ペンギンでは無い物と特異点に至らぬ物
橘 愛美は誰に誘拐されたのだろうか。
藤原 雪音はその事ばかりを考えていた。
時刻は7時35分。
ホームルームが始まるまで、あと1時間ある。
それまでには見つけなければならない。
彼女はまず、校内を探すことにした。
犯人が生徒ならば、校舎のどこかに隠すのが一番だからだ。
「あれ? ユキネちゃん? おはよう、朝早くから珍しいね。」
彼女に声を掛けたのは真瀬 愛美。
その腕には兎が抱きしめられていた。
「おはよう、マナちゃん。……あのさ、近くでメグちゃんを見なかった?」
「見てないけど、どうしたの?」
「実は、今日の朝会うことにしてたんだ。でも、来てなくて。」
真瀬 愛美は思案気に、顔を捻った。
「ちなみに、何の用事なの?」
「うーん……。」
藤原 雪音は言うべきか迷い、しかし知らせておけば回避できる危険もあると思った。
「先生が言ってた緑色の宝石あるでしょ? それを見つけたんだ。」
兎の耳がピクリと動いた。
「え! そ、それ先生に言わなくていいの?」
「多分大丈夫!」
「う、うーん……。まあ、いっか。」
真瀬 愛美は案外適当であった。
「マナちゃんは何やってるの?」
「えっとね、兎さんを移動させてるの。今までは職員室にいたんだけど、これからは専用のゲージに入れておくんだって。」
「それじゃあ、私は校舎を探すから、メグちゃんを見かけたら教えてね。」
「うん! 分かった!」
藤原 雪音は近くの階段から二階へ上り、真瀬 愛美は校舎裏にある倉庫へと向かった。
彼女らはそこで別れた。
藤原 雪音と別れた後、真瀬 愛美は考え込んでいた。
「緑色の宝石……、メグミちゃん……、何か関係があるのかな?」
その時突然、兎が真瀬 愛美の腕から逃げ出した。
「兎さん!?」
兎はすぐさま彼女の後ろに回り込んだ。
彼女が振り向くと、そこには何もいなかった。
真瀬 愛美は一瞬で兎を見失ってしまった。
藤原 雪音は階段を上がっていた。
耀苑高校の階段は、途中の踊り場までが13段。
そして、そこから二階に続く階段は14段である。
彼女が階段を登りきると、下から階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
「マナちゃんかな?」
彼女がそう呟きながら振り向くと、そこには思い掛けない人物がいた。
「ユキネさん、おはようございます。」
橘 愛美が階段の踊り場に立っていた。
「メグ……ちゃん?」
「はい、そうです。先程、マナミさんと出会いまして、そこでユキネさんが私を探していると聞きました。」
橘 愛美は頭を下げた。
「遅れてしまい、申し訳ございません。心配をお掛けしました。」
橘 愛美は頭を上げると、階段の1段目に右足を乗せた。
そのまま左足を引き上げ、2段目に乗せた。
「『One person said "When I was young and free and my imagination had no limits, I dreamed of changing the world."』」
橘 愛美が何かを呟いた。
しかし、藤原 雪音には聞こえなかった。
そうしている内にも、橘 愛美は3段、4段と上がっていった。
「『"As I grow older and wiser, I discovered that the world would not change. I shortened my sights somewhat and decided to change only my country. "』」
橘 愛美が5段目に右足を置いた時、彼女はその左手で手摺りを掴んだ。
そしてそのまま6段目に左足を掛けた。
「『"But, that, too, seemed immovable. As I grew into my twilight years, in one last desperate attempt, I settled for changing only my family, those closest to me. "』」
橘 愛美は7段目を通り、8段目に差し掛かった。
彼女は丁度、階段の中腹にいた。
「『"But, alas, my family would have nothing of it. And now as I lie on my deathbed, I suddenly realized: If only I had changed my self first, then by example I would have changed my family. "』」
橘 愛美が9段目を超えて10段目に来たときに、漸く藤原 雪音は微かな音を拾った。
「『"From their inspiration and encouragement, I would have been able to better my country and, who knows, I may even have changed the world. "』」
橘 愛美は11段目に来た。
藤原 雪音は音の出どころを探ったが、どこから来ているのか分からなかった。
「『 I want to change the world and be known. Then I'll shout like this. 』」
橘 愛美は12段目に来た。
藤原 雪音は、目の前に来て漸くその音が橘 愛美から来る物だと悟った。
しかし、不気味な事に橘 愛美の口はまったく動いていなかった。
橘 愛美の右手が藤原 雪音に見えなくなる。
「『I'm not a penguin!』」
そして、13段目に来たとき、橘 愛美はその右手を振るった。
「な、何っ!」
その手にはナイフが握られていた。
右手が隠れていたのは一瞬だった。
一瞬の内にナイフを何処からか取り出したのだ。
「くっ、『U・F・O』!」
彼女は咄嗟に『U・F・O』でその攻撃を防いだ。
そして、地面を蹴り、橘 愛美の様な何かから離れる。
「お前、何物だ!」
するとその何かは、橘 愛美の声で言った。
「さっきの、聞いていなかったのかい? ボクはペンギンではない物。」
「何言って……、ああなるほど。コウテイペンギンならぬ、ヒテイペンギンってか? 笑えるな。」
「ペンギンじゃねぇっつってんだろ!! この、ド低俗脳味噌の腐れニンゲンめがッ!」
ヒテイペンギンは突然怒りを露にした。
そしてそのまま、藤原 雪音に殴りかかった。
「黙れ。お前、メグちゃんの事、何か知ってるよな。そんな見てくれしてんだからよぉ!」
藤原 雪音はヒテイペンギンの腹を『U・F・O』で殴った。
鈍く、しかし大きな音が廊下中に鳴り響く。
ヒテイペンギンの体は階段の踊り場まで吹き飛び、その壁にめり込んだ。
「まだ、生きてるよな。お前には喋ってもらうことがある。変な行動をするなよ。」
彼女のその言葉を聞いてか聞かずか、ヒテイペンギンは動き出した。
「おい、動くなっつってんだよ。聞こえねぇのか?」
ヒテイペンギンはそのまま、階下へと向かった。
(何だ? 何かおかしい。下へ行ってもその傷じゃあどうしようも無いだろ。)
藤原 雪音はヒテイペンギンを追って階段の踊り場に出た。
そして階下を見た。
そこにヒテイペンギンは居なかった。
「何ッ!」
階段はヒテイペンギンが居ない他は、何の異常も無かった。
(も、もしかして何にでも変身できるのか? それはまずい! 下には行けない!)
彼女は上を向いた。
しかし、駄目だ。
「奴はメグちゃんの居場所を知っているかもしれない。なのに逃げるのか?」
それは出来ない。
彼女のどうしようも無い性質だ。
彼女は誘き出そうとする。
下へ向かった。
「何が何でも、メグちゃんを探し出す!」
彼女が1階へ降りると、そこは異次元だった。
異次元と称する他適切な表現が存在しない程、そこには異常な空間が広がっていた。
壁や床は肉々しい感触や見た目へと変わり、所々に人の目や口が存在している。
しかし彼女は、足を踏み入れずにはいられない。
「これ全部がヒテイペンギンか?」
「ペンギンじゃねぇよ。」
壁にあった口が言った。
それに続くように大量の口が喋りだした。
しかし、その口は動いていなかった。
「言っても理解出来ないなんて、出来損ないめ。」
「脳味噌に糞でも詰まってんのか?」
「力は強い様だが、人間様は脳味噌のお陰で頂点に立ったんじゃないのか?」
「その人糞腐れ脳味噌をよぉく使ってみろよ。」
「てめぇの眼球くり抜いて、糞を詰めてやるよ。だって糞が脳味噌の役割を果たしてるんだろ?」
「二倍くらい賢くなるかもな! ギャハ、ギャハハハハ!」
下品な嗤い声が響く。
口から口へ連鎖するように嗤う。
「うぜぇ。」
藤原 雪音は余り堪え性が無かった。
彼女は周囲の壁や床を壊しまくった。
その結果、校舎に穴が開いた。
「やっぱり馬鹿だ。」
彼女は急に背中を刺された。
そのまま体内に入って行く。
「な、何だ!? ニュルニュルしてて気持ち悪い! 背中から体内に入って来る!」
彼女は背中に手を回し、それを掴もうとした。
しかし、逆にその手を封じられてしまった。
足も頭も、固定された。
それは粘液だった。
粘液が体内に入れていた。
それがどんどん体内に入って行くのを彼女は感じた。
「ッ『U・F・O』!」
彼女は自身の体を貫いた。
体内に入っていた粘液を全て体外に出した。
そして、体を固定していた物を剥ぎ取った。
彼女は振り返り、それを見た。
そこは既に普通の廊下に直っていた。
「なるほど、だるまさんがころんだ、か。私が見ている間、ヒテイペンギンは変化しなかった。見られていない時だけ変形できる『能力』!」
声が響く。
「正解だよ。よく気づいたじゃないか。けど分かったからって何だって言うんだ? キミじゃあボク達に勝てないよ。」
「いちいちうるせぇな。出来る出来ないの話じゃねぇんだよ。」
藤原 雪音は校舎に戻った。
その瞬間、彼女の背後から再び何かが迫る。
しかし、その攻撃をいとも簡単に防いだ。
ヒテイペンギンは橘 愛美の様な姿をして、ナイフで刺そうとしていた。
そして防がれたナイフを捨てて、距離を取った。
藤原 雪音の傷は全て治っていた。
「良いの? 人間の姿をしても。お前は私が見ている間、変身出来ない。だから、今動いているのは変身の力じゃない。普通の人間みたいに骨格だとかを再現してるんでしょ? 死ぬよ。」
「舐めんじゃない! 体の内側は見えてないからいくらでも再生出来る! それにお前こそボクを殴れば自分の拳で見えなくなる!」
殴り合いが始まった。
藤原 雪音は『U・F・O』で殴りまくった。
殴ったそばから治り、そしてヒテイペンギンも反撃を繰り出す。
藤原 雪音の目を狙った。
目を潰せば、ヒテイペンギンは絶対に負けることはない。
『U・F・O』の攻撃により、ヒテイペンギンの右腕が吹き飛ぶが、体を捻り藤原 雪音に見えなくする。
そしてそのまま逆に捻り、治った右腕で彼女の目を狙う。
それを『U・F・O』によって防ぐが、視線の反れた隙にヒテイペンギンは左手を変身させる。
その手にはナイフが握られていた。
藤原 雪音の横腹を刺す。
彼女の視線が自身の横腹に移り、ヒテイペンギンは右手を変身させナイフを握り、目に刺そうとした。
既の所でナイフを握り返し、ヒテイペンギンへと投げつけた。
ヒテイペンギンはそれを回避せず、そのまま受けた。
しかし、それは悪手だった。
ヒテイペンギンの体構造は現在、人間のそれに近くなっている。
そのため、ナイフが刺さると一瞬硬直した。
それを逃さず、彼女は畳み掛ける。
傷口が彼女の方向を向くようにえぐり取る。
ヒテイペンギンは完全に身動きが取れなくなる前に、口内に釘を作り、それを飛ばした。
藤原 雪音はそれを『U・F・O』で掴んだ。
視線の移動による一瞬の静寂。
両者無傷に戻る。
そして再びの攻防。
不毛な争いをしていると、ヒテイペンギンに変化が訪れる。
その機を逃さずに、藤原 雪音はヒテイペンギンを掴んだ。
「捕まえた。」
それから目を離さずにいると、だんだん膨らんでいった。
「時間制限もあるのか。」
それはコウテイペンギンだった。
コウテイペンギンに戻ったのだ。
「は、離すペン! 動物虐待だペン!」
彼女はそのコウテイペンギンの首根っこを掴み、空中へと吊るしていた。
「黙れ。」
「黙らないペン! お前はボクの事を殴ったら自分の拳でボクの事が見えなくなるペン! だから殴れないペン!」
「お前が変化する前の一瞬で殺せる。」
「黙るペン!」
「よし、それじゃあ質問を始める。」
彼女がそう言うと、コウテイペンギンは暴れ出した。
「助けてくれペン! 早く助けてくれペン〜! ペ〜〜〜ン!」
「何言ってんだ? ……まさか! 仲間が居るのか!」
彼女は周囲を見渡そうとしたが、そうするとコウテイペンギンから目を離す事になると気付いた。
「おい、お前騙そうとしただろ。」
『どうやラ、本当にまずそうネ。』
「!!」
藤原 雪音は今度こそ周りを見渡した。
その声はくぐもっていて、まるで電話越しの声のような音質だった。
「本当に仲間がいたのか。そして、私はまんまと嵌められたって訳か。」
彼女はヒテイペンギンを逃したことを感じつつ、新たな敵の居場所を探った。
『ここだヨ。制服のぽっけヲ探ってみてヨ。』
彼女は制服のポケットに手を入れる、そこにあるのはスマホだけだ。
スマホを取り出す。
その画面を彼女が見た瞬間、彼女の体は動かなくなった。
(冷たい……、氷か。)
彼女の皮膚が凍り付いていた。
『『Singularity』、特異点で止まるのヨ。』
(シンギュラリティ、こいつはAIか?)
藤原 雪音の背後に、ヒテイペンギンが居た。
そして、ナイフで彼女の首を狙った。
(さっきまでの攻防でヒテイペンギンの『能力』は割れている。)
ヒテイペンギンの『I'm not a penguin!』は、変化の『能力』である。
他者に見られていない部分だけを変化させる『能力』。
識られざる物は何物でも非ず、其の為に何物にも成れる。
(だが、それだけだ。変化だけ。)
藤原 雪音は背後に『U・F・O』を出した。
『見ずに攻撃を当てるつもリ?』
(当てる必要はない。)
『U・F・O』は床を蹴った。
その攻撃は波紋の様に広がっていき、壁や天井まで崩れた。
(ヒテイペンギンは変化するだけ。重力の影響だって受ける。つまり足場を崩せば奴だってまともに攻撃をすることはできない。)
藤原 雪音は『U・F・O』でスマホを破壊した。
だが、氷結は解けなかったので、自力で氷を剥がした。
「……よし、これで動けるようになった。でも、どうやってAIを殺せばいいんだ?」
二対一の状況、『Singularity』の氷結は彼女の自己再生と相性が悪い。
その上、ヒテイペンギンは彼女と互角に渡り合う。
状況は不利と言わずにはいられなかった。
「ん? あれは……。」
藤原 雪音は廊下の向こう側からやって来る人を見た。
それは真瀬 愛美だった。
「マナちゃん……、だよね?」
「えっ? うん、そうだよ?」
藤原 雪音は真瀬 愛美にだけ分かる質問をした。
「……『夢魔の書』の始まりに述べられるものは?」
真瀬 愛美は短く考え、答えた。
「……ここに記すは世界の記憶、そして龍の息吹である。」
「よし! 本物だ!」
「どうしたの?」
藤原 雪音は考えた。
逃がすべきだろうか、と。
「ユキネちゃん、もしかして戦ってるの?」
「……うん。敵が二体居る。」
「じゃあ一緒に戦おう! これで二対ニだね!」
だが、真瀬 愛美は『能力』を持っていない。
「いや、そうか! マナちゃんが居ればAIを殺せるかもしれない!」
「よく分かんないけど頑張るね!」
「ちょっとこっち来て。」
藤原 雪音は真瀬 愛美の耳に口を近づけた。
彼女は小声で作戦を伝える。
「……そんな事で良いの?」
「うん、それやってくれると凄く助かる。」
「分かった!」
その時、藤原 雪音の背後から声が聞こえる。
「その子、『能力』すら持ってない一般人だろ? ボク達は別に興味ないから逃がしてあげるよ。」
「私はあなた達に興味津々だよ?」
藤原 雪音は振り返る。
そして廊下を見た後、ヒテイペンギンと相対する。
「ま、戦わせる訳じゃないからな。私が戦うから、援護よろしく。」
「まかせて!」
真瀬 愛美はヒテイペンギンへと駆け出した。
そしてその隣を通り越し、そのまま奥の女子トイレへと入った。
「結局逃げるんじゃないか。」
「トイレには鏡がある。そして二人で見ればお前の『能力』を制限できる。」
「ちっ……だが、そんな物は少しお前らが有利になるに過ぎない。鏡の無い場所だってある。」
「だが、その少しの優位性が勝利に導くことだってある。」
藤原 雪音はヒテイペンギンに殴りかかった。
ヒテイペンギンは出来るだけトイレを背に戦わないようにした。
しかしそれを封じる様に、藤原 雪音はヒテイペンギンへと瓦礫を投げた。
それにより視界が遮られた。
ヒテイペンギンは変化する。
何に変化するか、それは大きな口であった。
あくまでそれは張りぼてのこけ脅し、内部構造を作ったとしても自重で全く動かない。
しかしこけ脅しが目的であれば、それは十分な効果を発揮する。
藤原 雪音は一瞬驚き、直ぐに『U・F・O』で破壊した。
それがヒテイペンギンの目的だった。
ヒテイペンギンは『U・F・O』によって作られた穴から、ナイフを投擲した。
『U・F・O』が攻撃をしたあと、次の攻撃を繰り出すまでの猶予を完璧に狙っていた。
目が狙われていた。
防ぐことはできない。
避けたならヒテイペンギンを見失ってしまう。
彼女は跳んだ。
真上に向かって跳躍した。
目に当たることを避け、胴体でナイフを受けた。
しかし、空中では身動きができない。
ヒテイペンギンは彼女に肉薄し、その手に握ったナイフを振るった。
それが彼女の目を切り裂こうとした。
彼女は体を捻り、何とか目にダメージを負うことは回避した。
その時、体内で何かが蠢く。
ヒテイペンギンが投げたナイフはあくまでヒテイペンギンの一部である。
つまり、刃先が見えなくなれば変形させられる。
ナイフの刃が心臓を狙って伸びた。
彼女の足が地面に着く。
その瞬間に『U・F・O』が繰り出される。
彼女は体内のナイフを取り出した。
そしてすぐさまヒテイペンギンをトイレに殴り入れた。
ヒテイペンギンはすぐさま周囲の状況を把握した。
「なっ!!」
そして驚愕する。
「マナちゃん!?」
その光景は藤原 雪音にとっても同様の感情を抱かせるものだった。
そこには手が血まみれの真瀬 愛美と、トイレ中には割れた鏡の破片があった。
「こうすればどこからでも見れるね。」
ヒテイペンギンは非常に焦っていた。
ヒテイペンギンはどこを見られているのかが分からない。
それはどこを変化させることが出来るのか分からないということである。
つまりもう変化には頼れない。
変化させようとして変化が出来なければ、攻撃をただ受けるだけになってしまう。
見られている以上、治療もできない。
「助かったよ、マナちゃん。これでこいつを追い詰められた。」
その時、真瀬 愛美のポケットから着信音が鳴った。
彼女はヒテイペンギンを見ながらその主を横目に見るために、スマホを目の前に掲げた。
『藤原 雪音からワタシの『能力』についテ聞いていないようネ。』
スマホのカメラが藤原 雪音を捉えた時、彼女の皮膚が凍った。
「助かったペン!!」
ヒテイペンギンはそこで一つの疑問を抱いた。
なぜ、藤原 雪音は『Singularity』について教えていなかったのか。
運がいい、ただそれだけの事だろうか。
知っていたのならばどうだろう。
「運がいい。」
それを呟いたのは、ヒテイペンギンでは無い。
「運がいいよ、ユキネちゃん。」
真瀬 愛美だ。
「何、言って……。」
「分かる、マジで運がいいよね。」
いつの間にか藤原 雪音の凍結が解けている。
真瀬 愛美がスマホを下したのだ。
「さてと、AIは捕まえた。あとはペンギンだけ。」
『ごめン、捕まっタ。』
捕まえた。
彼女たちは何か特別な事をした訳ではない。
しかし、ただのペンギンには分からない事だった。
人間なら知っている。
「機内モードって知ってるか? まあ、知らないだろうけど。」
『Singularity』は、見ている物体を凍らせる『能力』である。
視界から外れても氷結が解かれる事は無いが、見ている間は氷を剥がすことすら出来ない。
特異点を超えるな。
「逆説だ。見ている間凍らすってのは簡単に分かった。けど、つまりは凍らされてる間は見られてるって事なんだ。凍らされている間は、マナちゃんのスマホに居るって事なんだ。じゃあその時にスマホを機内モードにしたらどうなる? 閉じ込められるんじゃないか? って考えた訳だ。例えそれを解除しても無駄だ。理由を教えるのはめんどいからやらんが。」
かっこつけてはいるが、普通に壊しただけだ。
ヒテイペンギンは藤原 雪音を見る。
そして、真瀬 愛美に視線を移す。
AIの補助を受けられないという事実がヒテイペンギンを襲う。
ある感情を覚えた。
その事実を無視しようとし、藤原 雪音に話しかける。
「何で、ボクに教えるんだ?」
「何でって……。」
彼女は1+1が2であることを言うような口調で語った。
「お前、詰んでるじゃん。」
絶望。
ヒテイペンギンが覚えた感情はそれだった。
死ぬ。
間違いなく殺される。
人間ではない自分たちに掛けられる慈悲はない。
そういう絶望だ。
「……なら、死ぬまで抗うまでだ。」
どうせ死ぬのであれば、最期まで足掻く。
ヒテイペンギンは覚悟を決めて真瀬 愛美を向いた。
非戦闘員から殺す。
ヒテイペンギンは体内でナイフを生成し、体を突き破ってそれを取り出した。
その傷口を手で覆い隠しながら、真瀬 愛美へと駆けた。
藤原 雪音はヒテイペンギンを止めるために鏡の破片を投げようとしたが、もし避けられたならば真瀬 愛美に当たってしまうので投げることが出来なかった。
真瀬 愛美はヒテイペンギンを見ながら、鏡の破片を拾った。
ナイフが彼女を襲う。
彼女はそれを避けつつ、破片でヒテイペンギンの喉を裂いた。
血が噴き出す。
それが真瀬 愛美の顔に掛かる。
血が目に入る前に、目を瞑る。
ヒテイペンギンは血を巻き上げ、一瞬だけ血のカーテンが作られた。
ヒテイペンギンはその一瞬で変化をする。
小さくなる。
大きければ見られ易くなるだけだからだ。
ただし小さくなりすぎず、視界が回復した彼女らに見えないような大きさに。
ヒテイペンギンは子供になった。
視界が回復する。
「っいない!」
藤原 雪音が見失い、ヒテイペンギンは変化をする。
はずであった。
「いや、想定通りだよ。」
真瀬 愛美の双眸がヒテイペンギンを見ていた。
「小さくなるのは想定通り。この方がいいんだ。」
真瀬 愛美はヒテイペンギンを押し倒した。
「ヒテイペンギンの背中が見えなくなるけど、地面に接しているからそこを変化させても何かできる訳じゃない。そして……。」
真瀬 愛美はヒテイペンギンの皮を剥いだ。
「こうやって小さく切り刻んで見れば、小さい状態で保存しておく事が出来る。ヒテイペンギンは生物でしょ? 生物である以上、最低限の生理機能が必要なはず。それを再現出来ないほどに小さく切り刻めば思考すら出来なくなって死ぬと思うの。」
「マナちゃんえげつねぇ……。」
恐怖。
ヒテイペンギンは彼女の目に宿る狂気を見た。
そしてそれが自分に向いている事に恐怖した。
「あ、ちょっと待って。」
藤原 雪音が静止の言葉を投げかける。
「ペ、ペーン……助けてくれるのペン?」
「いや、聞きたいことがあるからそれが終わったら死ね。気にするな。あのAIも一緒にデリートしてやるよ。」
「ガーン……だっペン。」
藤原 雪音はヒテイペンギンから目を離さず、質問した。
「橘 愛美はどこに居る?」
「? 知らんっペン。」
真瀬 愛美が皮を剝ぐ。
「は? 知らねぇ訳ねぇだろ!」
「ほ、ホントに知らないっペン! ボク達はキミが『龍の逆鱗』を持ってそうだから襲っただけペン!」
真瀬 愛美が皮を剥ぐ。
「『龍の逆鱗』? おい、それは何だ。」
「キミたちが話していた緑色の宝石の事だペン!」
真瀬 愛美が皮を剝ぐ。
「それはメグちゃんが持ってる。そしてメグちゃんは消えた。お前らが誘拐したんだろ!! いい加減な事言ってると殺すぞ!!!」
「ち、違うペン! 本当に知らないペン!」
真瀬 愛美が皮を剥ぐ。
「皮を剥ぐの怖いっペン!!」
真瀬 愛美が皮を剝ぐ。
「どうせ殺すし、準備しておいてもいいんじゃないかなって。」
「やめてくれっペン!」
「マナちゃん、こいつら本当に知らなさそうだし解放していいよ。」
「……いいの?」
「いいっペン?」
『いいノ?』
予想外の言葉に驚く一人と一匹と一体。
「いいよ。メグちゃんを知らないなら興味はない。」
「それもそうだね!」
二人はトイレからでた。
すると後ろから声を掛けられた。
「ボク達は『龍の逆鱗』を狙ってるんだペン!」
「え、だからなに? そんなに欲しいならあげるよ。あ、そうだ!」
藤原 雪音はポンと手を叩いた。
「メグちゃんを見つけるのを手伝ってよ! そしたら報酬としてそれをあげる。」
「いいのペン? 」
『それ、いいわネ。報酬としては十分ヨ。』
真瀬 愛美のスマホから声が響く。
「じゃあ、決まりだね! 私の名前は真瀬 愛美! よろしくね!」
「私は藤原 雪音。よろ~。仕事はしてよ? 」
「二人は何て言うの?」
真瀬 愛美の目を出来るだけ見ないようにしてヒテイペンギンは言った。
「名前はないペン。」
『ワタシもヨ。』
「じゃあ、ペンギンさんとスマホさんに名前つけたい!」
真瀬 愛美は無邪気に笑った。
「ペンギンさんは阿夜女太無、スマホさんは広葉の花簪にしよう!!」
「ちょっと長い気もするけど……、まあいいか。」
「これはフルネームなの。愛称とかで呼べば短くなるでしょ?」
「確かに。マナちゃんは賢いなぁ。」
「えへへ。」
ヒテイペンギン、いや阿夜女太無は無言で真瀬 愛美の持つスマホ、広葉の花簪に目を向けた。
「ねえ、広葉の花簪……。」
『そうネ、阿夜女太無。』
二人はお互いの言いたいことを理解していた。
だからこそ二人は一緒に居るのだ。
同じ感性を持つからこそ、共に『龍の逆鱗』を求められるのだ。
「名前、貰えたペンね。」
『そうヨ。貰えたのヨ。』
藤原 雪音と真瀬 愛美は何も言わずに聞いていた。
「やっっっったー!!」
『今夜は宴ヨ~!!』
彼女らはテンションが上がっていた。