未来から来た妹、飛鳥京香。
俺が母親を苦手にしている事はゆるぎない事実である。
しかし、妹を溺愛している事もまたゆるぎない不動の真理なのである。それなら誰が死神、いや母親もいるリビングへ向かう足を止めることができようか。あの可愛い妹からの手料理だというだけでこれはもう悪魔的な破壊力である。恐らく今頃俺に食べてもらう時を連想して不安にさいなまれているだろう。雲雀の料理なら不味いはずないのだ。そんな不安は杞憂だということを早く知らせてあげたい。
俺は足早にリビングの扉を開けた。
「あれ、兄さんもう来たの?」
「あ、ああまだ少し早かったかな。」
「てゆうかさっき帰ってきたばっかりじゃない。邪魔だから部屋にでも行っててよ。」
いつも通り妹の反応は冷たいものだった。
なんだろう、この遠足の日を一日間違えておやつを買ってきてしまったみたいな空気のギャップは…。
「じゃあ部屋で待ってようかな。せっかく雲雀が僕のために手料理作ってくれるんだし。」
「兄さんの為なわけないでしょ。明日の実習の練習してるだけだから。」
そういえばさっき誰かがそのような事を云っていた気がする。い、いやでも雲雀の手料理を食べられるのには変わらないのだ。ここはそれで満足すべき。
いや大満足しよう!
「あ、煌。部屋行くなら京ちゃん呼んできてもらえる?あの子今日も一日中部屋に閉じこもりっぱなしで。」
台所の奥にいた母が心配そうに云う。
「わかりました。呼んできましょう。」快諾した。
京ちゃんというのは飛鳥京香。飛鳥家次女にあたる下の妹である。そして雲雀に匹敵するほどの俺の最愛の妹である。
そう。おれは二人の妹が大好きだ。両目に入れても痛くないくらい可愛い。その最愛の妹である京香は今ひきこもり中である。最近は学校にも行かなくなってしまった。この状況を打開する事が最近の俺の最優先事項でもあった。
俺は京香の部屋をノックする。返事はない。
「京香ちゃん。そろそろご飯だよ。一緒に食べよ。」
いくらひきこもり中とは言ってもお兄ちゃんに心を開いている妹はこれで答えてくれるはずだ。目の前のドアがゆっくり開く。ほらね。
「だまりなさい。時空が乱れます。」
ちょっぴり何を言っているか不明の妹だった。
それだけ云うとまた部屋に引っ込んでしまった。俺も中へと踏み込む。そこは薄暗く、やたら黒装飾が施された異次元的な空間だった。当然その中にいる妹、京香も黒く染まっていた。
「ご、ごめんね。でもお兄ちゃん、京香ちゃんと一緒にご飯たべたいなーって。」
「それはできません。」
「なんでっ!?」
即答されてしまった。ようやく目が慣れて、改めて見れば黒に染まっていると思った妹はフリフリのついたゴスロリファッションだった。こ、これは可愛すぎる。まるで子猫のようにベッドの上で丸まっている。
「この私がお兄様と一緒にご飯をともにすることはできません。」
「なんでなんで?」
「そんなことをしたらタイムパラドックスが発生してしまいます。」
「た、タイムパラドックス?どうして?」
タイムパラドックスとはタイムマシンによってタイムスリップした際に生じる矛盾や歪み(ひずみ)のことだったはずだ。
例えば、タイムスリップをした人間が過去の自分が生まれた前で自身の親を殺すとどうなるか。
親が死んでしまったということは、その後の人生でタイムスリップをした人間を生むはずだった人間がいなくなることを意味する。しかし、そうなると親を殺した人間が存在しないことになり、因果律がおかしくなってしまう。俗に言われる親殺しのタイムパラソックスである。
この間京香に言われたからお兄ちゃんはちゃんと勉強したのだ。ちなみにソースは我が生徒会のもう一人の副会長だったりする。
「私は2秒後の世界から来ています。」
「みじかっ!?それにもうそれ過去だよ京香ちゃん。」
「だから貴方はクズなのですお兄様。」
「くずっ!?」丸まったまま睨まれてしまった。
「そう、今の一瞬で世界線は元に戻りました。」
「ごめんね。お兄ちゃんまだ勉強不足みたいだよ。」
京香はなんて奥の深い子なんだろう。俺のような人間ではその意味をほとんど理解してあげられない。これはまた副会長に教えを請う必要がありそうだ。
「いいです。お兄様にははじめから期待していませんから。」
「えー期待してよ。お兄ちゃん頑張るから。」
「では過去に飛んでください。」
「未熟な兄を許してください!!」土下座した。
これが俺と京香のデフォルトの会話。何度も言うが俺は妹が可愛くて仕方がない。しかし、いまは同じくらい心配もしているのだ。
「ねえ。京香ちゃん。今日も学校行かなかったんだね。」
「学校?それは子供に偏差値至上主義を洗脳する強制収容施設のことですか?」
「すごい嫌な言い方だ!?」
「勉強なら自分でしています。」
「で、でも学校へ行って皆で勉強するのも楽しいんじゃないかな。」
「お兄様がそんなレトリックをお持ちとは。失望しました。やはり過去を変えすぎましたか。」
「え、お兄ちゃん変えられちゃったの!?」
本来の俺はどんな考えを持っていたのだろうか。
「バタフライ効果をなめていましたね。」
バタフライ効果とはカオス理論において使われる言葉で一つの非常に小さな事象がやがて非常に大きな変化を及ぼす事象に発展してしまうことを指す。
どうやらタイムスリップにおける過去、現在の事象の変化もこの効果が適用されるといわれているらしい。
「って、話をそらしたね。京香ちゃん。」
「ばれましたか。仕方ないお兄様の異常性癖の話に戻しましょうか。」
「そんな話しはしてないよ!」
「私に『お兄様』と言わせて興奮しているのでしょう?全くどうしようもない人ですね。」
「いや、言わせてないから!」
別に京香は普段から『お兄様』なんて萌える呼び方はしていない。何故か最近は彼女の中でお兄様と呼ぶことにハマっているらしい。まあ理由はほぼ確実に漫画か小説を読んで影響を受けたのだろうが、そんなことを正直に言う妹ではない。
「おや、お兄様が喜ぶと思ったのですが、お気に召しませんか。」
「お兄様も確かにいいんだけど前みたいに『お兄ぃ』っていうのもうれしかったな。」
「勝手に過去をねつ造しないでください。私は一度も『お兄ぃ』なんて呼んだことはありません。」
「あ、そっか。あれ夢だったっけ。」
「普段どのような夢を見られているのですか。」妹が引いていた。
「まあそれは置いておいて、あんまり部屋に閉じこもっていたら、体壊しちゃうよ。それに精神的にも良くないと思うんだ。やっぱり外の空気すわなくちゃ。」
「私はここから世界中にダイブしています。」
「電脳化してたの!?」
結局話は進まなかった。最近はずっとこんな調子だ。
全く本当に可愛い妹である。
俺はベッドで丸くなっている京香に近寄って、頭を撫でた。
「いつでもいい。学校に行かなくたっていいんだ。僕はいつだって全力で京香を応援するから。」
それだけで京香には伝わったはずだ。
「ほ、ホントにどうしようもないシスコンですね。」
…多分伝わったはずだ。
京香はしばらく黙ったままだった。
薄暗い室内でははっきり見えなかったが、少し照れたような妹の顔はやはり隔絶的に可愛かった。
「じゃ、一緒にご飯食べよ。」
そういって俺は強引に京香の手を引っ張る。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん、そんなに引っ張らないで。」
先ほどとは違ってその声は年相応な女の子らしい声だった。