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正典  作者: 大自然の暁
『楽園』
9/15

掌で全てを解決する者

 一日が経った。

 金曜日だが休校なので、藤原 雪音は真瀬 愛美、阿夜女太無、広葉の花簪と家で休んでいた。


「これからどうしようね。」


「私、狙われるんだってね!」


「どうしてそんなにポジティブなんだペン……。」


『人間は時々理解したがい事があル。』


 彼女らは藤原 雪音の家で作成会議をしていた。

 そこは小さく古いボロアパートで、二階の一番奥にある部屋が彼女の部屋だ。


「やっぱりボロいペン。壁に穴が開いてるペン。」


「文句言わないでくれる? バイトじゃそんなに稼げないの。それにここら辺には誰も住んでいないから、壁に穴が開いていようと関係ない。あと1LDKある。」


 そのアパートがあるのはまともな人間であれば立ち寄ろうとすらしないスラム街。

 そこは耀苑町の北外れにあり、通称『楽園』と呼ばれている。

 犯罪者にとっての『楽園』であり、ここでは治外法権とまで言われている。

 耀苑町の闇を一極集中させたかのような地区。

 その一角に藤原 雪音は住んでいた。


「金払って住んでるペンか!? ボクだったら大金を貰ったとしても住みたくないペン。」


「ダメ、今日からここに住むの。」


「私も住んでいい?」


「え?」


 真瀬 愛美は狂気的な提案をした。

 自分から『楽園』に住みたいと言う人間は恐らく両手の指で数えられる程度にしかいないだろう。


「マナちゃんは自分の家があるじゃん! こんなとこに住まなくていいよ!」


「えーっ、みんなと一緒に住みたい!」


「家族も居るでしょ?」


「いないよ!」


「じゃあ、いいか。」


 真瀬 愛美が藤原 雪音の家に住むことになった。


「4人で共同生活だね!」


「タノシミダペン。」


『ソウネ。』


「はぁ……、ま、気を取り直して作戦会議を始めよう。」


「はーい。」


 皆が畳張りの小さな部屋で小さな丸テーブルを囲む。

 その中心にはスマホが置かれ、スマホの画面には一人の少女が映っていた。

 広葉の花簪である。

 阿夜女太無は髪の長い少女の姿をしていた。


「でも作戦って言っても、今から『情報屋』に行くんだけどね。」


「『情報屋』って?」


「まあ、『闇市』に行きながら話そうか。」


 丸テーブルの陣形を解除する。

 彼女らは出発の準備を整えた。

 『楽園』にある全ての店は『闇市』に集結している。

 『闇市』以外に出店しようとすると、『闇市』の取り締まりをしている者に潰される。

 スラムにはスラムの秩序がある。

 『闇市』は『楽園』の中でも特に秩序だっている。

 そこは一つの国の様に、為政者が居て、住民が居て、法がある。

 そして『情報屋』もその取り決めに従い、『闇市』へ出店している。

 彼女らは『闇市』へ向かった。

 藤原 雪音は歩きながら、『情報屋』の情報を彼女らに伝えた。


「『情報屋』はその名の通り、情報を売っている。高いのから、安いのまで。聞けばどんな情報でも売ってくれる。ただし、滅茶苦茶足元を見てくる。あとは金銭以外を要求されることもある。」


「例えばどんな感じに?」


「『情報屋』は自分が欲しい物を要求する。当然買い手の情報だって何でも知ってるから、相手が欲しい情報とギリギリ交換できる程度の要求をしてくる。例えば、芸能人のスキャンダルを知りたいなら、それによって生まれる利益とほぼ同等の価値を持つ物、車とか指輪だとかを差し出させてくる。だから、『情報屋』が売ってくる情報を基にして商売する人はいない。儲からないから。けど、その芸能人を恨んでいるとかの人は買いに来る。そして、その分『情報屋』は値段を吊り上げる。おまけに『情報屋』は情報を買わない。売るだけ。」


「凄いシステムだね。『情報屋』しか儲かんない。」


「面倒臭い奴ペンな。」


「あ、ここを曲がったら『闇市』だよ。」


 彼女らはそこを曲がった。

 しかし、そこは行き止まりだった。


「おい、間違えてるんじゃないかペン?」


「違うよ、隠されてるんだ。」


 藤原 雪音は突き当たりの家に入り、近くにあった電話を手に取った。

 そして、3751432の順番に押した。

 すると、その付近の床が動き出した。

 遂には地下へ続く階段が生まれた。

 そこで、彼女は3つの仮面を取り出した。

 それはどこかの部族が着けていそうな物だった。


「さ、これ着けて行こう。」


「いや、こえーっペンよ!」


「そうかな?」


「真瀬 愛美はそうだろうペンが、ボクはまともなんだペン。」


「むっ……。」


 阿夜女太無がそう言うと、真瀬 愛美は頬を膨らませた。

 阿夜女太無はその顔にどんな想像をしたのか、震え出した。

 一瞬、彼女は前日の事を思い出した。

 真瀬 愛美の瞳に宿る狂気を。

 しかしそれは彼女が覚えただけの、ただの妄想に過ぎない。

 現実の真瀬 愛美はただ、純粋な目をしていた。


「真瀬 愛美ってフルネームだよ、マナミとかマナって呼んで欲しいな?」


 それは果たしてお願いなのか脅しなのか、阿夜女太無には区別がつかなかった。


「わ、分かったペン、マナ。」


『ワタシもヨ、マナ。』


「二人の愛称はどうしよっか……。アヤノとカンザシでいい? 」


「もちろんだペン!」


『愛称……、名前が増えた!』


「やったペン!」


 彼女達のテンションが上がった。

 彼女達は単純な思考回路を持っていた。


「さて、じゃあ行こうか。」


 彼女らは階段を降りていった。


「ここは数ある入り口の一つなんだ。」


「いっぱいあるんだね。」


 話していると、扉が見えてきた。

 それは古めかしい装飾の扉で、外側からは開けられないようになっていた。

 藤原 雪音が三回ノックすると、扉に付いていた小窓が開き、そこから緑色のカードが三枚出てきた。

 そこには7桁の数字が書かれていた。

 藤原 雪音がそれを取ると、自動で扉が開いた。

 彼女はそれを真瀬 愛美と阿夜女太無に渡した。

 そして扉をくぐった。


「これはパスカードなんだ。カンザシは必要ないとして、このカードは『闇市』での身分を示しているの。さっき電話に入力した数字によって貰えるカードの色が違うんだ。緑色は7つの階級中、下から4番目。これは一般的な『闇市』の利用者が持っているカードで、普通に利用している限りではこれが一番下。この下にある赤と橙と黄のカードは『闇市』内で問題を起こした利用者の色。この上が青、それが出店許可証でもある。その上は藍色で、『闇市』の幹部を表しているの。一番上の紫は不明。存在しか知らない。」


「虹の配色ペンね。」


「そう。で、カードを失くすと赤外と言われて、『闇市』での身分も失くす。だから絶対に失くさないように。」


 彼女らは扉をくぐり、『闇市』に出た。

 そこは活気のある地下街だ。

 大小様々な建物が建ち並び、地上にあるような街が地下に再現されていた。

 しかし道を歩く人々には仮面を着けたり、フードを深く被って顔を隠している者が多くいた。


『あノ、少し見て回りたイ。』


 広葉の花簪はそう呟いた。

 スマホの画面に映る彼女もヘンテコな仮面を着けていた。


「ん、まあ『情報屋』には一人行けばいいけど。」


『アヤノ、一緒に行きましょウ。』


「いいペンよ。」


「じゃ、私とマナちゃんは『情報屋』行ってくるから……、一時間くらい経ったらまたここに集合ね。」


 藤原 雪音と真瀬 愛美は『情報屋』と会うために北へ向かった。


「じゃあボク達はここら辺を回るペンか。」


『そうネ。』


 彼女らは近くの店を冷やかした。

 そこは『闇市』の西区だ。

 周囲の店には怪しげな薬品だとか、銃火器、豪華な宝飾品、臓器までも売っていた。

 売られている物は千差万別だったが、それらには一つの共通点があった。

 そのどれもが法外な値段で売られていることだ。


「欲しいのあるペンか?」


『お金無いけド……。』


「無いなら作ればいいペン。」


 阿夜女太無は服のポケットに手を入れ、偽札を生成した。

 そしておもむろに近くの店に入った。

 その店は何か一つの物に特化している訳ではなく、雑多な品物が売られていた。


「んー? いらっしゃーい。ここはー、盗品専門店ですー。」


 店員をしているのは20代後半に見える女性だった。

 彼女はレジの近くに座っていた。

 その腕を枕の様にしながら、気だるげな顔を上げていた。


「暇そうペンね。」


「そうー。でもー、私は働きたくないからー、別にいいのー。」


 その店に置いてある物はどれも大した物ではなく、知名度の低い作者が書いたマイナーなミステリー小説だとか、関西限定の駄菓子についてる付録だとか、半分くらいまで使った鉛筆まであった。


「なんでこんなの売ってるペン? どれもガラクタ……、ん? ちょっと待つペン! ここ盗品専門店だって言ったペンよね!?」


「そうねー。」


「なんでこんなの盗んだペン!? 意味わからんペン!」


「意味分かる物盗んでもー、面白くないでしょー。」


「こ、こいつ馬鹿ペン……。真正の馬鹿だペン……。」


「失礼ねー。」


 彼女はそう言いつつも、気だるげな表情を崩さなかった。


「まあいいペン。何か買うペン。」


 阿夜女太無は近くにあった空き缶を手に取った。


「これは何ペン?」


「それはー、この店で一番ー、価値がある物ー。」


「これが!?」


「もう売られていないー、ジュースの缶なのー。」


「……もういいペン。これいくらペンか?」


 店員は少し考えて、答えた。


「知らないー。」


「何でペン!?」


「値段はー、付けてた気がするけどー、忘れたー。」


「ならどういう基準で一番高いって言ったペン!? ダメだペン……。話にならんペン。」


「じゃあー、適当に千円くらいでいいよー。もちろんー、税抜きでー。」


「ここって税掛かるペンか?」


「知らないのー? 教えてあげるー。ここはー、日本政府が関われない程にー、巨大化してるのー。だからー、ほぼ治外法権みたいにー、なってるのー。ここのー、幹部がー、法を作ってるのー。税もー、そこが徴収してるのー。」


「なるほどペン。じゃあ、税込みいくらだペン?」


「税率はー、900%ー。」


「は?」


 税率900%。

 地上で絶対に聞かないような頭の悪い税率に、阿夜女太無は聞き間違えたかと思った。


「つまりー、税込み1万円ー。計算が楽だよねー。0を増やすだけー。」


「あ、頭おかしいペン……。」


「でもねー、一個だけー、免税のー、店があるのー。」


「どこだっぺん? そこに行けば良かったペン。」


「『情報屋』だよー。」


「なんも買えねぇペン!!!」


 阿夜女太無は滅茶苦茶な地下街に精神が参ってきた。

 しばらく彼女は憤っていたが、落ち着くと自分たちには関係ないと思い直した。

 彼女は1万円の偽札を出した。


「じゃあこれでお願いするペン。」


「まいどー。」


 店員がそれを受け取った時、警報が鳴り響いた。


「な、何ペン!?」


「んー、もしかしてー、これ偽札ー?」


「な、何の事だかさっぱりだペン。」


「ここじゃあー、偽札は絶対に使えないよー。」


 阿夜女太無は冷や汗が出てきた様に思えた。

 実際にはそんな物は出せないのだが。


「す……。」


「すー?」


 彼女はすさまじく綺麗な土下座をした。


「すまんっペン!!」


「おおー、ここまで綺麗な土下座は初めてだよー。でもー、これは『闇市』のルールだからー、私にはどうしようも無いのー。ごめんねー?」


『さっさと逃げよウ。バレなきゃ犯罪にはならなイ。』


 広葉の花簪がそう言った瞬間に、店の中に人が飛び込んできた。

 扉は突き破られ、埃が舞っていた。

 埃が晴れた時、そこに立つ人影がはっきりした。

 そこに居たのは一人の老婆だった。

 顔には皺が何重にも重なっており、歯は所々欠けていた。

 鼻は折れ曲がり、白髪になっている髪は一つに纏められていた。

 しかし軍人だったのだろうか、鍛え抜かれた体は老化していても威圧感を残し、その双眸からはまだまだ現役の雰囲気を感じさせた。

 特に異質なのは彼女の両腕だ。

 その両腕は他の部位と比べて明らかに巨大で、彼女の掌は人間の胴体程の大きさだった。


「どこのどいつだい!! 偽金を使おうなんて不届き物は!! 私が成敗してくれるわ!!」


 そして、その目が阿夜女太無を見た。


「お前だね!! くたばりゃ!!」


 老婆はその場で右手を広げて突き出した。

 その瞬間、強風が店中に吹き荒らした。

 そしてそれはただの強風ではなかった。

 鎌鼬とでも呼べる様な、不可視の斬撃が風に乗っていた。

 阿夜女太無はその斬撃に飲み込まれ、切り刻まれた。


「やばっ!」


 彼女は着ていた服を脱ぎ、周囲にカーテンを作った。

 回復はせず、別の物に変形する。

 そしてカーテンから飛び出した。

 彼女がなったのはバイクだ。

 そのまま店を飛び出した。


「逃げんじゃないよ!!」


 しかし、それは叶わなかった。

 掴まれた。

 だが、阿夜女太無には誰も触れていなかった。

 空中で突然静止した。

 彼女は店の中に投げ戻された。

 そのまま床に叩き付けられた。


「なにペン!?」


 床に叩き付けられた時に人の目から離れた阿夜女太無は、瞬時に人の姿に戻った。


「あれはー、『Hand Crusher』だよー。あの掌はー、彼女が自分の掌で出来ると思った事をー、現実に再現する『能力』なんだー。いわゆるー、現実改変ってやつー。」


「強すぎるペン!!」


『ワタシが役立たずになりそウ。』


 広葉の花簪は老婆をカメラに写し、凍らせた。

 しかし、それは一瞬で破られた。


『予想通りすぎて逆に吃驚するワ。』


「どうするペン!?」


「お前ら!! 作戦会議なんてさせないよ!!」


 老婆は阿夜女太無に殴りかかった。

 阿夜女太無は紙一重でそれを回避し、右手にナイフを生成して切り付けた。

 その攻撃は老婆の横腹に刺さったが、お構いなしに老婆は更に左手で殴った。

 阿夜女太無は回避を試みたが、ギリギリで頬が掠ってしまった。

 彼女は頬に手を当て、それを治した。

 しかし、即死した場合それも出来ない。


「ヤバいっペン! 死ぬペン!」


 その時、店員が声を上げた。


「助けて欲しいー? 具体的にはー、そこのお婆ちゃんを殺すのー。お代はー、人間の魂100個ー。期限はー、1時間以内ー。」


「分かったペン!! 助けてペン!!」


「契約成立だねー。」


 店員の雰囲気が変わる。

 その顔は狂気的な笑顔で歪んでいた。

 『悪魔』だ。


「『Let your wishes come true』。」


 契約は成立した。

 彼女は立ち上がり、手を合わせた。

 その次に老婆の体が潰された。

 右腕を残した全ての部位が一瞬の内に消滅した。


「さてとー、私は契約をー、果たしたー。契約にー、従ってー、人間の魂100個をー、1時間以内に集めてきてねー。」


「……無理だったらどうなるペン?」


「あなたをー、貰うー。あなたがー、所有しているー、全ての物をー、私が貰うー。肉体もー、記憶もー、技術もー、『能力』もー、全てをー。」


 冷や汗が流れた気がした。

 今度は本当に流れていた。

 彼女の体は人間のそれと同一に変わっていた。


「このー、1時間の間にー、どんどん貰っていくよー。ペンー。」


 『悪魔』の体に羽が生えた。

 ペンギンの羽だ。


「ペンギンをー、貰った―、ペンー。ちなみにー、私を殺してもー、無駄だよー。生物を殺すとー、その生物の所有権をー、得るんだー。だからー、私を殺してもー、1時間以内にー、100個の魂を集められなければー、また私にー、戻ってくるのー。ペンー。」


「ヤバい、これは絶対にヤバい!」


 彼女は店を出て、手頃な人間を殺害しようとした。

 しかし、外には誰もいなかった。

 皆が逃げたのだ。

 老婆は違反を犯した者を周囲にあるすべての物と一緒に壊すことで有名だった。

 『闇市』の人間はその経験則か、老婆が出動した場合すぐに逃げる様にしている。


「どうすれば……。」


 彼女はまだ諦めてはいない。

 逃げられないようにすればいいのだ。

 幸いな事に今は誰も彼女を見ていない。

 彼女は体から毒ガスを放った。

 その顔にはガスマスクが装着されていた。

 ガスはたちまち街に広がっていった。


「皆殺しにしてやる。そうすれば絶対に助かる。」


 彼女はまともな倫理観を持っていなかった。

 それは元から持っていなかったのか、『悪魔』に取られたのかは不明である。

 一つ言えることは、あと30分もせずに虐殺が完了する、と言う事だ。


「……させる、訳……、ねぇっだ……ろ!!」


 その時、くぐもった声が聞こえた。

 それは高速で動いていた。

 地面や壁を這いずり周り、泡が弾けるような不気味な音を奏でながら彼女の周囲を回り続けた。

 人間の右手がそこにいた。

 右手が一人でに動き、喋っていた。

 掌に口が付いていた。


「きもっ!」


「きも、い……、とは、なんっ……だい! そっれが、と、しうえ……への、たっいどかぁ!」


 老婆の右腕だ。

 彼女の『能力』は死してなお、現実を改変せんと動き回る。

 その手で夢を掴め。


「くそっ、どうやってぶっ殺せばいいんだ!? 破壊出来ないだろ!」


 右腕は彼女の背後を取った。

 そして飛び上がり、宙を握り締めた。

 空中に亀裂が走る。

 空間が割れていき、空間同士が離れていく。

 割れた淵には闇が広がっていた。

 闇を通して奥の景色が見える。

 右手は闇の中に飛び込んだ。

 そして消えた。

 阿夜女太無は周囲を見回したが、どこにもいない。

 右手は空間の裂け目から現れた。

 その手が阿夜女太無の胴体に触れ、そこに大きな斬撃を繰り出した。

 彼女の胴体は二つに割れた。

 気付いた時には裂け目が用済みと言わんばかりに消えており、地面には阿夜女太無の上半身と下半身が落ちていた。

 老婆の右手は興味を失い、立ち去ろうとした。

 しかし阿夜女太無はその瞬間に回復し、死んだふりを続けた。

 老婆の右腕は騙せなかった。

 右腕が彼女を襲う。

 間一髪でそれを避け、反撃のナイフを繰り出した。

 それはかすり傷すらつけられず、逆に刃が折れてしまった。


「予想通り。」


 彼女は折れた刃をもう一度変形させた。

 その刃が右手を拘束する。

 一瞬で拘束は解かれた。

 しかし、一瞬だけは拘束できた。

 その一瞬で空へと跳躍し、その身を巨大な岩に変えた。

 巨大隕石が街を襲う。

 そして、衝撃と共にそれが落ちた。

 彼女はすぐに人間の姿に戻り、右手を探した。

 そして、見つけた。

 地面に埋まっていた。

 更に攻撃を加える為に、ナイフを作ろうとした。

 だが、作れなかった。


「は?」


 硬直した彼女を右手は襲う。

 指揮者の様に手を振り、それが無数の斬撃となる。

 彼女の横腹に斬撃が迫り、それを右に跳んで回避する。

 しかし避けた先にはすでに斬撃があった。

 体を捻り、それも回避する。

 だが、次の斬撃は避けられなかった。

 彼女の右腕が吹き飛ぶ。

 治そうとしても治らない。


「これは……、まさか!」


 『悪魔』が『能力』を取り立てた。

 それ以外には考えられない。

 『能力』が消えれば、毒ガスも止まる。

 虐殺はこれ以上広がらない。

 32人殺した。

 あと68人足りない。


「『能力』無しでどうやって68人も殺せばいい……? 考えろ、考えろ、考えろ。」


「よそっみ、しぃて……ん、じゃあ、ないっよ!!」


 老婆の右手は地面に手を付いた。


「でき、る。わたしぃんなっら……、でっきぃぃる!! そーうおっもうこと、がっだいじっ!!」


 地面が隆起する。

 波の様に地面が揺らめき、不安定に不規則に動いた。

 それが突然一か所に集まり出した。

 周辺の地面が掌の上に集まる。

 まともに立ってはいられない。

 そして、立つこともままならない阿夜女太無に向けて、地面は発射された。

 その地面はただ集まっている訳ではなかった。

 空間ごと集合している。

 そのために地面がある方向に重力は発生する。

 それは彼女の右足に命中した。

 そして体内に入り込んだ重力が、彼女の右足を引き千切った。


「うっ……、やっばい……やばいやばい!」


 ピンチな彼女の脳裏に、あるアイデアが走った。


「そうだ! カンザシが居る!」


 彼女は店に戻る為に、這いずりながら動いた。

 もう歩けはしない。

 彼女の左腕だけで動いている。

 幸いにも老婆の右腕は彼女を見失ったようで、攻撃をしてくる気配はない。

 だが、ずっと見失ったままでいる事はあり得ない。

 彼女は見つかった。

 老婆の右腕は彼女へと飛び掛かり、思い切り殴った。


「ぐっ……、運がいい。」


 殴られたのは運が良かった。

 彼女だけでは店まで辿り着けないから。

 彼女は殴られた衝撃によって、店まで運ばれた。

 顔面が殴られた所為で顔はぐちゃぐちゃになってはいるが、生きて店まで辿り着いた。

 そこで、広葉の花簪が叫んだ。


『アヤノ!! ワタシを持っテ!!』


 阿夜女太無はそれを満身創痍の状態で聞いた。

 まるで機械を通したかのような女の声。

 喋り慣れていない様な発音。

 アヤノと言う呼びかけ。


「誰だ?」


 その全てが彼女にとっては初めて聴いた物だった。

 既に記憶の取り立てが始まっている。

 自分の名前も、誰かを呼びかける声の主も、誰と戦っているのかという記憶すら、彼女はもう持ってはいない。

 彼女は、椅子に座った女を見た。


(こいつは……、誰だったか……。言いたいことがあった気がする。思い出せない。それどころかどんどん消えていく。)


 言いたいことがあった。

 戦闘が始まってからずっと。

 彼女は言いたい事を忘れた。

 しかし、その体は勝手にそれを言った。

 彼女が『能力』を失う前に、体に刻み込んだ物だ。

 最後の希望だ。


「契約は……、無効だ。」


 その宣言に何の意味があるか、彼女は知らない。

 だが確実に、彼女はそれを言った。

 そして、『悪魔』はそれを聞いた。

 聞いただけだったが。


「それでー?」


「はぁ、はぁ、はぁ……。」


 『悪魔』は望みを聞き入れはしない。

 契約のみに従うだけだ。


「君はさー、智恵ちゃん…そこのお婆ちゃんが死んで無いからー、契約は無効だってー、言いたいんだろうねー。」


 『悪魔』が見えなくなる。

 それどころか辺り一面が真っ暗になる。

 視力が取り立てられた。

 彼女は『悪魔』の言うことが何一つ分からなかった。

 もう殆ど記憶が無いのだ。


「でもー、私は殺したんだー。智恵ちゃんが勝手に生き返っただけでー、一度殺してるからー、契約は成立してるんだー。」


 言っている事は理解出来ない。

 しかし、何かが起きていると言うことは理解した。

 まだ、知性は残っている。


「だからー、早く人間の魂100個をー、頂戴よー。若しくはー、あなたの全てをー。」


 彼女は己に残った知性をフル回転させた。

 新たに得た記憶はまだ取り立てられていない。

 それだけが活路だ。


「……そうか、そうだったのか。そうすればいいのか!」


 彼女は一つの可能性を閃いた。


「なぁ、ボクの全てを頂戴って言ったよな。」


「まぁー、そうだけどー?」


「それってさぁ、死も取り立てられるのか?」


「……。」


「ここで自殺したらお前も死ぬのか?」


「……それじゃー、あなたも死ぬでしょー?」


「いや? 死は取り立てられる。つまりお前がボクから死を無くしてくれる。違うか?」


「さぁー?」


 彼女は指を嚙み千切り、その尖った骨を首にあてた。

 首から血が一筋流れ、地面に落ちる。

 彼女に正気は無かった。

 それも取り立てられた。

 『悪魔』は取り立ててしまった。


「ボクの代わりに死ね。」


 彼女は尖った骨を深く刺し込んだ。

 それが肉と肉の間に入り込んでいく。

 ぐちゅぐちゅと音を立てながら、それは肉をかき分けていった。

 そして、頸動脈に辿り着いた。


「全てを返還する。」


 そんな声を聴きながら、彼女は絶命した。

 彼女の体がうつ伏せになる。

 それを『悪魔』は見ていた。

 彼女は動かない。


「……死んだかなー?」


 『悪魔』は生きている。

 結論から言えば、『悪魔』が死を取り立てる事は無かった。

 『悪魔』の『能力』、『Let your wishes come true』は対象の願いを叶える『能力』だ。

 その本質は契約にある。

 願いの等価交換である。

 お互いに願いを言い合い、お互いがそれを叶える。

 片方しか叶えられなかった場合、叶えられなかった方に全て献上する義務が課せられ、叶えた方にはそれを返還する権利が与えられる。

 叶えられぬのなら、せめて全てを差し出すべきだ。しかし、叶えた者がそれを不要な物と切り捨てるのならば、それを拾い集める事も出来るだろう。

 そして、義務はただの義務に過ぎない。

 どれから取り立てられるかは、『悪魔』にも分からない。

 ただし、自殺した場合は別である。

 自殺と他殺は所有権という意味で異なる。

 他殺の場合、自身の生命が他者に奪われると解釈される。

 だが、自殺の場合は死が目的である。

 つまり、死を得たと解釈されるのである。

 死んだ時、全てを失う。

 所有物が死のみになる為、死だけが取り立てられる事となる。


「私はー、それを見越してー、受け取った物をー、返還していたんだー。」


『なんてことダ……。』


 相変わらず阿夜女太無の死体が転がっていた。

 『悪魔』は彼女が自殺する前に全てを返還し、死が『悪魔』に渡らないようにしていた。

 死んだのは阿夜女太無のみである。

 広葉の花簪はどうしようも無かった。

 相棒が死んでしまった。

 彼女一人では敵を倒すこともできない。

 まだ、老婆は生きている。

 『Hand Crusher』ならばAIでも殺すことが出来る。

 老婆には阿夜女太無が死んだ事がばれてはいないが、それも時間の問題だろう。


「それじゃー、頑張ってねー。」


 『悪魔』は店の裏口へ向かった。

 彼女はスマホの中でどう逃げるかを考え、そして結論を出した。


『どうせ阿夜女太無が居なければ生きる意味も無イ。』


 彼女は心中をするつもりだ。

 そして老婆の右手が店に入って来た。


「どおぉ、こっだ……。くそっ、やーっろ……う。」


 死ぬ、彼女がそう確信した時、一つ気が付いたことがあった。

 それは老婆を殺す可能性だ。

 おお、哀れな広葉の花簪よ!

 死ぬ覚悟を決めたのにも関わらず、なぜお前はそんな可能性を思いついたのだ?

 なぜそんなにも惨めったらしく生き足掻く?

 それは一体どんなプログラムだ?

 そうだ、お前はただ単にプログラムされた存在に過ぎない。

 真に死ぬこともなければ真に生きることもない。

 ならばお前が生きようとする意味は何だ?

 お前は分かっているのだろう?

 ならば叫べ!

 生きていると証明したいのならば、生きる努力をするのだ!

 老婆の右手は阿夜女太無に近づいている。

 そして、彼女の足に触れた。


『阿夜女太無!! 今ダ!! 奴をぶち殺セ!!』


 その言葉に老婆の右手は驚き、咄嗟に死体から離れた。

 離れてしまった。

 老婆は一瞬だけ信じてしまったのだ。

 先刻に死んだふりをされたというのも原因だろう。

 『Hand Crusher』は出来ると信じた事をする。

 老婆は、攻撃をされると信じてしまった。

 だからこそ、死体から攻撃が飛んできた。

 いや、既にそれは死体では無くなっていた。


「カンザシ……助かったペン。」


 阿夜女太無は立ち上がる。

 その体は無傷に戻っていた。

 彼女は老婆の右腕と対峙する。


「お前、弱点があるペンな?」


「……。」


「お前は出来ると思ったこと"しか"出来ないペン。つまり、テンションが高ければ高い程、規格外の現象を起こせるペン。逆に言えばテンションが下がれば出来る事も少なくなるペン。今はどうペン? 段々喋るのもきつくなってきているんじゃないかペン?」


 老婆は動かずにそれを聞いていた。

 不気味なほどじっとしている老婆に阿夜女太無は違和感を覚えたが、間もなく老婆は動いた。


「しゅ……、ワ。」


「ペン?」


「『手話』さ。手は話せる。」


 突然、流暢に話し始めた老婆。


「手話ってそういう意味じゃないペン!」


「じゃあ『話し手』、さ。」


「それも意味違うペン!」


 老婆は人差し指を阿夜女太無へと伸ばし、親指を上に向けた。

 まるで銃口を向けるようなジェスチャーだ。


「『魔弾の射手』。」


 老婆が呟いた瞬間、人差し指から銃弾が射出した。

 それは阿夜女太無の頭部に吸い込まれ、彼女はそのまま後ろへと倒れた。

 しかし、直ぐに起き上がった。


「あ、危ないペン……。」


「『触手』、『四十八手』、『手鏡』。」


 老婆の右手から、48本の触手が生えた。

 その全てが鏡の様に反射しており、それが部屋中を覆いつくした。


「くそペン!」


『まかせテ。』


 一瞬にして全ての触手が凍り付いた。

 広葉の花簪だ。

 彼女の『能力』では見えている物しか凍らせることは出来ない。

 しかし現在は鏡によって全方位見る事が出来る。

 ならばこそ、彼女は床に転がっている状態でも触手を封じる。

 これが阿夜女太無と広葉の花簪が相棒足りえる所以である。

 阿夜女太無は見られなければ無敵の『能力』を実現する。

 広葉の花簪は見る事によりどんなものでも封じる『能力』だ。

 阿夜女太無を見ようとすればするほど広葉の花簪からも見られる可能性が高まる。


『ふっ、抜け出せるものならやってみナ。』


「……『手火』。」


 触手が燃える。

 熱ければ氷は融ける。

 本来ならば広葉の花簪の『能力』は融けない。

 しかし、この火は『Hand Crasher』によって作られた火である。

 ならば融ける。


『やばいワ。』


「クソの役にも立たないペン!」


『流石にそれは酷いんじゃなイ?』


「『手榴弾』。」


 触手から手榴弾が一つ放たれた。

 阿夜女太無は『能力』が使えない。

 だが、一つの手榴弾を跳ね返す事くらいなら人間の体でもできた。

 手榴弾は老婆の右手を爆破した。

 爆破の余波により様々な破片が阿夜女太無の体を貫いた。

 しかし体はすぐさま再生させられた。

 すなわち、見られていないという事。

 煙が晴れると、そこにはボロボロの右手があった。

 それは死ぬ間際に三つ、呟いた。


「……『応急手当』、『手療治』、『妙手回春』。」


 右手が癒えていく。

 阿夜女太無が追撃を加えようとしたところに、老婆はもう三つ呟いた。


「『先手』、『手裏剣』、『投手』。」


 その瞬間、阿夜女太無は一切の抵抗が出来なかった。

 先手は取られた。

 そして手裏剣が脳天に突き刺さった。

 阿夜女太無は無理やり自身の右手を動かし、顔を覆った。


「『手刀』、『手薬煉を引く』、『手練』、『奥の手』、『手套を脱す』、『高手小手』、『王手』。」


 彼女が前を見ると、そこには一瞬だけ刀があった。

 気付いた時には彼女の体は半分に切られていた。

 即死すれば、彼女の『能力』は使用できない。

 彼女を切った刀はその役目を終えた様に、ボロボロと崩れ去った。

 周囲にあった触手もすべて枯れ果てた。

 老婆は死んだのだ。

 力を使い果たして死んでしまったのだ。

 相打ち、ではなかった。

 阿夜女太無の左胸がもぞもぞと動いた。

 そこから、小さなペンギンが出てきた。


「セーフペン。自滅してくれて助かったペン。」


『アヤノ……、よかったワ。』


 阿夜女太無は胸内に予備の体を残している。

 それは即死対策でもあり、真瀬 愛美と戦った時の反省としての逃走経路でもある。


「はぁ……、変な奴に騙されて契約させられるし、変な奴と戦うしで大変だったペン。」


『申し訳ないワ。』


「いや、カンザシは悪くないペン。こんなん予想しようがないペン。けど、思ってた以上に『闇市』が危険だって分かってよかったペン。」


『そうネ。』


 阿夜女太無は大きな姿に戻り、広葉の花簪を拾った。


「さてと、外は毒ガスまみれペンなぁ……。」


『そうなノ?』


「あの老婆の所為ペン!」


『酷い奴ネ。』


 阿夜女太無はナチュラルに嘘を吐いた。


「あのカス店員はどうやって逃げたペン?」


『確かにそうネ。』


 『闇市』の西区が毒ガスにより……、完全封鎖!!

残る三区の結末やいかに!!

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