『ストロベリーズ』 VS 『暁の化身』 2
どこからともなく音楽が流れ出す。
そうしている内に、松坂 結梨の身体に何かが巻き付いてきた。
黒く、粘り気があり、そして悍ましい。
まるで呪詛に似ていて、しかしその性質は全く異なる物。
それは悲しみだ。
松坂 結梨によって具現化された悲しみだ。
捨てられた悲しみ、それは『暁の化身』が受けるべき悲しみだ。
『暁の化身』は今まで様々なものを見捨ててきた。
人間の尊厳や命、自然の豊かさ、絶滅していった生物たち。
『暁の化身』は、太陽は、上から見下ろすのみで、何も助けなかった。
それを恨むことはしない。
それではただの逆恨みだ。
ただ、悲しいだけだ。
松坂 結梨は捨てられた者の悲哀を、捨てた者に正しく届ける。
悲しみの歌を歌う。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
『暁の化身』は上から降ってくるそれを見ていた。
それは『暁の化身』が見捨ててきた物の集合体。
『暁の化身』と双璧を成す、まさに『世界の化身』とでも言うべき存在だ。
太陽は世界と共に生まれた。
この世界に存在するありとあらゆるエネルギーは太陽から抽出されている。
世界は太陽に依存し、しかし太陽は世界無しでは存在出来ない。
そこにはある種の拮抗があった。
龍が現れるまでは―――
松坂 結梨の周囲に渦が生まれる。
小さな渦を無数に纏い、『暁の化身』へと落ちていく。
そんな小さな渦だった。
けれども、その中の一つが『暁の化身』と接触した時、それは何倍にも大きく膨れ上がった。
それが『暁の化身』を飲み込んだ。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
龍は理を捻じ曲げ、世界を混沌で満たした。
あらゆる物体は龍に侵され、不純になった。
ただ一つ、太陽だけが純粋であれた。
渦に飲み込まれた『暁の化身』は逃げるように地面へ向かった。
表面的にはダメージは無い。
しかし、エネルギーは確実に消費していた。
松坂 結梨は地面に降り立った。
衝撃は渦に飲み込まれ、消えた。
『暁の化身』は松坂 結梨へと炎を繰り出した。
炎が渦に飲み込まれる。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
太陽は龍と戦った。
結果としては引き分けた。
太陽も、龍も、強すぎた。
相手を傷つけられる様な攻撃は、自身のエネルギーを多く消耗する。
お互いに深く傷つき、癒えるまでに相当の時間を要した。
気づけば世界は発展していた。
太陽と龍が戦っていた間は、どんな生物も存在し得ない環境だったというのに。
戦いが止まり、世界に知的生命体が溢れた。
そこで太陽は神となった。
炎は渦の中に消えた。
まるで元からそこには何も無かったかのように。
放った炎も、『暁の化身』を構成する要素だ。
それが消えれば、『暁の化身』も消耗する。
その渦は、エネルギーを抹消する。
松坂 結梨は渦を広げていった。
そして巨大な渦として『暁の化身』を飲み込んだ。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
始まりは偶然からだ。
世界にあったとある恒星と同化し、休眠していた。
その周囲には8つの惑星があった。
ある時目覚め、太陽から3番目の惑星を覗いた。
そこでは二足歩行の知的生命体が繁栄していた。
誰もが固有の脳を持ち、しかしその脳の形は皆似ていた。
その惑星では鋳型のある生命体が増えたのだと、太陽は理解した。
そこで気まぐれに知的生命体が作った中で、最も大きな国の一つを滅ぼした。
渦は松坂 結梨と『暁の化身』を取り囲み、脱出不可能の結界を作り出した。
松坂 結梨は渦を大きくし、『暁の化身』へと走らせた。
『暁の化身』はその体を雷へと変え、渦の表面をなぞった。
渦に飲み込まれず、そのまま渦と共に動く。
その渦は、結界へと近づいた。
『暁の化身』は飲み込まれんと、体を炎に戻した。
そこを狙って放たれた渦が、『暁の化身』を捉えた。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
不思議な事に、その知的生命体は太陽を崇め始めた。
太陽が滅ぼした国は別の国と戦争をしていた。
その国の国民が太陽を神として信仰した。
なるほど、と太陽は納得した。
この知的生命体は鋳型により増える。
それ故に全く同じ知的生命体はいない。
個人が種族となっている。
この知的生命体は種族という概念がないのだ。
知的生命体自体は種族としての分類を考えているが、厳密にはそこに種族は存在し得ない。
似ている存在の集まりを種族として考えているだけだ。
本来の種族に他者は存在しない。
だが、だからこそ同じ見た目の知的生命体が殺されても、何とも思わないのだ。
あまつさえ殺した元凶を神として崇める始末だ。
この星には他にも生物が存在する。
しかし、明確な知を持った生物はこの知的生命体だけだ。
太陽はその星の推移を見守る事にした。
渦から『暁の化身』が出てくる。
松坂 結梨は『暁の化身』を挟むように二つの渦を放った。
『暁の化身』に出来ることはただ一つ。
渦を避けながら本体を叩く。
それだけだ。
左右から渦が迫って来る。
避ける道は前だけだ。
『暁の化身』は突き進んだ。
そこへ、松坂 結梨は渦を放った。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
しばらくの時が流れた。
太陽はただ、その惑星を見守っていた。
いくつもの国が現れ、滅び、また現れた。
しかし、結局は全てが滅びる運命であった。
そこに龍が現れたのだ。
その体はほとんど癒えており、万全の状態だった。
一方の太陽はそのエネルギーを十全に回復できていなかった。
戦いが、始まった。
『暁の化身』は渦の中を突き進む。
それにエネルギーを奪われようと、お構い無しに突き進む。
『暁の化身』はその渦を知っていた。
それは世界で最も虚ろな海と同等の力を有していた。
しかし、この渦は模倣に過ぎない。
魔女が作り上げた、ただの偽物、劣化版だ。
けれども、その『能力』は『暁の化身』にとって天敵の様な物だった。
渦を抜けた。
その先に、更に渦があった。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
戦いは熾烈を極めた。
世界に居た生物はその全てが絶滅し、世界に存在した大半の物質は消滅した。
龍の息吹と太陽の光線が衝突し、世界に亀裂が走る。
世界は黒と白に染まり、二つに分かれた。
龍が支配する超常の世界と、太陽が支配する物理の世界だ。
二つの世界はお互いに反発し合い、決して近づく事は無かった。
それで済んだのは運が良かった。
太陽はエネルギーを回復しきっていなかった。
龍と互角の様に戦えたのは、運が良かった。
戦いは終わったのだ。
渦に飲まれた『暁の化身』は咄嗟にその体を雷に変えた。
『暁の化身』は渦を昇り、上空へと出た。
結界はその更に天まで届き、決して越えられない。
『暁の化身』は松坂 結梨を明確な敵と認めた。
熱を上げる。
炎が渦に触れないように広げていく。
蒸し殺す。
だが、松坂 結梨は渦を乱雑に動かし、全ての炎を消し去った。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
物理の世界を支配していた太陽は、ある時、不可思議な物を見つけた。
それはとある恒星だった。
それを中心として8つの惑星が回っていた。
二つに分かれる前にあった物と、ほとんど変わらない物がそこにあった。
全くの偶然だ。
偶然である筈なのに、どこか違和感を覚えた。
これが生まれる可能性は僅かだが存在する。
有り得ない話ではない。
けれども、言いしれない不安感が太陽を襲った。
『暁の化身』が炎を広げたのにはもう一つ理由がある。
炎を飲み込んだ渦はしばらくすると消えるのだ。
それは、その渦が擬似的な物に過ぎない事を表していた。
渦はエネルギーを消滅させる時、共に消える。
一瞬、松坂 結梨は無防備となる。
その炎は静かだった。
燃え滾るような熱を感じさせず、ただ静かにそこにあった。
それが松坂 結梨を襲う。
しかし、それは阻まれた。
炎と松坂 結梨の間に、一本の剣があった。
それは木製の剣だ。
幾度も『暁の化身』が放つ熱を弾いた剣だ。
それが、浮いていた。
炎は渦に飲み込まれた。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
物理の世界に魔法や『能力』などは存在しない。
それは超常の世界にのみ存在する現象である。
筈だった。
太陽は見つけた恒星と同化し、また、その惑星の推移を見守った。
その惑星には同じ様な見た目の知的生命体が生まれ、同じ様な社会体系を創造し、同じ様な言語を司った。
もちろん多少の差異は存在する。
しかしそれは微々たるものであり、ことさら気にする程でも無かった。
だが、そこに鍵はあった。
微々たる差異を追っていくと、一人の知的生命体に辿り着いた。
それは知的生命体の言葉で言うところの、人間の男だった。
太陽はその男と接触した。
男は驚くようでも、恐れるようでも無く、ただ怒りを見せた。
男は自身を、賢者と名乗った。
『暁の化身』には仲間がいない。
それは、今の世界においては不利に働く。
遠い遠い過去ならば、『暁の化身』が太陽であったならば、そんな小さな要因によって自身の運命が左右される事は無かった。
しかし、そんな事を考えても意味がない。
残り火しか無いのであれば、むしろ消して行け。
そんな物に価値は無い。
火を消せ。
もっと、もっと、低温に。
プラズマを捨てる。
更に柔軟に。
気体に、液体に、固体に。
どんな姿を取るか、それは自由だった。
氷結。
『暁の化身』は自身の温度を極限まで下げ、周囲を凍らせた。
冷気が満ちる。
空気が凍り、氷結領域は徐々に広がっていく。
渦の動きが悪い。
動く為にはエネルギーを使う。
冷気はそのエネルギーを減らす。
それは奇しくもエネルギーを消し去ると言う点で、渦と同様の力を得た。
渦が凍る。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
賢者は以前の世界にいた記憶があると、太陽に語った。
そして、太陽と龍の戦いも、覚えていた。
賢者は物理世界に存在する、ただ一つの超常現象だった。
あるはずが無かった。
それは超常世界にのみ存在すべきであった。
賢者の存在は、物理世界と超常世界の接触を引き起こしかねない。
違った理で動く二つの世界が接触を起こせば、その時どんな影響が出るか知れない。
太陽は賢者を排除しようとした。
だが上手くはいかなかった。
賢者は恐ろしいほど強かった。
少なくとも物理世界にいる限り、太陽は決して勝てない。
超常の存在は超常の世界でしか倒せない。
そして、世界はとうとう接触した。
『暁の化身』にダメージがあった。
渦に接触するだけでも駄目だった。
やはり避ける他無い。
雲を作り、雨を降らす。
雨粒が、銃弾のように松坂 結梨を襲う。
自由自在に動き回る雨粒は渦の間を縫い、木の剣を避け、ただ松坂 結梨を殺す為に飛び回る。
一発、松坂 結梨の腕に命中した。
松坂 結梨は腕の中に渦を生み出した。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
二つの世界が融合し、物理と超常の二つが同時に存在する超常物理世界へと変貌した。
また、龍と出会った。
三度目の戦いは始まる前に終わった。
賢者が止めたのだ。
賢者により、太陽はその恒星に封印され、龍はその惑星に封印された。
だが、龍はその封印の抜け道を見つけ出した。
それが『龍の逆鱗』だ。
これは消耗戦だ。
『暁の化身』が松坂 結梨を撃ち殺すのが早いか、松坂 結梨が『暁の化身』のエネルギーを消し去るのが早いか。
そこに『悪魔』が現れた。
地面に立ち、真っ直ぐ『暁の化身』を見ていた。
『悪魔』が連れているそれを見て、『暁の化身』は過去に感じた不安感を思い出した。
『暁の化身』それを知っていた。
どうやら、『悪魔』はそれを使役している訳ではなかった。
恐らく、使役者は他にいるのだろう。
『悪魔』は一つ、呟いた。
「『蝨溘?邊セ髴翫??繝弱?繝溘?繝?せ』」
それが力を発揮する。
地が膨れ上がり、萎み、また膨れ上がる。
不規則に、不安定に。
それが渦となった。
『暁の化身』は決してその渦に触れていないし、近付いてすら無い。
けれども、それが生み出した渦にそんな事は関係無かった。
【Il y a trop de « déchets » dans ce monde.】
『龍の逆鱗』を手にした知的生命体は、皆が世界を自由に改変した。
ごく僅かな変化から、世界の構成をまるまる変化させる様な物まで。
その改変はどの様に行われているか、太陽は知らなかった。
元より龍には改変の力はあったが、封印されている状態で何故ここまでの力を出せるのか。
しかし、予測は立っていた。
恐らく、願いの内容を自身で決めず、他者に委ねる事で、強大な力を発揮しているのだ。
太陽信仰は既に終わり、龍信仰が始まった。
賢者は『龍の逆鱗』の回収を急いでいるようだが、それを知った知的生命体は、『龍の逆鱗』を7つに分断し、それぞれに守護者を与えた。
太陽は自身がどうすべきか考えた。
そして、決めた。
太陽が『龍の逆鱗』を集め、世界から龍に関する全てを消滅させる。
それが太陽の願いであり、『龍の逆鱗』を求める理由である。
『暁の化身』のエネルギーは確実に減っていた。
『悪魔』が使ったそれには、再現の力がある。
それにより、『暁の化身』が受けたダメージを再現したのだ。
それは、世界に存在し得ない物だった。
過去、『龍の逆鱗』により消し去られた物だ。
偶然、全く同じそれが生まれた可能性は存在する。
有り得ない話ではない。
ただ、言いしれない不安感が『暁の化身』を襲った。
それだけだ。
それは一度力を使うと、何処かへ消えた。
『暁の化身』は『悪魔』へと雨粒を放った。
『悪魔』が雨粒を避けることは出来なかった。
地面が凍っていた。
感覚が遮断され、冷たさを感じていなかった。
動きを止められた『悪魔』の体に無数の穴が空き、地面に倒れ込んだ。
次は松坂 結梨だ。
さきほど打ち込んだ雨粒は、渦に飲み込まれたが、全てが消えた訳では無い。
雨粒を動かし、松坂 結梨の体内で暴れた。
松坂 結梨は体内に渦を作り出したが、それはもう遅かった。
彼女が雨粒を捕捉し、渦で飲み込もうとした時、既に彼女の心臓は貫かれていた。
渦が消える。
それと同時に松坂 結梨の『変身』が解かれる。
まだ、生きている様だ。
どうやら、『変身』中のダメージは、本体に疲労として還元されるらしい。
それ故に『変身』中、どんなダメージを受けようとも、本体が死ぬ事はない。
だが、これでもう戦闘不能だろう。
『暁の化身』は松坂 結梨にトドメを刺す前に、他の者達を片付ける事にした。
「ふむ、ふむ、なるほど。ここまで弱っていれば……、私でも倒せそうですね。『Carsed Circus』」
上から、ヒック・ヘンダーソンが降りてくる。
その身に呪詛を湛え。
『憤怒』、それの本領発揮だ。
藤原 雪音がヒック・ヘンダーソンの崩壊にインスピレーションを受けた様に、ヒック・ヘンダーソンも藤原 雪音の持つ圧倒的な暴力に感銘を受けた。
呪詛は怒りや憎しみの具現化である。
本来の呪詛であれば、具現化の方法が決まっている。
しかし、『憤怒』の呪詛は、それ単体で怒りを司る。
怒りにより怒りが具現化する。
『憤怒』が空間に染み出す。
ヒック・ヘンダーソンは『憤怒』の呪詛を両手に刻み、落下する。
その速度は心なしか遅い。
いや、明らかに遅い。
自由落下にも関わらず、その速度は普通よりも遅い。
低速とまでは言わずとも、中速程ではあった。
『暁の化身』はヒック・ヘンダーソンへ炎を放った。
ヒック・ヘンダーソンは空中で身をよじり、その炎を殴った。
殴ったと言っても、空中で炎に触れただけだ。
ただそれだけで、炎は消えた。
そして、ヒック・ヘンダーソンは地面へと降り立った。
「あなた――『暁の化身』でしたか――、誕生日ケーキと言うもの知っていますか?」
「……何の話だ?」
ヒック・ヘンダーソンは語りだす。
何の脈略も無い話だ。
しかし、『暁の化身』はその話に乗る。
呪詛の正体を掴めていないからだ。
「誕生日ケーキと言うものは、誕生日にだけ食べられる特別なケーキです。自分の年齢と同じだけロウソクを立てて、その炎を一息で消すんです。あれ、ロウソクに灯した炎を消すのって結構大変なんですよね。」
「……。」
「吹いても吹いてもなかなか消えず……、私、ついイラッとして手で払ってしまう事がよくあるんです。」
「……。」
「するとどうでしょう! あんなに吹いても消えなかった炎が、手で払うと一瞬で消えてしまうんですよ。」
「いったい何の話だ!」
「あなたの話ですよ。」
「っ!」
「あなたは誕生日ケーキに刺さっているロウソクの炎です。頑張って消そうとしても消えない。でも……方法を変えたら呆気なく消える。それがあなたです。」
「……そうか。」
『暁の化身』の雰囲気が変わる。
荒々しくも、静かな灯火が、真っ直ぐにヒック・ヘンダーソンを捉えた。
一瞬の静寂、そして次に声を上げるのは『暁の化身』だ。
それを、何者も遮ることは出来ない。
「では、払ってみろ。」
純粋な怒りが『暁の化身』を支配した。
『暁の化身』はその炎をヒック・ヘンダーソンへと放った。
しかし、それはヒック・ヘンダーソンには届かない。
それどころか、真逆へ向かった。
「なにッ!」
『暁の化身』の後方へと炎が飛んでいき、止まる気配がない。
ヒック・ヘンダーソンはその隙に近付き、右手で『暁の化身』を払おうとした。
しかしその動きは緩慢で、避けるのは容易い筈だった。
『暁の化身』は左方から来る攻撃を躱すため、右に避けた。
だが、避けようとすると、むしろその右手は近付いてきた。
より速く避けようとすると、それよりも速く右手は動いた。
ヒック・ヘンダーソンの右手は『暁の化身』を確かに捉えた。
その右手が『暁の化身』に触れた瞬間、炎が発散し始めた。
それは自壊に似ていた。
『暁の化身』が自身の炎と炎をぶつけた時には似た攻撃だった。
そうすると、『憤怒』は『暁の化身』と同等のエネルギーを有することになる。
それは有り得ない。
有り得ない筈だ。
遂に、『暁の化身』は真っ二つに切断された。
『暁の化身』は残った炎をくっつけ、一旦離れようとした。
だがしかし、『暁の化身』は前に進んだ。
そこに、ヒック・ヘンダーソンの拳が迫った。
『暁の化身』が怒りを覚えてから、6秒が過ぎた。
その瞬間に、『暁の化身』は自由に行動出来るようになった。
すぐさまヒック・ヘンダーソンから離れ、その呪詛の考察をする。
「……逆、か。」
「ほう。」
「その呪詛は逆転を表す。力の向きを逆転させる。そういう呪詛だな。その呪詛が刻まれた部位に炎が触れると、炎が逆転し、相殺される。」
「ふむ。」
「拳にだけ呪詛を刻んでいるのもその証拠だ。全身に刻んでしまうと重力が逆転し、大気圏外まで吹き飛んでしまうからだ。手だけであれば、他の部位に働く重力が勝つ。」
「なるほど。」
『暁の化身』は呪詛の正体を完璧に見破った。
しかし不気味な事に、ヒック・ヘンダーソンは微塵も焦りを見せなかった。
それどころか『暁の化身』を見下したかのような口調で話し始めた。
「つまり、もう勝った気になっていると、そういう訳ですね。」
「ふんっ、お前の弱点はエネルギーをぶつけられないと大した攻撃を出来ない点にある。」
『暁の化身』は炎を鎮める。
炎を固め、エネルギーの放出を制限する。
固体の炎が出来上がった。
エネルギーは全く漏れ出ていない。
『暁の化身』はもはや、完全に人の様な姿と化した。
「その程度で勝った気になられると……、少しばかり怒りが湧きますね。」
『暁の化身』は炎を放出出来ない。
もし、それがヒック・ヘンダーソンの手に触れたら、反射される。
だが、殴る、蹴るならば問題はない。
その攻撃は炎を用いて行った攻撃ではないため、反射されても『暁の化身』が受けるダメージは低い。
『暁の化身』は左の拳で殴る。
ヒック・ヘンダーソンは右の拳で殴る。
両者の拳が交差し、それはお互いの肩に突き刺さった。
結果は顕著に出た。
ヒック・ヘンダーソンはその肩が嫌な音を立て、血が噴き出した。
『暁の化身』は肩の部位が消し去った。
「は?」
地面に『暁の化身』の左腕が落ちる。
一瞬、その左腕は塊から炎へと戻る。
ヒック・ヘンダーソンは一瞬を逃さず、その腕に触れた。
腕は自壊を始め、時期に消え去った。
何が起きたのか。
『暁の化身』の左肩は消し去られた訳ではない。
遠くに殴り飛ばされたのだ。
作用・反作用の法則だ。
ヒック・ヘンダーソンは『憤怒』により反作用を逆転させ、全くの抵抗無く『暁の化身』の左肩を吹き飛ばしたのだ。
ヒック・ヘンダーソンはその場で握り拳を作る。
空気を握る。
手にかかる圧力は逆転し、空気は超圧縮される。
手を開き、その圧力は解放される。
暴風が、『暁の化身』を襲う。
これが『憤怒』の本領だ。
何物にも抵抗を許さず、ただ力を加える。
暴風はただの風だ。
それ単体で『暁の化身』を倒す事は出来ない。
だが、その呪詛は、エネルギーの塊である『暁の化身』にとって天敵だ。
しかしヒック・ヘンダーソンは普通の人間だった。
ヒック・ヘンダーソンは呪詛を纏うことで命を延ばせるが、今は『憤怒』以外の呪詛を持ち合わせていない。
ならば本体を叩き、呪詛を発動する暇無く殺すまでである。
『暁の化身』が一歩、ヒック・ヘンダーソンへと近付いたその時、何者かに押さえつけられた。
『暁の化身』の周囲には誰もいない。
けれども、上から凄まじい力で押さえつけられる。
「HA! HA! HA! 私が手伝おうとも!」
ジャスティスウィングが駆けつけたのだ。
『暁の化身』が炎を放出すれば、この拘束を抜け出せるだろう。
しかし、その瞬間にヒック・ヘンダーソンによりエネルギーを破壊される。
「ならばッ!」
『暁の化身』はプラズマを捨て、その身を気体へと変化させる。
『Justice Wing』は押さえるべき物を失い、地面にめり込む。
『暁の化身』は気体のまま集合し、プラズマに戻ろうとした。
「つまり、狙い通りと言う訳ですよ。」
プラズマに戻る一瞬、それは不安定になる。
そこへヒック・ヘンダーソンは超圧縮した空気を放った。
炎は纏まりを失い、周囲に散乱する。
『憤怒』が、そこに襲いかかる。
エネルギーを削る。
どれだけ削れば『暁の化身』を倒せるかは分からない。
けれども、倒すまで削れば倒せる。
『暁の化身』はまた集合する。
今度は複数の地点に。
小型となった『暁の化身』は、ヒック・ヘンダーソンへと駆け寄る。
小さくともそのエネルギーは膨大で、その内の一体がヒック・ヘンダーソンの腹部を貫いた。
しかし、ヒック・ヘンダーソンは耐える。
根性だ。
根性だけで耐えている。
しかし、それには限界がある。
元から、ヒック・ヘンダーソンは根性だけで動いていた。
彼は『憤怒』をその手に刻んだ。
エネルギーの反射、それは血管内でも起こっている。
手の血管に入り込もうとした血液が、逆流する。
体中に血液が回らず、彼は貧血を起こしていた。
その両手は既に壊死しており、動かせる様な状態ではない。
ヒック・ヘンダーソンは地面に倒れ伏した。
『憤怒』は決して解除されない。
本来呪詛は、他者を呪うことでその呪詛が弱まっていく。
けれども『憤怒』は違う。
決して消えぬ怒りの炎は、呪った相手が死んだとしても呪うことを辞めない。
彼が生き残る事は無い