16.男と男
ふと目を開けると、見覚えのある風景だった。見慣れているはずの自室、しかもベッドの上だ。しかし、何となく雰囲気が違う。
――空気が重い? いや……違う。魔力の流れが感じられない……?
ヨースティンは身体を起こした。空気とは違い、身体はとても軽かった。おかしい、と思った瞬間その理由がわかる。
――これは……どういうことだ?!
確かに身体を起こしたはずだった。だが、ヨースティンの身体は、固く目を閉じたままベッドの上に横たわったままだ。己の手を見ると、指先が薄く透けている。
『どうやら気がついたようだな』
低い男の声が聞こえ、振り向くとそこには深くローブを被った人影が見える。今にも闇と同化してしまいそうで、立っている人物を見定めようとするのは難しかった。
――誰だ?
『命の恩人に対して、その口ぶりか』
――……恩人、だというのなら、礼を言う。だが、己に何が起こったか把握できていないのだ。知っているなら、教えてほしい。
『まあいいだろう。お前は今、限界まで魔力を失っている状態だ。それを私が保護しているだけにすぎない。――元々、お前は術の発動を維持するために、魔力以外のものを犠牲にしていたようだがな』
王に近しい者でさえ知り得ない事実を知っている。この男は何なのだ?
そう考えながらも、ヨースティンは考えを巡らせる。今、自分が倒れ伏しているこの状態では、国を支えることは難しい。
『私の保護下から離れれば、お前はすぐに死ぬだろう。だが、この国はもうしばらく持つはずだ。そのためにも、救国の神子とやらが動き始めたようだからな……』
――神子だと? ……どうすれば戻れる?
『戻りたいのか? あのしがらみの中へ? 考えられんな……だが、お前自身がそう選択するというのなら、私は止める権利を持たない。いいだろう、王よ』
笑っているのだろうか、男が溶け込んでいる闇がゆらりゆらりと揺れている。
『魔力を取り戻すのだ。お前の身体へ、魔力を直接注いでもらえ。そうすればお前の身体は目覚めることができる』
――それだけか?
『ただし、制約もある』
――制約?
『ひとつ、お前はその精神体でしか動くことができない。その姿を見ることが出来る者、感じることが出来る者、会話が出来る者、触れることが出来る者。もしくはいずれもできない者……反応は様々だろう。ふたつ、動けるのは闇が支配する時間のみ。光の満ちる時間は私の力は及ばない。光の時間は、私の力が及ぶ範囲で過ごすのだ』
――なるほど……この身体で、しかも動ける時間が制限されるということか。
『さて、最後の制約だ。お前の王としての名は今、これより名乗ってはならぬ。よいか?』
――名を名乗れない? なぜだ?
『精神体で真名を使用するのは、愚か者のすることだ。これから、お前はステイと名乗るがいい』
――……わかった。感謝する。
闇が濃くなっていく。男の存在感が少しずつ増しているような気がした。
ヨースティン、もといステイは、再び自分の透けた指先を見つめた。このままこの闇に飲まれてしまうのではないかと錯覚してしまう。
しかし、恐怖を感じることはなかった。いや、むしろできなかったのだ。
――この身体でも、やはり駄目か。
少し期待してしまったのかもしれない。それを振り払うように首を振ると、どこからともなく、しゃらん…と澄んだ鈴の音が聞こえてきた。
『音のする方へ行ってみるといい。力は惹かれ合うものだ』
その言葉に背中を押されたような気がする。体重のない身体は、ふわりふわりと軽やかに鈴の音のする方へ駆け出していった。