1年生女子3人は仲良く昼食をとる。
時は少し遡り、昼休み開始直後。
1年2組の教室で加藤沙織、飛鳥雲雀、徳佐芽李美の3人は机を並べ、昼食をとっていた。
「そう云えば昨日はどうでした?煌斗さん、雲雀さんの手料理をそれはもう楽しみにしていらっしゃいましたが。」
芽李美の言葉はいつも淀みというものがない。彼女の口から出る言葉の一つ一つが耳に閊えることなく入ってくる。
沙織にはそれが、芽李美の家庭環境から来るのか、彼女自身が持つ性質なのか判断つかなかった。それでも、もし自分が彼女の口調をどんなに上手く真似て言ったとしても決して彼女のようにはならない事が沙織には分った。
「やっぱり芽李美が言ったんだ。なんか引くくらい嬉しそうだったけど、私が作ったのって今日やった豚汁だけだよ?」
本日2時間目にあった家庭科では調理実習が行われたのだ。
「それでも喜んで食べてもらって嬉しかったのではありませんか?」
芽李美がにこやかに尋ねる。彼女が話すとまるでここがお嬢様学校であるような錯覚に襲われる沙織であった。
「べ、別に嬉しくなんてないよ。」
「あーヒバリン照れてるー。」
実際の処、雲雀のこの否定が照れ隠しなのか真実なのか沙織には分らなかった。
いや、これだけ聞けば照れ隠しであると断言できるのだが、それにしては彼女の兄、飛鳥煌斗に対する普段の言動は素っ気なかった。それは昨日初めて煌斗と雲雀のやり取りを直接見ても同様に感じる疑問だった。
しかしながら、それ以上に沙織が理解に苦しむのが、他でもない煌斗の妹雲雀への溺愛ぶりだった。
沙織が雲雀や芽李美達と一緒に行動するようになったのは夏休み後からだが、話だけは入学した時から訊いていた。こうして雲雀から直接話を聞いても、ましてや彼女と煌斗との直接のやり取りを見ても沙織にはまだ現実感が伴っていなかった。
飛鳥雲雀はお世辞にも目立つタイプの人間ではない。容姿、運動神経、学力、どれをとっても平均値のわずか上くらいである。
そう、雲雀は「普通」なのである。
それでも彼女が持っている精神の強さを沙織は知っている。その「強さ」に救われたのは他ならぬ自分なのである。しかし、やはり煌斗は沙織から見てそれとは別次元の特別さを持っている。その印象は初めて見たときから全く変わっていなかった。
どちらかと言えば芽李美の方が彼と似た系統の特別さを兼ね備えている気がする。だからこそ彼女は煌斗の横に並べる。一緒に居られるのだと沙織は自分で納得した。自分がいくら考えたところで煌斗が妹に溺愛する理由など分るはずがないのだ。
どうしようもなく「普通」で「弱い」自分には。
「あの、ちょっといいかな。」
その声は沙織の左斜め上から発せられたものだった。
「どうしたの?来栖さん。」一番近い沙織が答えた。
彼女は来栖胡桃。沙織たちとはクラスメイトである。沙織は普段、ほとんど話をしないため、彼女の事はあまり知らなかった。彼女も沙織や雲雀同様、目立つ存在ではない。
「あの、徳佐さんは副会長だし、雲雀さんは会長の妹だから教えてもらいたいことがあるの。」
なるほど、会長絡みの事か、と沙織は得心がいった。この手の質問は良くあることだ。
「どのような事でしょうか?」芽李美が尋ねる。
一旦息を吸ったあと、彼女ははっきりこう言った。
「あのね、会長って漆原佐久とどんな関係なの!?」
雲雀と芽李美はたがいに顔を見合う。
「どんな関係とは?ご存じのとおり、同じ生徒会役員という間柄ですが。」
「そ、そういうことじゃなくて、もしかして付き合っていたりするの?」
再び雲雀と芽李美はたがいの顔を見合う。
「ご参考までに、生徒会長は確かに綺麗な容姿をしておりますが、男性ですよ。漆原さんも確かに背が低くて可愛らしい容姿をしておりますが、男性です。」
「え、そこから疑うの!?」
思わず訊いてしまった沙織だった。
「それはわかってるの。でも、その…こんなもの読んじゃって。」
そう云って彼女は手に持った紙の束を机に置いた。ワープロで書かれた文面の用紙がホッチキスで綴じられていた。角が擦り切れていたり折り目が付いている処を見ると、もう何度も読まれた物らしい。
「何これ?小説?」
沙織は目の前に置かれた書類をめくる。
《
誰もいない生徒会室で煌斗は佐久を壁際に追い詰めていた。
「か、会長。ダメですよ。誰か来てしまいます。やめてください。」
佐久は泣きそうになるのをこらえながら言った。
「佐久。誰に命令してるのですか?」
煌斗は静かに、そしてはっきり語りかける。そのあまりに精練された瞳に見つめられるだけで佐久は何も言えなくなってしまった。女性のように透き通った色をした肌の手が佐久の右頬に触れる。
「お前は僕だけを見ていればいい。僕の大事な大事なおもちゃなんですから。」
「会長…」
「二人の時はなんて呼ぶんでしたか?」
「も、申し訳ありません。煌斗さま。」
……
》
「な、何これ?」
沙織は文面を読む視線を胡桃へ戻し、小説を雲雀に回した。目を向けて数秒で雲雀も苦虫をかみつぶしたような顔になった。
恐らく自分も似たような表情をしているだろう。
「私文学部なんだけど、そこの先輩が持っていたのを貸してもらったの。なんか、2年生のクラスで流行っているらしくて。それでそれ読んだらなんだか私不安になっちゃって。」
「こんなの、誰かが悪戯半分で書いたに決まってるじゃない。誰も本気にしている人なんていないと思うよ。」
「うん。ヒバリンの言うとおり。」
雲雀の言葉に沙織も全面的に同意した。こんなもの誰が見たって悪戯だと分る。
しかし、その対象が煌斗であることに沙織はある種の納得をしてしまった。たとえ想像でもいや、想像だからこそ勝手にすることが許される。煌斗の容姿はそう云った趣向が強い女子には恰好の標的だろうと。
「じゃ、じゃあここに書いてあることは全く事実無根なのね?」
胡桃は念を押すように言う。
小説は丁度芽李美が読んでいるところだった。表情はいつもと変わらないように見えるがその白い肌がわずかに赤くなっているように見受けられた。それがいつも整然とした姿ばかりみている沙織には新鮮で微笑ましく感じられた。
「当たり前でしょ。考えるまでもないわ。でしょ?芽李美。」
雲雀の言葉には少しの怒りが見え隠れしていた。雲雀にとって小説の内容は不愉快なものでしかなかったらしい。
「え、ええ。普段一緒に仕事をしているわたくしが保証いたします。会長は仲間想いな方ですが、この小説のような事は全くございません。」
芽李美も読んでいた小説から目を外して雲雀に加勢した。
「そ、そうよね。うん。私も別に信じていたわけではないんだよ。会長はそんな人ではないことは私も十分分っているしね。でもやっぱり心配でしょ?将来結婚する身としては、彼に変な虫が付いては困るもの。」
彼女のあまりに流暢な会話の流れから異変を感じ取ったのはいったい誰が一番早かっただろうか。
沙織は一瞬何がおかしいか分らなかった。それほど彼女は当たり前のように話したのだ。
「来栖さん、今なんて。」沙織は思わず訊き返してしまった。
「ね、ねえ、結婚するって誰と誰が?」雲雀が尋ねる。
どうやら雲雀はその異常をはっきりと感じ取っていたようだ。
「もちろん私と会長、煌様に決まっているじゃない。私と彼は運命で結ばれているの。」
沙織はようやく彼女が「普通」ではないことに気がついた。