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正典  作者: 大自然の暁
『龍相』
18/18

Paris

 二人の男女が人通りの少ない道にひっそりとある飲食店で向かい合っていた。

 女はその赤毛をロングヘアに伸ばし、その奥に緑色の瞳が覗いている。

 青と白のストライプシャツに、カーキのバレルレッグジーンズを合わせている。

 黒のウェッジソールを履いた足は、どこか落ち着きが無いように見えた。

 女が垂れた髪を耳に掛けると、赤い宝石が嵌っているピアスがチラリと揺れる。

 男は短い茶髪にグレーの瞳。

 白のシャツに、藍色のジーンズ。

 そして、黒のスニーカーを履いていた。

 二人はそれぞれ注文をし、そのまま雑談を始めた。

 他愛の無い話だ。

 男は楽しそうに、けれどもどこか上の空で。

 女も楽しそうに、二人の歴史を噛み締めるように。

 それはどこか歪に見えた。

 しばらくその状況が続いたが、遂に店員がやってきて、注文の品物を届けた。

 女はエスプレッソを頼んだ。

 男はカプチーノを頼んだ。

 女はエスプレッソに砂糖を入れ、しばらくかき混ぜた。

 その間に、男もカプチーノに砂糖を入れた。

 女はそれを見て、一瞬悲しそうな顔をし、しかしそれは確かに一瞬だった。

 男は以前、カプチーノに砂糖を入れていなかった。

 それをする様になった理由は、女にも想像がついていた。

 男にはガールフレンドが出来たのだ。

 女はただ、応援するだけで良かった。

 ただ見守り、男の恋愛を成就させるだけで良かったのだ。


 好きになってしまったのはいつからだろう。


 相談を受ける内に好きになったのか、はたまた最初から好きで、相談を受けていたのも下心からだったのか。

 女には分からない。

 女に分かることはただの一つだけである。

 この気持ちを決して知られてはならないと。

 それだけだった。

 もう、二人きりで会う関係もきっぱりと清算しなければならない。

 男のガールフレンドに浮気なんて疑われる訳にはいかない。

 エスプレッソを一口飲む。

 砂糖をたくさん入れたはずなのに、苦味が女の心を蝕む。

 普段は好きなこの苦味も、今日ばかりは苦痛として女を襲う。

 一言、言うだけだ。

 それだけだ。


「Au revoir.」


 もう終わりだ。

 女の心地の良い日々は終わりを告げたのだ。

 もしかしたら店を出る前に男は女を振り返ってくれるかもしれない。

 そう望んでも、男が見ているのはガールフレンドだけだ。

 その瞬間、女はようやく理解出来たのだ。

 振られたのだ、と。

 ポツポツと雨が降り始めた。





 なんか凄い痴情のもつれを見た気がする。

 ……でもここアメリカなんだよなぁ。

 パリとかそういう感じの雰囲気じゃない?

 ここ、アメリカのファーストフード店。

 何が「Au revoir」だよ。

 ここ、アメリカ、USA。

 フランスじゃない。

 油ギットギトのハンバーガー売ってる店。

 流石にTPOを弁えて欲しい。


「あら、メグちゃん。どうしたの?」


「あー……、いえ、なんでも」


「……敵?」


「日課の人間観察です」


「そ、そう……」


「……面白そう」


 私達がいるのは、父の家からすぐのハンバーガー屋だ。

 個人店で、ハンバーガーのセットに何故かコーラではなくコーヒーを付けている。

 変わった店だ。

 私達は変装の為に服を買いに行き、その帰りであった。

 ちなみに男性陣は置いていった。


「いい服があってよかったわね」


「そうですね。私の印象とも離れていますし」


 買った服はストリートダンサーが着ているような服だ。

 私よりもユキネさんに似合いそうだ。


「……似合ってる」


 フェニックスはそう言うと、サムズアップをした。

 私もそれにならい、サムズアップをした。

 キャッツスターがサムズアップをするべきか悩んでいる所で、二人組の男が店内に入って来た。

 別に変な事ではない。

 むしろ、女三人でハンバーガー屋にいることの方が変だ。

 だがその男たちは、私達を凝視し、そして向かってきた。


「……敵?」


「今度ばかりはそうかもしれません」


「ここだとわたしの『能力』は使えないわよ」


「まだ敵と決まった訳ではありませんし……」


「いや、敵でしょ。あの男見て。ヤバい目をしてるわよ?」


 確かに変な二人組だ。

 一人はホームレスの様に見えるし、もう一人はヤク中っぽい。

 いや、人を見かけで判断してはいけない。

 もう少し観察しなくては。


「お前ら、『龍の逆鱗』持ってるだろ? くれ」


「ヒヒッ」


 敵だった。

 分かり易すぎる。

 いや、まてよ……?


「……なんで『龍の逆鱗』を狙っているんですか?」


 この人たちが人類滅亡よりもまともな理由で狙っているなら手伝おうかな。


「お、よくぞ聞いてくれたな。俺たちは『Another World』と言う。つまり、異世界の復活を悲願としている」


「ヒヒッ」


「……異世界?」


「ああ、超常の世界だ。そのためにこの世界の全てを塗りつぶそうと思っている。『龍の逆鱗』でな」


「ヒヒッ」


 だめだこりゃ。

 頭がおかしい。

 取り敢えず逃げよう。


「フェニックス、殺せると思う?」


「!?」


「……分からない。……でもドラゴンフライに、……メッセージは……送った。……時間を……稼ごう」


 だめだこりゃ。

 頭がおかしい。

 なんですぐ殺そうとするのか。

 だが、それが正しい選択であると、思い知った。

 一瞬だった。

 一瞬にして、ダイビングスーツを着たヤク中が、私に近付いた。

 そして窓が割れる音と共に、フェニックスとキャッツスターが消えた。

 周囲を見渡すと、ホームレス風の男しかいない。


「逃げないんですか?」


「お前を殺した後にな」


 男が一歩近づく。

 私は一歩後退る。

 何をしてくる?


「ああ、そうだ。まだ名乗っていなかったな。俺の名はカーターだ。短い間だがよろしく。……なあ、この店、水平じゃないんだぜ。知ってたか?」


「……私はメグミです。こちらこそよろしくお願いします。水平とかどうでもよくないですか?」


「いや? 水平はいいぞ。俺は普段から水平器を持ち歩いているんだがな、やっぱアメリカはダメだな。日本は結構水平に作られてるんだぜ?」


「どうでもいいですね」


 私とカーターが睨み合っていると、ふと周囲にシャボン玉が浮いている事に気が付いた。

 しかし、それはただのシャボン玉ではなかった。

 魚。

 無害そうな魚だ。


「すまんな。こいつらは俺のペットなんだ」


「どこで買えるんですか?」


「残念、非売品だ」


 カーターが一歩づつ近付き、遂に私の拳が当たる距離まで入って来た。

 『能力』を発動する。

 吸血鬼の『能力』だ。


 『能力』が発動しない。


 『能力』が発動しない!?

 『龍の逆鱗』が奪われたのか。

 あのヤク中か……。

 しょうがない。

 殴ろう。

 私の拳がカーターの顔面を狙った。

 が、普通に止められた。


「俺の『能力』を教えてやるよ」


「!?」


「俺の『能力』は生物を泡にする『能力』だ。ああ、焦んなよ。俺に従属している生物しか泡にできない。」


「なんでそれを私に?」


「だから焦んなよ。俺の『能力』は従属していない生物は基本的に泡にできない。ただ一つを除いてな」


「それは……?」


「生物が持ち合わせる物の中で、唯一操ることの出来ない物だ。それを運命と言う」


 その瞬間、私の身体から泡が吹き出した。

 カーターの身体からも同様に、泡が出てきていた。


「『MMM』」


 なんだこいつ。

 言いたいこと好き勝手言いやがって。

 『能力』の説明?

 クソッ!

 まあいい。

 私から出てきた泡もどっかに行ったし、殴るか。

 右腕を止められている私は、左腕でカーターを殴った。

 しかし、またしても止められた。

 流石に男女ではパワーの差が大きい。

 そのまま、私のお腹めがけて蹴りを入れてきた。

 咄嗟に足で防御したが、何かが破裂するような音と共に私の身体は数十メートル吹っ飛び、窓を突き破って外に飛び出した。


「ぐっ……、何が……」


 明らかに飛びすぎだ。

 そしてその割にはダメージが少ない。

 雨が服を濡らして不快だ。

 カーターが窓ガラスを踏みしめ、歩いてきた。

 吸血鬼の『龍の逆鱗』もないし、どうしろってんだよ!

 そんな私に、カーターは淡々と近付いた。

 しかしその右手に、一つの大きな泡が付着していることに気が付いた。

 先程、吹き出した泡だ。


(なんだ……?)


 気が付くと、私の右腕にも泡が付いていた。

 カーターが殴りかかってくる。

 咄嗟に、その泡で防御をした。





 カーターが振り下ろした拳は、橘 愛実の腕に防御された。

 正確に言えば、それに付着した泡に。

 運命とは誰にでも味方をする。

 運命の風に吹かれ、泡はどこまでも飛んで行く。

 カーターは足に泡が着いた事を確認し、次の行動を頭の中で組み立てた。

 この泡は運命に選ばれた効果を発揮する。

 俗っぽく言えばランダムバフだ。

 地面に膝を突いている橘 愛実に、ローキックを放った。

 彼女はそれを既のところで避けようとし、しかしそれは叶わなかった。

 泡が弾ける。

 必中の効果が付加された蹴りが、彼女の頭部を狙った。

 橘 愛実はそれによりさらに数メートル飛んだが、威力自体はあまりなかった為にそのまま路地に逃げ込んだ。

 カーターはそれを追おうとし、左足が痺れている事に気が付いた。


(攻撃される時、逆に頭突きをする事でカウンターにしたのか……。なるほど。放置できない敵だな)


 雨脚が強くなる。

 カーターは路地裏へと歩を進めた。

 その暗がりからは不気味な気配が漂い、しかしまるで誘われる様に進み続けた。

 そしてやはりそれは間違いだった。


(いないな……。どこへ逃げやがった? まだ遠くへは行っていないと思うが……、まあ見つからなくても問題はないか)


 カーターは路地の十字路に差し掛かったところで、索敵の為に泡魚を放った。

 泡魚は風の流れを察知してその発生源を突き止める。


(奴の息使い、僅かな体の動き、それをこいつらに探させる)


 泡魚は空間を泳ぎ、そして右へと曲がった。

 カーターは周囲の安全を慎重に確かめながらその後を追った。

 彼が路地裏を歩いていると、目に留まる物があった。

 段ボールだ。

 子猫が捨ててある段ボールだ。


「こんな場所に……!」


 路地裏に捨てた。

 それはつまり、見つけて貰う気が全くないと言う事。

 カーターは自身がいた世界を思い出す。


「どこの世界にもいるもんなんだな、クソ野郎ってのは……!」


 彼はしゃがみ、子猫に手を伸ばした。

 そのまま顔の高さに持っていった。


「今、楽にしてやる」


 そして子猫を握り潰した。

 血が飛び散り、臓物が散乱し、辺りには死臭が漂い始める。

 一つの命がそこに散った。


「やっぱり駄目だな。どの世界も駄目だ。だが少なくともむこうの世界の方がマシだな」


「それはどうでしょうね」


「!?」


 橘 愛実は鉄パイプでカーターの脳天を思い切り殴った。


「少なくともこっちの世界にはあなたみたいなのは生まれませんよ」


 そしてカーターの目が閉じていき――――





 さて、どうかな。

 適当なパイプをよじ登って上方で待機してたのはいいけど、まさか戦闘中に猫を殺すとは……。

 まあしょうがない。

 切り替えよう。

 私が殴った後、倒れ伏した状態で動かない。

 果たして気絶しているのか、それとも気絶したフリなのか。

 止めを刺しておくべきか。


 ……敵であっても出来る限り殺しはしたくない。


 オリヴィアを殺しはしたが、あれは不可抗力だ。

 殺しは最後の手段だ。

 となると……、縛るか。

 そんな私の横を、泡が通って行った。


「!?」


 警戒するが、動いている様子は全くない。

 気絶していても発動しているのだろうか。

 そこで、彼の体に泡が付着していることに気が付いた。

 

 瞬間、私の腕に鉄のパイプが降ってきた。


 さっきよじ登った際に折れてしまったのだろうか。

 運が悪い。

 運が……。


「まさか……!」


 私が鉄パイプに気を取られている内に、カーターが消えていた。

 直感的に上を見る。

 そこには上空から飛びかかるカーターの姿があった。





 カーターは思い切り橘 愛美を殴った。

 しかし、妙な手応えだ。

 どうにも人を殴っている感触ではない。

 『能力』はないはずだ。

 デクランが『龍の逆鱗』を奪った。


(もしや、本体が『能力』を……?)


 土壇場で『能力』が覚醒する話は珍しくない。

 橘 愛美がそうなった可能性は決して低くない。


(だが、そうだとすれば一体どんな『能力』だ?)


 カーターが覚えた手応えは、まったく肉々しくない。

 むしろぶよぶよした感触があった。

 まるで、水風船を殴ったかのような。

 橘 愛美も自身の変化に気が付いたのだろう。

 手を握りしめて、感触を確かめている。

 だが次の瞬間にカーターへと殴りかかった。

 橘 愛美が繰り出した右ストレートの手首を掴む。

 カーターは右手に泡が付いたことを確認しつつ、橘 愛美の腹部を貫いた。

 そう、貫いたと勘違いするほどの手応え。


 橘 愛美はカーターの頭上にいた。


(馬鹿なっ! 右手を掴んでいるんだぞ!)


 橘 愛美は、壁を登ったのだ。

 掴まれた右手を回転軸とし、壁を蹴り上げたのだ。

 当然、右手首は180°回転し、一体どれほど関節が柔らかければ可能な芸当なのだろうか。

 彼女はそのまま両足でカーターの首を挟み込んだ。


(まるで水のような柔軟さだ……!)


 カーターは首と左腕が完全にロックされ、呼吸器官を正常に使えなくなった。

 溺れるような感覚。

 彼が足を外そうとしても、その足は手に落ちた水のように滑ってしまう。


(泡よ……、どこだ……、どこにある……?)


 意識は朦朧としていき、早急に逃げ出さなくてはならない。

 だが、そこで泡を見つけた。

 橘 愛美の腰部に付いていた。

 幸いに彼女はそのことに気が付いていないらしい。

 カーターはそこめがけて思い切り殴った。

 が、橘 愛美は柔軟にそれを回避した。

 そのまま、カーターは地面に落ちていた鉄パイプを蹴り上げた。

 中空まで昇り、それは落下を始めた。

 橘 愛美は回避行動をとる。

 その最中に、彼女の腰部を殴りつけた。


(ついた泡はついた人間の運命だ。そいつに味方をするように働く)


 だから、もし殴れば殴った方にダメージがいくように働く。

 例えば、強烈な衝撃波だとか。


「ぐ、グフッ……! だが、拘束からは、抜け出せた……」


 だが、これは賭けだ。

 衝撃波が起こったということは、そうなった方が橘 愛美にとって有効だからだろう。

 ある程度は本人の努責でどうにかなるが、運命の力とは恐ろしいもので、時々とんでもないことになる。

 今回がその最たる例だろう。

 大人が吹き飛ぶ衝撃波が起こったということは、普通のJKである橘 愛美も吹き飛ぶことになる。


 上空から、鈍い何かがカーターの腹部を沈めた。





 この『能力』、便利だな。

 肉体が水のようになる『能力』。

 突然に芽生えたこの『能力』、まあ存分に使わせてもらおう。

 カーターの腹を踏みつぶしてやったが、しかしその一瞬前に泡がその場所を包んだのが見えた。

 恐らくまだ気絶はしていないだろう。

 だが、地面に寝転がっているなら好都合。

 私は地面を踏んだ。

 その反作用により、体全体へと衝撃が広がる。

 もう一つ地面を踏んだ。

 更にもう一つ、もう一つ……。

 全身を駆け巡る衝撃波。

 それらは打ち消し合い、増幅し合う。

 それらを拳に束ね、思い切り振りかざした。

 カーターは避けた。

 やはり起きて様子を窺っていたらしい。


 だが、地面を殴ることはできた。


 地面が波打つ。

 局所的な超振動によって液状化が起こっているのだ。

 今この場は大嵐の中にある船と同様の揺れが起きている。

 普通の人間であれば立っている事すら叶わないだろう。

 だが、私は水だ。

 波に身を委ね、ただ大嵐を突き進むのみなのだ。


「そして! 波は拳の威力を底上げしてくれる!」


 カーターはよろめいた。

 そこを思い切り殴る。

 そして、カーターを気絶させられるはずだ。

 彼はもう立っているのもやっとな重症のはず。

 この一撃で終わらせる。


「『泡沫』」


 カーターが一つ呟く。

 その意味を理解するより早く、痛みが脳を刺激した。

 右腕の骨がボキボキに折れている。

 骨を水のようにはしていなかった。

 骨格はパンチの為に必須だからだ。

 だが、その外殻は確かに水のようになった筋肉に覆われている。

 衝撃を吸収して骨まで届くはずがない。

 カーターを見る。

 その体は確かにパンチを放ったような恰好をしていた。

 しかし、彼の拳に泡は付いていなかったはずだ。

 なぜ泡の含まれていない攻撃で私がダメージを負ったのだ。

 いや、例え泡が乗っていてもここまでのダメージにはならない。

 どういうことだ……?


「甘かった」


「何を……、した……」


「本気を出そう。どこからでもかかってこい」


 カーターは大それた構えを取らない。

 ただ、自然体。

 波に揺られるただの物体。

 だからこそ隙だらけ。

 しかし拳を打ち込めない。

 隙だらけのはずなのに、隙が全くない。


 右腕は完全にその機能を失っている。

 殴るなら左からだ。

 しかしなぜだ……。


 なぜ波は私を右側へと追いやる……!


 左へ行く道が全く見えない。

 むしろ右から攻撃しろと言わんばかりだ。

 これは……、一体……。


「来ないのか? ではこちらから行くぞ」


「まずっ……」


 彼は波に乗って私に接近した。

 それは意図的にしているようには見えない。

 明らかに波に乗ろうとしていないのに、自然と波が彼を運ぶ。


「『泡沫』」


 私は咄嗟にその拳を左腕でガードした。

 その時、私の腕が水の様になっていたためか、彼が殴る様子をはっきりと見ることができた。

 その拳を。

 私を殴る直前まで、やはり泡は付いていない。

 だが、殴った瞬間。

 丁度一コンマ前。

 泡が弾けたように見えた。


「浅いか……」


「ぐっ……。『泡沫』……、それは泡が付いた瞬間にそれを破裂させる技ですね……?」


「ほう、よく分かったな。その通り、この泡は内に運命という名の空気が入った泡だ。運命の導きによってはどこまでも飛んでいき、そしていつか儚く散っていく。だが、出来上がった瞬間、その外殻を破壊すれば内も外も無くなる。タイミングが少し難しく、さっきまでの二発は失敗だ。特に二発目は一コンマもずれてしまった。完全にタイミングを合わせた時、一体どれほどの威力となるか。実際のところ俺はまだやったことがないから分からないんだけどな」


 泡が付くタイミングは完全にランダム。

 そのはずだ。

 ならばどうして泡と合わせられるのか。

 観察しなければ……。

 理解しなければ死、あるのみだ。


「ん……? あれは……」


 カーターは袖の下に何かを持っていた。

 見たことのあるようで見たことのないもの。

 細長いなにか……。

 そう、角度が分かる物。


 水平器だ。


 水平器を持っている。

 そういえば持ち歩いていると言っていたか。

 もしやそれが泡の軌道を予測するヒント?

 だが、水平が分かったところでタイミングは……。


「『泡沫』」


 考えている暇はない!

 取り敢えずタイミングをずらす!

 私は波が持ち上げた鉄パイプをカーターの右拳に合わせた。

 しかし、その拳は鉄パイプを無視して私に攻撃してきた。

 泡が防御を無効化したのだ。

 しかしタイミングはずらせた。


「『泡沫』」


 しかし、そこにカーターは左の腕で殴って来た。

 マズい!

 胴体にあれが入ったら確実に死ぬ!

 私は体を極限まで絞った。

 水のように体をしならせることができるために行える芸当だ。

 名前を決めようか……。

 いや後にしよう。

 しかしここまで接近したため気付けたことがある。

 水平器、それは気泡を使っている。

 その中に閉じ込められた泡。

 それはきっと運命が閉じられた泡なのだろう。

 そういえば聞いたことがある。

 水平器は気泡の位置によって測るものだとか。

 あれは運命の水平器に違いない。

 だが、それが分かれば私にもできることがある。

 技を思いついた。

 名前付けようかな。


「『海入道』」


 手を輪っか状にする。

 奥の方に大きなレンズ、手前側に小さいレンズを作り、簡易的な望遠鏡にする。

 これが『海入道』。

 左目で水平器の様子を確認する。

 右目はカーターの動向を確認する。

 完璧な布陣だ。


「『蛟』」


 肉体を変化させる技、それを『蛟』とする。

 足を出来る限りグニャグニャにする。

 足で波を掴むのだ。


「『大鯰』」


 振動を発生させるこの技を『大鯰』とする。

 身体内にて振動を溜める。

 『海入道』にて『泡沫』を回避し、『蛟』にて敵の眼前まで迫り、『大鯰』にて溜めた一撃を放つ。

 泡の動きが分かればカーターの攻撃など怖くはない。

 だが、カーターもそれが読まれている事に気が付いたのだろう。


 水平器を、破壊した。


「それは悪手だろっ!」


 水平器さえなければ彼の攻撃は全く怖くない。

 そして、拳の間合いに入った。


「終わりだ」


 私が拳を振りかぶる、その瞬間。

 カーターはたった一言、私に語り掛けた。


「無粋だったな」


 カーターも殴りの構えを取る。

 背筋に嫌な汗が流れる。

 水平器はもうない。

 そのはずだ。

 だが、それでも、間違いなく()()

 その実感があった。

 これを回避すれば間違いなく勝てる。

 一旦引いてから建て直せば確実。


 だが、やはりそれを無粋というのだろう。


 これを避ければ確実に勝てる。

 だが、この先そのような考えで生きていけるのだろうか。

 理不尽な『能力』を持つ敵が現れるかもしれない。

 そんな時、安全策だけを取って生きられるのだろうか。

 そうは思わない。


 カーターが右腕を突き出す。

 それに合わせるように私は左腕を突き出した。

 二つの拳は衝突する。

 その瞬間。


 ただ、泡は弾けた。


 いや、逆だ。


 世界が収束していく。


「『泡沫(うたかた)』」


 ()()()()()()その泡は、周囲の重力すら飲み込んだ超エネルギーを発生させた。

 ただ一点に集中した超火力。

 だからこそ、私に勝機があった。


「『大鯰・逆流』」


 水面にたった一点の衝撃を加えると、一瞬へこんだ後に中心に収束し、反発する。

 超カウンター型の殴り。

 私の受けたエネルギーはそのままカーターに帰っていった。


 暴風が吹き荒れる。

 波が立ち、世界は揺れる。

 それが晴れた時、カーターは既にいなかった。

 消し飛んだのだろうか。

 あれだけのエネルギーを受ければ当然だ。


「ゴホッ……」


 私は盛大に血を吐いた。

 衝撃を返しきれなかったのだ。

 骨という骨は粉砕された。

 内臓はボロボロだろう。

 肉体もかなり吹き飛んでいる。

 フェニックスを、呼ばなければ……。

 早く……、治療を……。

 死んで……、しまう……。





 アドレナリンが切れた所為か、傷の痛みがジクジクと疼く。

 止血もまだ終わっておらず、すぐに治療しなければ死んでしまうだろう。


「……はっ、はぁ、はぁ……。追いかけては……、来てないよな……」


 彼は転移によって下水道へ来たため追ってこれるはずもないが、しかし論理的思考ができぬほどその傷は深い。

 彼は両腕が千切れ、足の骨も粉砕されている。

 だが、移動しなくては死んでしまう。

 だからこそ彼は――カーターは這ってでも生を掴みに行くのだ。


 ピチャッ……。


「……? なんだ……? この音は……」


 ピチャッ……。


 突然カーターの耳に入ったのは水滴が落ちるような音。

 橘 愛美が来たのかと思い、後ろを振り向く。

 しかし、そこに人影はなかった。


 ピチャッ……。


 水滴が落ちるような音。

 しかしそれはだんだんと近付いているように思える。


 ピチャッ……。


「な、なんなんだッ! この水音は……ッ!」


 ピチャッ、ピチャッ、ピチャッ……。


 それは水滴が落ちる音ではなかった。


「こ、こいつは……」


 それは足音だ。

 獰猛な生物。

 その鱗の艶めきと臭いは、先ほどまで下水に浸かっていたと信じさせるもの。


「ワニッ!」


 ニューヨークの下水道には、ワニが住んでいる。

 それは1930年代頃から語られる都市伝説だ。

 実際にワニが生息するには環境的にはあり得ず、あくまで都市伝説の域をでない。


 しかし、その都市伝説は真実であった!


 ニューヨークの下水道にはワニが住んでいるのだ。

 そしてワニの噛む力は地球最強!

 弱ったカーターの力では、もはや回避不能のギロチンと化す!


「ぐ、ぐおおおお! に、逃げなくては、逃げなくては死んでしまう!」


 泡が足に付く。

 まだ、戦える。

 爆発力がワニの口内で起こる。

 一瞬、上顎が浮く。


「よしッ! これで……」


 爆発により数メートル吹き飛び、ワニも怯んでいる。


 だが、こんなことで獲物を逃がすほどワニは愚かではない。


「あん……? どこに行った……?」


 ワニの姿が見えない。

 足音すら聞こえない。

 ワニは逃げたのかと、カーターは安心して前を見た。


 ピチャッ……。


 そこにはワニがいた。


 吹き飛ばされたワニは、下水を通ってカーターの眼前へと先回りしたのだ。

 ワニは、カーターの頭から噛み付いた。


(まだ……、まだだ……)


 カーターは頭に泡がついたのを確認すると、頭突きをしようとした。

 だが、それは叶わなかった。


 グルッ……、グルッ……。


 デスロール!


 カーターの上半身と下半身が回転により真っ二つ!

 三半規管が揺らされたカーターは泡を使うまでもなく死んだ!

 そのままポチャンと下水に落ちていった。


 後にはカーターの下半身のみが残り、そして静かな戦闘は幕を閉じたのであった。

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