第六章
東雁基錠は、炭燈楼三十階に、本拠を定めていた。
すでに或帷衆を見つけ次第、部下に殺害を命じている。
報告は時折だが、着実にことは進んでいた。
元々彼は炭燈楼に来た時には、東雁コーポレーションが多額の資金を投入して開発していた。
とはいえ、複雑で広大な炭燈楼である。まるで一つの入り組んだ大型で立体型の倭城のような、空間ができていた。
基錠は、或維衆から炭燈楼を乗っ取ることを計画していた。
彼の仕上げの手段はこれからだった。
ОSから接触が来ていた。
「神」を取り込む手段を、彼等は基錠に勧めてきていた。
ОSからの話ということで警戒はしたが、報告では炭燈楼は事実上、祇ではなく神のものになっているとのことだった。
なら、利用するべきだと、判断した。
或維衆が手を出す前に、だ。
ボードに映ったОSのメンバーは、神に必須のものを送っておいたと伝えてきた。
何製なのか、構成物のわからないモノでできた、口の部分までの白い仮面だった。
『新しい外部デバイスみたいなものですよ』
少女と言って良い相手は言った。
ふむと唸り、基錠は仮面を顔にはめ込んだ。
成った!
椋悠は思った。
手を打って大声を上げたいが、薄い壁の向こうに鹿等目がいる。
彼女は静かに口元に指を這わせてニヤリとしたにとどまった。
第零課遺祇統括機構は、東雅基錠で或維衆を押さえさせながら電子の海に沈め、神を一人の人間に直結させて制御したのだ。
これで当初の目的通りに「一月の雨」作戦を再び行える準備が整った。
やっと来たのだ。第零課の年の思いの日が。
我々ОSの素晴らしさを、東京を中心に日本に見せしめる日が。
だが、まずは演習だ。
椋悠ははやる気持ちを落ち着かせながら、斗空と連絡を付けた。
第十階層中央。
渦巻くものは、何とか形を取ろうとしていた。
それはあらゆる情報に接触しては通り過ぎ、やがてひとつのものに当たり、収縮していった。
「事件番号七七七」
といったものだった。
ベレー帽に、チャイナ服と着物を融合させたような服を着た少女は、七七七と自認すると、両手に鉈をぶら下げて軽く顔を上げた。
雷鳴のような電磁吹雪の中電染が起こり、光りの羽を生やし、純白の肌に仮面を被った存在が多数、天井に現れた。
その映像を黙ってみていたのは、斗空だった。
彼が炭燈楼に放った部下の状況を把握すると、ОSの椋悠から連絡があった。
「『電導体』に侵入成功しました。これでアレはただの電子の塊ではなく、物理的に対応可能な存在と堕ちました」
「……つまり?」
斗空は或維衆の執務机の上のボードの一つに眼をやった。
「アウトフレーム化したということです」
満足げに笑み、第二階層の映像に関心を戻す。
「あともう一つですが……『東京上層部局調査報告No・6号』のデータが抜かれた形跡があります」
「……なんだと?」
横顔を向けて睨みながら、斗空は葉巻の先を切った。
火を付けて煙を立ち昇らせて、すぐに鼻を鳴らした。
「もみ消さす。というか、もみ消していたはずだ。もう一度、葬る」
「作用ですか」
椋悠は淡々と返したのち、何も言わなかった。
「……で、あの少女には手は付けているのか?」
ふと、斗空は聞いた。
「いえ。彼女の存在は、予想できない突発的存在でしたので」
斗空はもう椋悠には眼もくれなかった。
葉巻をふかしながら、第二階層の様子を眺めつつ、サイドボードに立てかけてある写真を視界の隅に入れる。
斗空と為端、そしてもう一人の少女だった。
約四年間の付き合いだった。
為端のの実力を知った当時、或維衆の筆頭幹部だった斗空は、「下手に名を売ってあっさりと捕まるには惜しすぎる」と、敢えてコミュニティに名をおかず、代わりに個人的な半永久的契約者とする立場を与えてきた。
或維衆のトップになった経緯にも、関わっている。いや、ほぼ為端のおかげと言っても良い働きだった。
唯々諾々とは言えない文句や要求の多い彼に、トップに立った斗空もプライドを刺激されることはあった。
特に彼が斗空の或維衆支配のお膳立てをしたという点が、ずっと引っかかっていた。
「この服もさっき食った肉も、或維衆にいられるからだ。正直、俺はこれで満足だよ」
ある夜、道路わきの河を眺めながら、斗空は車に寄りかかり、横にしゃがむ為端に言った。
「……何をカッコつけてんだよ。無茶言うおまえの願望を直で叶えてやってんのは俺だぜ? ホント、身体がいくつあっても足りねぇよ」
電子タバコを咥え、裸眼の為端は醒めた調子だった。
「愚痴るなよ。今ある力を実感しようぜ、こんな夜だ」
「……コミュニティの禍図深が、おまえをマークしてるよ」
「……ボスの連中が?」
「俺たちはやり過ぎたらしいなぁ。先日の遁牡会の壊滅が原因だわ。蚊図深の裏の個人コミュニティだったんだよ。データは確認する前に全て破棄したんだが、かなりの警戒っぷりだ。東雁コーポレーションっていう会社の一部と、壊滅の報と同時に連絡を取っている。何かある」
淡々として河を眺める為端の横で、斗空の顔は険しくなった。
電子タバコの煙が巻き上がる。
「……マル暴、ついでに公安が或維衆に対して動き出しているしな。禍図深は持ってるぞ、それだけのモノ」
「……ボスの俺に対する動きはそれだけか?」
「いや、狙いに来てるころだな、そろそろ」
「……なるほど?」
もう斗空の表情は能面のように何もなかった。
それからのことは、単純だった。
斗空は思い出すたび、日向依葉のことを考える。
どうしても頭から去ってくれない。
ボードの一つに動きがあった。
七七七は茫然としていた。
大量の電子の線にぶら下がった白い物体を茫然と見上げてた。
「……どうなるのかねぇ」
斗空は面白そうに様子をみつつ、椋悠のボードに意識をやった。
椋悠は無表情だった。
「……演習にもならないが、確かにここに異様な点があったのだが」
確認するように言うと、椋悠は独自にボードを開いたようだった。
同時に彼女は、七七七への介入も開始していた。
神が至る経路。
神経がそこに集まっていた。
再び、東京の地に向かうために。
いやだ、死にたくない。
七七七は目の前の不気味なものに対して、恐怖を抱いた。
椋悠のボードにノイズが走り、強制介入を受けた。
そこには、赤道色のボブをふたつに縛った赤い眼の少女がふてくされたかのような表情をアップにして映っていた。
「……御大層なことだなぁ。自分らの都合良く行ったら、あたしみたいな祇殺しは用なしか?」
稀宇だった。
「……おまえら、繋がってたのか」
斗空が葉巻を吸うのも忘れて、椋悠をまじまじと見つめた。
舌打ちしたそうな苦い表情の椋悠。
「……そんなことはない、稀宇。あなたにはあなたにしかできない役目を果たしてもらう」
「へぇ……あんたが言うなら大体想像できるけど、ハッキリ言って欲しいねぇ」
「その時になったらね」
「今だよ」
稀宇が、今だと言う。
祇殺しが。
東京に、神々を送り込もうとしている今この時を。
「冗談はやめてもらおうか、稀宇」
椋悠は務めて柔らかい顔をつくり、落ち着いた声を出す。
七七七は恐怖におびえながら、鉈を握りしめている。
「……まぁ、ちょっとだけ時間をくれてやるよ」
稀宇はニヤリとすると、ボードから顔を消した。
茫然とする椋悠に、斗空は葉巻の煙の香りを味わっていた。
煙を立ち揺らせたのを見上げながらしゃがんでいた為端は、サングラスの反応に笑った。
「玉藻の居場所が分かったぞ。九尾の狐のやつだ」
「あぁ?」
楓は間抜けた声を出していた。
三人はまだ屋台に張り付き、ミケタの姿をとった遊は食い過ぎたとばかりに腹をさすっていた。
「あんたウチを疑ってたわけ?」
「何の話だ? で、場所は元涼戒島だ。今は炭燈楼の根元にいる」
ペットボトルのストローを咥えた楓は、フンと鼻を鳴らした。
「……ОS本部の人間かい? ОSかい?」
「両方だなぁ」
上と繋がっている存在がОS本部にいる。
楓は複雑だったが、悩むような性分ではなかった。
それとわかったのなら、問題は別班での自分の存在意義というやつだ。
「こっちは、鬼のことで気付いたわ。あんた勘違いしてるよ。鬼のこと鬼神だとおもってるようだけど、よく考えたら『隠』のほうだわ。で、どうでもいいけど、神経が第十階層に集まってる」
「……そっちかい」
為端は空笑いした。
「で、何匹?」
「九柱。で、将門どうなったわけ?」
「知らんよ、俺関係ねぇもの」
「本当に関係なさそうでムカつく」
もっといえば、ミケタと為端の関係も未だ謎である。
ただ、公安の本部が情報を欲しがっている。
自分は?
楓は自問した。
どうでもいい。
しばらく考えて出た答えが、それだった。
彼も自分も、今はミケタの眷属なのだから。
「隠のほうだと、こっちからいかなきゃならんなぁ」
「十階」
楓は短く答える。
サングラスから眼だけよこした為端は、つまらなそうにした。
「おまえも仕事あんだろうがな。まずは三十階だ」
「三十? なんで?」
為端は電子タバコの煙を吐きながら、歪んだような笑みを浮かべた。
「おまえらの仕事なんか知ったことじゃないからだ。地獄を見せてやるぜ?」
時折揺れる炭燈楼に、期錠は複雑な微笑みを浮かべていた。
泣いているのか、彼女は。
報告の一部には満足していた。
或維衆の連中は十階以下まで降り、残りは彼の部下に駆逐されいるところだった。
ただ、問題は一人捕まらない男がいる。
そのせいで、完全に或維衆を潰すことができないでいる。
不瑞譚宇。
或維衆の幹部の一人だ。
彼は独断で炭燈楼に昇ってきているらしいが、その点に関して斗空からは特に何も言われた様子はない。
為端に連絡を取ればどうにかなりそうだが、意図的に彼は避けていた。
彼の本来の業務を行うための執務室で窓から塔と橋の格子模様を眺め、基錠はスーツについていない埃を払う動作をした。
この男にはワザとらしく上品ぶる癖が、どこか潔癖を思わせた。
彼のの東雁コーポレーションは、炭燈楼最上階と接触することに成功した。
「……何か飲むかね?」
彼は机の向こうにあるソファに座った十六歳ぐらいの少女に聞いた。
ショートカットで襟と横の隙間を短くし、灰色のデニムでできたの大きなサイズのパーカーを着て、ショートパンツから伸びた脚は軍靴を履いている。
背後に時折その光って見える電子の線が天井から床に一旦落ちてゆらりとその体に繋がっている。肌は恐ろしいくらいに白い。顔面には、同じぐらい白い口だけが出る面をつけていた。
腰には二尺の刀を履いている。濃口には紐で鞘と鍔を結んでいるのは、特別な意味合いを暗示していた。
不機嫌なのかもとからそういう雰囲気なのか。
返事はなかった。
基錠は感情を害した様子もなく、最上階から降りてきた帷乃裏の代わりから眼を離した。
彼女は上階にいる帷乃裏とは違うが、存在としては帷乃裏である。
異体、化身など言い方は色々とあるが、帷乃裏でもある。
面倒だから名前をくれと要求すると、異乃裏でいいだろうと上階から返ってきていた。
彼女を手に入れた基錠は炭燈楼に認められた存在と言って良い。
麾下の会社の技術力を駆使した結果である。
あとはただ、或維衆の殲滅を待つだけだった。
彼は、四十階を超えたらしい帷乃裏に一つのファイルを送っていた。
これは、その返事として返されてきたものだった。
一つの事実に彼女は気づいたのだ。
基錠は笑んでいた。
気付いたことに、爽快感がある。
「それにしても、わたしにまでそう不機嫌にならなくても良いじゃないか」
彼はわざとらしくぼやいた。
異乃裏は答えなかった。
第七章
まさか、こんなことだったとは……。
帷乃裏は最上階のチェアに座り、茫然と天井を眺めていた。
黒ずみのように顔に塗られていた墨はいつの間にか消えている。
自分が、或維衆による担当楼かく乱のための存在でしかなかったと、基錠に知らされた。
そして、而彌をみて理解したことがある。
ここにいる存在は、全て入れ物だ。
いや、ここ炭燈楼だけじゃない。全ての世界の存在が入れ物なのだ。
祇とか神とか人とかいうもの。
そこはかとない失望と怒りと、胃を強引に引き下げるような絶望感。
炭燈楼という漏斗状のものが、地上に何かを流し込んでいる。
特に帷乃裏はそれを利用してできた存在でしかなかったことを自覚した。
全てはあの事件。
これほどまでの喜劇があろうか?
自分の人生が他人のものでしかなかったという笑い話が他にあろうか?
彼女は密かに確認の連絡を入れていた相手から手に入れた情報を使う気だった。
作業を進めていた基錠の部屋に、慌てた男が走り込んできた。
会社の警備部の警護班の男だった。
「社長、大変です! 侵入者です!」
基錠はつまらなそうな顔顎を上げ、相手を見下ろした。
今更、たかが侵入者に大変も何もあるだろうか?
「全て叩きだせ」
軽く手を振り、眠そうな顔で言う。
「それが、禍図深会らしいんです」
「……ほお?」
驚きもせず、落ち着いて基錠は鼻を鳴らした。
或維衆の直系の親組織だ。
事実上、壊滅させられたときいたはずだが。
或維衆の支配者という立場の相手なら、追い出すわけにもいかない。
むしろ、対話すべき存在だ。
「通信を開け」
「遁牡会って、あんな連中だったのねぇ。派手というか、奇矯というか……」
様々な服を着て、それぞれがそれぞれの武器を肩に抱いた人の群れが、三十階層に溢れだしていた。
楓は眉をひそめながらボードを見詰めていた。
「ああ、ありゃゾンビだぜ? 悪鬼ってやつだ」
階層の端で、茜に為端は言った。
認識規定の第五条五、人と人間は似て非なる存在である。と同時に第九条、人は祇とも呼ばれる。が、当てはまった。
「……基錠の野郎、斗空を潰す気らしいけどな。そう思う通りになるんかねぇ」
為端が悪戯っぽく言う。
基錠を炭燈楼に招いたのは為端本人ではないか。
楓は確信を持っていたが、あえて何も声を出さなかった。
「認識規定の使い方をおしえてやろうか?」
そんな彼女に為端はニヤニヤしながら続けた。
「第九条、人は祇とも呼ばれる。第七条、祇のいる空間を異界と呼ぶ。第六条、祇は祀られなければ鬼と化す、を当てはめてみな」
楓は今まで規定を現状の分析に使うだけだったが、言われた通りに「当てはめて」見た。
すると、遁牡会の連中は全て鬼であるという、コンタクト・レンズからの解釈が脳まで伸びた眼球の神経を通って「認識」された。
「ここまで来たら、まるで百鬼夜行だな」
まるで他人事のように為端は言った。
「で、どうするのよ、あの連中」
ストローを咥えながら、楓は聞いた。
「知ってたか? 俺たちは偽の祇とはいえ、一応鬼に堕ちた奴の眷属なんだぜ?」
「……何を今更……」
「あの隠とはかけ離れた鬼どもを使う。ただ、炭塔楼が何時までも黙ってるとは思えんが」
楓は瞬間的に眼球飲み動かして彼を見た。
余程根性がねじ曲がっているのか、為端は楽し気に電子タバコの煙を吐いていた。
ふと、楓は気が付いた。
「あんた、東雁基錠を嵌めたでしょ?」
公安別班が、すでに或維衆と禍図深・遁牡会の関係を調べ上げていたのだ。
「消し屋が表立って動くと面倒ごとしかおきんからなぁ」
為端は当然のような口調で答えていた。
ショートカットで大きなデニムのパーカーを着た少女だ。
それを路地裏から階層を俯瞰していた楓は思わず声に出した。
「ミーナ……!?」
少女は遁牡会の鬼たちを無表情に見下ろしていた。
サングラス越しに目をやる為端は、苦い顔をしていた。
「……いや、違うが。異乃裏というらしい。あの白さは異常だろう。ただ、こういう形で出てくるのは予想外だなぁ」
呑気に為端は呟く。
ミケタにしては、異様なほど荒々しい雰囲気をまとっている。
遁牡会の鬼たちは、三方向の道路に別れて、階層の端にあるビルを目指していた。
異乃裏は三柱の神を呼び、それぞれの道を行く彼らの前に送った。
仮面を被り、真っ白な肌で、電線を多数垂らしながら光りの羽をもつ存在達。
その時、鬼たちに変化が起こった。
彼等は独自に自己の存在するレシピを改造し、祇へと変わっていった。
「……これはまた……予想外だなぁ」
為端は呆れたかのような表情になっていた。
そして、気付いたかのように、咥えている電子タバコから吸い込み、眉を寄せて吐き出した。
「どういうこと?」
楓はボードから顔を上げた。
「多分、『異界』というやつのせいらしいな。そこじゃ、あいつらは何でもというか、都合の良いことをできるんだろう。細工能力としては認めたくないから小細工とでも言っておくか」
まるで他人事のようにヘラヘラした様子で答える。
「……それなんだけど祇って基本、依代あって出現するものなんだよねぇ。異界になると、それも自由になるみたいよ」
専門家らしいことを楓は説明した。
為端はそれを聞いても、鼻で笑っていた。
「なんにしろ、祇の方が殺しやすいって奴がいるんだよなぁ」
彼はボードの一部を拡大させて、鉄塔に立って居る人影を映し出させて楓に見せた。
「……稀宇!?」
「ああ。どうなるのかしばらく様子見ようぜ」
「反対します。稀宇がでてきたなら、ウチ等はこの隙に行動するよ」
「何すんだよ?」
怪訝そうに、サングラスの横から目をよこす。
「あたしが、ミーナと一緒に天井を踏み抜けれた理由がわかった気がするんだよ」
直接に答えず、楓はストローからペットボトルの液体を一口吸った。
満足げな息を吐く。
「ところであんた、ここで何するつもり?」
「……おめーが今企んでることと同じだよ」
面白くもなさそうな返事だった。
楓はニヤリとする。
ペットボトルからの液体が身体中に行きわたるのが感じられた。
「そうかぁ。それはそれは」
彼女は楽し気だった。
いきなり、三十階層にいた者たちの足元が揺らいだ。
基錠は何事かと思った。
瞬間には、床を抜けて下層に落ちて行っていた。
その空中に、異乃裏もいた。
彼女は、ニヤリと彼を見て口を大きくゆがめて笑った。
顔に見覚えがあった。
「……基錠……」
細い電子のラインが時折太く弾け鳴って、雷鳴のようになる。
なんだ、こいつは!?
基錠は見詰められ、寒気に襲われた。
「……全ては入れ物なんだよ。わたしはあんたを入れる」
異乃裏が呟くと同時に、電子の糸が凄まじい力で基錠の身体を拘束して彼女の身体に引き込んだ。
吸い込まれるようにして、基錠はその体の中に取り込まれていった。
途中、十九階でその身体が、河原屋根の一つに着地した。
「……よぉ。ここで止まってくれてありがたいわー。おめー、良い感じに俺の裏取ってくれたなぁ」
建物ふたつ離れた煙突がでた屋根に、為端がポケットに手を入れてしゃがんでいた。
「……帷乃裏じゃない……」
楓はその脇で、目の前の少女に目をやったまま、呟いた。
異乃裏は仮面から出た口の端を上に釣り上げてゆがめた。
「まぁ、余裕ぶってろよ」
為端は言った。
天井から、次から次へと、人の形をかすかに取った肉塊が降ってきだした。
鬼たちだ。
「帷乃裏、おまえОSの身体を手に入れたな?」
真っ白い異乃裏に、為端はヘラヘラしていた。
電子タバコを咥え、煙を吐く。
「堕ちるとこまで堕ちたって感じよなぁ」
「……あんたが言うことか?」
はじめて異乃裏は口にした。
彼女は基錠を吸収したことで、ことの経緯を理解したのだ。
「依葉はあんたを許さないとさ……」
「だから? 地の祇はミケタが統べて、炭燈楼に封じた。たかが小娘に何ができる?」
為端はせせら笑う。
身を起こした鬼たちは、異乃裏に向きを変えた。
彼女はその群れに囲まれていた。
「……がきゃぁ! どこまで図に乗りやがる!!」
鬼たちが一斉に異乃裏に跳びかかって行った。
「勘違いもはだはだしい馬鹿どもめ」
異乃裏は、身体の重心を下げて刀の鯉口を切った。
青白い光が幾条も曲線を描く。
身体を切断された鬼たちが、瓦屋根を転がり落ちて行った。
だが、攻撃は止まらない。
異乃裏はその場から一歩も動くことなく、身体を舞わしてまるで刀と踊るようにして鬼たちを切り刻んでいった。
一息つくと、口元は満足げだ。
残った鬼たちは、流石に近づくのを躊躇した。
為端は、表情のない目でサングラス越しにその様を眺めていた。
「……基錠、いるか?」
途端に仮面の左目の周りが砕け、血走った眼球が為戴に向けられた。
「……貴様、為戴! 呑気に眺めてる場合じゃないだろう!!」
異乃裏の声で、罵倒気味に叫んでくる。
「そう思うなら、おまえがそいつを止めてみろよ、基錠」
「勝手なこと言うな! 貴様が元凶だと、気付いたからな、俺は! なに眺めてるんだよ、おまえのせいでこうなったんだぞ?」
「いいや、おまえのせいだね。だから、依葉に喰われたんだ」
「ふざけたことを! そもそも……」
為端はホルスターから巨大な拳銃を引き抜いた。
左手で天井から垂れた電子の線をまとめて握り、放るように異乃裏に軽く投げつけた。
黄金色のラインは、異乃裏の身体にまとわりつき、小さな火花がところどころで起こる。「ほら。それ使って、どうにかしろよ」
犬に、オモチャをわたしてどうするか見るかのような様子の為端だった。
火花が異乃裏の身体のあちこちで連続して発火して、彼女はぎこちなく、身体を丸めた。
そこに、様子を見ていた鬼たちが一斉に襲い掛かる。
異乃裏はそれでも刀を振るって、四体まで斬り結んだが鈍くなった動きの足を取られ、バランスを崩したところに鬼の乱杭歯の口が肩や腕、太ももに食い込む。
彼女の身体から爆発するような炎が上がった。
鬼たちはたまらず、身体を離す。
だが、どこか雰囲気が違った。
異乃裏は、片足をついて身体を突き立てた刀にもたれていた。
「……為端……」
彼女は憎々し気に小さく呟き、仮面越しに睨んできた。
「帷乃裏、おまえが入れるのは、そいつじゃない。そしてそいつは失敗作だ。ОSを使った時点でな」
彼が言った時には、鬼たちは辺りに散らばったまま、不気味に様子を眺めていた。
明らかに、先程までの彼等と雰囲気が違う。
ひとことで言えば、雰囲気の個性というものが消えていた。
「楓、第六条、祇は祀られ無ければ鬼と化すと第七条、祇のいる空間を異界と呼ぶに第三条、人間は個として中心である時に物がみえるを当てはめろ」
為端のいう通りに、すると、鬼たちの姿がかすんで霧状のもので全て重なっているのがわかった。
その隙に彼は第六条のせいで身体から白さを失いつつあった異乃裏のところまで静かに近づくと、見上げた彼女の額に銃口を押し付けて引き金を引いた。
頭部が弾かれて、のけ反った彼女はそのまま瓦屋根の上に倒れた。
気付けば鬼たちの気配は無くなっていた。
そして、基錠のものも。
椋悠は執務室で満足気だった。
準備が整ったのだ。
いよいよ、「一月の雨」作戦の再発動は彼女の決断の時を待つだけとなった。
稀宇や斗空の子とは気になるが、発動した作戦下で邪魔になるとはおもえない。
彼女の部屋に、鹿等目が何気なく現れた。
またこいつか。
椋悠は内心とは正反対に微笑んでみせた。
「いかがなされました、閣下」
「……炭塔楼のほうに、異変があったと連絡を受けましてね」
「ほう、それはそれは。初耳ですが」
「おや、そちらにはまだですか。しかし、すぐに報告が来るでしょう」
お互い、しらばっくれている様がわかる流暢さで反応していた。 「何かあったご様子ですね」
「炭燈楼に不穏な存在が出現しましてね。復興するにあたって実に厄介なものですよ」
「それは大変ですね」
さらりと椋悠は流す。
鹿等目は困った態度を見せて、重々しく溜め息をついた。
「そちらの進行具合はどうです?」
「いたって順調です」
「なるほど。なら問題ありませんね」
彼に、椋悠は目をやる。
とぼけている風だが、確実に今の自分の一言で決めたようだ。
下手を打ったか。
平静さを維持しつつ、彼女は鹿等目の次の言葉を待った。
「いやですねぇ、斥候部隊が炭燈楼に不穏分子が集まり、降下しつつあると言って来たんですよ」
「……ほう」
「まるで、『一月の雨』事件の時のようにですよ」
背中に汗が流れるのがわかった。
「先程の問題がないとは?」
椋悠は念のために聞いた。
「ああ。それで、上から命令があって、降下してきた存在を撃滅せよと。これから特殊作戦群に命令を下すところです。まあ、ご心配なさらずに。あなた方の邪魔はしませんよ」
想わず椋悠は腰を浮かしかけ、舌打ちするところを飲み込んだ。
自衛隊最強組織が、炭燈楼に、それも「一月の雨」作戦部隊に対して投入されるというのだ。
もう、鹿等目の姿は隣の部屋に消えていた。
握り拳に思い切り力を入れ、歯噛みする。
しばらくそうするうち、腹の底から低い笑いが沸き起こった。
虚空を睨み、彼女は凄みのある表情になっていた。
……来るなら来い。前回の作戦と部隊の質が違うことをおしえてやる!
椋悠は、鹿等目やその背後にいる政府関係者すべてを鼻で笑ってみせた。
今度こそ、この狭い島から陸地に上がってやるのだ。
炭燈楼は不思議な空気に包まれていた。
気付いた稀宇は、十階層で辺りを見渡す。
「侵入者? だけ、じゃないな……」
「……捜査してるんじゃね?」
七七七が答えた。
「捜査? なにの?」
稀宇は怪訝そうな顔をする。
「日向依葉の事件だよ」
少女は淡々とした口調だった。
第八章
稀宇に、斗空から連絡が入った。
降りてくる神を葬ってもらいたい。
ボードに浮かんだ文字列に、稀宇は怒りの表情で空笑いした。
「あたしゃ、祇殺しで神殺しじゃねぇんだわ、おっさんよー」
文字だけ浮かぶボードに、凄んで見せる。
その虚しさに気付くと、舌打ちしてその場に胡坐をかいていた。
調べると、特殊作戦群が投入されたと、暗号コードが出ていた。
なら話は別だ。
神は特殊作戦群に任せておけばいいのだ。
ただ、気配がする。
降りてきているのは、狐だ。
それも九尾の狐のものだ。
妖狐とはいえ、立派な祇といえる。
狙うなら、最上階にいる祇か、この九尾の狐か。
「四か月前、日向依葉という十六歳の少女がいた……」
いきなり、七七七が語り始めた。
「……彼女は、いきなり襲われ、身体はバラバラにされてその破片は無造作に池に放り投げられた」
「どうした?」
稀宇は彼女が我を失っていないか覗き込んだ。
「大丈夫だ。事の次第が理解できただけだ。日向依葉事件のな」
「それと、こっちのこととどう関係がある?」
七七七は、うっすらとした笑みを浮かべる。
「大ありだよ。炭燈楼に存在する本当の祇でも神でもない、怨霊は日向依葉なんだ」
「……ほぅ」
稀宇は興味をそそられたようだった。
而彌が身体を遠回しにゆっくりと周回していた。
帷乃裏は、何も考えられない頭で、ひたすらに何百条の電子の糸を炭燈楼の下階層に垂らしていた。
担当楼と繋がるはずのラインは、逆にまるで帷乃裏の中身を流出させつづけているかのようだった。
彼女は、曇る雲だけのような頭の中で、小さな憎しみを燃やし灯し続けていた。
而彌が様子を見るように縦に一回転する。
その注目するところは、絶やさない憎悪だった。
而彌にとって、それがあれば存在できる。
電線に、反応があった。
眩めくような、怒りの塊。
帷乃裏自身、伝導で痺れるように身体を震わせる。
だというのに、なんら形を取っている様子はない。
名前はわかった。
東雁基錠。
炭燈楼から日本財界を乗っ取ろうとした、東雁コーポレーションの社長だ。
東雁コーポレーションは、融孝社の大本の請負会社でもある。
彼が何故ここまで激怒しているのか、わからない。
実態をなくしたからだろうか。
帷乃裏は下層の電子のラインから、基錠を引き上げた。
幾条もの線に巻き付くようにして、その靄のようなものは猛スピードで這い上がってきた。
座っている椅子のひじ掛けを、帷乃裏は一本の指でリズムよく一定間隔で叩いていた。
彼女の身体から生えている電線を伝い、不定形の基錠が吸い込まれるように侵入していった。
靄が飼っていた帷乃裏の頭の中が一瞬渦巻いてから、眠りから覚めるように、覚醒した。
「……為端……!」
歯ぎしりしつつ、忌々し気に彼女は男の名前を吐き出した。
十九階層の喫茶店で、為端と楓はコーヒーを飲んで一休みしていた。
脇に大人しく遊が入ったミケタの身体が座っている。
特に会話はないが、楓はかなり気になって仕方がないことがあるように、為端を伺いながら、ボードを忙しく操作していた。
確認したいことがあった。
公安部特別班と、他の繋がりである。
特別班が炭燈楼に支配権を打ち立てたいことは明白だった。
こまごまとした繋がりを確認して一々潰して行った。
今のところ、背後関係は何もない。
するとどういうことか、楓にはわからなくなる。
大体、背後が無いならそもそも、特別班の意思もないはずである。
楓は残ったコーヒーを一気に飲み干し、もう一杯頼んだ。
為端はというと、ぼんやり窓の外の半ば廃墟な風景を眺めて電子タバコを吸っている。
その表情からは内心は図れなかった。
「来るぞ……?」
彼はぼそりと呟く。
反射的に顔を上げた楓は、怪訝な顔を見せる。
窓の向こうの天井が、いきなり爆発するように崩壊して、大きな穴が開けられた。
そこから微かに靄がかった少女がゆっくりと幾百本もの極細な電子の線に釣られて降りてきた。
電線は時折巨大な稲妻となって大気を駆ける。
仮面を被った、タンクトップにコートを着て、ミニスカートの下に分厚いデニム生地の七丈ズボン。
服のいたるところに金属の装飾品がついている。
帷乃裏だった。
窓の外に振り向いた楓は、彼女と目が合った。
だが、帷乃裏はその向かいの為端に視線を移した。
靄がかった中、顔から唯一露出した口と顎のあたりに楽し気に笑みを浮かべてくる。
それも嗜虐性に満ちたものだった。
「……あいつ、どっかで見たねぇ」
コーヒーからペッドボトルのストローに変えて、楓は言った。
一口目で、苦そうな顔をしてボトルを見なおす。
「ああ。帷乃裏と以前のこっちを観察してた神の両方だ。本体だよ、九尾の。尻尾はないみたいだけどなぁ」
電子タバコの煙が乱雑に揺蕩う。
楓はこの階層が認識規定の第八条、人間世界と接触する祇の世界は異界と呼ぶ、が拡大された状態にあることに気づいた。同時に第五条、人と人間は似て非なる存在である、が自分たちに当てはめられていることにも。
「……どれぐらいの自由効くの、コレ?」
幾分、為端に影響された楓は鬱陶しそうに聞いた。
「出来るところまでじゃねーの?」
立ち上がって彼女に目もやらない本物はやはり違った。
動じない上に、意志を変える気もサラサラないようだった。
廃墟と街が入り乱れる階層は薄暗い。体感温度にはこれと言った文句もないが、風ひとつない。
その中の道路の一つに、為端と楓は一緒に立った。
辺りには時おり、稲妻が落ちる中だった。
帷乃裏は彼女らに向き直り、地に足をつけた。
「なるほど……アレの眷属どもか」
その言葉で、楓の持っていた疑問の一つが氷解した。
第五条だ。自分たちは人間でも人でもない。眷属なのだ。
帷乃裏はむしろうれしそうだった。
彼女にしてみれば、容赦なくぐちゃぐちゃに破滅させられる存在でなのだ。下手な人間と違い。
いきなり、ジャケットの裾をはためかせて依端は跳んでいた。
残された二人の視界から、彼が消える。
楓は黙ったままリヴォルバーを抜いた。
そこに、帷乃裏が両手を後ろに駆けてきた。
リヴォルバーの狙いを定めて撃つと同時に、右に大きく移動する。
弾丸は電子の線が作った小さな膜に包まれて、帷乃裏の眼前で止まった。
直角に動いて楓をに迫る。
踵で着地したのと、帷乃裏が眼前に迫っていた瞬間が同時だった。
帷乃裏はアウトフレームで、メイスを低い所から降り出していた。
楓はとっさにメイスの後で左手を床について身体を横に回転させる。
その右脚が刈るように帷乃裏の頭に叩きこまれた。
吹き飛ぶ帷乃裏の後ろから、乱杭歯の生えた黒龍が大口を開けて迫ってきた。
而彌だ。
楓は、両手で真っすぐ持った拳銃と拳を足を踏ん張り腰から回転させるようにして、上あごの横に振った。
だが、あまりの硬さに弾かれ、そのまま鼻の先で上に放り投げられる。
飛ばされた状態に無理に身体に力を入れず、そのままで彼等の後方の床で受け身をとると転がるようにしてから立ち上がった。
楓の意外な身体能力の高さは普段の態度や姿勢を見ている者からしたら意外に思われるだろう。
「……狐と龍って妙な組み合わせだわ」
彼女は、片手で髪を書き上げた。
リヴォルバーのコックを上げて、弾を入れ替えて行く。
「しかも、あんた別物に呑まれてるし。ごちゃごちゃしすぎ」
面倒臭そうに続けた。
「細かいことなんかどうでもいいじゃねぇかさ」
帷乃裏はヘラヘラしつつ、片目を仮面から現した。
「……楽で羨ましいわ」
楓は答える。
帷乃裏は再びメイスを振り上げながら、楓に急迫した。
その手首部分を楓は銃を持った肘で受け、固定すると弾丸を帷乃裏の肩口から胸に入るように撃った。
徹甲炸裂弾だった。
弾丸は帷乃裏の体内で爆発する。
右腕部分がだらりと下がるが、間に電子の線が膜のように張られており、すぐに縫い直す形で元に戻る。
帷乃裏の左手が楓の服を掴み、アウトフレームの左手が顔面めがけて拳を振ってきた。
だが、その動きの前に、帷乃裏は一瞬、右胸を中心として細かく砕けた。
鐵鋼炸裂弾は一度爆発するとその破片がまた爆発するようになっていたのだ。
一歩、後ろに下がり、楓は弾丸を残った帷乃裏の顔面に三発叩きこんだ。
しかし、破片と化す帷乃裏の身体から、改めて仮面を顔にした身体が出てきて、楓の腹を殴り、ひざの横に蹴りを入れ、崩れた体制の彼女に手に逆手に持った包丁のようなものを出してくる。
楓は包丁に突き刺される前に地面を転がって距離を取った。
倒れた姿勢で逃れたかと思っていると、眼前に片目を出した仮面の顔が自虐的な満面の笑みで待っていた。
とっさに身をひねるが、左肩を包丁で突き刺される。
帷乃裏は狂気したかのように、包丁で楓の身体をめった刺しにした。
いきなり、咆哮がおこった。
帷乃裏の一部が振り返る。
黒龍がが馬乗りになった帷端の巨大な拳銃で撃たれまくり、地上に力なく這っていた。
「而彌!!!」
身体を再構成している途中の帷乃裏が、とっさに振り返って叫んでいた。
楓の側の帷乃裏の姿が薄くなってゆく。
帷端は、止めに拳銃の一発を喰らわせると、またがったまま電子タバコの煙を吐いて、帷乃裏にニヤリと笑んで見せた。
「コイツが天に昇った龍だな。おまえの願望を載せた。けど、今死んだよ」
「……貴様……」
片目を見開き、帷乃裏は歯ぎしりする。
為端は皮肉気にニヤリとした。
「炭燈楼を支配したかったらしいなぁ? 祇を統べたかったらしいなぁ?」
煙を吐いて鋭い目になって彼女を睨みつける。
「……だが、それは本音か?」
「なんのことだよ?」
忌々し気に帷乃裏は返す。
「色んなのと集合してるらしいが、全て吹き飛ばしたよ。この黒龍といっしょにな。ただ、ОSに狐に改造されたところだけは手を加えてないが。それはこれからだ」
バレルの長い拳銃をだらりと垂らし、為端は龍の上に立ち上がった。
「……どうしてそこまで……」
帷乃裏は為端が把握している情報量に脅威を覚えた。
本人は知らぬ顔で、睨みつつも楽し気な笑みを浮かべて片手の指に電子タバコを挟んでいた。
「今のおまえには渇望しかない。ひたすら人の絶望や羨望を求めてそれを自己の中に入れたい、正にただの入れ物でしかないんだよ」
「うるさい!!!」
帷乃裏は、メイスをもう一本引き出し、自分の手に握ると同時に、為端にアウトフレームの方を振りかぶった。
手首をひねるようにして下げた銃の銃口を上に向け、為端はアウトフレームのメイスを撃ち弾く。
腕からの方は、軽く後ろに跳びながらつま先で触れて避け、真っすぐ拳銃を帷乃裏の背後のアウトフレームに向けた。
連続した銃声が響き、帷乃裏のアウトフレームが破片をまき散らしながら砕けていった。
彼女の身体ごと、後ろに吹き飛ぶ。
そこに狙いすまして為端は、真っすぐ一弾を放った。
帷乃裏の顔面を覆っていた仮面が砕けた。
辺りの電子の線が空間を包むように火花を散らして瞬いた。
帷乃裏の姿は、輝く光の中にかき消えていった。
地に足をつけると、為端は一瞬俯くようにしてバランスを取り、背を伸ばした。
「……よし。一丁上がりってやつか」
電子バタコを吸い、ゆっくりと煙を吐く。
「やったの?」
楓は、眉を潜ませながら聞く。
「あー、いや?」
ニヤニヤしながら為端はあっさり否定した。
思わず目を細める楓。
「次はいよいよ十階層だぜ?」
「三十階層じゃないの?」
「あー、それはもういい」
「その前に」
「……ん?」
為端が振り向く。
楓はペットボトルのストローを咥えて、為端に怪しげな顔を向けていた。
「本当に詳しいねぇ、あんた。ただの消し屋なんでしょ? どういう事?」
皮肉交じりに問う。
「あー」
為端は電子タバコの先で、楓のペッドボトルを指した。
「とことで、おまえのそれ、なんだ?」
「え? これはただの炭燈楼に身体を適応させるための浄化液よ」
楓は思わず正直に答えていた。
これがあるからこそ、認識規定などの影響を相手に与えられるのだ。
「そうかい。俺のこの電子タバコはなぁ、炭燈楼に煙を張りまくってあらゆる情報を収集しているんだよ」
ニヤリとして、まぁそれだけじゃないがと、小さく付け加えた。
「じゃあ行こうか、お嬢さんが待ってるぜ?」
為端は鼻歌交じりで降下用の階段がある方向に移動を始めた。
どこか勝手に向かおうとする遊の入ったミケタの襟を捕まえながら。




