離れ、双子の弟であるエルマーと回っている。エルマーは男なので、私よりも社交界に出るのが早かった。だから、私よりも貴族の顔は知っている。
レオはお父様とお母様と何やら楽しげに話していて、よく見れば回りの“オバサン”たちが色目を使っている。その光景をどうにもできず、相手にしたくもない男との話をするしかない自分に苛立つ。仮にも王女であるので、その辺りは上手く隠す術を心得てはいる。
挨拶回りが終わって、ダンスの時間になると、私にの回りにはさっき少しだけ話した貴族の子息がわんさか集る。おかげで、今にもオバサンの魔の手にかかりそうなレオの元へ行くことができない。適当にのらりくらりかわしてテラスに出た。
もうレオなんて! って思いもした。だけど、嫌いになれるはずもなく、悔しくて涙が出た。どうしてこう弱っているときに彼はいないのだろう。私の騎士は私から離れてしまったの?
私を呼ぶ声がして、振り返ると、レオではなく、確か元老院の誰かの子息である男がいた。お父様とお母様とのことに文句をいってきた、誰かさんの息子よね。今は感傷に浸っていたいのに、うざったいのは母親譲りかしら。
「貴女の瞳は濡れていても美しい。儚げで今にも消えてしまいそうな貴女の隣にいることをお許しください。ジークリンデ様」
「側にいることも名前を呼ぶことも許可した覚えがないわ」
これは失礼、と思ってもいないことをすらすらと述べる相手に苛立ちは隠せない。さらには近づくは、腰に手を回すは、何を考えているのか。不敬罪に問われてもおかしくないことをしている。彼に自覚があるのかないのか。たぶん、前者だ。
「触らないでよ。許可した覚えはないわ」
抵抗してみるのだが、何せ男女の体格差はどうにもならない。魔力だって極力使ってはならないものだし、私の場合両親のおかげで並みではないので、少しのつもりでも大事に至る。
中では主役がいなくとも盛り上がっているようで、誰も気づいてくれない。どうしようと思っていた矢先、助けてくれたのは、ハイデルベルク侯の息子、クラウスだった。両親が仲良しで、幼い頃から遊んでいた彼には何かと助けられた記憶がある。今回も助けてくれるとは思っても見なかった。
「カールスルーエ伯爵、そこまでにいたしませんか」
クラウスの登場で相手は勝てないと思ったのか、すぐに退散した。できれば、もっと早くいなくなってほしかった。クラウスは最年少で近衛騎士になったいわゆる天才で、親とか全く考慮する必要がないくらいの実力の持ち主だ。加えて、腹黒毒舌。
それよりも、あのバカ息子すでに家督を継いでたのか。そういえば、父親は高齢だったな。まあどうでもいいけど。
「おい、リン。お前はバカか」
「バカって何よ。あのウザイ坊っちゃんが悪いんでしょ」
「違うだろ。お前がテラスに一人で出たからだ。俺が来なきゃどうなってたかわからんぞ」
クラウスの言い分は最もだった。イライラがさらに高まる。レオは来ないし、ウザイのが来るし、クラウスに説教されるし。ついてない。
「ま、お前の想い人は、女に囲まれてたけどな」
「貴方は本当に人の心の傷を抉るのが得意ね」
怒りで昂っていた心が沈む。おまけにため息までも出るのだからしょうがない。クラウスに恋愛相談なんてしていた自分がバカみたいだ。
「ヴィスバーデン侯とお前じゃ年が離れすぎだ。それはわかってるんだろう?」
「釣り合わないのも、彼の周りにいるオバサンたちのほうがお似合いなのも十分わかってるわよ。それ以上心を抉らないで。今日ダメなら諦めるって決めてるんだから」
今日、告白してダメなら、諦めようと決めていた。物心ついたときにはあった恋心を捨てるのはとても悲しいけど、それしか方法が見当たらなかった。
「ならさ、俺はダメか?」
突然のクラウスの発言に驚きで声も出ない。
「俺はずっとお前を見てた。もちろん、ヴィスバーデン侯が好きなのも、懸命に想いを伝えようとしてるのも全部引っくるめてだ。つらいなら、そんな恋は止めてしまえばいい」
クラウスに手首を捕まれる。私を見る瞳が別人のように思えて怖くなる。こんなのはクラウスじゃない。私の知っている彼じゃない。彼の瞳はどこか悲しげで、私は抵抗するのを忘れてしまった。クラウスの顔が徐々に近づいてくる。
彼の息がかかるくらいの距離になったとき、ふと我に返った。彼じゃない、と心の中で叫ぶ私がいる。すんでのところで、顔を反らした。
「くそっ、なんで。……ごめん」
謝るのは私の方なのにクラウスはひどく傷ついた顔をしながら、騒がしい集団に紛れていった。
やっぱり一人でいるよりは、と会場に戻ることにした。すると、慌てた様子でお母様が話しかけてきた。
「どこにいってたの? 探したのよ。早くいらっしゃい」
お母様に促され、会場の中央へ移動する。そこにはレオの姿があり、私の手をとると跪いた。
「ジークリンデ様、私と結婚していただけませんか」
突然の出来事に私は対応できなかった。ずっと想い続けていた相手が私の手をとって、跪いている。それに、求婚までとは。どうしたらよいかわからず、頭にははてなばかりが浮かぶ。
「はい?」
この言葉を肯定と取ったのか、レオは私の手の甲に口づけをして、私を抱き締めた。周りからは拍手が沸き上がる。周囲などまるで眼中になかった私はうろたえた。
後日聞いた話によれば、元々お披露目と婚約パーティーを兼ねたもので、それを本人である私には内緒で進めていたらしい。しかも、それは私が生まれたときから決まっていたのだとか。レオが生まれたばかりの私をお母様に頼み込んで――という話だ。お父様はお母様が良ければというので、あっさり決まり。そんな話を聞くと今までの私の苦労は何だったのかと疑いたくもなる。
クラウスはあんなことがあっても相変わらずだった。心配していたのにも関わらず、いつもどおりの毒舌で腹が立つ。でも安心したことも事実だ。
何よりも嬉しいのはレオとこれからも一緒にいられること。レオが好きだといってくれること。そして、来週には式を挙げること。
「レオ、大好きよ」
「俺も愛してる、リン」
本当に夢みたいな日々が過ぎていく。